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【5】重なる想い
3.キアラの思考
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どうやら、キアラは二回目の発情期だったらしいが、お薬のおかげでぽかぽかした感じも、ほわほわした感じも、だいぶ落ち着いた。
でも、やっぱりご主人様にくっついていたくて、キアラはお風呂の浴槽の中でぎゅっとご主人様に抱きついて、ぴったりとくっつく。
お湯が温かいのも気持ちいいが、ご主人様の肌が気持ちよくてキアラがうとうとしていたときだ。
「…キアラ、えっちする?」
ご主人様の声が降ってきて、キアラは一気に目が覚めた。
えっち、とは、交尾のことだと教えてくれたのはご主人様だ。
頬を預けていたご主人様の胸から顔を上げると、いつものご主人様がキアラを見下ろしている。
冗談でも、嘘でもない。
そう、悟ったから、キアラはふるふると首を振った。
「だめです。 ご主人様と交尾はできません」
キアラの答えは、ご主人様の想定の範囲内だったのだろうか。
さして驚いた様子も、怒った様子もなく、静かにもうひとつ、問いが重ねられた。
「…俺が嫌い?」
キアラは、ぐっと唇を引き結んだ。
ずるい問いだ、と思った。
キアラが、ご主人様のことを嫌い、だなんて、そんなことあるはずないのに。
あるはずないとわかっていて、訊くご主人様がずるい。
でも、そんなご主人様のことを、キアラは好きなのだからどうしようもない。
キアラは、ご主人様の視線から逃れるように目を逸らす。
「っ…嫌いでは、ありません。 でも、キアラは人猫族です。 人猫族は、交尾すると、赤ちゃんができます」
だから、だめだと告げた。
それで、わかってもらえると思った。
だが、ご主人様は「わかった」とは仰らなかった。
ご主人様の手が、キアラの顎を掴んで、キアラの顔をご主人様へと向けさせる。
覗き込んでくる、ご主人様の瞳に、キアラは身動きが取れなくなるような錯覚に陥った。
「それが、問題だと思うのか? 問題だとしたら、何が問題なんだ」
ご主人様はどうやらこの話をうやむやにする気はないらしい、とキアラは悟った。
いつもなら、キアラがだんまりを続けていると、ご主人様は「仕方ないなぁ」と困ったように笑って、キアラを抱きしめてくれる。 何事もなかったかのように接してくれる。
なのに、今日のご主人様は、真っ直ぐにキアラを見つめて、真剣な表情を崩さない。
「キアラ」
もう一度、名前を呼ばれて、キアラは観念した。
本当は、ずっとわかっていた。
キアラが、何を障害だと、感じているか。
何を、問題だと、思っているか。
ぐっと、言葉を飲み込んで。
けれど、堪えきれなかった。
「…ご主人様の、重荷になります」
自分の発した言葉が耳に届いた。
言ってしまった、と後悔したのか、やっと言えた、と安堵したのか、自分でもわからなかった。
もしかしたら、その両方だったのかもしれない。
言っては、いけないと思っていた。
でも、心のどこかでは、キアラがご主人様と交尾したくない理由が、ご主人様が嫌だからでも、ご主人様が嫌いだからでもないということを、ご主人様に知っていて欲しかったのかもしれない。
「…キアラは、猫のままだったらよかったです」
そんな、弱音まで零れてしまう。
キアラは、ご主人様のことが好きだ。 大好きだ。
けれど、ご主人様の重荷にはなりたくない。
どれだけキアラがご主人様を好きでも、ご主人様がキアラを好きだと言ってくれても、キアラは、元は猫で、今は人猫族で、ご主人様は人間なのだ。
猫のときは、人間のことを興味深いと思って観察していた。
人猫族になった今は、必要なことだと思うから、人間のことを学ぼうとしている。
ご主人様だって、キアラのことを理解したいからと、忙しいお仕事の時間の合間を縫って、人猫族のことを学んでくれている。
でも、それでもやっぱり、人猫族と人間は違う。
例えば、いつか、ご主人様がキアラがいらなくなったとき、やっぱり人猫族のキアラではなく、人間の女性の方がいいとなったとき、キアラだけならばまだいい。
でも、例えば、キアラとご主人様の間に生まれた赤ちゃんがいたとしたら、ご主人様はキアラに別れを切り出せるだろうか。
キアラが、猫だったら。
猫のままだったら、きっと、キアラはご主人様のことが好きなまま、それ以上のことは求めずに、ずっとご主人様の傍にいられたのではないだろうか。
そんな、弱い自分が顔を覗かせたときだ。
ふぅ、と溜息をつく音が聞こえて、キアラはびくりとする。
ご主人様の重荷になるのが嫌だというのに、ご主人様に呆れられるのも、嫌われるのも怖いなんて、本当にキアラは、弱い。
そう、キアラがぎゅっと目を瞑ったときだった。
ぎゅうっと身体が抱きしめられた。
耳に届いたのは、ご主人様の、優しい声。
「馬鹿だなぁ、キアラ。 キアラが俺の重荷なんて、そんなこと絶対にないのに」
その、優しい声に、言葉に、キアラの胸はきゅううとなる。
キアラが考えていること、全てがご主人様に伝わっているわけではない。
それでも、ご主人様は、キアラのことを重荷だとは思わないと言ってくれた。
それだけで、許されたような、通じ合ったような気持ちになって、キアラはぎゅうっとご主人様に抱きつく。
お互いに、抱き合ったような形になれば、どこにもそんな確証はないのに、お互いのことが理解できたような気分になってくる。
だから、ひとは、こうやって好きなひとと、身体を重ねたいと思うのかもしれない。
そんなことを思った。
猫、だけではない。
基本的に動物は、正面から抱き合って交尾はしない。
こういうふうに抱き合えるのは、ひとだからだ。
こうして、ご主人様と抱き合えることも、キアラが人猫族の姿になって気に入っていることのひとつだ。
そう考えていると、キアラの背中に回ったご主人様の片腕がキアラのお尻を抱えあげるように回って、背中に回された腕にも力が入った。
次の瞬間には、ご主人様に抱きかかえられるようにして、キアラの身体はお湯から上がる。
「ぇ、えっ? ご主人様っ…?」
いつもなら、もう少し長くお湯に浸かっているはずだ。
ご主人様の急な行動にキアラが目を白黒させていると、ご主人様がキアラに微笑みかけてきた。
「俺はキアラを落とさないけど、落ちないようにしがみついていないと危ないかも」
その言葉に、キアラはハッとなり、ご主人様にぎゅうっとしがみついた。
その時のキアラは多少混乱していた。
だから、ご主人様の言葉の前半と後半が矛盾していることに気づいたのはしばらく後のことだった。
ご主人様がキアラを落とさないのならば、落ちないようにしがみつかなくても危なくないではないか、と。
でも、やっぱりご主人様にくっついていたくて、キアラはお風呂の浴槽の中でぎゅっとご主人様に抱きついて、ぴったりとくっつく。
お湯が温かいのも気持ちいいが、ご主人様の肌が気持ちよくてキアラがうとうとしていたときだ。
「…キアラ、えっちする?」
ご主人様の声が降ってきて、キアラは一気に目が覚めた。
えっち、とは、交尾のことだと教えてくれたのはご主人様だ。
頬を預けていたご主人様の胸から顔を上げると、いつものご主人様がキアラを見下ろしている。
冗談でも、嘘でもない。
そう、悟ったから、キアラはふるふると首を振った。
「だめです。 ご主人様と交尾はできません」
キアラの答えは、ご主人様の想定の範囲内だったのだろうか。
さして驚いた様子も、怒った様子もなく、静かにもうひとつ、問いが重ねられた。
「…俺が嫌い?」
キアラは、ぐっと唇を引き結んだ。
ずるい問いだ、と思った。
キアラが、ご主人様のことを嫌い、だなんて、そんなことあるはずないのに。
あるはずないとわかっていて、訊くご主人様がずるい。
でも、そんなご主人様のことを、キアラは好きなのだからどうしようもない。
キアラは、ご主人様の視線から逃れるように目を逸らす。
「っ…嫌いでは、ありません。 でも、キアラは人猫族です。 人猫族は、交尾すると、赤ちゃんができます」
だから、だめだと告げた。
それで、わかってもらえると思った。
だが、ご主人様は「わかった」とは仰らなかった。
ご主人様の手が、キアラの顎を掴んで、キアラの顔をご主人様へと向けさせる。
覗き込んでくる、ご主人様の瞳に、キアラは身動きが取れなくなるような錯覚に陥った。
「それが、問題だと思うのか? 問題だとしたら、何が問題なんだ」
ご主人様はどうやらこの話をうやむやにする気はないらしい、とキアラは悟った。
いつもなら、キアラがだんまりを続けていると、ご主人様は「仕方ないなぁ」と困ったように笑って、キアラを抱きしめてくれる。 何事もなかったかのように接してくれる。
なのに、今日のご主人様は、真っ直ぐにキアラを見つめて、真剣な表情を崩さない。
「キアラ」
もう一度、名前を呼ばれて、キアラは観念した。
本当は、ずっとわかっていた。
キアラが、何を障害だと、感じているか。
何を、問題だと、思っているか。
ぐっと、言葉を飲み込んで。
けれど、堪えきれなかった。
「…ご主人様の、重荷になります」
自分の発した言葉が耳に届いた。
言ってしまった、と後悔したのか、やっと言えた、と安堵したのか、自分でもわからなかった。
もしかしたら、その両方だったのかもしれない。
言っては、いけないと思っていた。
でも、心のどこかでは、キアラがご主人様と交尾したくない理由が、ご主人様が嫌だからでも、ご主人様が嫌いだからでもないということを、ご主人様に知っていて欲しかったのかもしれない。
「…キアラは、猫のままだったらよかったです」
そんな、弱音まで零れてしまう。
キアラは、ご主人様のことが好きだ。 大好きだ。
けれど、ご主人様の重荷にはなりたくない。
どれだけキアラがご主人様を好きでも、ご主人様がキアラを好きだと言ってくれても、キアラは、元は猫で、今は人猫族で、ご主人様は人間なのだ。
猫のときは、人間のことを興味深いと思って観察していた。
人猫族になった今は、必要なことだと思うから、人間のことを学ぼうとしている。
ご主人様だって、キアラのことを理解したいからと、忙しいお仕事の時間の合間を縫って、人猫族のことを学んでくれている。
でも、それでもやっぱり、人猫族と人間は違う。
例えば、いつか、ご主人様がキアラがいらなくなったとき、やっぱり人猫族のキアラではなく、人間の女性の方がいいとなったとき、キアラだけならばまだいい。
でも、例えば、キアラとご主人様の間に生まれた赤ちゃんがいたとしたら、ご主人様はキアラに別れを切り出せるだろうか。
キアラが、猫だったら。
猫のままだったら、きっと、キアラはご主人様のことが好きなまま、それ以上のことは求めずに、ずっとご主人様の傍にいられたのではないだろうか。
そんな、弱い自分が顔を覗かせたときだ。
ふぅ、と溜息をつく音が聞こえて、キアラはびくりとする。
ご主人様の重荷になるのが嫌だというのに、ご主人様に呆れられるのも、嫌われるのも怖いなんて、本当にキアラは、弱い。
そう、キアラがぎゅっと目を瞑ったときだった。
ぎゅうっと身体が抱きしめられた。
耳に届いたのは、ご主人様の、優しい声。
「馬鹿だなぁ、キアラ。 キアラが俺の重荷なんて、そんなこと絶対にないのに」
その、優しい声に、言葉に、キアラの胸はきゅううとなる。
キアラが考えていること、全てがご主人様に伝わっているわけではない。
それでも、ご主人様は、キアラのことを重荷だとは思わないと言ってくれた。
それだけで、許されたような、通じ合ったような気持ちになって、キアラはぎゅうっとご主人様に抱きつく。
お互いに、抱き合ったような形になれば、どこにもそんな確証はないのに、お互いのことが理解できたような気分になってくる。
だから、ひとは、こうやって好きなひとと、身体を重ねたいと思うのかもしれない。
そんなことを思った。
猫、だけではない。
基本的に動物は、正面から抱き合って交尾はしない。
こういうふうに抱き合えるのは、ひとだからだ。
こうして、ご主人様と抱き合えることも、キアラが人猫族の姿になって気に入っていることのひとつだ。
そう考えていると、キアラの背中に回ったご主人様の片腕がキアラのお尻を抱えあげるように回って、背中に回された腕にも力が入った。
次の瞬間には、ご主人様に抱きかかえられるようにして、キアラの身体はお湯から上がる。
「ぇ、えっ? ご主人様っ…?」
いつもなら、もう少し長くお湯に浸かっているはずだ。
ご主人様の急な行動にキアラが目を白黒させていると、ご主人様がキアラに微笑みかけてきた。
「俺はキアラを落とさないけど、落ちないようにしがみついていないと危ないかも」
その言葉に、キアラはハッとなり、ご主人様にぎゅうっとしがみついた。
その時のキアラは多少混乱していた。
だから、ご主人様の言葉の前半と後半が矛盾していることに気づいたのはしばらく後のことだった。
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