55 / 73
【4】過去から現在へ
8.あの日の記憶②
しおりを挟む
マイカは、煙の臭いが漂う屋外に出て、家のすぐそばにある枯れ井戸へと向かった。
「ごめんね、キアラ。 可愛いキアラ。 ママとパパを赦してね」
マイカは、タオルケットに包まれて、何も知らずに眠るキアラを抱きしめて、その額に何度もキスをする。
そして、そっと、水汲み桶の中にタオルケットと共にキアラを入れた。
こんな水汲み桶の中に、すっぽりと収まってしまうほど、小さな、小さな、子猫。
その上に、ぽた、ぽた、と雫が落ちる。
子猫はぴくりと震えたけれど、目を覚ますにはいたらなかった。
「…あなたに、手をかけられない、ママとパパを赦して。 …お願い。 誰か、この子を助けて。 お願い、死なせないで。 あいつらの手から守って」
「マイカ、時間がない。 火の手が」
マイカは、子猫の眠る水汲み桶を、ゆっくりと枯れ井戸の中に下ろしていく。
井戸の底に、水汲み桶が届いたところで、だろう。
マイカは紐を切って、声だけを届けた。
井戸の中ならば、火の手はキアラに及ばない。
煙も、上に上がりこそすれ、下には下りていかない。
確かに、これは、イチかバチかの賭けだっただろう。
マイカは、恐らく、覚悟をしたのだ。
ここで、この子は死ぬかもしれない。
けれど、保護観察所に連れて行かれるのに比べたら、ここで命を落とした方が、この子にとっては幸せなのかもしれない、と。
マイカも、その番も、愛する我が子には手をかけられない。
だから、キアラの命を、天に委ねたのだろう。
生き延びてくれればいい、保護観察所の奴らに捕まらずに成長して、好きなひとを見つけて、好きなひとと一緒になってくれたらいい、と。
「魔法をかけるわ。 あなたを、心から愛して、あなたという存在を心から惜しんで、望んでくれるひとができたときに、猫から、元の姿に戻れるように」
そして、それだけ好きになったひとに、同じように、思ってもらえたらいい。
そんな、マイカの声が、聞こえた気がした。
「ごめんね、愛してるわ、キアラ。 あなたは、ママとパパの、宝物よ」
井戸の中に呼びかけ、愛する娘を残して、マイカは家族の待つ家へと戻る。
そこでは、皆が円を作って、手を繋いでいた。
「マイカ、最期に言わせて。 ありがとう」
「僕たちに名前を与えてくれてありがとう」
「あそこから、連れ出してくれて、ありがとう」
そう、口々に、人獣族たちが口にする。
ぐっと、マイカが言葉を詰まらせ、目を潤ませたのがわかった。
風の精霊が、余計な気を回したのだろうか。
その瞬間の、マイカの思念が、ヒヴェルディアの中に流れ込んでくる。
マイカは、たまたま、純血の黒猫の人猫族として生まれたから、保護観察所内では特別な扱いで、名前も与えられた。 けれど、あそこでは名も与えられずに、番号で呼ばれる人獣族の方が、圧倒的に数が多かった。
マイカの番のサフィだって、そうだった。
だから、綺麗なサファイアの瞳だと、マイカが彼に、サフィと名前を付けたのだ。
一度俯いたマイカは、ごし、と服の袖で目元を拭うような動作をすると、パッと顔を上げる。
そして、晴れやかな、満面の笑みを浮かべて見せた。
「そんなの、わたしたちもよ。 みんな、ついてきてくれてありがとう」
部屋の中央に、マイカの番――サフィが守護結界用の護石を置いて、護石の力を発動させる。
結界には、二通りの役割がある。
外敵から、身を守るための役割と、内部に、何かを閉じ込めるための役割と。
マイカは、サフィと手を繋いだ。
二十人にも満たないような、小さな集落。
キアラを除く全員がここで、手を繋いで、輪になっている。
「わたしたちは、あいつらの思い通りにはならない」
そうして、彼らは、青白い炎に、一瞬で呑まれたのだ。
「ごめんね、キアラ。 可愛いキアラ。 ママとパパを赦してね」
マイカは、タオルケットに包まれて、何も知らずに眠るキアラを抱きしめて、その額に何度もキスをする。
そして、そっと、水汲み桶の中にタオルケットと共にキアラを入れた。
こんな水汲み桶の中に、すっぽりと収まってしまうほど、小さな、小さな、子猫。
その上に、ぽた、ぽた、と雫が落ちる。
子猫はぴくりと震えたけれど、目を覚ますにはいたらなかった。
「…あなたに、手をかけられない、ママとパパを赦して。 …お願い。 誰か、この子を助けて。 お願い、死なせないで。 あいつらの手から守って」
「マイカ、時間がない。 火の手が」
マイカは、子猫の眠る水汲み桶を、ゆっくりと枯れ井戸の中に下ろしていく。
井戸の底に、水汲み桶が届いたところで、だろう。
マイカは紐を切って、声だけを届けた。
井戸の中ならば、火の手はキアラに及ばない。
煙も、上に上がりこそすれ、下には下りていかない。
確かに、これは、イチかバチかの賭けだっただろう。
マイカは、恐らく、覚悟をしたのだ。
ここで、この子は死ぬかもしれない。
けれど、保護観察所に連れて行かれるのに比べたら、ここで命を落とした方が、この子にとっては幸せなのかもしれない、と。
マイカも、その番も、愛する我が子には手をかけられない。
だから、キアラの命を、天に委ねたのだろう。
生き延びてくれればいい、保護観察所の奴らに捕まらずに成長して、好きなひとを見つけて、好きなひとと一緒になってくれたらいい、と。
「魔法をかけるわ。 あなたを、心から愛して、あなたという存在を心から惜しんで、望んでくれるひとができたときに、猫から、元の姿に戻れるように」
そして、それだけ好きになったひとに、同じように、思ってもらえたらいい。
そんな、マイカの声が、聞こえた気がした。
「ごめんね、愛してるわ、キアラ。 あなたは、ママとパパの、宝物よ」
井戸の中に呼びかけ、愛する娘を残して、マイカは家族の待つ家へと戻る。
そこでは、皆が円を作って、手を繋いでいた。
「マイカ、最期に言わせて。 ありがとう」
「僕たちに名前を与えてくれてありがとう」
「あそこから、連れ出してくれて、ありがとう」
そう、口々に、人獣族たちが口にする。
ぐっと、マイカが言葉を詰まらせ、目を潤ませたのがわかった。
風の精霊が、余計な気を回したのだろうか。
その瞬間の、マイカの思念が、ヒヴェルディアの中に流れ込んでくる。
マイカは、たまたま、純血の黒猫の人猫族として生まれたから、保護観察所内では特別な扱いで、名前も与えられた。 けれど、あそこでは名も与えられずに、番号で呼ばれる人獣族の方が、圧倒的に数が多かった。
マイカの番のサフィだって、そうだった。
だから、綺麗なサファイアの瞳だと、マイカが彼に、サフィと名前を付けたのだ。
一度俯いたマイカは、ごし、と服の袖で目元を拭うような動作をすると、パッと顔を上げる。
そして、晴れやかな、満面の笑みを浮かべて見せた。
「そんなの、わたしたちもよ。 みんな、ついてきてくれてありがとう」
部屋の中央に、マイカの番――サフィが守護結界用の護石を置いて、護石の力を発動させる。
結界には、二通りの役割がある。
外敵から、身を守るための役割と、内部に、何かを閉じ込めるための役割と。
マイカは、サフィと手を繋いだ。
二十人にも満たないような、小さな集落。
キアラを除く全員がここで、手を繋いで、輪になっている。
「わたしたちは、あいつらの思い通りにはならない」
そうして、彼らは、青白い炎に、一瞬で呑まれたのだ。
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる