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【3】キアラの過去への手がかり
3.怒れる兎
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水を向けられたヒヴェルディアは、知らず姿勢を正して、表情を引き締めた。
臨戦態勢になったといってもいいだろう。
実際に剣を交えて、魔法を使って戦う気はないが、今自分が立っているのは、穏やかな場面ではない。
「何のご用で?」
ヒヴェルディアが問うと、イヴィルガルド卿は「何を言っているんだ、こいつは?」というような表情になった。
見た目はおろか、実年齢以上のふてぶてしさではある。
「家族が離れて過ごすのは不自然なことだろう。 キアラの保護観察者、その権利を放棄し、キアラの保護権を渡せ」
まるで、そうするのが自然なことであるかのように、イヴィルガルド卿は言うのだ。
キアラは、物ではないのに、キアラのことをまるで物のように、【渡せ】と口にする。
それが、ヒヴェルディアの神経を逆撫でた。
例えば、それが、キアラの望みであれば、ヒヴェルディアは苦渋を飲んでもキアラの望むようにしただろう。
キアラとよく話をし、それでもキアラがヒヴェルディアの元を去りたいというのならば、仕方がない。
だが、今回は違う。
思わず、失笑が漏れてしまった。
「…家族が離れて過ごすのが、不自然。 …今まで一切関知しないでいて、よく仰るものだ」
血が繋がっている、ただそれだけで、よくも言えたものだと思う。
家族と言うならば、キアラは、ヒヴェルディアにとっても、家族だ。
たかが、血の繋がりだけで、当然のように奪われるのことに、どうして納得できるというのだろう。
一瞬、ヒヴェルディアとイヴィルガルド卿の間で火花が散ったような錯覚をした、そのときだった。
にゅっとヒヴェルディアとイヴィルガルド卿の間に、レノーの身体が滑り込む。
「ひーくん、ひーくん、そう棘のある言い方しないでさ~。 イヴィルガルド卿にも、事情があるんだよ~」
故意に間延びさせてヒヴェルディアの気持ちを宥めようとしているのかもしれないが、レノーの話し方は更にヒヴェルディアの苛立ちを煽る。
眉間に皺を寄せ、目を細めて威圧するようにレノーを見下ろしたのだが、レノーはびくつきながらもにへら、と笑った。
「イヴィルガルド卿は、知らなくて当然なんだよ。 イヴィルガルド卿の姉君は、恋人と駆け落ちしたらしくて」
「違う!」
割って入った大きな声に、レノーがびくっとした。
背後であれだけの大声を出されては、無理のないことだ。
おそるおそるといった体でレノーが振り返ったその先、ソファに腰かけたままのイヴィルガルド卿は、膝の上で手が真っ白になるほどに拳を握っている。
横顔だけしかヒヴェルディアのところからは確認できないが、レモンイエローの瞳は爛々と光り、ぎり、と歯を食いしばっていた。
「彼女はかどわかされたんだ」
その言い方に、ヒヴェルディアは言いようのない、違和感を抱いた。
なぜだろう。
何が、と明確に口にできないのに、何かがおかしくて、気持ちが悪い。
原因を突き止めようとヒヴェルディアが考えていると、ぱっとレノーがヒヴェルディアに向き直って明るい笑みを見せる。
「まあさ、そういうわけで、イヴィルガルド卿は今の今まで、御自分に姪御がいることもご存じなかったんだよ」
だから、好きで関知しなかったわけではない、とレノーはイヴィルガルド卿を擁護する。
「やっぱりさ、キアラ姫も、人間のひーくんと一緒にいるより、同じ人猫族で血縁の方と一緒にいる方がいいんじゃないかな」
その言葉に、正直、心が乱されなかったとは言わない。
いくら、ヒヴェルディアがキアラを好きだと言っても、キアラがヒヴェルディアを好きだと言ってくれても、埋められない溝というのは存在するのだ。
もしも、キアラが、家族と一緒の方が居心地が良いと言うのならば、そちらの方がいいのかもしれない。
人猫族の元で暮らす・暮らさないにせよ、血縁者が見つかったのなら、会ってみたい、と思わないだろうか。
今生の別れではないのだ。
キアラの大好きな、心の広い、優しくて素敵なご主人様だったら、ここで、否とは言わないのではないだろうか。
そんな考えに捕らわれていたときだった。
バンッと何かを叩くような音がして、ヒヴェルディアは意識を引き戻された。
「何よ、それ」
音のした方に顔を向ければ、マリンがテーブルに手をついて立ち上がっている。
ということは、先程の何かを叩くような音は、マリンがテーブルを叩いた音だったのか。
何に腹が立っているのかはわからないが、マリンは目を怒らせていたし、存外に、強い口調だった。
「いいか、悪いかなんて、どうしてレノーが決めるのよ。 どうして、キアラちゃんのことなのに、キアラちゃんを置き去りにして話を進めるの」
室内はシン…と静まり返ったが、その静寂の中で、マリンの呼吸音だけがヒヴェルディアの耳に届く。
マリンは、肩で息をするほどの興奮状態だった。
その、マリンの気持ちが嬉しいと思う反面、ヒヴェルディアは自分を情けなく思う。
あれくらいの揺さぶりで、気持ちを乱してどうするのだ、と。
イヴィルガルド卿はつまらなそうに顔をそむけると、これ見よがしに溜息をついた。
「…うるさい兎だ。 雌は淑やかな方がいい」
やけに大きい独り言、と取るほど善良にできていないのはヒヴェルディアだけではなかったようで、即座にマリンがイヴィルガルド卿に牙を剥く。
マリンは人兎族なので、牙はないはずなのだが。
「はぁ!? あんたどれだけ雌に夢見てんのよ!?」
「ヒステリックだな。 発情期か?」
「はぁ!!?」
どうやらこのイヴィルガルド卿とマリンは相性があまり良くないらしい。
「マリン」
低次元で不毛な言い合いが続きそうなのが目に見えて、ヒヴェルディアが意識を逸らすためにマリンの名を呼ぶと、マリンはハッとしたようだ。
「…ごめん」
ばつの悪そうな顔で、謝罪された。
イヴィルガルド卿への謝罪ではないことは、一目瞭然である。
いや、ごめんもありがとうも俺の方だ、とヒヴェルディアは思う。
一番大切なことを、忘れるところだった。
そう、内心で苦笑しながら、ヒヴェルディアはソファでつんと顔をそむけたイヴィルガルド卿に頭を下げる。
「…時間を、いただきたい。 キアラと話をする、時間を」
臨戦態勢になったといってもいいだろう。
実際に剣を交えて、魔法を使って戦う気はないが、今自分が立っているのは、穏やかな場面ではない。
「何のご用で?」
ヒヴェルディアが問うと、イヴィルガルド卿は「何を言っているんだ、こいつは?」というような表情になった。
見た目はおろか、実年齢以上のふてぶてしさではある。
「家族が離れて過ごすのは不自然なことだろう。 キアラの保護観察者、その権利を放棄し、キアラの保護権を渡せ」
まるで、そうするのが自然なことであるかのように、イヴィルガルド卿は言うのだ。
キアラは、物ではないのに、キアラのことをまるで物のように、【渡せ】と口にする。
それが、ヒヴェルディアの神経を逆撫でた。
例えば、それが、キアラの望みであれば、ヒヴェルディアは苦渋を飲んでもキアラの望むようにしただろう。
キアラとよく話をし、それでもキアラがヒヴェルディアの元を去りたいというのならば、仕方がない。
だが、今回は違う。
思わず、失笑が漏れてしまった。
「…家族が離れて過ごすのが、不自然。 …今まで一切関知しないでいて、よく仰るものだ」
血が繋がっている、ただそれだけで、よくも言えたものだと思う。
家族と言うならば、キアラは、ヒヴェルディアにとっても、家族だ。
たかが、血の繋がりだけで、当然のように奪われるのことに、どうして納得できるというのだろう。
一瞬、ヒヴェルディアとイヴィルガルド卿の間で火花が散ったような錯覚をした、そのときだった。
にゅっとヒヴェルディアとイヴィルガルド卿の間に、レノーの身体が滑り込む。
「ひーくん、ひーくん、そう棘のある言い方しないでさ~。 イヴィルガルド卿にも、事情があるんだよ~」
故意に間延びさせてヒヴェルディアの気持ちを宥めようとしているのかもしれないが、レノーの話し方は更にヒヴェルディアの苛立ちを煽る。
眉間に皺を寄せ、目を細めて威圧するようにレノーを見下ろしたのだが、レノーはびくつきながらもにへら、と笑った。
「イヴィルガルド卿は、知らなくて当然なんだよ。 イヴィルガルド卿の姉君は、恋人と駆け落ちしたらしくて」
「違う!」
割って入った大きな声に、レノーがびくっとした。
背後であれだけの大声を出されては、無理のないことだ。
おそるおそるといった体でレノーが振り返ったその先、ソファに腰かけたままのイヴィルガルド卿は、膝の上で手が真っ白になるほどに拳を握っている。
横顔だけしかヒヴェルディアのところからは確認できないが、レモンイエローの瞳は爛々と光り、ぎり、と歯を食いしばっていた。
「彼女はかどわかされたんだ」
その言い方に、ヒヴェルディアは言いようのない、違和感を抱いた。
なぜだろう。
何が、と明確に口にできないのに、何かがおかしくて、気持ちが悪い。
原因を突き止めようとヒヴェルディアが考えていると、ぱっとレノーがヒヴェルディアに向き直って明るい笑みを見せる。
「まあさ、そういうわけで、イヴィルガルド卿は今の今まで、御自分に姪御がいることもご存じなかったんだよ」
だから、好きで関知しなかったわけではない、とレノーはイヴィルガルド卿を擁護する。
「やっぱりさ、キアラ姫も、人間のひーくんと一緒にいるより、同じ人猫族で血縁の方と一緒にいる方がいいんじゃないかな」
その言葉に、正直、心が乱されなかったとは言わない。
いくら、ヒヴェルディアがキアラを好きだと言っても、キアラがヒヴェルディアを好きだと言ってくれても、埋められない溝というのは存在するのだ。
もしも、キアラが、家族と一緒の方が居心地が良いと言うのならば、そちらの方がいいのかもしれない。
人猫族の元で暮らす・暮らさないにせよ、血縁者が見つかったのなら、会ってみたい、と思わないだろうか。
今生の別れではないのだ。
キアラの大好きな、心の広い、優しくて素敵なご主人様だったら、ここで、否とは言わないのではないだろうか。
そんな考えに捕らわれていたときだった。
バンッと何かを叩くような音がして、ヒヴェルディアは意識を引き戻された。
「何よ、それ」
音のした方に顔を向ければ、マリンがテーブルに手をついて立ち上がっている。
ということは、先程の何かを叩くような音は、マリンがテーブルを叩いた音だったのか。
何に腹が立っているのかはわからないが、マリンは目を怒らせていたし、存外に、強い口調だった。
「いいか、悪いかなんて、どうしてレノーが決めるのよ。 どうして、キアラちゃんのことなのに、キアラちゃんを置き去りにして話を進めるの」
室内はシン…と静まり返ったが、その静寂の中で、マリンの呼吸音だけがヒヴェルディアの耳に届く。
マリンは、肩で息をするほどの興奮状態だった。
その、マリンの気持ちが嬉しいと思う反面、ヒヴェルディアは自分を情けなく思う。
あれくらいの揺さぶりで、気持ちを乱してどうするのだ、と。
イヴィルガルド卿はつまらなそうに顔をそむけると、これ見よがしに溜息をついた。
「…うるさい兎だ。 雌は淑やかな方がいい」
やけに大きい独り言、と取るほど善良にできていないのはヒヴェルディアだけではなかったようで、即座にマリンがイヴィルガルド卿に牙を剥く。
マリンは人兎族なので、牙はないはずなのだが。
「はぁ!? あんたどれだけ雌に夢見てんのよ!?」
「ヒステリックだな。 発情期か?」
「はぁ!!?」
どうやらこのイヴィルガルド卿とマリンは相性があまり良くないらしい。
「マリン」
低次元で不毛な言い合いが続きそうなのが目に見えて、ヒヴェルディアが意識を逸らすためにマリンの名を呼ぶと、マリンはハッとしたようだ。
「…ごめん」
ばつの悪そうな顔で、謝罪された。
イヴィルガルド卿への謝罪ではないことは、一目瞭然である。
いや、ごめんもありがとうも俺の方だ、とヒヴェルディアは思う。
一番大切なことを、忘れるところだった。
そう、内心で苦笑しながら、ヒヴェルディアはソファでつんと顔をそむけたイヴィルガルド卿に頭を下げる。
「…時間を、いただきたい。 キアラと話をする、時間を」
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