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紅の騎士は白き花を癒す
16.わたしが、悪い。
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ふっと目を開くと、天井が映った。
少し顔をずらすと、祈るように手を組んで目を伏せる、ジオークの顔。
眉間に深い皺の刻まれたその表情は、今までリシェーナが目にしたことのないものだった。
どうして、彼はそんな、思い詰めた表情をしているのだろう。
「…あなた…?」
リシェーナが呼ぶと、ジオークは弾かれたように顔を上げ、リシェーナを凝視する。
その顔が泣きそうに歪んだかと思えば、深い安堵の息を吐いて、ベッドに横たわるリシェーナの前髪をそっとかきわけた。
「…おはよ、リシェ」
リシェーナは、どういう状況なのかと頭を巡らす。
なぜかひどく疲れていて、体が重いのだが、一向に理由が掴めない。 それから、喉が渇いた気がする。
「あなた、お仕事…ぁっ…」
リシェーナは小さく悲鳴をあげる。
体を起こそうとすると、言いようもない倦怠感に加えて下腹部が鈍い痛みを訴えたのだ。
ジオークは慌てた様子でリシェーナをベッドに押し付ける。
「リシェ、無理しないで」
リシェーナはジオークに言われて、再びベッドに横にはなったものの、訳がわからずにお腹を押さえた。
「わたし、どうして、おなか…?」
「リシェ、今は何も考えずにゆっくりお休み?」
ジオークは、言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
何かをはぐらかすような。 気づかせまいと努めている様子に、リシェーナはハッとした。
彼は一体、何を気づかせまいと、しているのか。
そのことに気づいたのは、あまりにも彼が、必死だったからなのだと思う。
なぜか、閃いた。
「…あなた…わたしの、赤ちゃんは…?」
そう問うと、ジオークの肩がわずかに震える。
それを見たときに、きっと、リシェーナも心のどこかでは気づいていたのだ。
リシェーナの問いかけに、ジオークは、痛ましげで悔しそうで、苦しそうな表情になった。
「…守れなくて、ごめん」
ああ、やっぱり。
そう思った。
自分のお腹にいた自分の子がどうなってしまったのか。
「…あの子は、わたしの中にいたのに」
下腹部を押さえるけれど、ここにはもう、その存在はないのだ。
小さな、小さな、命。
男の子か、女の子かも、わからなかった。
けれど、あの子は、リシェーナの中で、生きようと、していたのに。
「わたしが、守ってあげなくちゃ、いけなかったのに」
「リシェは、悪くないよ。 …悪いのは、おれだ」
リシェーナの言を否定するジオークは、唇を噛んだ。
布団の上から、リシェーナの腹にそっと触れて、労わるように撫でる。
「おれが、腹の子ごと、リシェを守らなきゃならなかったのに。 それが夫で、父親なのに」
あまりに苦しそうな呟きに、リシェーナは思わず首を振って声を荒げていた。
「それは、ちがうっ…あなたは、何も、悪くないっ…。 っ…」
急に大きな声を出したためか、腹部が痛んで、リシェーナは顔を歪めた。
そうすれば、ジオークが優しくリシェーナの髪を撫でる。
「リシェ、興奮しないで。 身体に悪い」
「だって、あなたは何も、悪くないもの」
リシェーナは、そうきっぱりと言い切って、目を伏せた。
誰が悪いのか、本当は何もかも、わかっている。
「ちが…違うの。 わたし…わたしが、悪い。 嫌い。 …怖い」
「リシェ?」
急にリシェーナが言いだしたことに、ジオークは戸惑ったような表情を浮かべている。
これを言ったら、なんて女だと、嫌われてしまうかもしれない。
けれど、言わずにはおれなくて、リシェーナは目を伏せたまま搾りだした。
「ほっと…。 ほっと、したの。 赤ちゃんが、いなくなっちゃったのに」
ジオークが息を呑む気配が伝わった。
当然の、反応だ。
それでも、リシェーナは、続ける。
「…怖かった…。 ここに、あのひとの、子どもがいるの。 あのひとの子ども、産むの」
目を開くも、怖くてジオークを見ることはできなかった。
「産むのも…本当は、迷ってたのかも、しれない。 ちゃんと、お母さんになれるか、愛してあげられるか、不安で」
本当は、怖くて、不安で、仕方なかった。
それでも、お腹の中にいる子どもは何も悪くないから、産もうと、決心した。
父親が誰でも、自分の子に変わりはないから。
折角、授かった、命だから。
なのに、この体たらくだ。
「赤ちゃんは、何も悪くないのに…」
視界が、歪む。
涙が、溢れていた。
それに気づいて、リシェーナは涙を拭う。
こんなふうに泣いたら、ジオークに気を遣わせるだけだ。
いなくなってしまった、赤ちゃんにだって、悪い。
リシェーナに、こんな風に、泣く資格はないのに。
「ごめんなさい、…ごめん、なさいっ…」
そう思うけれど、涙は止まらなくて、リシェーナは顔を覆う。
リシェーナが顔を覆ったその手に、ふと自分のものではない手が触れた。
リシェーナの手を動かそうとするその手に抗えなくて、従う。
そうすれば、頬に柔らかいものが触れてびくりとした。
一瞬目を開いたリシェーナは、視界に飛び込んできたものに驚いて、再び固く目を瞑る。
あの、柔らかいものはジオークの唇。
頬を目の方に向かって移動していく唇は、きっと涙の筋を辿っているのだろう。
ちゅ…と小さく音を立てて瞼から離れた唇に、リシェーナが泣くのも忘れて赤くなっていると、ふ、とジオークが笑った。
「止まったね。 ダメだよ、泣くと体力使うから」
少し顔をずらすと、祈るように手を組んで目を伏せる、ジオークの顔。
眉間に深い皺の刻まれたその表情は、今までリシェーナが目にしたことのないものだった。
どうして、彼はそんな、思い詰めた表情をしているのだろう。
「…あなた…?」
リシェーナが呼ぶと、ジオークは弾かれたように顔を上げ、リシェーナを凝視する。
その顔が泣きそうに歪んだかと思えば、深い安堵の息を吐いて、ベッドに横たわるリシェーナの前髪をそっとかきわけた。
「…おはよ、リシェ」
リシェーナは、どういう状況なのかと頭を巡らす。
なぜかひどく疲れていて、体が重いのだが、一向に理由が掴めない。 それから、喉が渇いた気がする。
「あなた、お仕事…ぁっ…」
リシェーナは小さく悲鳴をあげる。
体を起こそうとすると、言いようもない倦怠感に加えて下腹部が鈍い痛みを訴えたのだ。
ジオークは慌てた様子でリシェーナをベッドに押し付ける。
「リシェ、無理しないで」
リシェーナはジオークに言われて、再びベッドに横にはなったものの、訳がわからずにお腹を押さえた。
「わたし、どうして、おなか…?」
「リシェ、今は何も考えずにゆっくりお休み?」
ジオークは、言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
何かをはぐらかすような。 気づかせまいと努めている様子に、リシェーナはハッとした。
彼は一体、何を気づかせまいと、しているのか。
そのことに気づいたのは、あまりにも彼が、必死だったからなのだと思う。
なぜか、閃いた。
「…あなた…わたしの、赤ちゃんは…?」
そう問うと、ジオークの肩がわずかに震える。
それを見たときに、きっと、リシェーナも心のどこかでは気づいていたのだ。
リシェーナの問いかけに、ジオークは、痛ましげで悔しそうで、苦しそうな表情になった。
「…守れなくて、ごめん」
ああ、やっぱり。
そう思った。
自分のお腹にいた自分の子がどうなってしまったのか。
「…あの子は、わたしの中にいたのに」
下腹部を押さえるけれど、ここにはもう、その存在はないのだ。
小さな、小さな、命。
男の子か、女の子かも、わからなかった。
けれど、あの子は、リシェーナの中で、生きようと、していたのに。
「わたしが、守ってあげなくちゃ、いけなかったのに」
「リシェは、悪くないよ。 …悪いのは、おれだ」
リシェーナの言を否定するジオークは、唇を噛んだ。
布団の上から、リシェーナの腹にそっと触れて、労わるように撫でる。
「おれが、腹の子ごと、リシェを守らなきゃならなかったのに。 それが夫で、父親なのに」
あまりに苦しそうな呟きに、リシェーナは思わず首を振って声を荒げていた。
「それは、ちがうっ…あなたは、何も、悪くないっ…。 っ…」
急に大きな声を出したためか、腹部が痛んで、リシェーナは顔を歪めた。
そうすれば、ジオークが優しくリシェーナの髪を撫でる。
「リシェ、興奮しないで。 身体に悪い」
「だって、あなたは何も、悪くないもの」
リシェーナは、そうきっぱりと言い切って、目を伏せた。
誰が悪いのか、本当は何もかも、わかっている。
「ちが…違うの。 わたし…わたしが、悪い。 嫌い。 …怖い」
「リシェ?」
急にリシェーナが言いだしたことに、ジオークは戸惑ったような表情を浮かべている。
これを言ったら、なんて女だと、嫌われてしまうかもしれない。
けれど、言わずにはおれなくて、リシェーナは目を伏せたまま搾りだした。
「ほっと…。 ほっと、したの。 赤ちゃんが、いなくなっちゃったのに」
ジオークが息を呑む気配が伝わった。
当然の、反応だ。
それでも、リシェーナは、続ける。
「…怖かった…。 ここに、あのひとの、子どもがいるの。 あのひとの子ども、産むの」
目を開くも、怖くてジオークを見ることはできなかった。
「産むのも…本当は、迷ってたのかも、しれない。 ちゃんと、お母さんになれるか、愛してあげられるか、不安で」
本当は、怖くて、不安で、仕方なかった。
それでも、お腹の中にいる子どもは何も悪くないから、産もうと、決心した。
父親が誰でも、自分の子に変わりはないから。
折角、授かった、命だから。
なのに、この体たらくだ。
「赤ちゃんは、何も悪くないのに…」
視界が、歪む。
涙が、溢れていた。
それに気づいて、リシェーナは涙を拭う。
こんなふうに泣いたら、ジオークに気を遣わせるだけだ。
いなくなってしまった、赤ちゃんにだって、悪い。
リシェーナに、こんな風に、泣く資格はないのに。
「ごめんなさい、…ごめん、なさいっ…」
そう思うけれど、涙は止まらなくて、リシェーナは顔を覆う。
リシェーナが顔を覆ったその手に、ふと自分のものではない手が触れた。
リシェーナの手を動かそうとするその手に抗えなくて、従う。
そうすれば、頬に柔らかいものが触れてびくりとした。
一瞬目を開いたリシェーナは、視界に飛び込んできたものに驚いて、再び固く目を瞑る。
あの、柔らかいものはジオークの唇。
頬を目の方に向かって移動していく唇は、きっと涙の筋を辿っているのだろう。
ちゅ…と小さく音を立てて瞼から離れた唇に、リシェーナが泣くのも忘れて赤くなっていると、ふ、とジオークが笑った。
「止まったね。 ダメだよ、泣くと体力使うから」
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