百鬼さんの言うことには。

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 コーヒーの芳しい香りを、一つ大きく吸い込んで息を吐くと、タイミングを計ったような百鬼なぎりさんの声が耳に届いた。


「病院も、墓地も、学校も、【死】のイメージに密接でしょう。 千夏ちかちゃん、ちゃんとわかってる」


 意外な言葉に、今度はわたしが目を丸くする番だった。
「でも、学校って、そんなに頻繁に誰か亡くなりますか?」

 児童や生徒の声で賑わう学校と、死のイメージがなかなか結びつけられない。
 それは、自殺とか、事故とか、事件とか、そんなものと無縁な場所ではないだろうけれど、そんなことを言っては無縁な場所などどこにもなくなってしまう。
 そんなわたしを、見透かしたのかもしれない。
 百鬼さんは、静かに、怖いくらいに綺麗な笑みを浮かべた。


「学校って、昔は死体置き場だったでしょう」


 カラン。


 グラスに入った氷がけて、重なった氷のバランスが崩れ、音を立てた。
 その音がやけに大きく、耳に届く。

 空調の温度を下げたわけでも、風量や風向を変えたわけでもないのに、急激に、寒さを意識した。
 それは、不思議な寒さだった。
 足元から這い上がるわけでもなく、背筋を走るわけでもない。
 強いて言うなら、内側から発生して、外に向かうような寒さだ。
 手の中のマグカップの熱を、一際大きく感じる。


 一体、何を。
 目の前の、作り物のように美しいひとは、何を言っているのか。

 百鬼さんの言葉の意味がわからなくて、わたしは百鬼さんを凝視した。
 百鬼さんは、ただ、静かに微笑んでいる。

 わたしは、何かを問うことすらもできなかった。
 けれど、百鬼さんを見つめるわたしの目は、恐らく口ほどに物を言っていたのだろう。
 百鬼さんは付け足すように、口を開いた。

「戦時中の話らしいけど。 無念よね。 もっと、ずっと、生きたかったはずなのに。 霊云々うんぬんの話はよくわからないけど、そういう未練とか、無念とか、強い思いっていうのは、この世にのこるものだと思うの。 たとえ、肉体からだがなくなっても。 月日が流れても。 遺って、留まるか、どこかに向かうか…。 ああ、だから、心霊、って【心】という字をつけるのかも」
 聞かせる意図が、あるのだろうか。
 最後の方は、ほとんど独り言のようだった。

「過去にあった事実を知らないひとたちも、学校には、いるもの、出るものだと知っている。 それは、誰かが過去を、未来へ引き継ごうとしているからなのかしら。 そういう思いが遺っていて、私たちが無意識に、感じ取っているからなのかしら」


 ヂヂヂヂヂ、ヂヂヂヂヂ。


 窓に嵌ったガラスを隔てているというのに、耳鳴りのように、蝉の声が聞こえる。
 例えば、昔、戦時下で鳴り響いたというサイレンの音は、この比ではなかっただろう。
 熱気に巻かれ逃げ惑い、汗を流して、喉をカラカラにしながらも、ただじっと息を殺して潜む。
 うだるような暑さの中、空からは炎が降ってくる。
 炎天下、という言葉は、いつ生まれたのだろう。
 そんなことを考えた。


 学校が、昔は死体置き場だった。
 確かに、そんな時代はあったのだ。


 それも、遠くない昔。
 考えてみれば、まだ終戦から一世紀も経っていない。
 そのことに、愕然とする。


 今はまだ、7月だが、これから8月に入れば、原子爆弾が投下された日がそれぞれやってきて、終戦の日を迎える。
 そういえば、お盆と終戦の日――『戦没者を追悼し平和を祈念する日』は重なっているのだった。
 これは、偶然なのだろうか。 必然なのだろうか。


 暑さの中に、寒さを感じる。


 温かいコーヒーを頼んでよかった。
 ひとまず、百鬼さんの言う、「とびっきりの贅沢」を味わうことにしよう。
 そんなことを考えるのは、理由のわからないこの寒さから、気を逸らしたいからなのかもしれない。

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