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きゅうまいめ *
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気もそぞろでありながら、心ここにあらず。 ぼーっとしていたかと思えば、そわそわし始める。
今日のアイシェリアがとても挙動不審だったという自覚はある。
フレイディアに言われたとおりに、先に夕食を済ませたし、ネグリジェだって吟味に吟味を重ねて選んだ。
お風呂だっていつもより時間をかけて入ったし、頭の天辺から足のつま先までぴかぴかにした。
叔父が余計な気を回して持たせてくれた香油の使い時も今だと思った。
そうして、客室に逃げることなく、アイシェリアは夫婦の寝室のベッドの中に入った。
アイシェリアは浮かれていた。 尚且つ、派手に緊張もしていた。
こういうことの作法も知らない。
女教師には、相手に任せておけばいいということ以外教えられていないのだ。
とにかく、フレイディアが帰ってくるまでに、フレイディアに全部任せる覚悟をするのが、アイシェリアに今できる唯一にして最大のことだ。
ひとまず、ベッドに横になろう。
お腹の上で手を組んで、深く呼吸を繰り返す。
目を閉じて、迷走…したいがそちらではなく、瞑想する。 そうすれば、自然と落ち着くはずだ。
意識して、深く、呼吸をしていると、なんだか眠くなってきたような気がする。
でも、眠るわけにはいかない…と思うと余計に眠くなるのはどうしてだろう。
アイシェリアがうつらうつらしていたときだ。
「…まさか、眠っている?」
急に聞こえた声に、アイシェリアはビクリとし、覚醒した。
間近に覗き込んでいたのは、シャツとスラックス姿のフレイディアだった。
なんとなく、アイシェリアがうつらうつら――断じて眠りこけていたわけではない――している間に、フレイディアは帰ってきて、入浴を済ませたのだろうと思った。
アイシェリアは慌てて上半身を起こして、首を横に振る。
「いえ、気持ちを落ち着けていただけです」
アイシェリアが言うと、フレイディアはそのエメラルドグリーンの瞳を甘く細めて安堵したように微笑む。
「…ありがとう、ここで、待っていてくれて」
フレイディアは、アイシェリアが座っているベッドにそっと腰掛けた。
きし、と小さくベッドが軋んだ。 それだけではなく、アイシェリアの身体のすぐ脇のベッドが沈む。
途端、眠ってしまう直前まで落ち着いていた心臓が、どっと音を立て始めた。
落ちてくる影に、昨夜のことを思い出したアイシェリアは、気づけば声を上げていた。
「ひとつ、お願いがあります!」
意図したよりも大きな声が出た。
驚いたのはアイシェリアだけではなく、フレイディアもだったようだ。
フレイディアはどちらかと言えば、怪訝そうな顔をして、アイシェリアを見つめている。
「…どうぞ?」
促されたアイシェリアは、一つ呼吸をして、口を開く。
「…乱暴なのは、いやです。 わたくし、初めて、ですから…」
目は合わせられなかった。 そっと目を伏せて言った言葉は、自然と尻すぼみになる。
すぐに、フレイディアはアイシェリアに触れてくるだろうと思っていたのだが、フレイディアが触れてくる気配がない。
だから、アイシェリアは待っていられなくて、そっと窺い見るように視線を上げる。
ドキリ、と緊張ではなく、心臓が跳ねた。
フレイディアが、これ以上ないくらいに真剣な表情をして、真摯な眼差しをアイシェリアに向けてくれていたからだ。
「…もう、これ以上ないくらいに、優しくすると誓う」
どうしてだろう。
まだ、触れられてもいないのに。
泣きたくなった。
そんなアイシェリアを、フレイディアは、請うように見つめてくる。
じっと見つめてくるフレイディアの唇が、そっと動いた。
「…触れても?」
零れたのは、甘く、誘うような音。
なのに、フレイディアは動かない。
だから、アイシェリアは何となくだが察した。
きっと彼は、アイシェリアが許可を出さない限り、アイシェリアには触れてこないだろう。
昨夜、彼がアイシェリアにしたことを、心から悔いているから、こそ。
全身が心臓になったみたいだ。
けれど、アイシェリアは精一杯微笑んで、ベッドに置かれているフレイディアの手に手を重ねて、じっとフレイディアを見つめる。
「…夫あなた以外の誰が、わたくしに触れるというの」
「…仰せのままに」
何を、どう、満足したのかはわからなかったが、フレイディアがアイシェリアの返答に満足したのはわかった。 だが、アイシェリアはフレイディアの応答が気に入らない。
若干機嫌を損ねたアイシェリアは、拗ねたままで不満を口にする。
「その言葉は、適切ではないと思います。 わたくしは、もう、陛下の妃ではありませんし、実家の家柄では貴方の方が上位のはずです」
アイシェリアは、本来ならハルヴェール侯爵家の直系であるフレイディアに、そのように呼ばれる身分を伴わない身だった。
まだ、フレイディアに愛されているという自覚を、そこまで持てないからだろうか。
彼の言う、アイシェリアに殊更に敬意を示すような言葉は、皇帝の元妃であるアイシェリアを見ているように感じてしまう。
ふ、と笑う音が聞こえて、アイシェリアはフレイディアを見る。
フレイディアは、笑っていた。
「貴女と性差についての議論をするつもりはないけれど…。 個人的な見解では、女性は偉大だと思っているよ。 …未来に血を繋げるのは、女性だけだ」
だから、素直に敬意を示している、それだけだとフレイディアは告げる。
可愛くないのは重々承知だが、アイシェリアはフレイディアに反論していた。
「けれど、それも女性だけでは叶わないことです」
言った後で、アイシェリアはハッとする。
フレイディアが微笑んでいたからだ。
まるで、アイシェリアがそう返答することがわかっていたような顔だ。 そう思った。
今日のアイシェリアがとても挙動不審だったという自覚はある。
フレイディアに言われたとおりに、先に夕食を済ませたし、ネグリジェだって吟味に吟味を重ねて選んだ。
お風呂だっていつもより時間をかけて入ったし、頭の天辺から足のつま先までぴかぴかにした。
叔父が余計な気を回して持たせてくれた香油の使い時も今だと思った。
そうして、客室に逃げることなく、アイシェリアは夫婦の寝室のベッドの中に入った。
アイシェリアは浮かれていた。 尚且つ、派手に緊張もしていた。
こういうことの作法も知らない。
女教師には、相手に任せておけばいいということ以外教えられていないのだ。
とにかく、フレイディアが帰ってくるまでに、フレイディアに全部任せる覚悟をするのが、アイシェリアに今できる唯一にして最大のことだ。
ひとまず、ベッドに横になろう。
お腹の上で手を組んで、深く呼吸を繰り返す。
目を閉じて、迷走…したいがそちらではなく、瞑想する。 そうすれば、自然と落ち着くはずだ。
意識して、深く、呼吸をしていると、なんだか眠くなってきたような気がする。
でも、眠るわけにはいかない…と思うと余計に眠くなるのはどうしてだろう。
アイシェリアがうつらうつらしていたときだ。
「…まさか、眠っている?」
急に聞こえた声に、アイシェリアはビクリとし、覚醒した。
間近に覗き込んでいたのは、シャツとスラックス姿のフレイディアだった。
なんとなく、アイシェリアがうつらうつら――断じて眠りこけていたわけではない――している間に、フレイディアは帰ってきて、入浴を済ませたのだろうと思った。
アイシェリアは慌てて上半身を起こして、首を横に振る。
「いえ、気持ちを落ち着けていただけです」
アイシェリアが言うと、フレイディアはそのエメラルドグリーンの瞳を甘く細めて安堵したように微笑む。
「…ありがとう、ここで、待っていてくれて」
フレイディアは、アイシェリアが座っているベッドにそっと腰掛けた。
きし、と小さくベッドが軋んだ。 それだけではなく、アイシェリアの身体のすぐ脇のベッドが沈む。
途端、眠ってしまう直前まで落ち着いていた心臓が、どっと音を立て始めた。
落ちてくる影に、昨夜のことを思い出したアイシェリアは、気づけば声を上げていた。
「ひとつ、お願いがあります!」
意図したよりも大きな声が出た。
驚いたのはアイシェリアだけではなく、フレイディアもだったようだ。
フレイディアはどちらかと言えば、怪訝そうな顔をして、アイシェリアを見つめている。
「…どうぞ?」
促されたアイシェリアは、一つ呼吸をして、口を開く。
「…乱暴なのは、いやです。 わたくし、初めて、ですから…」
目は合わせられなかった。 そっと目を伏せて言った言葉は、自然と尻すぼみになる。
すぐに、フレイディアはアイシェリアに触れてくるだろうと思っていたのだが、フレイディアが触れてくる気配がない。
だから、アイシェリアは待っていられなくて、そっと窺い見るように視線を上げる。
ドキリ、と緊張ではなく、心臓が跳ねた。
フレイディアが、これ以上ないくらいに真剣な表情をして、真摯な眼差しをアイシェリアに向けてくれていたからだ。
「…もう、これ以上ないくらいに、優しくすると誓う」
どうしてだろう。
まだ、触れられてもいないのに。
泣きたくなった。
そんなアイシェリアを、フレイディアは、請うように見つめてくる。
じっと見つめてくるフレイディアの唇が、そっと動いた。
「…触れても?」
零れたのは、甘く、誘うような音。
なのに、フレイディアは動かない。
だから、アイシェリアは何となくだが察した。
きっと彼は、アイシェリアが許可を出さない限り、アイシェリアには触れてこないだろう。
昨夜、彼がアイシェリアにしたことを、心から悔いているから、こそ。
全身が心臓になったみたいだ。
けれど、アイシェリアは精一杯微笑んで、ベッドに置かれているフレイディアの手に手を重ねて、じっとフレイディアを見つめる。
「…夫あなた以外の誰が、わたくしに触れるというの」
「…仰せのままに」
何を、どう、満足したのかはわからなかったが、フレイディアがアイシェリアの返答に満足したのはわかった。 だが、アイシェリアはフレイディアの応答が気に入らない。
若干機嫌を損ねたアイシェリアは、拗ねたままで不満を口にする。
「その言葉は、適切ではないと思います。 わたくしは、もう、陛下の妃ではありませんし、実家の家柄では貴方の方が上位のはずです」
アイシェリアは、本来ならハルヴェール侯爵家の直系であるフレイディアに、そのように呼ばれる身分を伴わない身だった。
まだ、フレイディアに愛されているという自覚を、そこまで持てないからだろうか。
彼の言う、アイシェリアに殊更に敬意を示すような言葉は、皇帝の元妃であるアイシェリアを見ているように感じてしまう。
ふ、と笑う音が聞こえて、アイシェリアはフレイディアを見る。
フレイディアは、笑っていた。
「貴女と性差についての議論をするつもりはないけれど…。 個人的な見解では、女性は偉大だと思っているよ。 …未来に血を繋げるのは、女性だけだ」
だから、素直に敬意を示している、それだけだとフレイディアは告げる。
可愛くないのは重々承知だが、アイシェリアはフレイディアに反論していた。
「けれど、それも女性だけでは叶わないことです」
言った後で、アイシェリアはハッとする。
フレイディアが微笑んでいたからだ。
まるで、アイシェリアがそう返答することがわかっていたような顔だ。 そう思った。
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