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【1】猫ではなかったらしい

12.其は希望

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 これは、試練か拷問か?

 寝室の扉を開けたヒヴェルディアは、その場で目元を手で覆い固まった。
 若干項垂うなだれてしまったし、内心では頭を抱えている。


 ヒヴェルディアのベッドを人猫姿のキアラが占領して、丸くなって眠っていたのだ。


 仕事を終えて家に帰ってきたら、玄関にまだマリンがいた。
 今日は、キアラと一緒に買い物に行くと言っていたはずなのに、どういうことか、と思っていたら、マリンが切り出した。


 人獣族の保護区へ行き、人獣族の医師に、発情期の話をしてもらって、お薬をもらって来たのだと。
 だが、どうやらそれが、キアラにはショックかストレスだったらしいという話だった。
 一緒に衣類の片づけをし終えたところで、キアラが「お昼寝します…」と言って、ヒヴェルディアの寝室に消えた。
 ヒヴェルディアの寝室に入るわけにはいかないし、かといってあの状態のキアラを置いて帰るわけにはいかないと、マリンはヒヴェルディアを待ってくれていたらしい。


 とりあえず、今日の買い物については後日請求が来るようなのでいいとして、やはりキアラが心配だ。
 ヒヴェルディアはマリンを見送ったあとで、寝室へと向かった。


 というところで、冒頭に戻る。


 ヒヴェルディアは、目元から手を外し、姿勢を正す。
 ひとつ、深呼吸をして、自分の寝室へと足を踏み入れた。
 ゆっくりと、足音だけではなく気配も殺して、ベッドに近づき、見下ろした。


 長くくっきりとした漆黒の睫毛が、白い頬に影を落としている。
 艶やかな黒髪が、白いシーツに散るさまがきれいだ。
 規則的な寝息を立てているので、悪夢を見たり魘されたりということはなさそうだが…。
 キアラの手が、お守りでも握るように、透明のケースをぎゅっと握っているのが気になった。


 顔を近づけて覗いてみれば、詳細はわからないものの、何種類かの薬が入ったケースのようだと気づく。


 魔法騎士であるヒヴェルディアは、人獣族についてもある程度知識はある。
 人猫族に発情期があることも、人猫族の女性は避妊をせずに行為を行うと、ほぼ100%の確率で妊娠するということも、それが発情期に限らないことも知っている。
 人間をはじめとする、他種族との間に子をつくることも可能だが、その子は生殖能力を持たないということもだ。


 恐らくは、キアラが手にしているケースに入っているのは、発情期の抑制剤と、毎日の避妊薬。
 それから、アフターピルといったところだろうか。


 ヒヴェルディアの眉間には、無意識のうちに、皺が寄った。
「…酷な話だっただろう」


 ヒヴェルディアは、この世の中の全ての悪意から、キアラを守るつもりでいた。
 猫可愛がりしてきた自覚もあれば、甘やかしてきた自覚も溺愛してきた自覚もある。
 ヒヴェルディアが見せたくないものは、キアラには見せてこなかった。


 指に、さらりとした感触が触れる。
 見れば、ヒヴェルディアは、無意識のうちにキアラの髪を撫でていたらしい。
 その感触は、猫のときのキアラとは、全く違っていて、不思議な感じだ。


 ヒヴェルディアは、実はまだ、疑っている。
 この、キアラと名乗る美少女が、ヒヴェルディアの愛猫キアラなのかどうか。


 だって、あまりにもできすぎているではないか。
 溺愛していた愛猫が、実は人猫族で、ヒヴェルディアの好みど真ん中――かしずき剣を捧げたい理想の姫君像そのものだったなんて。


 これが、ヒヴェルディアの転落を画策する、誰かの仕掛けた罠ではないと、陰謀ではないと、どうして言い切れるだろう。
 それでも、突き放せず、冷たい態度を取れないのは、この美少女の些細な仕草に、ヒヴェルディアの愛猫キアラを重ねてしまうからだ。


 キアラはヒヴェルディアの愛猫でありながら、使い魔だった。
 綺麗なグリーンの瞳とつやつやの黒い毛並みの美猫だ。
 この間、とある婦人が身に着けていた宝石がキアラの瞳の色に似ていたから、それは何かと聞いてみたら、グリーンガーネットだと教えられた。
 その宝石よりも、キアラの瞳の方が綺麗だ、とヒヴェルディアは思ったが、もちろん口には出していない。


 キアラとの出会いは、十年前。
 ヒヴェルディアが十五歳で、初めて魔法騎士としての任務に訪れた村で、出逢った。


 ヒヴェルディアの初陣ういじんは、苦いものだった。


 たくさんの人を救いたくて、たくさんの人を護りたくて、志願して選ばれた魔法騎士だというのに、目の前に広がるのは焼け野原。
 一目でわかった。
 生存人数ゼロだと。


 帰ろう、と言った団長の言葉に、項垂れて踵を返そうとしたときに、耳に届いたか細い、音。
 周囲が止めるのも構わずに、ヒヴェルディアは真っ黒な地面を蹴って、音を辿った。
 ぷすぷすと燻るような音で、そのか細い音がよく聞こえないのがもどかしい。


 そして、探して、見つけたのは古びた涸れ井戸。
 その底から、音が、鳴き声が聞こえる。


 その猫一匹のために、救助活動が行われた。
 生命の途絶えたその地で、唯一生きているその存在が、どれだけヒヴェルディアたちにとって救いだったか。


 きっと、ヒヴェルディアはあのときキアラを見つけていなかったら、剣を折って田舎に帰り、牧師にでもなっていたことだろう。


 騎士団全員で救助活動にあたったキアラはまだまだ小さくて、それこそ片手で持てるほどで、とても衰弱していたのを覚えている。
 キアラがつけていた、キアラと彫られた銀の腕輪は、今ではキアラには小さくなってしまったが、捨てられずにキアラの部屋に置いてある。


 小さな、小さな命。
 衰弱していても、確かに呼吸をしていて、生きていた。


 希望だ、と思った。
 ヒヴェルディアにとって、キアラこそが、光だったのだ。


 キアラは賢い猫だった。
 人間の言葉を理解しているようだったし、トイレもすぐに覚えた。
 食事もヒヴェルディアと同じものを食べたがる。
 ただ、狭くて暗いところは苦手なようで、必ずヒヴェルディアのベッドにもぐりこんできた。


 魔法にも興味を持ち、それが使えるようになるのに時間はかからなかった。
 おそらく、素質があったのだろう。
 ヒヴェルディアは、大切なキアラを危険な目には遭わせたくなかったのだが、キアラはヒヴェルディアのために動きたがった。
 だからヒヴェルディアはキアラを表向きは【使い魔】ということにして、どこへでも連れて行った。
 それは、キアラがヒヴェルディアの後をどこまでもついてくるから。
 それもあったが、キアラがヒヴェルディアの視界に入っているうちは、心配しなくて済むからだ。
 ヒヴェルディアの目の届かないところで、何事か起きては堪らない。
 もし何かあっても、キアラが近くにいてくれるなら、キアラのことをヒヴェルディアが守ればいい、ただ、それだけ。


 そう。 ただ、それだけだと、疑いもなく思っていた。 そのときまでは。
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