【R18】石に花咲く

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石に咲いた花は

vs母

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 ラディスは、「大丈夫だよ。 私が選んだ貴女を認めないわけがないでしょう?」となぜか自信に満ちていたが、シィーファは移動の間中、気が気でなかった。
 そんなシィーファをラディスは宥めすかして、ラディスのお祖父様――ヴァルハール公爵邸へと連れてきたのである。

 視界に飛び込んできた、ヴァルハール公爵邸は、ものすごいお屋敷だったのだが、どうにも、シィーファの記憶と重ならない。
 シィーファが、馬車の窓からお屋敷を見つめ、瞬きを繰り返していると、ラディスは教えてくれた。
「シィーファが気に病むかな、と思って黙っていたけれど、あのあと、この屋敷の完成を待って越したんだ。 離れを取り壊したくらいでは、祖父の気持ちは治まらなかったんだろうね」
 ラディスの言葉を聞きながら、シィーファはまた瞬きを繰り返してしまった。


「…どうして…」
 たかが、息子の愛人一人のために、そこまでしたのだろう。
 確かに、嫌な事件だったかもしれないが、あの地で暮らしていけないほどとも思えない。
 シィーファとしては、好んであの地で暮らそうとは思わないけれど。


「…単純に、好みだったんだと思うよ」
 さらり、と言ったラディスに、シィーファはまた、目を瞬かせる。
「何がです?」
「何だろう?」
 笑顔ではぐらかしたラディスは、そのままシィーファの手を引いて、お屋敷の中へと誘ったのである。


*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○*:.。..。.:*●*:.。..。.:*○


 そうして、まんまと巣に連れ込まれてしまったシィーファだったが、早速後悔していた。
 屋敷に一歩足を踏み入れるや否や、執事以下数名の使用人の出迎えを受け、なんだかとんでもなく高価そうな客間らしきところに通された。

 何が大丈夫なのか全くわからないが、「大丈夫大丈夫」と言うラディスの横に座り、かちんこちんになっていると、奥様が室内に入って来られたので一度席を立ち、ご挨拶をする。
 席を勧められて、再びソファに腰を落ち着けたのだが、シィーファの目の前に座った奥様は、ふわふわの白い毛のついた扇で口元を隠したまま、じぃぃ~っとシィーファを見つめている。
 大きな濃緑の瞳で凝視されるのが、とてつもなく居心地が悪い。
 心臓が大きな音を立てているし、嫌な汗がじんわりと肌に滲む感じがする。


 膝の上で拳を握って、あと数分沈黙が長引けば、失神するんじゃなかろうか、とシィーファが考え始めたときだ。
 ふぅ、と小さな溜息が聞こえた。


「残念ですねぇ」


 その言葉に、シィーファは凍りついた。
 そう、凍りついたとしか表現できないような状態だった。


「母上」
 隣でラディスが厳しい声を出して、奥様を非難しているが、わかっていたことではないか。


 呼吸が浅くなって、息が苦しくて、無意識のうちにシィーファは目を閉じる。
 あ、なんか本当に、失神しそうかもしれない。
 そう思ったときだった。
 髪に、触れられた気がして、シィーファは目を開いた。


「短い髪もふわふわで可愛らしいけれど、この髪が伸びるまで、お式はおあずけでしょう? 本当に残念」
 扇で、シィーファの髪に触れ、扇ぐようにしながら、奥様は憂い顔でそんなことを仰る。

 シィーファは、思わず奥様を凝視してしまった。
 というと、何か?


 さっきの、「残念ですねぇ」も、ラディスがシィーファを将来の妻と決めたことではなく、シィーファの髪が短いから、伸びるまで式を挙げられないことを言っただけだと?


 そう理解したら、身体の力が抜けるような気がした。
 いや、事実、身体の力が抜けて、ずるずるとソファに倒れ込みそうになる。
 心情的には、白目を剥いた上に泡を吹いて倒れているところだ。


 だが、ラディスが、シィーファの肩に腕を回して、上手に身体の面を使って支えてくれたから、ソファに倒れ込んだり、突っ伏したりせずに済んだ。
「大丈夫、シィーファ? …母上、紛らわしい言い方はおやめください」
 ラディスが気づかわしげにシィーファを覗き込んで訊いてくれたが、後半、奥様に向けられた視線も声音も厳しかった。
 だが、奥様はきょとんとして首を揺らしている。
「? どの辺が紛らわしかったかしら」


 その返答に、シィーファは、当たり前のことを今更ながらに、実感した。
 母子だ…、と。
 ラディスも奥様も、物腰のやわらかさに比べ、それなりに強引…というか、ゴーイングマイウェイ、なのだ。

 その奥様は、シィーファを見下ろしたままで、もう一度溜息をついた。
「人種の違いなのかしら。 あの頃から、全然変わりませんのねぇ。 【石女うずまめの一族】が魔性だというのは、いつまでもお若いところからも来ているのかしら」
「母上」
 ラディスが口にしたその単語ひとつに、「そんなこと、言う必要ないだろう」という思いが込められているのがわかる。

 けれど、奥様が、シィーファやシィーファの一族を、貶めたり蔑んだりする意図で言葉を発していないことも理解しているので、シィーファは口を開く。
「あの、奥様もお変わりありませんよ」
「ふふ、ありがとう」
 シィーファが、何事か口にするとは思わなかったのだろうか。
 奥様は、目を丸くした後で、微笑んだ。
 花がゆっくりと綻ぶような笑みだな、とシィーファは思う。


 だが、奥様はまた、すぐに憂い顔になり、溜息を落とすのだ。
「本当に残念。 お父様はどうして今いらっしゃらないのかしら。 貴女がこんなにお元気そうで、ラウのお嫁さんになってくれると聞いたら、それはそれは喜んだでしょうに…」
「母上、お祖父様がこの世にいないかのような物言いはおやめになってください」
「まあ、ラウったら、縁起でもない」
 目の前で繰り広げられるやり取りに、シィーファは気圧されるしかない。
 というか、シィーファを挟んで言葉のやり取りをしないでほしい、と思っていると、唐突に、奥様の矛先がシィーファに向いた。


「わたくしは、貴女をシィーファと呼んでいいのかしら。 あ、でも、その前に、色々と外野がうるさいでしょうから、貴女、未亡人ということにしておしまいなさいね?」
 綻ぶ花のように微笑んだ奥様が、シィーファの理解が及ばないようなことを口にされるので、シィーファはようやくのことで、ひとつの単語だけを繰り返す。
「…未亡人…」
 繰り返してはみたが、全く意味がわからない、と思っていると、シィーファを抱き寄せているラディスの腕に力が入った。
「私は嫌です。 シィーファは初婚で、私だけの妻です。 嘘でも、未亡人になんかしたくありません」
 思いっきり私情で反対しているラディスだが、事の全容を理解しているのだろうか。


 そんなことを考えていると、奥様が畳んだ扇の先でぴしりとラディスを指した。
「でも、ラウ、考えてごらんなさい? 前の夫に操立てして、今後婚姻の意思はないことを示していたけれど、ラウと運命の恋に落ちて妻になる…。 この筋書きなら、周囲にも受け容れられやすいと思いません?」
 シィーファにはいまいちその話の良さがわからなかったけれど、ラディスがぐっと言葉に詰まったところを見ると、ラディスにとっては良さがわかる話だったのだろう。
 数拍分悩んだようだったが、ラディスはシィーファの肩に手を置きつつ、シィーファをラディスに向き直らせて向かい合うと、謝罪でもするように目を伏せる。
「…シィーファ…、済まない。 母はこういうひとなんだ」


 これもまた、よくわからない発言だったけれども、シィーファには全く問題のないことだったので、軽く頷く。
「あ、いえ、大丈夫です。 よく似た方を知っておりますので」
「え?」
 シィーファの返答に、ラディスは伏せていた瞼を持ち上げ、目を丸くした。
 そうか、自覚はないのか…、と、【よく似た方】そのひとを前に、諦めるシィーファなのであった。
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