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第2章

026.残酷な才能

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 子供というのはどうも不思議な生き物だ。
 人間誰しも必ず通る道。子供から様々な経験を積み重ねて大人になり、酸いも甘いも噛み分けながら更に年を重ねていずれ老人になり等しく死ぬ。
 川の水が上流から下流へと流れていくように、人生という道には一つたりとも例外はない。何らかの要因により道半ばで途絶えない限りは、皆等しく長い長い道のりを歩んでいくのだ。

 その道のりを歩き出したばかりの、まだまだ駆け出しである小さな子供。
 子供は殆ど本能で動いているといっても過言ではない。好きなものは好きと言い、嫌いなものは跳ね除ける。
 本心を告げることが難しくなっていく大人と違って清々しいまでに素直で無邪気なのだ。

 一方で不思議な部分もある。
 それは勘の鋭さだ。ただ何も考えず本能で動いているハズなのだが、時折こちらの心を見透かすような言動をしてくる時がある。
 自分も子供を経験してきたはずなのにどうやって察知しているのかサッパリわからない。それでも何らかの勘の良さが子供には備わっている。

 それは今日現れた女の子、ひまりちゃんだって例外ではない。

「――――ほっ!ほっ!! どぉ?ひまりね、けん玉は"ばぁば"に教わってから得意なんだよ!」
「凄いです!私は全然できなくって……。良ければ教えてくれませんか?」
「うんっ!えっとね、コツは――――」

 女性陣がお風呂を出てからおよそ3時間。
 俺たちはあいも変わらずリビングでひまりちゃんの相手をしていた。

 今はひまりちゃんから瑠海さんへのけん玉教室。俺がいくつか創った玩具の内の一つを手にして遊んでいる姿はまるで姉妹のよう。
 しかし現実はそうではない。2人は他人同士。今はひまりちゃんの母親を探すためにもマヤを探さなければならないフェーズだ。
 3時間経ってもひまりちゃんが此処にいるという時点で見つかっていないのは言うまでもない。その事実に若干の焦燥感を抱えながらも決して表情に出すことなく頬杖付いて2人の姿を見守っていた。

 焦燥感。
 俺はこの件、時間との勝負だと思っている。
 魂だけの存在で時間なんて大したことないだろうが、実際のところそうじゃない。
 魂の身体に最も影響を及ぼすのは心……そして精神力だ。俺たち大人一歩手前組は極端でない限りは問題ない。何時間も何日も、ちょっと横になってボーっとしてれば済む話だ。
 しかし子供は不確定なのだ。特に5歳児の精神力なんてたかが知れている。ちょっと不安定になって泣くくらいならどうにかなるが、以前悪霊の話を聞いた手前、子供の精神が限界に達した場合どうなるかは想像すらできない。
 だから万が一の事態になる前に、一刻も早くマヤに会いたいところなのだが……。


「いきます……えいっ!やぁっ!どうですか!?」
「おねぇちゃんも上手!次に"とめけん"のやり方は―――」

 左右の皿に何とか玉を乗せることができた瑠海さんは続いての技、天辺の穴に差し込む技をじっと見ている。
 その姿は真剣そのもの。一方で若い師匠となっているひまりちゃんは軽々と技を成功させていた。

 二人して夢中になっているけん玉。しかしその様子を見ている俺は焦燥感とはまた別の、一抹の不安を感じていた。
 不安の原因は言うまでもなくひまりちゃん。あの子はお風呂を出てから一度たりとも『ママ』という言葉を発さなくなっていた。
 この家に来た時はあんなに不安そうにしていたのに、お風呂以降おくびにも出すことはなく、まるでここが自分の居場所かのように振る舞っていた。
 もしかしたら俺が募らせている焦燥を機敏に感じ取っているのかもしれない。それとも考えにくいが、もしかしたら母親のことを諦めたのかもしれない。

「蒼月はまだか……」

 ポツリと誰にも聞こえない声量で俺は求めている人物の名前を出す。
 彼女は今この家にいない。マヤを探しに行ってくれているのだ。果たしてどこまで行ってくれているのか。果てなんてあるかどうかもわからないこの世界でどう探してるのか検討もつかないが、二人を眺めながら待つしかない。


「おにぃちゃん?」
「………ん?」

 腕時計と扉を交互に見渡しながら今か今かと蒼月の帰りを待っているさなか、ふと呼びかける声に顔を上げればひまりちゃんが直ぐ側まで寄って来ていた。
 何事かと思いモジモジしている手を見ると、その中にはさっきまで遊んでいたけん玉が握られている。この子はけん玉と俺を交互に見たかと思えば手にしていたけん玉をこちらに差し出してくる。

「おにぃちゃんも……あそぼ?」
「俺もか?」
「うん。……ダメ?」

 上目遣いで寂しそうにお願いする様は完全に反則技だ。
 庇護欲を沸き立たせられる小さな子。思い出すことはできないが、あの時の妹と変わらない子からの純粋なお願いに、俺は拒否することができなかった。気づけば頬杖を解いてけん玉を受け取っている。

「わかった。遊ぼうか」
「やったっ!じゃあこっちこっち!!」

 そう言って手を引っ張りながら連れ出したのはさっきまで瑠海さんと2人で遊んでいた場所。
 リビングの一番広い空間。カーペットの上に腰を下ろしている瑠海さんに迎え入れられながら俺も腰を下ろしていく。
 しゃーない。けん玉なんてやったこと無いが瑠海さんみたいに習えばどうにかなるだろ。そう考えつつ最も上手な師匠であるひまりちゃんに教えを請おうとすると、その子は俺の横に立ったままジッとこちらを見てきていることに気づいた。

「どうした?ひまりちゃん?」
「えっとね……あのね……?」
「……?」
「あの……お膝の上に座って、いい?」
「膝って俺の?」

 俺を見つめたまま何を言うかと思いきや所望するのは膝の上だった。
 その問い返しに小さくコクリと頷いたひまりちゃんは、恥ずかしいのか顔を伏せたままになってしまう。
 今の俺は正座だ。正座を崩して座りやすいようにあぐらをかいてみせる。

「ほら、座りな」
「……! ありがとっ!大好き!!」

 なんとも軽い『大好き』か。
 しかし純粋無垢な子。そして真っ直ぐ言われて悪い気はしない。むしろ凄く嬉しい。
 膝上に乗って背中もこちらに預けてきたひまりちゃんは顔だけ上向けて俺と目が合うと屈託のない笑みを向けてくれる。可愛い。
 まったく、こんな可愛い子を置いてく母親なんてどんなヤツだ。俺が一言言ってやらないと気がすまないぞ。

「ひまりちゃん、実は俺もけん玉やるの初めてなんだ。悪いが教えてくれないか?」
「いいよっ!まずねぇ……持ち方はこう――――」

 俺と瑠海さん。向かい合わせになりつつ2人でひまりちゃんを見守りながらけん玉を教えてもらう。
 その姿は傍から見ると若い夫婦のようであった。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


 ――――才能とは残酷なものだ。
 才能があればちょっと教えただけでみるみる上手くなっていくし、逆になければいくら教えられてもちっとも上手にならない。
 それはいかなるものにおいても大小存在する。計算する才能、走る才能、言葉を考える才能。列挙すればきりがない。
 それはけん玉においても同様だ。ひまりちゃんに手ほどきを受けた俺たち。しかし才能というものは残酷で、同じように教わってもレベルは天と地の如く開いていった。

「えいっ!やぁっ!!」
「………上手だね。瑠海さん」
「ふふっ。お二人のお陰ですよ」

 そう言って笑うのは最初に教わった瑠海さん。
 彼女はけん玉でも才能があったようでひまりちゃんが教えた事をどんどん吸収してグングン伸びていった。一方俺はというと……

「…………はぁ」
「だ、大丈夫です!けん玉できなくっても煌司さんは素敵ですから!」
「おにぃちゃん、ステキー!」

 瑠海さんが励ましてくれるも俺のため息は尽きることがない。
 俺の才能はからっきしだった。横の皿に乗せるのだって三回に一回、てっぺんの穴に差し込む"とめけん"なんてもってのほかだ。
 あとひまりちゃん、その励まし方は逆効果だよ……。

 けん玉を教わって1時間。上達はせずともなんだかんだ楽しかった。
 上手く行けば2人揃って褒めてくれたし、ひまりちゃんの無垢な笑顔が何よりも可愛い。むしろこの子ウチで引き取っちゃダメなのだろうか。ずっと側において置きたい。現実でも一緒に居て決して嫁に出したくない。
 そう思うのも無理はないと思う。だって俺の膝に乗っているひまりちゃんは――――

「えへへ~。おにぃちゃん大好き~」

 ――――膝の上に乗るどころか手を回してガッツリ抱きついているのだ。

「まるで本当の親子みたいですね」

 けん玉で遊びつつそんな声が正面から聞こえてくるも俺は聞こえないフリ。
 俺が親なんてまだまだ早すぎる。ひまりちゃんも母親を探しているのに親を揶揄されたら良い気はしないだろう。ほら、胸に顔を埋めたままギュッと服を強く握っちゃってる。

 もう一生離れないコアラかと思うほどガッツリホールドしているひまりちゃん。
 それを見て瑠海さんは苦笑いを見せ、俺は決して引きはがすことなく手を頭に乗せて撫でていた。
 なにもひまりちゃんを恋愛的な意味で好きというわけではない。ただ純粋に好意を全面に出して抱きついてくる幼い子を引きはがすなんてもってのほかだろう。
 何故此処まで懐かれているかは不明だが、悪い気はしない。なんだかんだ利口な子だし、やかましい子供が苦手な俺でもひまりちゃんなら好きと言える。もちろんライク的な意味で。

「……はっ!煌司さんがお父さんということは、必然的に一緒に遊んでいる私はお母さんということに!?」

 …………聞こえない聞こえない。
 突然どんな思考に行き着いたのか、何を錯乱しているのか訳の分からない事を言いだしている瑠海さんを無視していると、ふと玄関から聞こえるガチャリという音が聞こえてきた。誰かが家に入ってきた音だ。

「ただいま~!!」

 突然家の扉が開いて聞こえた声色。その元気な声の主は言うまでもなく蒼月だった。
 若干焦りの伴った声色。バタバタと音がしたかと思えばリビングの扉が開いて彼女が姿を現す。

「ただいまっ!みんないる!?」
「おかえり。蒼月が来たってことは……」
「うん!マヤ連れて来たよ!!」
「……そっか」

 蒼月が肩で息をしながら告げるのは目的達成の一言。
 その言葉に俺も喜びの感情が浮かぶと思ったが、それと同じくらいの悲しみが浮かんでくるのを感じた。
 マヤが来たということはもうこの子と一緒に遊ぶのは終わりなんだ。タイムリミットが遂に来たのかと。

「おまたせしましたみなさん。事情は聞いておりますよ」」

 落ち着きのある不思議な声。
 色々な感情が混ざっている俺でさえその声を聞くだけで落ち着きを取り戻すような不思議な声色。
 ゆっくりと喋りながら蒼月に続いて現れたのはマヤだった。長身黒髪の女性。わざわざ扉の天井部分をくぐるように入ってきた彼女は辺りを一瞬だけ見渡すしただけで全てを理解したかのようにゆっくり頷く。

「マヤ、どこ行ってたんだ?探してたんだぞ」
「すみません煌司さん。事情がありまして少々席を外しておりました。…………それで、"もういい"のですか?」
「………?」

 もういい?一体何のことを言っているのだろう。
 そう思って首をかしげたものの、マヤからの返事はすぐ眼下から聞こえてきた。

「うん」

 幼くもしっかりとした肯定の返事。
 その言葉とともにゆっくりと立ち上がったひまりちゃんの様子はいつもと違っていた。
 俺たちと遊んでいた様子とはまた違う。天真爛漫さを感じていたのに今はなりを潜め、落ち着きを前面に押し出している。
 まるで大人かと錯覚してしまうようなひまりちゃん。突然豹変したその姿は別人だと思ってしまうほどだった。立ち上がった彼女はマヤをしっかりと見据える。

「ひまりちゃん……?」
「……うん、もういいよ。十分楽しめたから」

 小さな体躯から出てくる声、そして振り返った表情は訳知り顔だった。
 諦めと憂い、そして嬉しさが混ざった顔で返事をするひまりちゃん。

「ごめんねみんな。騙すような真似しちゃって。ひまりはもう帰らなきゃ」

 その言葉こそ、そしてマヤの帰還こそ終わりの合図。
 俺たちの邂逅は、たったの数時間で終わりを迎えようとしていた。
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