咲いても散らぬ、恋の花。

環名

文字の大きさ
上 下
13 / 18

エドゥアール、8歳

しおりを挟む
「ただいま戻りました!」
 元気な声を響かせて、室内に入ってきた愛息子に、アンネローゼは顔を綻ばせた。
 息子――エドゥアールの後ろからは、静かにロワイエールが続いて入ってくる。
「おかえりなさい、エド、卿。 夫人と赤ちゃんはお元気でした?」
「はい! 女の子でした。 目を閉じていたので、目の色はわかりませんが、髪はリシェーナみたいな色でした。 きっと、リシェーナに似てきれいになると思います」


 頬をほんのりと染めたエドゥアールは、アンネローゼの座るソファの隣に座ると、興奮気味に言葉を紡ぐ。
 先程まで、アンネローゼの膝の上でぬいぐるみのうさぎの耳を吸っていた娘――フレンティーナは、ロワイエールの姿を認めると、ぬいぐるみを放り出して、ロワイエールに手を伸ばす。
「きょう!」
「はい、姫。 だっこですね」
 ロワイエールは笑顔でフレンティーナの要望に応じて、フレンティーナを抱き上げた。

 膝の上から、フレンティーナの重みがなくなって、何となく寂しいので、アンネローゼはフレンティーナの涎まみれのぬいぐるみを膝の上に乗せる。
 フレンティーナは本当に、ロワイエールがお気に入りだ。

 そして、息子のエドゥアールは、【紅の獅子】という二つ名を陛下から賜ったジオーク・ブラッドベルの妻である、ブラッドベル夫人をいたく気に入っている。
 アンネローゼと陛下に否定されてからは聞かなくなったが、以前エドゥアールは、「大きくなったらリシェーナとけっこんする」「リシェーナにおよめさんになってもらう」と言っていたのだ。


 その、ブラッドベル夫人に、赤ちゃんが生まれた。


 エドゥアールは、その日のうちにお祝いに行きたいと言っていたのだが、ご迷惑になるからお待ちなさいと言って、何とか一か月待たせたのだ。
 エドゥアールは、毎日毎日そわそわとしていた。
 それは、生まれてくる赤ちゃんを楽しみにしている、というよりも、ブラッドベル夫人に会えるのを楽しみにしていたのだと、思う。
 これは、母親の勘だ。


「そう。 ブラッドベル夫人の娘さんは、ブラッドベル夫人に似ているの」
「はい。 赤ちゃんへのタオルも、リシェーナへのナッツも、喜んでもらえました」
 にこにこと嬉しそうに微笑むエドゥアールは、可愛すぎて尊い。


 だが、そのエドゥアールが、十以上も年の離れた人妻に、恋らしきものをしているというのは、母親としてはやはり、喜ばしいことではないと思うのだ。


 だから、アンネローゼは、そのとき閃いた安易で浅はかで、子どもだましな考えを口にした。
「エド、ブラッドベル夫人の娘さんがブラッドベル夫人に似ているなら、儚げで綺麗になるでしょう。 その子にお嫁さんになってもらったら?」


 十以上も年の離れた人妻よりも、八つ違いの幼妻のほうが、母親としては安心できる。
 それは、あくまでもアンネローゼの考えの押し付けだと、気づいたのは後からだった。
 エドゥアールは、アンネローゼが何を言っているのかわからないような表情をした後で、ゆるく首を横に振った。

「いいえ」

 アンネローゼは、軽く目を見張った。
 思いの外、きっぱりとした響きの、確固とした答えだった。
 エドゥアールの言葉は、それでは終わらずに、真っ直ぐにアンネローゼの目を見つめて、告げる。
「僕は、リシェーナがいいんです。 リシェーナの代わりがほしいんじゃない。 それでは、あまりにもリシェーナの娘御に失礼で不誠実です」


 アンネローゼは、驚いた。


 まだ、八歳。
 まだ、子ども。


 そう思っていたというのに、そのときのエドゥアールは、とても大人びて見えたのだ。


 漠然と、だが、この子はもう、何かを覚悟して、決めているのではないか。
 そんな風にすら、思えた。
 と同時に、まるでブラッドベル夫人の代替品のように、ブラッドベル夫人の娘御をエドゥアールの婚約者に、と考えた自分を恥じる。


「…ごめんなさいね、エド。 無神経なことを、言いました」
 そっと目を伏せて、アンネローゼは自分の発言を謝罪した。
 ぬいぐるみを抱いたアンネローゼの手に、そっと別の手が触れるから視線を上げると、エドゥアールが静かに微笑んでいた。


「いいえ。 大丈夫です。 母上のように考えるのが普通ですし…、初恋は、叶わないものだと聞きましたから」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄は先手を取ってあげますわ

浜柔
恋愛
パーティ会場に愛人を連れて来るなんて、婚約者のわたくしは婚約破棄するしかありませんわ。 ※6話で完結として、その後はエクストラストーリーとなります。  更新は飛び飛びになります。

夫のかつての婚約者が現れて、離縁を求めて来ました──。

Nao*
恋愛
結婚し一年が経った頃……私、エリザベスの元を一人の女性が訪ねて来る。 彼女は夫ダミアンの元婚約者で、ミラージュと名乗った。 そして彼女は戸惑う私に対し、夫と別れるよう要求する。 この事を夫に話せば、彼女とはもう終わって居る……俺の妻はこの先もお前だけだと言ってくれるが、私の心は大きく乱れたままだった。 その後、この件で自身の身を案じた私は護衛を付ける事にするが……これによって夫と彼女、それぞれの思いを知る事となり──? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話

束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。 クライヴには想い人がいるという噂があった。 それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。 晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

本当に妹のことを愛しているなら、落ちぶれた彼女に寄り添うべきなのではありませんか?

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアレシアは、婿を迎える立場であった。 しかしある日突然、彼女は婚約者から婚約破棄を告げられる。彼はアレシアの妹と関係を持っており、そちらと婚約しようとしていたのだ。 そのことについて妹を問い詰めると、彼女は伝えてきた。アレシアのことをずっと疎んでおり、婚約者も伯爵家も手に入れようとしていることを。 このまま自分が伯爵家を手に入れる。彼女はそう言いながら、アレシアのことを嘲笑っていた。 しかしながら、彼女達の父親はそれを許さなかった。 妹には伯爵家を背負う資質がないとして、断固として認めなかったのである。 それに反発した妹は、伯爵家から追放されることにになった。 それから間もなくして、元婚約者がアレシアを訪ねてきた。 彼は追放されて落ちぶれた妹のことを心配しており、支援して欲しいと申し出てきたのだ。 だが、アレシアは知っていた。彼も家で立場がなくなり、追い詰められているということを。 そもそも彼は妹にコンタクトすら取っていない。そのことに呆れながら、アレシアは彼を追い返すのであった。

残念ながら、定員オーバーです!お望みなら、次期王妃の座を明け渡しますので、お好きにしてください

mios
恋愛
ここのところ、婚約者の第一王子に付き纏われている。 「ベアトリス、頼む!このとーりだ!」 大袈裟に頭を下げて、どうにか我儘を通そうとなさいますが、何度も言いますが、無理です! 男爵令嬢を側妃にすることはできません。愛妾もすでに埋まってますのよ。 どこに、捻じ込めると言うのですか! ※番外編少し長くなりそうなので、また別作品としてあげることにしました。読んでいただきありがとうございました。

【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている

五色ひわ
恋愛
 ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。  初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...