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【補完】魔女の館
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まだ、信じられない。
どうして、信じることができようか。
愛したひとが、この世で最も大切なひとが、もういないなんて。
窓際に置いた椅子に腰かけて、ぼんやりと窓の外を見つめる。
ずっと、夢の中にいるようで、現実味がない。
世界は、こんなに色褪せて、靄がかっていただろうか。
音だって、何か膜が張ったように不鮮明だ。
「グラーニア、せめて、君の援助をさせてほしい。 きっと、ディルムッドもそれを望んでいる」
聞こえた声に、盛大に顔をしかめる。
こんな男の声、いっそ聞こえなくなればいいのに。
それに、口にしている内容が、ひどく気に障る。
窓にぼんやりと映る、フィン・マックールの姿を睨みつけつつ、鼻で嗤った。
「貴方、本当に彼のことを、何も理解していませんのね。 何をどうしたらそのような話になるのかしら」
フィン・マックールから、反論は聞こえない。
そのことが、また、神経を逆撫でした。
きっと、この男は、わたくしが指摘したことの意味にも気づいていない。
この男は、本当に、ディルムッド・オディナのことを何もわかっていないのだ。
こんな男と同じ部屋にいて、同じ空気を吸っていることですら我慢ならなくて、立ち上がった。
そして、フィン・マックールを視界に入れないようにしながら、その隣を足早に通り過ぎる。
ひとつだけ、忠告をして。
「彼の望みを酌むのだとすれば、貴方はわたくしから離れるべきよ」
忠告は、親切心からではない。
わたくしの方が、ディルムッドのことを理解していた。
わたくし以上に、ディルムッド・オディナのことを理解している人間はいないと言いたかった。
そのことを、この男に思い知らせたかったというのに、返ってきたのはまるで的外れな答えだった。
「ディルムッドは、それほどまでに君を愛していたのか」
苦しそうで呻くような声に、思わず目を見張って足を止めてしまう。
男の言葉こそ理解ができなくて、見るまいと思っていた男を振り返って、嗤った。
「…愛?」
声は引きつっていたし、表情も引きつっていたかもしれない。
フィン・マックールの表情は、痛ましげで、苦しげで、悔恨に満ちていた。
だというのに、仄暗い、嫉妬のようなものが見える。
眉間に皺を刻み、男を睨みつけた。
この男は、わたくしのことを好きなわけでも、愛しているわけでもない。
わたくしが、ディルムッド・オディナを選んだことで、ディルムッド・オディナに男として負けたと思っているのだ。
そのことを、未だ、根に持っている。
そして、全くわかっていない。
どこをどうしたら、ディルムッド・オディナが、わたくしを愛していたという話になるのだろう。
だから、わたくしは、この男の妻にだけはなりたくなかったのだ。
自分が手にしている幸せにも気づかずに、自分は恵まれないと嘆いている、この男が、とてつもなく不愉快だった。
わたくしにも、女のプライドがある。
だから、そのことには触れずに、わたくしのことだけを、告げる。
「ええ、わたくしは彼を心の底から愛しておりましたわ」
告げて、足を踏み出した。
どうして、愛した男が何よりも大切にする男の妻になど収まらねばならないのか。
愛した男が、わたくしには見向きもせずに、ほかの男に夢中になっている様を、どうして一番近くで見ていなければならないのか。
もしそうなっていたら、恐らくわたくしは、フィン・マックールの寝首を掻くか、毒を盛るかしていただろう。
禁忌で縛った上でのことだが、わたくしがこの世で最も愛した男は、わたくしを連れてフィン・マックールの元から逃げてくれた。
だから、わたくしは、フィン・マックールの寝首を掻かずに済んだし、毒だって盛らずにいられた。
彼のおかげで、破滅は訪れなかった。
でも、もう、この世のどこを探しても、ディルムッド・オディナはいないのだ。
わたくしが、生きている意味って、何なのかしら。
彼は、もう、この世にいないのに。
どうして、わたくしは生きているのかしら。
こんなことならば、自らに、「貴方が命を落としたとき、わたくしも命を終えます」という禁忌でも課しておけばよかった。
そう思いつつ、わたくしは生きるのだ。
彼のいない、この世界で。
彼との思い出の詰まった、この館で。
どうして、信じることができようか。
愛したひとが、この世で最も大切なひとが、もういないなんて。
窓際に置いた椅子に腰かけて、ぼんやりと窓の外を見つめる。
ずっと、夢の中にいるようで、現実味がない。
世界は、こんなに色褪せて、靄がかっていただろうか。
音だって、何か膜が張ったように不鮮明だ。
「グラーニア、せめて、君の援助をさせてほしい。 きっと、ディルムッドもそれを望んでいる」
聞こえた声に、盛大に顔をしかめる。
こんな男の声、いっそ聞こえなくなればいいのに。
それに、口にしている内容が、ひどく気に障る。
窓にぼんやりと映る、フィン・マックールの姿を睨みつけつつ、鼻で嗤った。
「貴方、本当に彼のことを、何も理解していませんのね。 何をどうしたらそのような話になるのかしら」
フィン・マックールから、反論は聞こえない。
そのことが、また、神経を逆撫でした。
きっと、この男は、わたくしが指摘したことの意味にも気づいていない。
この男は、本当に、ディルムッド・オディナのことを何もわかっていないのだ。
こんな男と同じ部屋にいて、同じ空気を吸っていることですら我慢ならなくて、立ち上がった。
そして、フィン・マックールを視界に入れないようにしながら、その隣を足早に通り過ぎる。
ひとつだけ、忠告をして。
「彼の望みを酌むのだとすれば、貴方はわたくしから離れるべきよ」
忠告は、親切心からではない。
わたくしの方が、ディルムッドのことを理解していた。
わたくし以上に、ディルムッド・オディナのことを理解している人間はいないと言いたかった。
そのことを、この男に思い知らせたかったというのに、返ってきたのはまるで的外れな答えだった。
「ディルムッドは、それほどまでに君を愛していたのか」
苦しそうで呻くような声に、思わず目を見張って足を止めてしまう。
男の言葉こそ理解ができなくて、見るまいと思っていた男を振り返って、嗤った。
「…愛?」
声は引きつっていたし、表情も引きつっていたかもしれない。
フィン・マックールの表情は、痛ましげで、苦しげで、悔恨に満ちていた。
だというのに、仄暗い、嫉妬のようなものが見える。
眉間に皺を刻み、男を睨みつけた。
この男は、わたくしのことを好きなわけでも、愛しているわけでもない。
わたくしが、ディルムッド・オディナを選んだことで、ディルムッド・オディナに男として負けたと思っているのだ。
そのことを、未だ、根に持っている。
そして、全くわかっていない。
どこをどうしたら、ディルムッド・オディナが、わたくしを愛していたという話になるのだろう。
だから、わたくしは、この男の妻にだけはなりたくなかったのだ。
自分が手にしている幸せにも気づかずに、自分は恵まれないと嘆いている、この男が、とてつもなく不愉快だった。
わたくしにも、女のプライドがある。
だから、そのことには触れずに、わたくしのことだけを、告げる。
「ええ、わたくしは彼を心の底から愛しておりましたわ」
告げて、足を踏み出した。
どうして、愛した男が何よりも大切にする男の妻になど収まらねばならないのか。
愛した男が、わたくしには見向きもせずに、ほかの男に夢中になっている様を、どうして一番近くで見ていなければならないのか。
もしそうなっていたら、恐らくわたくしは、フィン・マックールの寝首を掻くか、毒を盛るかしていただろう。
禁忌で縛った上でのことだが、わたくしがこの世で最も愛した男は、わたくしを連れてフィン・マックールの元から逃げてくれた。
だから、わたくしは、フィン・マックールの寝首を掻かずに済んだし、毒だって盛らずにいられた。
彼のおかげで、破滅は訪れなかった。
でも、もう、この世のどこを探しても、ディルムッド・オディナはいないのだ。
わたくしが、生きている意味って、何なのかしら。
彼は、もう、この世にいないのに。
どうして、わたくしは生きているのかしら。
こんなことならば、自らに、「貴方が命を落としたとき、わたくしも命を終えます」という禁忌でも課しておけばよかった。
そう思いつつ、わたくしは生きるのだ。
彼のいない、この世界で。
彼との思い出の詰まった、この館で。
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