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5.殿馬鹿ガチ勢

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 ナギリは、将臣マサオミのことは【殿】と呼ぶが、俺のことを名前で呼んだことなど一度もない。
 幼い頃は、【小童こわっぱ】、そこから【小僧】に昇格したのだから、まだいいのだろうか。


 ナギリは、俺がまだ現世に存在していると認めても、何かが不安だったのか、さわさわと自分の身体を触って確かめている。
 確かめ終わったと思えば、再び将臣を見上げ、顔面を押さえつつ潰れた。
「はあぁ~…、殿…」


 ここから見ると、床の上で丸まったその姿は、でかい亀だ。
 このナギリは、所謂、【殿馬鹿】だ。
 将臣ガチのガチ勢と言っても過言ではない。

 …顔はいいし、ガタイもいいのに、この守護霊おとこもだいぶ残念なのだ。

 普段は寡黙で、研ぎ澄まされた刃を思わせるような、澄ました涼しげな顔をしていて、美男だと思う。
 漆黒の長い髪をひとつに結っていて、狩衣と袴の合わさったような不思議な格好をしている。
 色の配色も、白、赤、金、黒に限りなく近い紺色と派手で、もしかすると、当時は傾奇者かぶきものと言われていたかもしれない。
 それに、大男だ。

 黙っていれば、多少強面こわもての美男なのだが、将臣が絡むと全体的に崩壊する。
 途端に饒舌になるし、感情の起伏が激しくなるし、痛々しいことこの上ない。


 入来院うちの家族は、基本的にみんな、ナギリのことが見えるし聞こえる。
 将臣を殿と呼ぶナギリは、うちの人間に「殿のことは【若】と呼ぶように」とほとんど脅しのような迫り方をしていたので、俺以外の家族は皆、将臣のことを【若】と呼んでいるのだ。

 だが、おかしいのは、その程度のことにどうして、うちの家族が従っているのか、ということだ。
 うちの家族は、何かナギリに弱みでも握られているのではないかと勘繰ってしまう。

「ねぇ、玄奘ゲンジョウ。 ナギリ今何してるの? 何がいるから安心するの?」
 将臣が、きらきらと顔を輝かせて俺を振り返るので、俺は考えることを一旦止める。
 ナギリはといえば、将臣が座った膝元にうずくまって未だに小刻みに震えているので、俺は俺の心証を告げた。
「泣きそうになってる」


「泣くわけがない! 泣いてはならんのだ」
 俺が言うや否や、ナギリはがばりと顔を上げて、謎の主張をする。


 面倒くさいな、と思いつつ、俺は手でナギリを制しつつ、自分の言葉を否定した。
「いや、泣いていないって。 泣いちゃだめらしい」


 将臣は、きょとんとして首を傾げた。
「泣いちゃダメなの? 男だから?」
「違います、殿。 おれが鬼だからです」
 将臣の問いは、俺に投げられたものだったが、即座に応じたのはナギリだった。

 どの道、ナギリの声は将臣には聞こえない。
 だから俺は、ナギリの言葉を俺の声で伝える。
「鬼だから、泣かないんだと」
「鬼だから?」
 ますますわからない、という顔になった将臣に、またもや応答したのはナギリだった。


「…泣いたら、鬼ではなくなりますゆえ」


 姿勢を正して、小さな声で告げたナギリは、静かに、寂しそうに、微笑んでいた。
 思わず、俺は目を見張る。
 その、言葉の意味を吟味しようとした矢先、だった。


 ナギリの、鋭い刃のような目が、俺に向く。
「…そう決めたのは、お前だ。 弥勒ミロク

 視線に、心臓を射貫かれたような気分になったが、何気ないふりを装って、応じる。
「俺は玄奘だよ」

 あまり動かない自分の表情を、得だと思うのはこういうときだ。
 もう、何百年と生きている――という言い方もおかしいのかもしれないが――霊に対し、人間の小僧の誤魔化しが、どこまで効くのかはわからないが、ナギリは笑った。


「弥勒と名乗ったいけ好かぬ男に似ているのだ、貴様は」
 先程見せた、静かで寂しげな微笑とは違い、あてつけるような、皮肉げに歪んだ笑みだと思った。
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