【R18】石に花咲く

環名

文字の大きさ
上 下
50 / 65
石に花咲く

42.

しおりを挟む
 シィーファは、目の前のラディスを凝視したまま、数回目を瞬かせた。

 思い出した。 ラウ。
 シィーファの、初めての客の屋敷にいて、ひとりきりで離れにいるシィーファに何度も会いに来てくれた、可愛い子。

 シィーファはあの子を、とんだ美少女だと思っていたのだが、すると、何か?
 あの子は、実はとんだ美少年だったと?
 いつも窓からの会話で、シィーファの視界には上着しか入らなかったから、下に穿いているのが何かの確認はそういえば、できていなかった。
 確認できていたからといって、スカートが苦手な女の子なのだな、と認識していた可能性は高い。
 ああ、でも、いや、それよりも。

 シィーファは、そっと額に手を当てて、目を伏せた。
 あのお屋敷にいた頃に、救いにしていた子との思い出に、補正のようなものでもかかっているのだろうか、と混乱しながら、問う。


「でも、貴方、髪も、目も」
 ラディスは、金と銀のあわいのような髪の色をしていて、瞳は夜明けを待つ空のような、深い紫紺色だ。
 けれど、シィーファの思い出の中の【ラウ】は、金茶の髪に、黒い目をしていた。
 ここだけの話だが、シィーファは【ラウ】のことを、キツネの子どものような色合いで可愛い、と思っていたのだ。

 ラディスは、シィーファの指摘に、自分の髪を一房摘まんでちらと見る。
「ああ、これ。 …シィーファが、死んだと思って、ショックだったのだろうね。 高熱が数日続いて、目が覚めたらこんな風になっていた。 でも、昔はもう少し金髪の方が多かったよ。 老化? が影響しているのかも」
 さらりと言ったラディスに、シィーファはイラっとする。
「わたしより、六つも若くて何を言っているの…?」
「大丈夫だよ。 シィーファは見た目が若いから」
 全く何が大丈夫かわからないが、そんな風にラディスは言う。
 そもそもの論点を逸らされている気がする。


「…それに、貴方、【殿下】って…」
 シィーファは、【ラウ】のことを、あのお屋敷の子で、シィーファの主人であるあの方の妹君なのだと思っていた。
 どこぞの国の第五王子だというラディスが、あのお屋敷の子の成長した姿とイコールにならなかったのは、そういう理由もあったのだと思う。
 そうすれば、ラディスは「ああ」と呟いた。
「私の母が、彼の姉で…、あの家は母の実家なんだ。 あの頃、一時的に祖父の屋敷に身を寄せていた。 貴女が私の兄だと思っていた彼は、私にとっては叔父にあたる」


 ラディスは、一度言葉を切ると、ふー…と息を吐く。
「…あの男に囲われるのはよくて、私の妻になるのは嫌なの? もう、わからない。 理解できない」
 言い終えると、ラディスは頭を抱えてしまった。
 本当に、わからないと思っているし、理解できないと思っているのだろう。


 ラディスは、シィーファが、彼の言うあの男――…彼の叔父からは、どんな仕打ちを受けても逃げ出さずにいたのに、どうしてラディスからは逃げるのか、と頭を抱えているのだ。
 シィーファは、目を伏せ、ぎゅっと固く瞑った。

 どうして、なんて、簡単なことだ。
 シィーファは、【石女うずまめの一族】だから。
 どんなに肉体を好きにされようとも、石のように強い心を持っていれば、傷つくことなどない。
 例えば、いつか捨てられても、何も変わらず、自分の足で立っていられる。


 けれど、例えば、この心が、奪われて、ほかの誰かに拠り所を求めるようになったら、石の女ではいられない。


 逃げようと思ったのは、好きに、なりそうだったから。
 いや、もう既に、好きになりかけていたからだ。
 だって、好きになっても、報われない相手なのは、シィーファが一番、わかっている。


「…わたしでは、世継ぎを望めません」


 思考が、ぽろりと唇から零れていて、シィーファはハッとする。
 何が一番、シィーファを悩ませているかと言えば、その問題なのだ。

 シィーファは、【石女の一族】だから。
 例えばラディスと結婚したとしても、ラディスとの間に子を成すことができない。
 それがいつかは、障害になる。

 シィーファがもう一度目を伏せて、じっと堪えていると、きし、とベッドが軋んだ。
 その音に、目を開けば、シィーファの頬にラディスの手が触れる。
「…何か勘違いをしているね、シィーファ」


 いつも通り優しくて穏やかな声に、シィーファが誘われるようにして視線を上げると、美しい、夜明けを待つ色の瞳と、かち合う。
「私は、子どもが欲しいから、貴女を求めたわけではないよ。 貴女と共にいたいから、貴女としたかったこと、したくてもできなかったことをしたくて、貴女を選んだ」


 ラディスの言葉を、疑うわけではない。
 けれど、今はそうでも、これからもそうとは限らないことも、シィーファは知っている。

 人とは、置かれている状況や立場で、考えや意見を変化させていくものなのだ。


 そう思ったら、我慢ならずに、思いが噴出した。
「…それでっ…、いらなくなったら、わたしを捨てると仰るの…?」
 声が、喉に張り付くのに、甲高く上擦るような悲鳴になる。
 ぎゅっと掛布を握った拳が、震えている。
 その拳に、視線を落として、ラディスの顔は見られなかった。


 王位継承権が五位であるとはいえ、彼も王族だ。
 しかも、王太子殿下のお気に入りだという。
 彼ら王族は、複数の妻を持てる。
 持てなくとも、愛人だってつくれるし、シィーファの身体のことを理由に、いつだって離縁できるのだ。


 そんな結婚やくそくに、どんな意味があるというのだろう。


 シィーファが、ぎゅっと下唇を噛んでいると、そっと額に、やわらかいものが押し当てられた。
 その、やわらかい感触に、シィーファの胸の奥は、ぎゅうとなるのだ。
 ぎゅうとなって、苦しい。


 今更、逃げようとしても、手遅れなのは、シィーファだってわかっている。
 遅すぎた。
 シィーファの心はもう、ラディスの側に傾いてしまっている。
 だから、シィーファはこんなにも、仮定の話を恐れているのだ。

 何らかの形に納まったあと、その幸せが、永続しないことを恐れ、彼がいなくなること、自分が捨てられることを、恐れている。
 失くすくらいなら、最初から持たない方がいいと、防御線を張っているのだ。
 ラディスに関しては、シィーファはもう、石の心を維持できなくなってしまっている。


「そんな風に思っていたの? 不安にさせて、ごめんね」
 顔を上げないシィーファに困ったのか、ラディスはシィーファの身体をぎゅっと抱きしめてきた。
 そして、シィーファの耳元で、そっと囁く。
「もしかすると、貴女には価値のあるものだったかもしれないけれど、王位継承権は放棄したんだ。 もうそろそろ、受理されているといいのだけど」
「え」
 まさかの告白に、シィーファは目を見張り、顔を上げる。


 そのシィーファの目の前で、ラディスはしたり顔で微笑んでいた。
 シィーファの顔を自分に向けさせることができて成功、とでもいうところだろうか。
「もうね、きっと王宮はひっくり返るような騒ぎだと思うよ。 だからね、今は雲隠れの最中で…、愛の逃避行中。 素敵でしょう?」
 にこにこと楽しそうに笑うラディスに、シィーファは目眩がしてきた。


 では、何か?
 ラディスは、王位継承権を放棄したがゆえに、雲隠れをしているのだと?


「な、んで」
 まさか、シィーファのせいで、王位継承権を放棄したのではないか。


 そんな、自意識過剰な考えがシィーファの頭の片隅に浮かんだのを、見透かしたのだろうか。
 ラディスは「やれやれ」とでも言うかのように、肩を竦めた。
従妹いとことの結婚話が持ち上がってね。 異母兄上がやたらと乗り気で…。 でも、私にそんな気はないから、自分の相手くらい自分で連れてくると言って、行方をくらましたのが始まり」
 最後は笑顔で締めたラディスに、シィーファは何と反応していいものかわからない。

 少なくとも、笑顔で語る話題だとは思わないのだけれど、どうなのだろう。
 そんなことを考えていると、ラディスの瞳が優しく細められた。
 瞳だけでなく、表情も優しくなって、シィーファの顔を覗き込んでくる。


「でもね、【結婚】とか【妻】とか、そういう具体的な言葉が出て、必要に迫られたとき、真っ先に思い浮かんだのは、【ジェイド】だったんだ。 貴女だよ、シィーファ」
 甘く、優しい微笑みを向けられて、また、シィーファの胸がぎゅうっと苦しくなる。
 ラディスは、シィーファを抱きしめていた腕を緩めて、右手の人差し指の甲で、そっとシィーファの頬を撫でた。


「まあ、そのときは、具体的にどうなろう、というのではなくて…。 会って、貴女とやり残したことを、全部やっておきたかったんだと思う。 そうしないと、前に進めない気がして。 でも結果、私にはやっぱり、貴女しかなかった。 美化された、思い出なんかじゃなかったよ」
 そう、瞳を熱で潤ませて、甘く微笑みながら覗き込んでくるラディスの視線を受け止められなくて、シィーファはそっと視線を左へと流した。


「それは、わたしが、貴方の初めての相手だから…」
 だから、強烈で、鮮烈で、行為に夢中になっているだけだ。


「違うよ」


 けれど、ラディスは、それを、真っ向から否定した。
「それは、違う。 昔からね、貴女がジェイドだったときから、私にとって貴女は特別だった」
 もう一度、真っ向から否定したというのに、ラディスの顔が、微妙に歪んだ。
 眉間に皺を寄せつつ、眉を下げて、申し訳なさそうな表情になる。


「…昔、貴女を【ラプンツェル】と言ったこと、ごめん」


 唐突な話題転換に、シィーファは驚き、目を瞬かせた。
 けれど、恐らくこれは、ラディスにとっては必要な話なのだろうと思ったので、じっとラディスを見つめ、ラディスの言葉に耳を傾ける。
 ラディスの目は、真っ直ぐにシィーファを見つめていて、シィーファの目を映して、泣きそうに揺れていた。


「でも、私にとって貴女は、塔の中のお姫様に等しくて、私は、そんな貴女をあの場所から連れ出せるような存在になりたくて、そんな願望を込めて、貴女をそう呼んだんだと思う」
 胸が、ぎゅうう、となって、苦しい。
 内側から、震えるような感じがする。


 ラディスの言葉は、シィーファの耳には、まるで、告白のように聞こえた。
 今日、目覚めてすぐに告げられた、「私の妻になってほしい」という告白よりも、遥かに重く、シィーファの胸に響いたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-

さとう涼
恋愛
恋愛を封印し、花屋の店主として一心不乱に仕事に打ち込んでいた咲都。そんなある日、ひとりの男性(社長)が花を買いにくる──。出会いは偶然。だけど咲都を気に入った彼はなにかにつけて咲都と接点を持とうとしてくる。 「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」 「でも……」 「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」 「はい?」 「とりあえず一年契約でどう?」 穏やかでやさしそうな雰囲気なのに意外に策士。最初は身分差にとまどっていた咲都だが、気づいたらすっかり彼のペースに巻き込まれていた。 ☆第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

処理中です...