【R18】石に花咲く

環名

文字の大きさ
上 下
58 / 65
石に咲いた花は

新しい命

しおりを挟む
「シィーファさん、貴女に言っておかなければならないことがあるの」

 夫――ラディスの母に、彼女の部屋に呼び出されたシィーファは、彼女の座る対面のソファに座って、がちがちに身構えていた。
 だって、お義母様とは、一日三度の食事の時に顔を合わせている。
 無言で食事をしなければならないような決まりはなく、いつも楽しく会話をしながら食事をしているのだ。


 だから、今、お義母様がわざわざシィーファを呼び出したということは、皆の前では言いにくい話、もしくは、先にシィーファに言っておかねばならないような話だと察しがつく。
 ラディスの前では、言えないような話、なのだろうか。
 例えば、「やっぱりラディスに貴女は相応しくない」とでもいうような?

 ああ、具合が悪くなってきた。
 呼吸が上手にできないし、心臓が痛い。

 例えば、お義母様に、ラディスに相応しくないと思われていたとしても、シィーファはラディスと一緒にいたいのだ。
 身を縮ませながら、じっと、お義母様を見つめる。
 お義母様は、シィーファとは対照的に、視線を斜め右下に逃がすようにしながら、ゆっくりと唇を動かした。


「…わたくし、その………。 身籠った、ようで」
 お義母様は、言いにくそうにしながら、そう口にした。


 シィーファは、数度目を瞬かせてしまった。
 お義母様の言葉と態度が、一致していなかったので、情報を処理するのに少し時間がかかったのだ。


「! おめでとうございます」


 それ以外の言葉が、シィーファの口から出ようがないのだが、お義母様はおそるおそる、とでも言うように、シィーファに視線を戻す。
「…祝福して、くれるのですか?」


 まるで、何か別の反応を、シィーファが返すことを想定に入れていたような様子だった。
 もしかすると、妊娠できないシィーファが、お義母様の妊娠を、妬むような?
 そんなことは、ありえない、とシィーファは前のめりになる。
「もちろんです。 本当に、よかっ…」


 だが、気持ちを伝える途中で、ぼろっ…っと目から涙が溢れた。
 それを見て、お義母様は再び視線を落とし、申し訳なさそうな顔になってしまう。
「…ごめんなさいね」


 ご懐妊、なんて、喜ばしいことなのに、そんな申し訳なさそうな表情で、申し訳なさそうに言わせてしまって、シィーファは慌ててしまった。
 左手で、思わず零れた涙を拭いながら、右手を横に振る。
「あの、誤解、です。 そんなこと、仰らないでください。 わたし、ほっとしたんです」
「…?」
 訝しげな表情のお義母様が顔を上げられて、今日初めて、シィーファを真っ直ぐに見てくれた。


 だから、シィーファは、胸に秘めておこうと思った考えを、口にする気になったのだと思う。
 お義母様には、お義母様のお腹に宿った新しい命が、祝福されていることをわかってほしくて。


「わたしが、ラディスの妻になったせいで、ラディスは、子どもを得られない。 公爵家の血だって、途絶えてしまうかもしれない。 そう、思っていました」


 ずっと、そのことが、シィーファの胸につかえて、取れなかったのだと、思う。
 ラディスは、何もかもわかった上で、それでもシィーファを妻にしたいと言ってくれた。
 きっとラディスは、公爵家の跡継ぎなんて親類連中から選べばいい、くらいの考えでいるのだ。


 ラディスがそう思ってくれるのなら、それでもいいのかもしれない、と考えるようにしていた。
 でも、それでいいと思っているわけではなかったのだ。


「だから、肩の荷が、下りた気分です」
 ぽろり、と本音が、唇から零れた。

 同じ、女である、お義母様の前だから、言えたのだと思う。
 ラディスの前では、絶対に、口に出せない言葉だ。


「最悪、ラディスと、お別れしなければならないかもしれない、とも思っていました」
「そんなこと、ラウは望みませんよ」
 シィーファが、眉を下げつつ無理矢理に笑えば、即座にお義母様は否定してくれる。
 シィーファだってもちろんそう思っているけれど、それをほかの誰かに肯定してもらえるのは、嬉しいことだ。


「はい。 でも、そんなことも、時折、考えたりしていたので…。 ラディスと、お別れしなくて済んで、すごく嬉しいです。 ありがとうございます、お義母様」
 シィーファは、微笑む。


 お義母様に新しい命が宿ったことも嬉しければ、公爵家の血を途絶えさせずに済んだことも、嬉しい。
 でも、一番嬉しいのは、ラディスとこの先ずっと一緒にいられる可能性が高まったこと。
 それくらいに、シィーファのなかでラディスの存在は大きいものになっていたし、シィーファはラディスが大好きだ。



*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○



 母が懐妊した、という喜ばしいニュースを持ってきたウーアが、なぜか平身低頭――所謂土下座だ――しているところを、ラディスは見下ろしていた。


「首を刎ねるなり、八つ裂きにするなり、好きにしていただけたらと…!」
「いつの時代の刑罰の話をしているの? おめでたいことじゃないか、おめでとう」
 まずは立とう、とラディスはウーアの腕の付け根あたりを掴んで引くようにする。
 一応、上体を起こしてはくれたものの、ウーアは膝をついたまま立ちあがらない。
 まるで武士のようだな、と苦笑いするラディスの後方で、執務机に腰かけたままの祖父は目頭を押さえている。
「ああ…、曾孫ができたような気分だな」


 まあ、確かに、曾孫と言っても差し支えない年の差だろう、とラディスは思う。
 ラディスはつい最近二十歳になったばかりだが、子どもを持っていてもおかしくない年ではある。
 つまりは、祖父にとっては曾孫と言っても問題ない。


 うんうん、と頷くラディスの足元で、困惑したようなウーアの声がする。
「旦那様も、若旦那様も、それでよろしいので…?」
 見れば、ウーアの表情も困惑しており、ラディスもつられてきょとんとしてしまった。
「爵位を巡る骨肉の争いが生じなくて済みそうで、安心しているけれど?」


 ラディスに子はいないし、今後できる予定もない。
 祖父が亡くなった後の爵位は、ラディスに渡る予定ではあるが、その後の爵位の行き先の見通しは、完全に不透明だった。

 母とウーアの子なら、きっと優秀だろうから、例えば目の色、髪の色がウーアの方に近かったとしても、爵位を譲るのに不足はないだろう。
 もしも、うるさく言うような輩がいたら、ラディスが黙らせればいいだけだ。
 それには、祖父に勝るとも劣らないくらいの力をつけなければならない。


 そんな風に考えるラディスの後方で、祖父がぽそりと爆弾を落とす。
「私は、最悪私の代で爵位を返上することも考えていた」


「そうだったのですか?」
 驚きのあまり、ラディスは声をひっくり返しそうになりつつ、祖父を振り返る。
 ラディスの王位継承権放棄問題のときに、ラディスのことを【次期ヴァルハール公爵】だと言って、周囲を黙らせたのは祖父だった。
なのに、祖父は、爵位の返上を考えていたと?


 祖父は、ラディスの視線を受け止めるでもなく、独白のように呟く。
「神に背く行為をし、神の怒りを買ったのなら、甘んじて受けるべきだ」


 静かな声は、ラディスの中に落ちて、ラディスを納得させた。
 祖父は、ラディスの妻であるシィーファに、負い目がある。


 シィーファは気にしていないようだし、そのシィーファがラディスの妻となって、恙なく暮らしていることで、その負い目はなくなったものと思っていたのだが…。
 どうやら根の部分は、まだ祖父の中に残っているらしい。
 神の怒りなど買っていませんよ、と言う代わりに、ラディスは別のことを口にした。
「母上には、健やかな子どもを産んでもらうように、安静にしてもらわないと」


 ラディスには、真の意味で祖父やシィーファの不安を取り除けるのは、生まれてくる子ども以外にいないように思えたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました

蓮恭
恋愛
 恋人に裏切られ、傷心のヒロイン杏子は勤め先の美容室を去り、人気の老舗美容室に転職する。  そこで真面目に培ってきた技術を買われ、憧れのヘアケアブランドの社長である統一郎の自宅を訪問して施術をする事に……。  しかも統一郎からどうしてもと頼まれたのは、その後の杏子の人生を大きく変えてしまうような事で……⁉︎  杏子は過去の臆病な自分と決別し、統一郎との新しい一歩を踏み出せるのか?   【サクサク読める現代物溺愛系恋愛ストーリーです】

【完結】あわよくば好きになって欲しい(短編集)

野村にれ
恋愛
番(つがい)の物語。 ※短編集となります。時代背景や国が違うこともあります。 ※定期的に番(つがい)の話を書きたくなるのですが、 どうしても溺愛ハッピーエンドにはならないことが多いです。

毎週金曜日、午後9時にホテルで

狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。 同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…? 不定期更新です。 こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

最低な出会いから濃密な愛を知る

あん蜜
恋愛
グレイン伯爵家の次女――私ソフィア・グレインは18歳になっても恋愛に興味がなく、苦手な社交活動もなんとか避けて生きてきた。しかしこのまま生きていけるはずもく、娘の今後を心配した父の計らいによって”お相手探しの会”へ参加する羽目に。しぶしぶ参加した私は、そこで出会ったベン・ブラウニー伯爵令息に強引なアプローチを受けるのだが、第一印象は本当に最悪だった……! これ以上関わりたくないと逃げようとするも、猛烈なアプローチからは逃れられず……――――。

俺様系和服社長の家庭教師になりました。

蝶野ともえ
恋愛
一葉 翠(いつは すい)は、とある高級ブランドの店員。  ある日、常連である和服のイケメン社長に接客を指名されてしまう。  冷泉 色 (れいぜん しき) 高級和食店や呉服屋を国内に展開する大手企業の社長。普段は人当たりが良いが、オフや自分の会社に戻ると一気に俺様になる。  「君に一目惚れした。バックではなく、おまえ自身と取引をさせろ。」  それから気づくと色の家庭教師になることに!?  期間限定の生徒と先生の関係から、お互いに気持ちが変わっていって、、、  俺様社長に翻弄される日々がスタートした。

私の全てを奪ってくれた

うみすけ
恋愛
大好きな人といることで心が安らぐ。そう思い続けていた渡辺まちかは日々それだけを糧に過ごす一般人。少しばかり顔が整っているだけの彼はある日、彼女に振られ、まるで心に穴が空いたように、自分の存在の意味がわからなくなり、全てを投げ出したくなっていた。 そんな彼を救うような、そんなお話。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...