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第2章

018.星の広がる菜種梅雨

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 現世は今日も平和に日常が動いている。
 当然の如く見知らぬ誰かが死んでもそれを悲しむ人などさほどいない。しかし天が代わりに悲しんでいるかのように空に広がるは光を遮る嫌な雨雲。
 実際には上空で空気が温められたことによりシトシトと地上に落ちてくるいくつもの水の粒。

 時によって恵みの雨と評されることもあるそれは、現代において結構な割合の人が疎んでいる。
 歩くごとに服へ雨粒がかかり、気づいた時には靴から靴下へ水が浸食してくる非常にやりにくい天気。

 辺りを見渡せばそんな雨でも一生懸命経済を回そうと行き交う人達の姿が目に入る。その手に持つ物はみんな傘。ごく一部では持ってない人も見受けられるが、そういった人は大慌てで屋根のある場所へと水たまりを跳ねながら駆けている。

 ここは現世。先日蒼月とともに来た場所と同じ街中。
 俺は人通りの少ない道をボーっと歩いていた。
 雨が町を濡らしているというのにもかかわらず傘もレインコートもなく普段通りの格好で。しかし降りつける雨は俺たちの身体に当たることはない。そのまま素通りして地面へとぶつかってしまうのだ。
 そんな雨も人混みさえも気にする必要のないこの身体を持つ俺は、人や雨を気にすることなくすり抜けていく。

「はぁ……。マヤも勝手だよな。夜まで帰ってくるなだなんて」
「いいじゃないですかこういうのも。私は煌司君と一緒にお出かけできて嬉しいですよ?」

 道を歩く俺が大きなため息を吐くと、隣の女性の優しげな励ましが耳に響く。
 隣をピッタリと歩く瑠海さん。横目で見たその姿は楽しそうで後ろ手に鼻歌を鳴らしながら歩いている。
 そんな姿を見て俺は更に大きなため息が心のなかで漏れ出てしまう。

 2人で歩く現世。隣にも後方にも、少なくともこの世界にはいつも隣にいた蒼月はいない。それに関してはどうでもいいのだが、俺と瑠海さんという組み合わせはなんとなく居づらい心地に襲われた。
 いつもはどうとも思っていなかったものの、今日ばかりは蒼月の存在が恋しくなる。あぁ、どうして今回に限って近くにいないのだろうか。

 俺たち2人して現世にいるのは、これも全てマヤのせいである。
 あの世界の(自称)神様であるマヤ。瑠海さんがあの世界にやってきて間もなく彼女は「拠点を創る」と言い出したのだ。
 こんな何もない原っぱで過ごすのは不憫だといい始めたマヤ。確かに創ったものも全て野ざらしだし、そればかりは俺としても嬉しいところなのだが何故夜まで帰ってくるなとセットで告げてくるのだろう。
 神様なのだから家の一棟くらい数秒あればできると思うのだが追い出されてしまっては仕方ない。何故か蒼月まで手伝いに駆り出されてしまったが、現世でどう過ごせというのだろうか。

「確かに急でしたね。しかし神様に言われた以上何をして過ごしましょうか。どこか行きたい所はありますか?」
「今はちょうど12時か。夜まで随分あるしなぁ……マヤの言っていた通り映画館でも行くか?」

 俺たちを現世への扉に押し込む最中、マヤはアドバイス程度に「映画館でも行ってくればいいと思いますよ。タダですし」と言っていた。
 確かにその通りだ。入場料なんて払わなくても係員に見えないのだから止められることもない。そもそも払えない。 
 意外と現世とあの世で時間の流れは同一みたいで広告モニターには今やっている話題作とやらが丁度流れている。それを見るのも一興ではあるだろう。まさか死んでから映画見放題になるとはな。サブスクも驚くレベルのお得具合だ。

 しかしマヤ、あの人本当に神様か?俗世すぎるだろ。

「映画館もいいですね。ですがこれといって行きたいところが無いのでしたら、私にオススメの場所があるのですがどうでしょう?」
「そう言えば瑠海さんは近所だったか。言っておくけど喫茶店とかファミレスは難しいからな」

 もちろんそういうところもなくはない。けれど生きてる頃と同じ感覚で言っているのならばそれは大きなギャップが生まれることだろう。
 死んでる以上飲み食いはできない。つまり喫茶店ファミレスに行っても、そこらの公園とやることはそう変わらないのだ。食事のない中ただ座って話すだけ……。
 あぁ、こういうところは肉体が恋しい。また肉とか甘いお菓子とか食べたい。

「そちらではなく図書館なんてどうでしょう。最も、ただの図書館では無いのですか」
「図書館?いいけど、なんでまた――――わっ!?」
「さ、こちらです!早く行きましょ!!」

 図書館なんて読むこともできないのだから喫茶店とかとさして変わらないだろうに。
 そう思いつつ疑問符を浮かべた瞬間急に身体が引っ張られて彼女と同時に駆け出していく。
 手を引かれた俺は笑顔の彼女とともに街の中心部へと走って向かうのであった。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


「図書館っていうから、なんでわざわざそんなとこに……って思ったけどプラネタリウムか」

 瑠海さんに手を引かれてたどり着いた先。
 そこは何の変哲も無い場所かと思いきや、目的は図書館に併設されているプラネタリウムだった。
 休日なのか子供も大人も楽しそうに会場に入っていくのが目に映る。その姿を見送りながらスケジュール表を見るともう間もなく上映といった様子だ。

「昔からお気に入りの場所なのです。辛い日とかはここで星を見て元気をもらって……。まさか死んでからも見られるとは思いもしませんでしたが」

 そりゃそうだ。
 まさか死んでからもこんな簡単に現世へ降りられるとは俺も思わなかった。
 未だ知り合いのところには行けていないがどうなっているのだろうか。気にはなるがどうでもいいけど。

 そんなことを考えながら入った会場は、今どきの凝ったプラネタリウムといった様子だった。
 誰しもがゆったり見られるような寝られるクッション。ちゃんとカップル用に2人寝られる大きなクッションだってある。
 俺が生きてここに来てたのなら間違いなく5分かからず眠りの世界に旅立つことだろう。

 様々な人がクッションへ横になるのを見届けながら俺たちが向かうのは隅。クッションも何もない、ただのフローリングの床だ。

「さすがにクッションは空いてなさそうだしな」
「ごめんなさい。どこか適当なところも考えましたが人と重なりながら見るのはちょっと……」

 そりゃそうだ。
 いくら幽霊でも常に重なっていられるのは精神上無理がある。むしろ俺が願い下げだ。
 そもそもコンクリだろうがクッションだろうが寝る場所に違いなんてありゃしない。そう考えたら床でもなんら問題ない。

「全然いいよ。むしろ生前を考えたらこっちのほうが落ち着くしな」
「……ありがとうございます」

 足を放り出した俺がそのまま横になる一方で、彼女は腰を下ろすばかりで壁を背にして寝ることはない。
 正直添い寝なんてされたらどうしようかと思ったからホッとした。

 まだわずかに上映まで時間があるのか照明が暗くなることなくザワザワと声が聞こえる室内。
 寝ることが無くなったこの身体。けれどその中でも心地よい雑踏の中横になっていれば自然と寝たいという欲求も生まれてくる。実際に眠ることはできないが、それでも目を瞑って心を沈めようとしたその時、ふと彼女がポツリと小さく呟いた。

「煌司君は祈愛さんのこと、好きなのですか?」
「!? なっ……!?突然なに!?」

 思わずプラネタリウムという場にも関わらず大きな声が出てしまった。
 あまりの直球発言に飛び起きて目を見開く俺。俺の声が聞こえたものは当然おらず、若干ホッとしながらも何を言い出すんだと目の前の彼女を目に収める。

 まっすぐこちらを見てくる彼女の顔は何の色も映していない。けれどチラリと逡巡するように目を逸したかと思いきやすぐにこちらを見据えてきた。

「いえ、改めてになりますが2人ともとってもお似合いで。もしかしたらそういった関係なのかと心配になりまして」
「心配って、何がだ……」
「だって私は煌司君のこと好きですから」
「―――――」

 なんの迷いもなく告げる言葉に、俺は絶句した。
 当たり前のように。好きな食べ物を告げるときのように無機質に。しかしそれでも瞳はまっすぐこちらを向いていた。
 そんな視線に耐えられず俺はフイッと顔を天に向ける。

「……そんなんじゃない。アイツは――そう、妹みたいな感覚だ」
「妹?」
「あぁ。 ほら、始まるぞ」

 俺の言葉と同時に会場の光が徐々に暗くなる。
 そして始まるプラネタリウム。天に浮かぶ暗き海と輝く星々。その光を目にしながらも、俺はただたださっきの告白について考え続けていた。

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