ディルムッド悲恋譚

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8.魔女の呪縛

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 それに、この女は、自分だから選んだわけではない。
 いや、自分ディルムッドだから選んだのだと言われても、どうして頷くことができようか。
 自分は、この女に何の思い入れも甘ったるい感情もない。


 だから、無理だ。


 それを、言葉にしようとしたときだった。
 また、女が薄く笑んだ。


「では、禁忌ゲッシュを立てましょう」


 ぞわっと、背筋を何か冷たいものが駆けた。
 この禁忌を口にさせてはいけない、と本能が警鐘を鳴らしている。


 止めなければ。
 だが、どうやって?


 口を塞ぐか、気絶させるか。
 迷った一瞬が、命取りだった。



「ディルムッド・オディナ。 貴方がわたくしを連れて逃げなければ、破滅が訪れるわ」



 女が何を、禁忌としたのか、すぐには理解できなかった。
 薄く微笑んでいる女が、勝ち誇ったように笑っているように見えるのはなぜだろう。
 なんだか、とんでもない禁忌を立てられた、それだけはわかった。


「…それは、誰に?」
 耳に届いたのが自分の声で、それで女に向けて問いを放ったことを知った。


 これは、夢だろうか。 夢だったらいい。
 そんな風に考える自分の目の前で、女は左手の甲で右肘を支え、右手の甲を口元に当てて楽しそうに目を細める。


「誰かしら。 わたくしかもしれない。 貴方かもしれない。 …わたくしでも、貴方でもない、全く、別の、誰か、かも」


 全く、別の、誰か。
 その、脅迫としか受け取れない言葉に、愕然とした。


 …やられた。


 もしも、この場で自分が断れば、自分のせいで、誰かが破滅する。
 自分やこの女なら、構わない。


 だが、本当に、全く、別の、誰か、だったら?


 自分を見上げたまま、目を細める女に、暴力的な衝動が沸き上がりそうになる。
 どうして、そんな身勝手で利己的な禁忌を立てようなどと思いつくのだろう。
 この女は、自分の望みや欲求のためならば、ほかの何を、誰を、犠牲にすることも厭わない。
 危険な存在だ。


 この女を、このまま彼の方の傍に置いておくわけにはいかない。
 例えば、自分がこの場で断り、自分が破滅した場合に、この女は恐らくまた別の男をそそのかそうとするだろう。
 もしかしたら、自分にしたのと同じか、それ以上に卑怯で汚い手段を用い、アシーンやフィアナ騎士団の仲間を意のままにしようとするかもしれない。



 ぎゅっと目を瞑り、奥歯を噛みしめる。
 手のひらに血が滲むほどに、拳を握りしめた。


 思うことは、多々ある。
 けれど、今、自分が守りたいものを守るために、自分ができることは、何か?


 そう考えたら、答えなどひとつだった。
 例え、上司の婚約者を奪って逃げた男だと汚名を着せられ、そしられようと。
 何よりも大切な貴方に、侮蔑され、二度と会うことが叶わなくても。
 この女を、このままここに置いてはならない。


 目を見開いて、真正面から女の目を睨みつける。
 視線でこの女の息の根を止めることができたらいいのに、と願いながら。



「…要求を呑もう。 だが、自分には何も期待するな」



 女を連れて逃げてやる、とは言えなかった。
 それは、自分が捉えている物語ではないのだから。
 自分にとっての、精一杯の抵抗だった。


 愛剣と愛槍を持ち出すべく、女に背を向けた自分は、女が笑んだことに気づかなかった。
 甘かったのだ。
 この女は間違いなく、魔女だったというのに。


 後から思えば、あんなものは、禁忌ゲッシュでも誓約でもなかったのだ。
 自分にとっては、呪縛と呼ぶに相応しく。
 死ぬまで、自由になることなど、許されないのだと。

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