【R18】お猫様のお気に召すまま

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【3】キアラの過去への手がかり

2.イヴィルガルド卿

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 研究棟の壁は薄い。
 もちろん、扉もだ。
 扉に顔を向けたヒヴェルディアに気づいたのか、マリンもそちらに顔を向ける気配がした。


 二種類の、足音が近づいてくる。 ひとつは、底が柔らかい素材であろう足音。
 もうひとつは、恐らく、革靴、もしくはブーツだ。
 それだけで、相手がそれなりの身分だということには気づいた。

「あ、ここです」
 この研究室ラボの主であるレノーの声が扉の向こうから聞こえたかと思うと、間を置かずに扉が開く。
 背後にいる誰かから視線を室内へと動かしたレノーの、丸眼鏡の向こうの目が、丸くなる。
「マリン、お茶…、って、ひーくん来てたの? ちょうどいいや、探しに行く手間が省けた」

 探しに行く、手間?
 ヒヴェルディアが訝しく思っていると、レノーの後ろで影が動いた。

 だが、それは錯覚で、現れたのは黒髪に明るいレモンイエローの瞳の、男。
 少年か青年かの判別は、一見してはつかなかった。
 小柄で、顔立ちは幼く見えるが、どうにも態度が不遜だ。
 身を包んでいるのは、燕尾服をアレンジしたような漆黒の衣装に、ブーツ。 白いシャツは、シャツというよりはブラウスに見える。
 襟元がひらひらしていて、男性ものよりは女性もののようなのだが、それがその人物にはよく似合っていた。

 そして、特筆すべきは、彼の頭から生えた黒い猫の耳。 黒く長い尻尾も、あれは恐らく猫のもの。
 人猫族ではないにしても、ネコ科の人獣族であることは疑いもない。

 どうして、ここに。
 そう考えるヒヴェルディアの目の前で、レノーは呑気に紹介を始めた。


「ひーくん、こちら、イヴィルガルド卿。 イヴィルガルド卿、こちら、お探しのヒヴェルディア・ロンスカール」


 お探し、と言われて軽く目を見張っていると、イヴィルガルド卿はヒヴェルディアを一瞥しただけでぷいとそっぽを向く。
「探しているのは、こいつじゃない」


 一瞥、されただけなのに、その一瞥で観察されたような気分になった。
 しかも、今の話では、彼は何かを探して、ここにやって来たという。


 何だろう。
 妙な、胸騒ぎがする。


 胸がざわざわする感じをどうにかしたくて、腕を動かして、右手を胸に当てる。
 その瞬間、イヴィルガルド卿が瞬きをし、鼻を動かした。
 その、猫の耳がぴくっと動いたのもわかる。
 すいと、彼の顔がヒヴェルディアへと戻ってきて、見つめられて、ヒヴェルディアはドキリとした。


「…あんた、いい匂いする」
 そう、ポツリとイヴィルガルド卿は落とした。


 いい、におい。
 意味がわからなくて、ヒヴェルディアが言葉を返せずにいると、瞬きひとつのうちにグンと距離を詰められた。
 さすがに、人猫族。
 身のこなしが違う。


 だが、感心している場合ではなかった。
 距離を詰めたイヴィルガルド卿は、くん、ともう一度鼻を動かして、ヒヴェルディアの服の匂いを嗅いだ。

 イヴィルガルド卿のレモンイエローの瞳が、再びヒヴェルディアへと向く。
 視線で、射られた。 そのように感じた。


「あんたじゃないな。 【キアラ】の匂い?」


 問われて、心臓が跳ねる。
 ヒヴェルディアは、イヴィルガルド卿から視線を外して、いそいそとカップをお盆に乗せて戻ってきたレノーを見る。


「どういうことだ、レノー」
「ひーくん、最近キアラ姫の諸々の手続き頑張ってたでしょう。 ひーくんが保護責任者で、キアラ姫の戸籍創ったりなんだりさぁ。 で、保護観察庁にも、ことの経緯の説明なり報告なりしてたじゃない? その関係で、保護観察所にも情報が入ったらしいよ?」
 レノーはそんな風に言いながら、コーヒーの入ったカップを応接用のテーブルに置く。


 確かに、ヒヴェルディアは戸籍も何もないキアラを、この世に存在するキアラとするために諸々の手続きを進めた。
 一番面倒だったのは保護観察庁で、保護対象の人獣族を、なぜ魔法騎士が猫として扱い、使い魔にしていたのか、と追及されたことだ。


 俺もキアラもそんなことは知らずにいたのだから仕方なかろう。
 喉から出てきたいと言っている言葉をぐいぐいと胸の方まで追いやって、ヒヴェルディアは終始一貫大人の対応をした。 だが、二度と保護観察庁あんなところに行ってやるものかとも思っている。
 保護観察庁のことは置いておいて、保護観察所から情報が入るとはどういうことだろう。


「情報、って」
「血液も採取させてもらったでしょ。 毛髪も一本もらった。 それで鑑定して、判明したらしいんだけど、キアラ姫どうやら、こちらのイヴィルガルド卿の血縁者らしいんだよね」


「血縁者」


 ヒヴェルディアが阿呆のように、単語を繰り返すしかない中、明後日の方向から声が聞こえた。
「叔父だ」

 ヒヴェルディアが混乱している間に、だろう。
 イヴィルガルド卿は応接用のソファに優雅に腰かけて、カップを手にしていた。
 優雅にカップに口をつけているが、その前に、何か衝撃的な言葉を口にしなかっただろうか。


「え? 叔父??」
 ヒヴェルディアが口にする前に、マリンが声をひっくり返した。


 そう、ヒヴェルディアが、少年なのか青年なのかわからないと思っていたイヴィルガルド卿が、キアラの叔父だと。
 つまりは、キアラの母君か父君の弟ということになる。


 イヴィルガルド卿は何をそんなに驚かれるのかわからないというような顔で、さらりと応じた。
「こう見えても、今年三十になる」
 ヒヴェルディアよりも年下にしか見えない、更に言うなら十代でも全く問題ないような顔をした目の前の男が、今年三十。


人兎族わたしたちもわりかし若く見られる方なんだけど、人猫族ってそれ以上なのね…」
 驚くヒヴェルディアをよそに、マリンは頬杖をついたままで、納得したような声を出している。
 若く見られる、が癇に障ったとも思えないのだが、イヴィルガルド卿はことりとカップをテーブルに置いて、再度ヒヴェルディアに視線を向けた。


「そんなことはどうでもいい。 キアラは?」
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