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第1章
013.在宅確認
しおりを挟む「ここが……ここがあの男のハウスなんだねっ!!」
「ちょっと待て蒼月」
そこは住宅街によくあるアパート。
築30年は経っているだろう2階建てで1階3部屋。一人暮らしをするなら最低限でいいという人々が求める安く借りられるシンプルな建物だ。
海から移動することおよそ40分。街から2駅のところにある目的の場所に俺たちはたどり着いた。
今回の目的地。
人通りの少ない街の片隅の建物を前にして同行者の蒼月は腰に手を当てながら張り切った様子で眼前に据えるところを俺は冷静に言葉を挟む。
「ほえ?どうしたの煌司君。お腹痛くなっちゃった?」
「この身体に腹痛どころか痛覚が無いってマヤも言ってただろ。そうじゃなくてさっきの言葉。アレはお前のセリフじゃないだろ」
「そうなの?でも浮気相手の家はこれを言うのが鉄板だってマヤが……」
なるほど。蒼月自身は意味をよく知らないらしい。
しかしマヤの差し金か…あの人(?)神様なのにネット用語に精通してるのか。
「確かに言うに相応しい言葉だけど、今回は瑠海さんが言うべきセリフってこと」
「そうなの?瑠海さ~んっ!是非言って欲しい言葉が……瑠海さん?」
そんな言葉を交わしながら揃って後方にいるであろう瑠海さんへ視線を向けると、彼女はボーっとアパートを見つめたまま動かずにいた。
片腕をギュッと握りしめながら眉間にしわを寄せ悲痛そうな面持ち。蒼月の声さえも聞こえていないようで彼女は瑠海さんのもとへ近づいていく。
「瑠海さん……」
「……えっ!あ、すみません祈愛さん。ちょっと考え事しちゃってて。どうしましたか?」
「やっぱり見るのは私達に任せて瑠海さんは待っててくれていても……」
蒼月も心中を察したのだろう。
電車内で行われた謎の授業も、もしかしたら蒼月なりに気を遣ったのかもしれない。しかしいざアパートを目の前にすると否応がなしに現実を突きつけられたのかもしれない。
自殺した原因である男の家。そんなのを目の前にして心中穏やかじゃないのは当たり前だ。
蒼月は俺たちが代わりに見てくるという提案を示すも、瑠海さんは微笑みながら首を横に振ってそれを否定する。
「平気。ここまであなた達は手伝ってくれましたから。私もお姉さんとしてちょっとは前に進まなきゃ。それにここで足踏みしてちゃ私まで悪霊になっちゃいそうですし、ね」
「でも、あんまり無理しちゃダメですよ?私が提案しちゃったことですし、辛い思いするくらいなら――――]
「ありがとうございます。でも大丈夫。私もいい加減、海でウジウジしてないで彼と向き合わなきゃいけません」
そう言って蒼月は頭を撫でられ言葉を途切れさせる。
思いの原因であろう瑠海さんの彼氏。そんな彼は一体どうしているのだろう。そして瑠海さんが彼と向き合い、なにか変わるのだろうか。
そんな疑問も今に解決するだろう。俺は先導する瑠海さんの背中を追ってアパートの階段を登っていく。
「203号室……。引っ越していなければ彼はここに住んでいるはずです」
たどり着いた先は当然のこと、何の変哲もないただの部屋であった。
耳を澄ましてみても話し声や物音は聞こえず在宅かどうかはわからない。けれど人が暮らしている跡として窓格子に傘が掛けられていてポストには郵便物がいくつか見えた。
「この名前は…………」
俺が注目したのは郵便受けに溜まっているポスト。そのうちの一つだった。
多くはチラシとかだがそこから漏れるように顔を出していたのは宛名付きの封筒だった。書かれている名前は男のもの。チラリと瑠海さんを見ると頷いてくれて今も変わらずここに住んでいることを確信する。
よし、住んでるなら話は簡単。あとは実際に姿を確認すればいいだけだ。
そう思って扉前に立つ瑠海さんへ目を配ったものの、彼女は腕を抱いたまま顔を伏せてしまって動く気配を見せない。
これは……。
「在宅確認だけ俺がしてこようか?」
「……ごめんなさい。それだけ、お願い出来ますか……?」
きっとまだ住んでるとわかって実感が生まれたのだろう。意気込んだはいいけど、いざ直前になると辛いところがあるようだ。
提案を受け入れてくれた彼女がスッと扉前から離れたのを見て俺が代わりに正面へ立つ。早速瑠海さんに代わって俺がインターホンを……あぁ、そっか。インターホン鳴らせないんだった。
それじゃあ気を取り直して。
なんとなく手を伸ばしながら扉に触れる。
よし、抜けられそうだ。
幽霊らしく触れたところが阻まれることなく通り抜けられることを確認して向かおうとすると、同じく蒼月も一緒に入ろうとしていることに気がついて足を止めた。
「お前も入るのか?」
「うん。だって私が声を掛けて提案したんだもん。これくらいはやらなきゃ」
「……そうか」
彼女の真剣な表情を目にした俺は小さく返事をするに留める。
そんな決意の目を見ちゃ何も言えない。俺たちは同時に足を伸ばし、部屋にいるかも知れない彼氏とやらの家に入っていった。
「ここは………」
「なんだか随分と、普通のお部屋だね」
俺たちが意を決して足を踏み入れた扉の向こう。そこは別世界…・なんてことはなく、至って普通の部屋だった。
綺麗という訳では無いが汚いわけでもない。しっかりと生活感を感じられる部屋。玄関すぐ近くのキッチンには空になった弁当箱が置かれていて、足元にはすぐ持っていけるようにゴミ袋が纏められている。
しかし肝心の気配がしない。キッチンから先はまだ確認はできていないが、現時点において昼だというにも関わらずカーテンが閉められて部屋も暗くなっていた。やはり、外出中か?
「もしかしてハズレかな?」
「あぁ、そうかも――――」
『やんっ!もぅ、ばかぁ』
「――――!!」
折角来たはいいがハズレだと踏んで引き返そうと思ったその時、突然そんな声が部屋の奥から聞こえてきた。
聞き覚えのない女性の声。その言葉は拒絶のものだが明らかに字面通りの雰囲気はなくあからさまに甘えている、そんな声だった。
誰かいる。
それだけは確実にわかった。
俺と蒼月は互いに顔を見合わせて頷き合い、そぉっとそぉっと……バレるわけでもないのに生来の感覚からかゆっくりと影から奥を覗き見る。
『どこ触ってんのよ、龍之介のばかぁ』
『いいだろ。減るもんじゃないし』
『だ~めっ!そんなに触っちゃまたその気に……やんっ!』
………………あぁ。
どうやらお楽しみの真っ最中だったみたいだ。
聞こえてきた龍之介とはさっき見た宛名と同じ名前。これはビンゴだ。
しかし随分とお楽しみなようで俺はついついバレないよう覗きに徹してしまう。
お楽しみといっても正確には終わった後。そこらに箱やらティッシュやらが散乱しつつ、ベッドライトに照らされた男女が2人仲良くベッドに寝転がっていた。
さながら終わった後のイチャイチャタイム。見せつけてくれちゃってまぁ。しかしどう報告したものかと頭を悩ませていると、ふと隣の少女が小さく声を上げていることに気づいて意識を向ける。
「わっ……!わっ……!わっ……!」
「蒼月?」
「あんなに2人密着して……。あっ!キスしたっ!!それにあんな所触らせちゃって――――」
「はぁ……。おいっ、蒼月!」
「――――ひゃぁあっ!!」
蒼月は完全にトリップしていた。
顔を真っ赤にして手で顔を覆い隠すも、指の間が全開になっていて隠すもなにもない。
目を見開きながらブツブツとなにか呟いている彼女を大声で呼ぶと、まるで雷にでも打たれたかのように身体が大きく飛び跳ね自らの身体を抱きしめながら数歩俺から距離を取る。
「な、なに煌司君!?私全然何も……何も見てないよ!!」
「完全に見てるじゃないかそれ。在宅確認って目的も達成したんだ。さっさと戻るぞ」
「それだけ……?煌司君って結構大人なんだね……」
そんなわけ。俺もかなりいっぱいいっぱいだ。
俺一人ならどうにかなった。"あの人"がそういう動画を堂々と見ていたから。
しかし今回は違う。容姿ならどストライクの可愛い女の子が隣に居て一緒に覗いているとかいうわけわからない状況。もし今肉体があったら心臓の高鳴りが許容量超えて爆発四散。そして死。といったところだろう。
今は2人がいる手前、俺が頑張るほか無いのだ。
そう思って外へと一歩足を踏み出す。
『そういえばぁ……。半年前?台風の日にここへ突撃してきた女、アレ結局どうなったワケ?』
「―――――!!」
一歩踏み出したが、突然聞こえてくるその言葉に俺たちの足は思わず止まってしまった。
再び壁際に張り付いてその言葉を盗み聞く。別に堂々と聞いてもバレやしないのだが。
『あぁ、アイツ?死んだよ』
『えぇ~!?ウッソぉ~!』
『ホントホント。それで面白いのがさ、入水自殺だってよ。あの台風の中!いやぁ、あの時だけはアイツのガッツにビビったね。マジ!』
『あははっ!おもしろ~い!』
――――何がおもしろいんだ。クソが。
全く悪びれる様子すら見せず二人して笑うさまに俺は沸々と怒りがこみ上げる。
あぁ、コイツも"あの人"と同類か。人を人とも思わずただ自分だけを愛する愚か者。
自然と握る拳に力が籠もる。生者に触れないのが恨めしい。触れられるのなら今頃猛ダッシュで殴っているというのに。
しかしその感情を抱くのは俺だけじゃない。チラリと送った視線の先に強く握りしめた拳を解いてそっと手を伸ばす。
「…………」
「……落ち着け。蒼月」
「でもっ!」
俺以上に怒りをあらわにするのは蒼月だった。
人は自分以上に感情を現す者を見ると逆に冷静になるという話は本当みたいだ。
蒼月はもはや殴りかかる5秒前。それも俺みたいに理性で止める気配すらなく本能のまま突っ込む直前。
すんでのところで握られた拳に手を添えて止めると彼女の泣きそうな目がこちらに向けられる。
「今の俺達は在宅確認するだけだ。ここで飛びかかってもどうにもならないし、判断するのは瑠海さんだろ?」
「そうだけど……」
蒼月は案外熱いところもあるし、それ以上に冷静なところがある。つまりは思った以上に利口かもしれない。
感情爆発する寸前だった彼女は、なんとか抑えてみせたようで体の力を抜き顔が伏せられる。
さて、落ち着いてくれたのはいいけどどう報告すべきかな。
見たまんまを伝えたら絶対面倒なことになるだろうし、だからといって居ると伝えただけじゃ今度は彼女が入ってこの光景を目撃されてしまう。
あれ、若干詰んでない?
『しっかしあの女、付き合ったのはいいけど結婚してからとか言って最後の最後までヤラせてくれなかったのは心残りだったな』
『え~?今時そんなのいるの~?ひっど~い!』
『ホントにな。見た目はかなり良かったのに。どうせ頑固でバカな親の教育を受けたんだろ。……まぁいいや。ほら、もう十分休めたことだし2回戦といこうぜ』
『やんっ!龍之介のえっちぃ。でもそこがカッコいいっ!惚れ直しちゃ――――』
俺たちの怒りなど露知らずといった様子でまたも盛り上がろうとする愚か者ども。
動物のように発情する愚かな生物。
しかし女性の言葉は最後まで続かなかった。
この部屋は暗い。昼だというのにカーテンが閉められている。
だからこそベッドランプが唯一の光源だった。しかしそのライトが今、突然切れてしまったのだ。
『も~、こんな時に停電?』
『あ~?雨も雷もないのに停電だぁ?……いや、見ろ。普通に空気清浄機は付いてるぞ。多分ライトが壊れただけ――――』
男の言葉もまた、最後まで続かなかった。
今度は突然ピー。と無機質な音を奏でて電源の切れる空気清浄機。そしてまた間髪入れずに電源が付いた。同時にライトさえも復活し、今度は激しく電源のオン・オフを繰り返す。
『な、なになに!?なにこれ!?』
『知らねぇよ!なんだよこれ!?』
休む暇なく連続で電源の入切を繰り返すライトと空気清浄機。
更に遠くでチーン!とレンジの音さえも聞こえ男女は同時に身体をビクリと震わせた。
段々と点滅が激しくなっていく。まるでブレーカーを頻繁に上げ下げしているかのように電子レンジに続いてエアコン、天井の照明、テレビなどありとあらゆる機械が反応しだす。
「これは一体……」
異常は時が経つほどに拡大し、部屋の電化製品どころかカタカタと皿や小物までもが揺れ動く。
完全なる異常事態。廊下で覗き見ていた俺も警戒を強めていくと、突然背中に冷たいものを感じて反射的に身体が動いた。
「っ――――!!」
――――俺たち魂だけの存在には、五感というものが存在しない。マヤによると、たとえ切り刻まれても痛みもないしすぐ治るという。しかし今背中に感じた冷たさ。これは悪寒だ。身体が無いと感じ得ない感覚。久方ぶりに感じたそれに対応するよう、とっさに蒼月を庇いながらその出処である後方へと目を向ける。
「信じて……タノニ……」
俺たちの数メートル後方。そこには玄関の扉を背にした瑠海さんが立っていた。
髪で顔が隠れているけど直感で分かる。この悪寒の正体は彼女だと。そして同時に確信した。この部屋の異常を引き起こしているのは彼女なのだと。
ようやく見えた彼女の顔。それは表情だけで人を殺せるかと思うほど、憎悪にまみれたものだった。
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