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【4】過去から現在へ
3.襲撃
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振り返って、キアラはぎくりとした。
肌が、ざわざわとする。
そこにいたのは、あの、いやなひと…キアラと同じ人猫族で、キアラの叔父だという、レナトだった。
だが、なぜかその琥珀の瞳はぎらついていて、呼吸が荒い。
そして、なぜか、キアラの身体はその眼に、視線に射竦められたように、動かなくなる。
キアラは、今は人猫族で、昔は猫だったけれど、猫に睨まれた鼠とはこんな気分だったのかもしれない。
キアラは、鼠を美味しそうだと思ったことはないから、鼠で遊びこそすれ、食べようとしたことはない。
けれど、もしかすると今のレナトには、キアラが美味しそうに見えているのかもしれない。
「キアラ、お前、いい匂いする」
瞬きをしているうちに、レナトがキアラの眼前に迫った。
距離を置こうとしたのだが、キアラの背後には書類棚があり、目の前にはレナト。
「っ…!」
サッと視線を走らせたが、キアラの左手の壁を、ドンッとレナトが叩き、退路を塞いだ。 右手には壁がある。
すぐには逃げられそうにもない。
「お前の飼い主は…。 気づくわけないな、人間だもんな」
心臓がばくばくとして、痛い。
呼吸が、苦しい。
レナトは、何を言おうとしているのだろう。
ご主人様は、人間だから、何に気づくわけがない、と?
そういえば、その前に、レナトは【いい匂い】がする、と言っていた。
手の平に、いや、全身に、いやな汗が滲む。
目の前のレナトが、目を細めて、ちろりと唇の隙間から赤く薄い舌を覗かせて、舌なめずりをした。
「お前、今、発情期だろ」
瞬間、ぞわっ…と総毛立った。
キアラの目に、恐れを見たのだろうか。
あるいは、レナトは、キアラの敗北と己の勝利を確信したのかもしれない。
扉までは、数メートル。
真っ直ぐ進めば、逃げ出せる。
キアラのなかに残った冷静さが、そう告げる。
けれど、真っ直ぐ進むには、レナトが邪魔だ。 右手には壁。
チャンスがあるとすれば、左手だけれど、左手に逃げては扉が遠くなる。
それでも、可能性が、あるのなら。
キアラは、ひとつ深呼吸をして、キッとレナトを睨みつけた。
そして、ヒュッと身体を屈めて、レナトの腕の下をすり抜けて、左手へ逃げ出す。
キアラを阻む相手が人間ならば、簡単にこの室内から抜け出すことができただろう。
だが、レナトは同じく人猫族。
一瞬遅れてだが、反応したレナトに、ぎゅうっと尻尾を掴まれた。
「みゃあッ!!」
あまりの痛みに、キアラの身体は動きを止めて、床にびたんっとうつ伏せに倒れた。
それでも、手は自由になるから、キアラは床に這いつくばりながらも、力を振り絞って自分の手の甲に爪を立てる。
「っ…」
肌が裂けて、血の球がぽつぽつと浮くけれど、キアラにはそんな痛みよりも、無遠慮に力を込めて握られた尻尾の方が痛いから、気にならなかった。
必死に声を、絞り出す。
「風霊っ…」
自分が、きちんと声を出せたか、わからない。
血の浮いた右手を、薙ぐように動かせば、キアラの右手にあった書棚がキアラとは反対側に倒れて、地響きのような音を立てる。
音だけではなく、室内が揺れたような感じすらした。
丁重に扱うべき、ファイルや書類が、ばたばたと音を立てて落ちていく。
キアラの今日のお手伝いが全て無駄になってしまったけれど、自分の身の安全には換えられない。
緊急時の措置だとして、ご主人様がキアラの右手の甲に施してくれた呪いが、無事に発動してくれたことにも、キアラはほっとする。
誰か、誰か気づいて、ここに来てくれればいい。
そう、気が緩んだ瞬間、だった。
背中に重みを感じた。
「!?」
振り返ろうとした頭を押さえつけられて、首の付け根のあたりに、痛みが走った。
数瞬遅れて、ガブリ、と首の付け根のあたりに、噛みつかれたのだと気づく。
瞠目し、キアラはヒュッ…と息を呑んだ。
ぷつ、ぷつ、と肌が裂け、肉に牙がのめりこむ感じがする。
痛みは、あるけれど、それよりも衝撃だったのは、まるで何か薬でも使われたかのように、身体が動かなくなってしまったことだ。
ふーっ、ふーっと荒い息遣いが耳に届き、服の上からまさぐるようにレナトの手が動く。
それが、虫か何かが身体を這うようで気持ちが悪い。
「なぁ、お前、僕の子ども、産めよ…」
生ぬるい空気が、噛みつかれたばかりの肌を撫でるのが、気持ち悪い。
それよりも、レナトの声と、言葉が、ものすごく気持ち悪い。
すごく、すごく気持ち悪くて、キアラの身体は、かたかたと震え始める。
キアラの首に噛みついたレナトの牙からは既に解放されているというのに、身体が動かない。
怖い、怖い。
いやだ、いやだ。
這い回っていたレナトの手が、キアラのズボンのボタンを外そうとしているのに気づいて、キアラは悲鳴を上げた。
「いやっ…! いやです!! キアラはあなたとの赤ちゃんは欲しくない!!!」
キアラの声など、レナトの耳には届かないのだろう。
レナトの手は止まらない。
いやだ!
いやだ!!
こんなのは、間違えている。
だって、レナトはキアラを好きではない。
キアラだって、レナトを好きではない。
それなのに、身体が動かない。
レナトのいいようにされるしか、ないのだ。
悔しくて、じわりと視界に涙が滲む。
キアラが好きなのは、きらきらの金髪に、ロイヤルブルーサファイアの瞳の素敵なひと。
ご主人様以外には、いないのに、どうして、どうして。
ぎゅっと唇が切れそうなほどに唇を噛み、自分を奮い立たせる。
動け、動け、と繰り返しながら、大声を上げた。
「キアラは、子孫を残す道具ではありませんっ…!!!」
肌が、ざわざわとする。
そこにいたのは、あの、いやなひと…キアラと同じ人猫族で、キアラの叔父だという、レナトだった。
だが、なぜかその琥珀の瞳はぎらついていて、呼吸が荒い。
そして、なぜか、キアラの身体はその眼に、視線に射竦められたように、動かなくなる。
キアラは、今は人猫族で、昔は猫だったけれど、猫に睨まれた鼠とはこんな気分だったのかもしれない。
キアラは、鼠を美味しそうだと思ったことはないから、鼠で遊びこそすれ、食べようとしたことはない。
けれど、もしかすると今のレナトには、キアラが美味しそうに見えているのかもしれない。
「キアラ、お前、いい匂いする」
瞬きをしているうちに、レナトがキアラの眼前に迫った。
距離を置こうとしたのだが、キアラの背後には書類棚があり、目の前にはレナト。
「っ…!」
サッと視線を走らせたが、キアラの左手の壁を、ドンッとレナトが叩き、退路を塞いだ。 右手には壁がある。
すぐには逃げられそうにもない。
「お前の飼い主は…。 気づくわけないな、人間だもんな」
心臓がばくばくとして、痛い。
呼吸が、苦しい。
レナトは、何を言おうとしているのだろう。
ご主人様は、人間だから、何に気づくわけがない、と?
そういえば、その前に、レナトは【いい匂い】がする、と言っていた。
手の平に、いや、全身に、いやな汗が滲む。
目の前のレナトが、目を細めて、ちろりと唇の隙間から赤く薄い舌を覗かせて、舌なめずりをした。
「お前、今、発情期だろ」
瞬間、ぞわっ…と総毛立った。
キアラの目に、恐れを見たのだろうか。
あるいは、レナトは、キアラの敗北と己の勝利を確信したのかもしれない。
扉までは、数メートル。
真っ直ぐ進めば、逃げ出せる。
キアラのなかに残った冷静さが、そう告げる。
けれど、真っ直ぐ進むには、レナトが邪魔だ。 右手には壁。
チャンスがあるとすれば、左手だけれど、左手に逃げては扉が遠くなる。
それでも、可能性が、あるのなら。
キアラは、ひとつ深呼吸をして、キッとレナトを睨みつけた。
そして、ヒュッと身体を屈めて、レナトの腕の下をすり抜けて、左手へ逃げ出す。
キアラを阻む相手が人間ならば、簡単にこの室内から抜け出すことができただろう。
だが、レナトは同じく人猫族。
一瞬遅れてだが、反応したレナトに、ぎゅうっと尻尾を掴まれた。
「みゃあッ!!」
あまりの痛みに、キアラの身体は動きを止めて、床にびたんっとうつ伏せに倒れた。
それでも、手は自由になるから、キアラは床に這いつくばりながらも、力を振り絞って自分の手の甲に爪を立てる。
「っ…」
肌が裂けて、血の球がぽつぽつと浮くけれど、キアラにはそんな痛みよりも、無遠慮に力を込めて握られた尻尾の方が痛いから、気にならなかった。
必死に声を、絞り出す。
「風霊っ…」
自分が、きちんと声を出せたか、わからない。
血の浮いた右手を、薙ぐように動かせば、キアラの右手にあった書棚がキアラとは反対側に倒れて、地響きのような音を立てる。
音だけではなく、室内が揺れたような感じすらした。
丁重に扱うべき、ファイルや書類が、ばたばたと音を立てて落ちていく。
キアラの今日のお手伝いが全て無駄になってしまったけれど、自分の身の安全には換えられない。
緊急時の措置だとして、ご主人様がキアラの右手の甲に施してくれた呪いが、無事に発動してくれたことにも、キアラはほっとする。
誰か、誰か気づいて、ここに来てくれればいい。
そう、気が緩んだ瞬間、だった。
背中に重みを感じた。
「!?」
振り返ろうとした頭を押さえつけられて、首の付け根のあたりに、痛みが走った。
数瞬遅れて、ガブリ、と首の付け根のあたりに、噛みつかれたのだと気づく。
瞠目し、キアラはヒュッ…と息を呑んだ。
ぷつ、ぷつ、と肌が裂け、肉に牙がのめりこむ感じがする。
痛みは、あるけれど、それよりも衝撃だったのは、まるで何か薬でも使われたかのように、身体が動かなくなってしまったことだ。
ふーっ、ふーっと荒い息遣いが耳に届き、服の上からまさぐるようにレナトの手が動く。
それが、虫か何かが身体を這うようで気持ちが悪い。
「なぁ、お前、僕の子ども、産めよ…」
生ぬるい空気が、噛みつかれたばかりの肌を撫でるのが、気持ち悪い。
それよりも、レナトの声と、言葉が、ものすごく気持ち悪い。
すごく、すごく気持ち悪くて、キアラの身体は、かたかたと震え始める。
キアラの首に噛みついたレナトの牙からは既に解放されているというのに、身体が動かない。
怖い、怖い。
いやだ、いやだ。
這い回っていたレナトの手が、キアラのズボンのボタンを外そうとしているのに気づいて、キアラは悲鳴を上げた。
「いやっ…! いやです!! キアラはあなたとの赤ちゃんは欲しくない!!!」
キアラの声など、レナトの耳には届かないのだろう。
レナトの手は止まらない。
いやだ!
いやだ!!
こんなのは、間違えている。
だって、レナトはキアラを好きではない。
キアラだって、レナトを好きではない。
それなのに、身体が動かない。
レナトのいいようにされるしか、ないのだ。
悔しくて、じわりと視界に涙が滲む。
キアラが好きなのは、きらきらの金髪に、ロイヤルブルーサファイアの瞳の素敵なひと。
ご主人様以外には、いないのに、どうして、どうして。
ぎゅっと唇が切れそうなほどに唇を噛み、自分を奮い立たせる。
動け、動け、と繰り返しながら、大声を上げた。
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