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【2】猫ではないキアラの新生活
4.お風呂してください
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途端、ご主人様は、目を丸くした。
「え? 俺、汗臭い?」
慌てた様子でご主人様は、サッと腕を上げて顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいる。
けれど、キアラが言っているのはそういうことではないのだ。
ご主人様がシャワーをしてから帰ってくるのは知っているし、ご主人様の汗なら、キアラは全く嫌ではない。
嫌なのは、知らない人工の香料の香りが、本当に微かにだが、ご主人様からすることだ。
きっと、人間のご主人様にはわからない香りなのだろう。
でも、人猫族のキアラにはわかる。
「あら、本当。 香水臭い。 女物でしょ、品のない臭い」
うさぎさんも、ご主人様に顔を近づけて一度鼻を動かしただけで、そう断定した。
ご主人様はぽかんとしていて、身に覚えがない、という表情だが、するものはするのだから仕方ない。
キアラだけでなく、うさぎさんもわかるということは、キアラの勘違いではないし確定だ。
キアラはもう一度、ご主人様を睨む。
「お風呂できてます、お風呂してください」
「…キアラ、怒ってる?」
ご主人様は、そのようにキアラに問いながらも、口元を手で押さえる。
キアラは見逃さなかった。
ご主人様の口元が緩み、まるでそれを隠すように口元を手で覆ったことを。
キアラは怒っているとまではいかないが、嫌な臭いに気が立ち気味だ。
つまり、楽しくないし嬉しくないし喜んでもいない。
だから、お風呂してほしいと訴えているのに、ご主人様は若干笑顔とはどういうことなのだろう。
キアラが猫だったら、ご主人様に猫パンチを繰り出しているところだ。
猫パンチを繰り出したところで、「キアラ、遊んでほしいのか?」と見当違いの発言をするご主人様に猫じゃらしでじゃらされて終わるのが関の山ではあるが。
「それは、怒るわよね~。 大好きなご主人様から、ご主人様以外の匂いがするんだものね~」
キアラの肩にキアラの後ろから手を置いたうさぎさんが、キアラの味方をしてくれるので、キアラは勢いづいて主張することができた。
「お風呂してくるまで、キアラに触るの禁止です!」
キアラの苛立ちや不満はそれでも伝わらないのか、ご主人様は素敵な笑みを浮かべたままで、キアラとの距離を詰める。
嫌だと言っているのに、触るの禁止だと言ったのに、キアラの鼻の頭にキスをして、また満足そうに微笑むのだ。
「わかった、風呂に行ってくる」
「! 早く臭いの落としてください!」
向けられた背中に、キアラは最後のあがきとばかりに声を上げた。
臭いを落とせばいいというわけではなく、ご主人様からご主人様のものではない、臭いがするのが嫌なのだと、どうしてわかってもらえないのだろう。
臭いをつけるのは、自分のものだと主張する行為だ。
臭いをつけられたままになっているということは、ご主人様がその誰かのものであることを、甘んじて受け入れているということに等しい。
キアラの、ご主人様なのに。
そう考えて、はっとした。
ご主人様は、キアラのご主人様に変わりはないけれど、今のキアラは猫ではないのだ。
いつか、ご主人様にはご主人様と同じ、人間のお嫁さんができるだろう。
そのご主人様のお嫁さんが、ずっとご主人様と一緒にいたいキアラを、赦してくれるだろうか。
猫のキアラなら、問題なかったかもしれない。
けれど、人猫族のキアラは?
「大丈夫? キアラちゃん」
黙り込んでしまったキアラを不思議に思ったのか、うさぎさんがキアラの顔を覗き込んできた。
目の前に現れたうさぎさんのおっとり美人な顔に、キアラはすっと意識を引き戻される。
できるだけ、何気ないふりを装って、尋ねた。
「うさぎさん、今日は何のご用ですか? 上がってお茶しますか?」
「ううん、元気かなぁって思って。 お薬足りてる?」
にこりと微笑んだうさぎさんが、そのように訊いてくれるので、キアラはほっこりしつつ答えた。
「はい、足りてます」
「なくなる何日か前には教えてね。 また、一緒にくまさんのお医者さんのところに行きましょうね」
「! はい、ありがとうございます。 よろしくお願いします」
キアラは嬉しくなって即座に答えた。
自分の尻尾が揺れているのもわかる。
うさぎさんに道は教えてもらったけれど、まだ、ひとりでの外出は少し怖い。
人獣族の居住エリアである保護区画には、――有事以外は――人獣族でなければ入れないので、ご主人様に同行をお願いすることも難しい。
だから、うさぎさんの、また一緒に行ってくれるという申し出は、本当に、本当に有り難かった。
「お家のこと、色々してるのね?」
「ご主人様と、分担です。 危ないからと、包丁と火はまだ使わせてもらえません」
だから、お食事を作ってくれるのはご主人様だし、キアラのお昼ご飯だってご主人様が作り置きして出かけてくれる。 キアラはそのご飯を、魔法で温めて食べて、片づけをするのみだ。
いずれ、包丁と火を使わせてもらえる日が来て、料理でご主人様に喜んでもらえる日が来ることを、キアラは夢見ている。
「無理しないでね、元気そうでよかった。 じゃあね」
うさぎさんはそう微笑むと、キアラの頬っぺたに頬っぺたをくっつけて、すいと離れる。
すぐにうさぎさんが玄関の扉を開けるので、キアラはうさぎさんのお見送りをした。
そして、気づく。
うさぎさんは一体何をしに来たのだろう?と。
「え? 俺、汗臭い?」
慌てた様子でご主人様は、サッと腕を上げて顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいる。
けれど、キアラが言っているのはそういうことではないのだ。
ご主人様がシャワーをしてから帰ってくるのは知っているし、ご主人様の汗なら、キアラは全く嫌ではない。
嫌なのは、知らない人工の香料の香りが、本当に微かにだが、ご主人様からすることだ。
きっと、人間のご主人様にはわからない香りなのだろう。
でも、人猫族のキアラにはわかる。
「あら、本当。 香水臭い。 女物でしょ、品のない臭い」
うさぎさんも、ご主人様に顔を近づけて一度鼻を動かしただけで、そう断定した。
ご主人様はぽかんとしていて、身に覚えがない、という表情だが、するものはするのだから仕方ない。
キアラだけでなく、うさぎさんもわかるということは、キアラの勘違いではないし確定だ。
キアラはもう一度、ご主人様を睨む。
「お風呂できてます、お風呂してください」
「…キアラ、怒ってる?」
ご主人様は、そのようにキアラに問いながらも、口元を手で押さえる。
キアラは見逃さなかった。
ご主人様の口元が緩み、まるでそれを隠すように口元を手で覆ったことを。
キアラは怒っているとまではいかないが、嫌な臭いに気が立ち気味だ。
つまり、楽しくないし嬉しくないし喜んでもいない。
だから、お風呂してほしいと訴えているのに、ご主人様は若干笑顔とはどういうことなのだろう。
キアラが猫だったら、ご主人様に猫パンチを繰り出しているところだ。
猫パンチを繰り出したところで、「キアラ、遊んでほしいのか?」と見当違いの発言をするご主人様に猫じゃらしでじゃらされて終わるのが関の山ではあるが。
「それは、怒るわよね~。 大好きなご主人様から、ご主人様以外の匂いがするんだものね~」
キアラの肩にキアラの後ろから手を置いたうさぎさんが、キアラの味方をしてくれるので、キアラは勢いづいて主張することができた。
「お風呂してくるまで、キアラに触るの禁止です!」
キアラの苛立ちや不満はそれでも伝わらないのか、ご主人様は素敵な笑みを浮かべたままで、キアラとの距離を詰める。
嫌だと言っているのに、触るの禁止だと言ったのに、キアラの鼻の頭にキスをして、また満足そうに微笑むのだ。
「わかった、風呂に行ってくる」
「! 早く臭いの落としてください!」
向けられた背中に、キアラは最後のあがきとばかりに声を上げた。
臭いを落とせばいいというわけではなく、ご主人様からご主人様のものではない、臭いがするのが嫌なのだと、どうしてわかってもらえないのだろう。
臭いをつけるのは、自分のものだと主張する行為だ。
臭いをつけられたままになっているということは、ご主人様がその誰かのものであることを、甘んじて受け入れているということに等しい。
キアラの、ご主人様なのに。
そう考えて、はっとした。
ご主人様は、キアラのご主人様に変わりはないけれど、今のキアラは猫ではないのだ。
いつか、ご主人様にはご主人様と同じ、人間のお嫁さんができるだろう。
そのご主人様のお嫁さんが、ずっとご主人様と一緒にいたいキアラを、赦してくれるだろうか。
猫のキアラなら、問題なかったかもしれない。
けれど、人猫族のキアラは?
「大丈夫? キアラちゃん」
黙り込んでしまったキアラを不思議に思ったのか、うさぎさんがキアラの顔を覗き込んできた。
目の前に現れたうさぎさんのおっとり美人な顔に、キアラはすっと意識を引き戻される。
できるだけ、何気ないふりを装って、尋ねた。
「うさぎさん、今日は何のご用ですか? 上がってお茶しますか?」
「ううん、元気かなぁって思って。 お薬足りてる?」
にこりと微笑んだうさぎさんが、そのように訊いてくれるので、キアラはほっこりしつつ答えた。
「はい、足りてます」
「なくなる何日か前には教えてね。 また、一緒にくまさんのお医者さんのところに行きましょうね」
「! はい、ありがとうございます。 よろしくお願いします」
キアラは嬉しくなって即座に答えた。
自分の尻尾が揺れているのもわかる。
うさぎさんに道は教えてもらったけれど、まだ、ひとりでの外出は少し怖い。
人獣族の居住エリアである保護区画には、――有事以外は――人獣族でなければ入れないので、ご主人様に同行をお願いすることも難しい。
だから、うさぎさんの、また一緒に行ってくれるという申し出は、本当に、本当に有り難かった。
「お家のこと、色々してるのね?」
「ご主人様と、分担です。 危ないからと、包丁と火はまだ使わせてもらえません」
だから、お食事を作ってくれるのはご主人様だし、キアラのお昼ご飯だってご主人様が作り置きして出かけてくれる。 キアラはそのご飯を、魔法で温めて食べて、片づけをするのみだ。
いずれ、包丁と火を使わせてもらえる日が来て、料理でご主人様に喜んでもらえる日が来ることを、キアラは夢見ている。
「無理しないでね、元気そうでよかった。 じゃあね」
うさぎさんはそう微笑むと、キアラの頬っぺたに頬っぺたをくっつけて、すいと離れる。
すぐにうさぎさんが玄関の扉を開けるので、キアラはうさぎさんのお見送りをした。
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