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石に花咲く
42.
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シィーファは、目の前のラディスを凝視したまま、数回目を瞬かせた。
思い出した。 ラウ。
シィーファの、初めての客の屋敷にいて、ひとりきりで離れにいるシィーファに何度も会いに来てくれた、可愛い子。
シィーファはあの子を、とんだ美少女だと思っていたのだが、すると、何か?
あの子は、実はとんだ美少年だったと?
いつも窓からの会話で、シィーファの視界には上着しか入らなかったから、下に穿いているのが何かの確認はそういえば、できていなかった。
確認できていたからといって、スカートが苦手な女の子なのだな、と認識していた可能性は高い。
ああ、でも、いや、それよりも。
シィーファは、そっと額に手を当てて、目を伏せた。
あのお屋敷にいた頃に、救いにしていた子との思い出に、補正のようなものでもかかっているのだろうか、と混乱しながら、問う。
「でも、貴方、髪も、目も」
ラディスは、金と銀のあわいのような髪の色をしていて、瞳は夜明けを待つ空のような、深い紫紺色だ。
けれど、シィーファの思い出の中の【ラウ】は、金茶の髪に、黒い目をしていた。
ここだけの話だが、シィーファは【ラウ】のことを、キツネの子どものような色合いで可愛い、と思っていたのだ。
ラディスは、シィーファの指摘に、自分の髪を一房摘まんでちらと見る。
「ああ、これ。 …シィーファが、死んだと思って、ショックだったのだろうね。 高熱が数日続いて、目が覚めたらこんな風になっていた。 でも、昔はもう少し金髪の方が多かったよ。 老化? が影響しているのかも」
さらりと言ったラディスに、シィーファはイラっとする。
「わたしより、六つも若くて何を言っているの…?」
「大丈夫だよ。 シィーファは見た目が若いから」
全く何が大丈夫かわからないが、そんな風にラディスは言う。
そもそもの論点を逸らされている気がする。
「…それに、貴方、【殿下】って…」
シィーファは、【ラウ】のことを、あのお屋敷の子で、シィーファの主人であるあの方の妹君なのだと思っていた。
どこぞの国の第五王子だというラディスが、あのお屋敷の子の成長した姿とイコールにならなかったのは、そういう理由もあったのだと思う。
そうすれば、ラディスは「ああ」と呟いた。
「私の母が、彼の姉で…、あの家は母の実家なんだ。 あの頃、一時的に祖父の屋敷に身を寄せていた。 貴女が私の兄だと思っていた彼は、私にとっては叔父にあたる」
ラディスは、一度言葉を切ると、ふー…と息を吐く。
「…あの男に囲われるのはよくて、私の妻になるのは嫌なの? もう、わからない。 理解できない」
言い終えると、ラディスは頭を抱えてしまった。
本当に、わからないと思っているし、理解できないと思っているのだろう。
ラディスは、シィーファが、彼の言うあの男――…彼の叔父からは、どんな仕打ちを受けても逃げ出さずにいたのに、どうしてラディスからは逃げるのか、と頭を抱えているのだ。
シィーファは、目を伏せ、ぎゅっと固く瞑った。
どうして、なんて、簡単なことだ。
シィーファは、【石女の一族】だから。
どんなに肉体を好きにされようとも、石のように強い心を持っていれば、傷つくことなどない。
例えば、いつか捨てられても、何も変わらず、自分の足で立っていられる。
けれど、例えば、この心が、奪われて、ほかの誰かに拠り所を求めるようになったら、石の女ではいられない。
逃げようと思ったのは、好きに、なりそうだったから。
いや、もう既に、好きになりかけていたからだ。
だって、好きになっても、報われない相手なのは、シィーファが一番、わかっている。
「…わたしでは、世継ぎを望めません」
思考が、ぽろりと唇から零れていて、シィーファはハッとする。
何が一番、シィーファを悩ませているかと言えば、その問題なのだ。
シィーファは、【石女の一族】だから。
例えばラディスと結婚したとしても、ラディスとの間に子を成すことができない。
それがいつかは、障害になる。
シィーファがもう一度目を伏せて、じっと堪えていると、きし、とベッドが軋んだ。
その音に、目を開けば、シィーファの頬にラディスの手が触れる。
「…何か勘違いをしているね、シィーファ」
いつも通り優しくて穏やかな声に、シィーファが誘われるようにして視線を上げると、美しい、夜明けを待つ色の瞳と、かち合う。
「私は、子どもが欲しいから、貴女を求めたわけではないよ。 貴女と共にいたいから、貴女としたかったこと、したくてもできなかったことをしたくて、貴女を選んだ」
ラディスの言葉を、疑うわけではない。
けれど、今はそうでも、これからもそうとは限らないことも、シィーファは知っている。
人とは、置かれている状況や立場で、考えや意見を変化させていくものなのだ。
そう思ったら、我慢ならずに、思いが噴出した。
「…それでっ…、いらなくなったら、わたしを捨てると仰るの…?」
声が、喉に張り付くのに、甲高く上擦るような悲鳴になる。
ぎゅっと掛布を握った拳が、震えている。
その拳に、視線を落として、ラディスの顔は見られなかった。
王位継承権が五位であるとはいえ、彼も王族だ。
しかも、王太子殿下のお気に入りだという。
彼ら王族は、複数の妻を持てる。
持てなくとも、愛人だってつくれるし、シィーファの身体のことを理由に、いつだって離縁できるのだ。
そんな結婚に、どんな意味があるというのだろう。
シィーファが、ぎゅっと下唇を噛んでいると、そっと額に、やわらかいものが押し当てられた。
その、やわらかい感触に、シィーファの胸の奥は、ぎゅうとなるのだ。
ぎゅうとなって、苦しい。
今更、逃げようとしても、手遅れなのは、シィーファだってわかっている。
遅すぎた。
シィーファの心はもう、ラディスの側に傾いてしまっている。
だから、シィーファはこんなにも、仮定の話を恐れているのだ。
何らかの形に納まったあと、その幸せが、永続しないことを恐れ、彼がいなくなること、自分が捨てられることを、恐れている。
失くすくらいなら、最初から持たない方がいいと、防御線を張っているのだ。
ラディスに関しては、シィーファはもう、石の心を維持できなくなってしまっている。
「そんな風に思っていたの? 不安にさせて、ごめんね」
顔を上げないシィーファに困ったのか、ラディスはシィーファの身体をぎゅっと抱きしめてきた。
そして、シィーファの耳元で、そっと囁く。
「もしかすると、貴女には価値のあるものだったかもしれないけれど、王位継承権は放棄したんだ。 もうそろそろ、受理されているといいのだけど」
「え」
まさかの告白に、シィーファは目を見張り、顔を上げる。
そのシィーファの目の前で、ラディスはしたり顔で微笑んでいた。
シィーファの顔を自分に向けさせることができて成功、とでもいうところだろうか。
「もうね、きっと王宮はひっくり返るような騒ぎだと思うよ。 だからね、今は雲隠れの最中で…、愛の逃避行中。 素敵でしょう?」
にこにこと楽しそうに笑うラディスに、シィーファは目眩がしてきた。
では、何か?
ラディスは、王位継承権を放棄したがゆえに、雲隠れをしているのだと?
「な、んで」
まさか、シィーファのせいで、王位継承権を放棄したのではないか。
そんな、自意識過剰な考えがシィーファの頭の片隅に浮かんだのを、見透かしたのだろうか。
ラディスは「やれやれ」とでも言うかのように、肩を竦めた。
「従妹との結婚話が持ち上がってね。 異母兄上がやたらと乗り気で…。 でも、私にそんな気はないから、自分の相手くらい自分で連れてくると言って、行方をくらましたのが始まり」
最後は笑顔で締めたラディスに、シィーファは何と反応していいものかわからない。
少なくとも、笑顔で語る話題だとは思わないのだけれど、どうなのだろう。
そんなことを考えていると、ラディスの瞳が優しく細められた。
瞳だけでなく、表情も優しくなって、シィーファの顔を覗き込んでくる。
「でもね、【結婚】とか【妻】とか、そういう具体的な言葉が出て、必要に迫られたとき、真っ先に思い浮かんだのは、【ジェイド】だったんだ。 貴女だよ、シィーファ」
甘く、優しい微笑みを向けられて、また、シィーファの胸がぎゅうっと苦しくなる。
ラディスは、シィーファを抱きしめていた腕を緩めて、右手の人差し指の甲で、そっとシィーファの頬を撫でた。
「まあ、そのときは、具体的にどうなろう、というのではなくて…。 会って、貴女とやり残したことを、全部やっておきたかったんだと思う。 そうしないと、前に進めない気がして。 でも結果、私にはやっぱり、貴女しかなかった。 美化された、思い出なんかじゃなかったよ」
そう、瞳を熱で潤ませて、甘く微笑みながら覗き込んでくるラディスの視線を受け止められなくて、シィーファはそっと視線を左へと流した。
「それは、わたしが、貴方の初めての相手だから…」
だから、強烈で、鮮烈で、行為に夢中になっているだけだ。
「違うよ」
けれど、ラディスは、それを、真っ向から否定した。
「それは、違う。 昔からね、貴女がジェイドだったときから、私にとって貴女は特別だった」
もう一度、真っ向から否定したというのに、ラディスの顔が、微妙に歪んだ。
眉間に皺を寄せつつ、眉を下げて、申し訳なさそうな表情になる。
「…昔、貴女を【ラプンツェル】と言ったこと、ごめん」
唐突な話題転換に、シィーファは驚き、目を瞬かせた。
けれど、恐らくこれは、ラディスにとっては必要な話なのだろうと思ったので、じっとラディスを見つめ、ラディスの言葉に耳を傾ける。
ラディスの目は、真っ直ぐにシィーファを見つめていて、シィーファの目を映して、泣きそうに揺れていた。
「でも、私にとって貴女は、塔の中のお姫様に等しくて、私は、そんな貴女をあの場所から連れ出せるような存在になりたくて、そんな願望を込めて、貴女をそう呼んだんだと思う」
胸が、ぎゅうう、となって、苦しい。
内側から、震えるような感じがする。
ラディスの言葉は、シィーファの耳には、まるで、告白のように聞こえた。
今日、目覚めてすぐに告げられた、「私の妻になってほしい」という告白よりも、遥かに重く、シィーファの胸に響いたのである。
思い出した。 ラウ。
シィーファの、初めての客の屋敷にいて、ひとりきりで離れにいるシィーファに何度も会いに来てくれた、可愛い子。
シィーファはあの子を、とんだ美少女だと思っていたのだが、すると、何か?
あの子は、実はとんだ美少年だったと?
いつも窓からの会話で、シィーファの視界には上着しか入らなかったから、下に穿いているのが何かの確認はそういえば、できていなかった。
確認できていたからといって、スカートが苦手な女の子なのだな、と認識していた可能性は高い。
ああ、でも、いや、それよりも。
シィーファは、そっと額に手を当てて、目を伏せた。
あのお屋敷にいた頃に、救いにしていた子との思い出に、補正のようなものでもかかっているのだろうか、と混乱しながら、問う。
「でも、貴方、髪も、目も」
ラディスは、金と銀のあわいのような髪の色をしていて、瞳は夜明けを待つ空のような、深い紫紺色だ。
けれど、シィーファの思い出の中の【ラウ】は、金茶の髪に、黒い目をしていた。
ここだけの話だが、シィーファは【ラウ】のことを、キツネの子どものような色合いで可愛い、と思っていたのだ。
ラディスは、シィーファの指摘に、自分の髪を一房摘まんでちらと見る。
「ああ、これ。 …シィーファが、死んだと思って、ショックだったのだろうね。 高熱が数日続いて、目が覚めたらこんな風になっていた。 でも、昔はもう少し金髪の方が多かったよ。 老化? が影響しているのかも」
さらりと言ったラディスに、シィーファはイラっとする。
「わたしより、六つも若くて何を言っているの…?」
「大丈夫だよ。 シィーファは見た目が若いから」
全く何が大丈夫かわからないが、そんな風にラディスは言う。
そもそもの論点を逸らされている気がする。
「…それに、貴方、【殿下】って…」
シィーファは、【ラウ】のことを、あのお屋敷の子で、シィーファの主人であるあの方の妹君なのだと思っていた。
どこぞの国の第五王子だというラディスが、あのお屋敷の子の成長した姿とイコールにならなかったのは、そういう理由もあったのだと思う。
そうすれば、ラディスは「ああ」と呟いた。
「私の母が、彼の姉で…、あの家は母の実家なんだ。 あの頃、一時的に祖父の屋敷に身を寄せていた。 貴女が私の兄だと思っていた彼は、私にとっては叔父にあたる」
ラディスは、一度言葉を切ると、ふー…と息を吐く。
「…あの男に囲われるのはよくて、私の妻になるのは嫌なの? もう、わからない。 理解できない」
言い終えると、ラディスは頭を抱えてしまった。
本当に、わからないと思っているし、理解できないと思っているのだろう。
ラディスは、シィーファが、彼の言うあの男――…彼の叔父からは、どんな仕打ちを受けても逃げ出さずにいたのに、どうしてラディスからは逃げるのか、と頭を抱えているのだ。
シィーファは、目を伏せ、ぎゅっと固く瞑った。
どうして、なんて、簡単なことだ。
シィーファは、【石女の一族】だから。
どんなに肉体を好きにされようとも、石のように強い心を持っていれば、傷つくことなどない。
例えば、いつか捨てられても、何も変わらず、自分の足で立っていられる。
けれど、例えば、この心が、奪われて、ほかの誰かに拠り所を求めるようになったら、石の女ではいられない。
逃げようと思ったのは、好きに、なりそうだったから。
いや、もう既に、好きになりかけていたからだ。
だって、好きになっても、報われない相手なのは、シィーファが一番、わかっている。
「…わたしでは、世継ぎを望めません」
思考が、ぽろりと唇から零れていて、シィーファはハッとする。
何が一番、シィーファを悩ませているかと言えば、その問題なのだ。
シィーファは、【石女の一族】だから。
例えばラディスと結婚したとしても、ラディスとの間に子を成すことができない。
それがいつかは、障害になる。
シィーファがもう一度目を伏せて、じっと堪えていると、きし、とベッドが軋んだ。
その音に、目を開けば、シィーファの頬にラディスの手が触れる。
「…何か勘違いをしているね、シィーファ」
いつも通り優しくて穏やかな声に、シィーファが誘われるようにして視線を上げると、美しい、夜明けを待つ色の瞳と、かち合う。
「私は、子どもが欲しいから、貴女を求めたわけではないよ。 貴女と共にいたいから、貴女としたかったこと、したくてもできなかったことをしたくて、貴女を選んだ」
ラディスの言葉を、疑うわけではない。
けれど、今はそうでも、これからもそうとは限らないことも、シィーファは知っている。
人とは、置かれている状況や立場で、考えや意見を変化させていくものなのだ。
そう思ったら、我慢ならずに、思いが噴出した。
「…それでっ…、いらなくなったら、わたしを捨てると仰るの…?」
声が、喉に張り付くのに、甲高く上擦るような悲鳴になる。
ぎゅっと掛布を握った拳が、震えている。
その拳に、視線を落として、ラディスの顔は見られなかった。
王位継承権が五位であるとはいえ、彼も王族だ。
しかも、王太子殿下のお気に入りだという。
彼ら王族は、複数の妻を持てる。
持てなくとも、愛人だってつくれるし、シィーファの身体のことを理由に、いつだって離縁できるのだ。
そんな結婚に、どんな意味があるというのだろう。
シィーファが、ぎゅっと下唇を噛んでいると、そっと額に、やわらかいものが押し当てられた。
その、やわらかい感触に、シィーファの胸の奥は、ぎゅうとなるのだ。
ぎゅうとなって、苦しい。
今更、逃げようとしても、手遅れなのは、シィーファだってわかっている。
遅すぎた。
シィーファの心はもう、ラディスの側に傾いてしまっている。
だから、シィーファはこんなにも、仮定の話を恐れているのだ。
何らかの形に納まったあと、その幸せが、永続しないことを恐れ、彼がいなくなること、自分が捨てられることを、恐れている。
失くすくらいなら、最初から持たない方がいいと、防御線を張っているのだ。
ラディスに関しては、シィーファはもう、石の心を維持できなくなってしまっている。
「そんな風に思っていたの? 不安にさせて、ごめんね」
顔を上げないシィーファに困ったのか、ラディスはシィーファの身体をぎゅっと抱きしめてきた。
そして、シィーファの耳元で、そっと囁く。
「もしかすると、貴女には価値のあるものだったかもしれないけれど、王位継承権は放棄したんだ。 もうそろそろ、受理されているといいのだけど」
「え」
まさかの告白に、シィーファは目を見張り、顔を上げる。
そのシィーファの目の前で、ラディスはしたり顔で微笑んでいた。
シィーファの顔を自分に向けさせることができて成功、とでもいうところだろうか。
「もうね、きっと王宮はひっくり返るような騒ぎだと思うよ。 だからね、今は雲隠れの最中で…、愛の逃避行中。 素敵でしょう?」
にこにこと楽しそうに笑うラディスに、シィーファは目眩がしてきた。
では、何か?
ラディスは、王位継承権を放棄したがゆえに、雲隠れをしているのだと?
「な、んで」
まさか、シィーファのせいで、王位継承権を放棄したのではないか。
そんな、自意識過剰な考えがシィーファの頭の片隅に浮かんだのを、見透かしたのだろうか。
ラディスは「やれやれ」とでも言うかのように、肩を竦めた。
「従妹との結婚話が持ち上がってね。 異母兄上がやたらと乗り気で…。 でも、私にそんな気はないから、自分の相手くらい自分で連れてくると言って、行方をくらましたのが始まり」
最後は笑顔で締めたラディスに、シィーファは何と反応していいものかわからない。
少なくとも、笑顔で語る話題だとは思わないのだけれど、どうなのだろう。
そんなことを考えていると、ラディスの瞳が優しく細められた。
瞳だけでなく、表情も優しくなって、シィーファの顔を覗き込んでくる。
「でもね、【結婚】とか【妻】とか、そういう具体的な言葉が出て、必要に迫られたとき、真っ先に思い浮かんだのは、【ジェイド】だったんだ。 貴女だよ、シィーファ」
甘く、優しい微笑みを向けられて、また、シィーファの胸がぎゅうっと苦しくなる。
ラディスは、シィーファを抱きしめていた腕を緩めて、右手の人差し指の甲で、そっとシィーファの頬を撫でた。
「まあ、そのときは、具体的にどうなろう、というのではなくて…。 会って、貴女とやり残したことを、全部やっておきたかったんだと思う。 そうしないと、前に進めない気がして。 でも結果、私にはやっぱり、貴女しかなかった。 美化された、思い出なんかじゃなかったよ」
そう、瞳を熱で潤ませて、甘く微笑みながら覗き込んでくるラディスの視線を受け止められなくて、シィーファはそっと視線を左へと流した。
「それは、わたしが、貴方の初めての相手だから…」
だから、強烈で、鮮烈で、行為に夢中になっているだけだ。
「違うよ」
けれど、ラディスは、それを、真っ向から否定した。
「それは、違う。 昔からね、貴女がジェイドだったときから、私にとって貴女は特別だった」
もう一度、真っ向から否定したというのに、ラディスの顔が、微妙に歪んだ。
眉間に皺を寄せつつ、眉を下げて、申し訳なさそうな表情になる。
「…昔、貴女を【ラプンツェル】と言ったこと、ごめん」
唐突な話題転換に、シィーファは驚き、目を瞬かせた。
けれど、恐らくこれは、ラディスにとっては必要な話なのだろうと思ったので、じっとラディスを見つめ、ラディスの言葉に耳を傾ける。
ラディスの目は、真っ直ぐにシィーファを見つめていて、シィーファの目を映して、泣きそうに揺れていた。
「でも、私にとって貴女は、塔の中のお姫様に等しくて、私は、そんな貴女をあの場所から連れ出せるような存在になりたくて、そんな願望を込めて、貴女をそう呼んだんだと思う」
胸が、ぎゅうう、となって、苦しい。
内側から、震えるような感じがする。
ラディスの言葉は、シィーファの耳には、まるで、告白のように聞こえた。
今日、目覚めてすぐに告げられた、「私の妻になってほしい」という告白よりも、遥かに重く、シィーファの胸に響いたのである。
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