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7.黒子の呪縛
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できるだけ厳しい表情と、硬い声で告げたつもりだったのだが、女は瞳を輝かせた後で両手の指先同士を胸の前で合わせ、うっとりと微笑む。
「ええ、それは素晴らしい提案だわ」
嫌な、予感がした。
胸が、騒ぐ。
その理由も、本当は、自分はわかっているのだ。
考えたくもないだけで。
この女が、夫となる相手の息子――アシーンを唆そうとしているところを目撃した。
だが、アシーンはそれを、やんわりと、だが、きっぱりと断り、女の望みは叶わなかった。
それだけならば、まだ、いい。
自分の嫌な予感が、当たらなければいい。
ふわふわと、現実味がなく、浮き沈みするような足取りで、女が近づいてくる。
この女が、アシーンへの恋に焦がれ、どうしようもないくらいに愛し、求めて、アシーンに迫ったのならば、まだいい。
だが、例えば、相手が誰でも構わないのならば?
甘ったるい香りに呼吸を止めたとき、女は丁度自分の目の前に来て向き直り、ジッと自分を見つめた。
「ねぇ、ディルムッド。 わたくしを連れて、逃げてはくださらない?」
薄く微笑んだままで紡がれる音に、吐き気が催してくる。
最悪の予感が、当たってしまった。
この女は、アシーンが駄目なら、自分でも全く構わないのだ。
それは即ち、この女のお眼鏡に適うのなら、相手は誰でも構わないということ。
彼の方――…フィン・マックールの妻になることが、どうしても嫌だということだ。
奥歯をぎりりと噛みしめ、ぐっと腹に力を入れて、数を数える。
怒りと嫌悪感をやりすごしたあと、ようやくのことで口を開くことができた。
「…よいですか」
不自然なほどに強張った声が唇から発されたが、致し方ない。
女に厳しい目を向けながら、続ける。
「貴女はマックール夫人となる方です。 その責務を放棄してはなりません。 貴女には、貴女の為すべきことがある」
諭した、つもりだった。
女はぱちぱちと目を瞬かせると、わずかに眉根を寄せる。
納得がいかない、という顔だと思うが、そんな顔をされる意味がわからない。
わからない、と思っていたが、女がそう考える理由を、すぐに知ることとなる。
「…わたくしを魅了したのは貴方なのに?」
目を見張り、呼吸を止めて、咄嗟に自分の顔の右半分を、右手で覆っていた。
黒子のある右頬を。
心臓を刺された、とは思わなかった。
ただ、自分の中の、一番弱い部分を突かれた、と思った。
女は、責めるような目で見つめ、詰るような口調で言葉を紡ぐ。
凡て、お前のせいなのに。
そんな風に言われている気分になって、首を振った。
「自分が望んだことはありません」
…それに、この女が油断ならない人物だということを、自分は学習した。
本当に、黒子に宿る力に魅了されているのかどうかも、怪しいものだと思う。
この女が言っているのは、女の立場を優位にし、有利に事を運び、他者を意のままに操ろうとせんがためのことだ。
「ええ、それは素晴らしい提案だわ」
嫌な、予感がした。
胸が、騒ぐ。
その理由も、本当は、自分はわかっているのだ。
考えたくもないだけで。
この女が、夫となる相手の息子――アシーンを唆そうとしているところを目撃した。
だが、アシーンはそれを、やんわりと、だが、きっぱりと断り、女の望みは叶わなかった。
それだけならば、まだ、いい。
自分の嫌な予感が、当たらなければいい。
ふわふわと、現実味がなく、浮き沈みするような足取りで、女が近づいてくる。
この女が、アシーンへの恋に焦がれ、どうしようもないくらいに愛し、求めて、アシーンに迫ったのならば、まだいい。
だが、例えば、相手が誰でも構わないのならば?
甘ったるい香りに呼吸を止めたとき、女は丁度自分の目の前に来て向き直り、ジッと自分を見つめた。
「ねぇ、ディルムッド。 わたくしを連れて、逃げてはくださらない?」
薄く微笑んだままで紡がれる音に、吐き気が催してくる。
最悪の予感が、当たってしまった。
この女は、アシーンが駄目なら、自分でも全く構わないのだ。
それは即ち、この女のお眼鏡に適うのなら、相手は誰でも構わないということ。
彼の方――…フィン・マックールの妻になることが、どうしても嫌だということだ。
奥歯をぎりりと噛みしめ、ぐっと腹に力を入れて、数を数える。
怒りと嫌悪感をやりすごしたあと、ようやくのことで口を開くことができた。
「…よいですか」
不自然なほどに強張った声が唇から発されたが、致し方ない。
女に厳しい目を向けながら、続ける。
「貴女はマックール夫人となる方です。 その責務を放棄してはなりません。 貴女には、貴女の為すべきことがある」
諭した、つもりだった。
女はぱちぱちと目を瞬かせると、わずかに眉根を寄せる。
納得がいかない、という顔だと思うが、そんな顔をされる意味がわからない。
わからない、と思っていたが、女がそう考える理由を、すぐに知ることとなる。
「…わたくしを魅了したのは貴方なのに?」
目を見張り、呼吸を止めて、咄嗟に自分の顔の右半分を、右手で覆っていた。
黒子のある右頬を。
心臓を刺された、とは思わなかった。
ただ、自分の中の、一番弱い部分を突かれた、と思った。
女は、責めるような目で見つめ、詰るような口調で言葉を紡ぐ。
凡て、お前のせいなのに。
そんな風に言われている気分になって、首を振った。
「自分が望んだことはありません」
…それに、この女が油断ならない人物だということを、自分は学習した。
本当に、黒子に宿る力に魅了されているのかどうかも、怪しいものだと思う。
この女が言っているのは、女の立場を優位にし、有利に事を運び、他者を意のままに操ろうとせんがためのことだ。
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