【R18】石に花咲く

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石に咲いた花は

新しい命

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「シィーファさん、貴女に言っておかなければならないことがあるの」

 夫――ラディスの母に、彼女の部屋に呼び出されたシィーファは、彼女の座る対面のソファに座って、がちがちに身構えていた。
 だって、お義母様とは、一日三度の食事の時に顔を合わせている。
 無言で食事をしなければならないような決まりはなく、いつも楽しく会話をしながら食事をしているのだ。


 だから、今、お義母様がわざわざシィーファを呼び出したということは、皆の前では言いにくい話、もしくは、先にシィーファに言っておかねばならないような話だと察しがつく。
 ラディスの前では、言えないような話、なのだろうか。
 例えば、「やっぱりラディスに貴女は相応しくない」とでもいうような?

 ああ、具合が悪くなってきた。
 呼吸が上手にできないし、心臓が痛い。

 例えば、お義母様に、ラディスに相応しくないと思われていたとしても、シィーファはラディスと一緒にいたいのだ。
 身を縮ませながら、じっと、お義母様を見つめる。
 お義母様は、シィーファとは対照的に、視線を斜め右下に逃がすようにしながら、ゆっくりと唇を動かした。


「…わたくし、その………。 身籠った、ようで」
 お義母様は、言いにくそうにしながら、そう口にした。


 シィーファは、数度目を瞬かせてしまった。
 お義母様の言葉と態度が、一致していなかったので、情報を処理するのに少し時間がかかったのだ。


「! おめでとうございます」


 それ以外の言葉が、シィーファの口から出ようがないのだが、お義母様はおそるおそる、とでも言うように、シィーファに視線を戻す。
「…祝福して、くれるのですか?」


 まるで、何か別の反応を、シィーファが返すことを想定に入れていたような様子だった。
 もしかすると、妊娠できないシィーファが、お義母様の妊娠を、妬むような?
 そんなことは、ありえない、とシィーファは前のめりになる。
「もちろんです。 本当に、よかっ…」


 だが、気持ちを伝える途中で、ぼろっ…っと目から涙が溢れた。
 それを見て、お義母様は再び視線を落とし、申し訳なさそうな顔になってしまう。
「…ごめんなさいね」


 ご懐妊、なんて、喜ばしいことなのに、そんな申し訳なさそうな表情で、申し訳なさそうに言わせてしまって、シィーファは慌ててしまった。
 左手で、思わず零れた涙を拭いながら、右手を横に振る。
「あの、誤解、です。 そんなこと、仰らないでください。 わたし、ほっとしたんです」
「…?」
 訝しげな表情のお義母様が顔を上げられて、今日初めて、シィーファを真っ直ぐに見てくれた。


 だから、シィーファは、胸に秘めておこうと思った考えを、口にする気になったのだと思う。
 お義母様には、お義母様のお腹に宿った新しい命が、祝福されていることをわかってほしくて。


「わたしが、ラディスの妻になったせいで、ラディスは、子どもを得られない。 公爵家の血だって、途絶えてしまうかもしれない。 そう、思っていました」


 ずっと、そのことが、シィーファの胸につかえて、取れなかったのだと、思う。
 ラディスは、何もかもわかった上で、それでもシィーファを妻にしたいと言ってくれた。
 きっとラディスは、公爵家の跡継ぎなんて親類連中から選べばいい、くらいの考えでいるのだ。


 ラディスがそう思ってくれるのなら、それでもいいのかもしれない、と考えるようにしていた。
 でも、それでいいと思っているわけではなかったのだ。


「だから、肩の荷が、下りた気分です」
 ぽろり、と本音が、唇から零れた。

 同じ、女である、お義母様の前だから、言えたのだと思う。
 ラディスの前では、絶対に、口に出せない言葉だ。


「最悪、ラディスと、お別れしなければならないかもしれない、とも思っていました」
「そんなこと、ラウは望みませんよ」
 シィーファが、眉を下げつつ無理矢理に笑えば、即座にお義母様は否定してくれる。
 シィーファだってもちろんそう思っているけれど、それをほかの誰かに肯定してもらえるのは、嬉しいことだ。


「はい。 でも、そんなことも、時折、考えたりしていたので…。 ラディスと、お別れしなくて済んで、すごく嬉しいです。 ありがとうございます、お義母様」
 シィーファは、微笑む。


 お義母様に新しい命が宿ったことも嬉しければ、公爵家の血を途絶えさせずに済んだことも、嬉しい。
 でも、一番嬉しいのは、ラディスとこの先ずっと一緒にいられる可能性が高まったこと。
 それくらいに、シィーファのなかでラディスの存在は大きいものになっていたし、シィーファはラディスが大好きだ。



*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○



 母が懐妊した、という喜ばしいニュースを持ってきたウーアが、なぜか平身低頭――所謂土下座だ――しているところを、ラディスは見下ろしていた。


「首を刎ねるなり、八つ裂きにするなり、好きにしていただけたらと…!」
「いつの時代の刑罰の話をしているの? おめでたいことじゃないか、おめでとう」
 まずは立とう、とラディスはウーアの腕の付け根あたりを掴んで引くようにする。
 一応、上体を起こしてはくれたものの、ウーアは膝をついたまま立ちあがらない。
 まるで武士のようだな、と苦笑いするラディスの後方で、執務机に腰かけたままの祖父は目頭を押さえている。
「ああ…、曾孫ができたような気分だな」


 まあ、確かに、曾孫と言っても差し支えない年の差だろう、とラディスは思う。
 ラディスはつい最近二十歳になったばかりだが、子どもを持っていてもおかしくない年ではある。
 つまりは、祖父にとっては曾孫と言っても問題ない。


 うんうん、と頷くラディスの足元で、困惑したようなウーアの声がする。
「旦那様も、若旦那様も、それでよろしいので…?」
 見れば、ウーアの表情も困惑しており、ラディスもつられてきょとんとしてしまった。
「爵位を巡る骨肉の争いが生じなくて済みそうで、安心しているけれど?」


 ラディスに子はいないし、今後できる予定もない。
 祖父が亡くなった後の爵位は、ラディスに渡る予定ではあるが、その後の爵位の行き先の見通しは、完全に不透明だった。

 母とウーアの子なら、きっと優秀だろうから、例えば目の色、髪の色がウーアの方に近かったとしても、爵位を譲るのに不足はないだろう。
 もしも、うるさく言うような輩がいたら、ラディスが黙らせればいいだけだ。
 それには、祖父に勝るとも劣らないくらいの力をつけなければならない。


 そんな風に考えるラディスの後方で、祖父がぽそりと爆弾を落とす。
「私は、最悪私の代で爵位を返上することも考えていた」


「そうだったのですか?」
 驚きのあまり、ラディスは声をひっくり返しそうになりつつ、祖父を振り返る。
 ラディスの王位継承権放棄問題のときに、ラディスのことを【次期ヴァルハール公爵】だと言って、周囲を黙らせたのは祖父だった。
なのに、祖父は、爵位の返上を考えていたと?


 祖父は、ラディスの視線を受け止めるでもなく、独白のように呟く。
「神に背く行為をし、神の怒りを買ったのなら、甘んじて受けるべきだ」


 静かな声は、ラディスの中に落ちて、ラディスを納得させた。
 祖父は、ラディスの妻であるシィーファに、負い目がある。


 シィーファは気にしていないようだし、そのシィーファがラディスの妻となって、恙なく暮らしていることで、その負い目はなくなったものと思っていたのだが…。
 どうやら根の部分は、まだ祖父の中に残っているらしい。
 神の怒りなど買っていませんよ、と言う代わりに、ラディスは別のことを口にした。
「母上には、健やかな子どもを産んでもらうように、安静にしてもらわないと」


 ラディスには、真の意味で祖父やシィーファの不安を取り除けるのは、生まれてくる子ども以外にいないように思えたのだ。
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