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石に花咲く
―and then③―
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その足で、ラディスラウスは、祖父の執務室へと向かった。
「どうした、ラウ。 二年ぶりか?」
執務室の執務机で仕事をしていた祖父は、ラディスラウスの来訪に仕事の手を止めてくれる。
だが、ラディスラウスがこれから祖父にぶつけようとしている問いについては、さしもの祖父も思い至らないだろう。
「お祖父様、ジェイドのこと、教えていただけますね?」
椅子に座ったままの祖父の目の前に、デスクを挟んで立って、真っ直ぐに祖父を見つめて問う。
だが、祖父は訝し気に眉根を寄せるのみ。
「ジェイド?」
問われて、そういえば、とラディスラウスは気づいた。
ラディスラウスが彼女を呼ぶ、【ジェイド】というのは、ラディスラウスとジェイドの間の約束事であって、彼女の本名ではないのだ。
だから、ラディスラウスは、静かに告げた。
「以前、離れに暮らしていた、翡翠の髪に蜂蜜色の瞳の、美しいひとのことです」
すぐに、祖父はラディスラウスの言う【ジェイド】が誰か、理解したらしい。
祖父の、自分と同じ色の瞳が見張られる。
だが、すぐに伏せられて、視線は机の書類に落とされた。
祖父の目は、書類の文字を追うわけでもなく、無意味に注がれているだけだ。
「…ああ、彼女か…」
一度、言葉を切った後で、祖父はため息とともに零した。
「…お前は彼女に懐いていたからな…」
「…せめて、慕っていたと言ってはいただけませんか」
言葉としては間違いではないのだが、懐いていた、というのは一方的に纏わりつくような、ラディスラウスの中では飼い主と愛玩動物のような関係に分類される。
ラディスラウスとしては、数年前の自身は、彼女を慕っていたのだと思っているから、そのように言った。
すると、なぜかそこで、祖父は細く長く息をついた。
やはり、母と父娘なのだな、と実感した瞬間だった。
「思い出は、美化されるものだ。 彼女が何者かを知れば、お前の中の彼女は、【美しいひと】ではいられなくなるかもしれない。 …もう、彼女を、【慕っていた】などとは言えないかもしれないぞ」
祖父は、ラディスラウスの思い出の中の彼女を、美しい思い出のまま、美しくいさせたいと思っているのかもしれない。
もしかしたら、ラディスラウスの中の彼女は、思い出の中で美化されているのかもしれない。
その方がいいだろうと、祖父は言っているのだ。
だが、それでもラディスラウスは、もう一度彼女に会いたいと、思っている。
このまま、彼女を、思い出のまま終わらせたくない、と。
だから、告げる。
「そんなことは、聞いてみなければわかりません」
祖父は、デスクの書類に向けていた目を見張り、そっと目を閉じた。
そして、吐息と共に吐き出す。
「…そうか」
まるで、そうなることがわかっていたかのような、呟きだと思った。
彼女がどうやら生きているらしい、ということに、ラディスラウスは心の底から神に感謝した。
祖父は、彼女が何者なのかを、ラディスラウスに教えてくれた。
どうして、彼女が叔父の元へ来たのかも。
何となく、だけれど、そのことに関して祖父は、彼女に負い目を感じているのだろう、と思った。
だから、彼女を自由にする名目で、援助をしているのだろう、と。
ショックでなかったと言えば、嘘になる。
けれど、同時にラディスラウスは、安堵もしたのだ。
彼女が、もう二度と、彼女の意思に反して、誰かに踏みにじられることはないのだと。
彼女の安否を知っても、ラディスラウスの中から、彼女の存在は消えなかった。
今までも、美味しい果物があれば、誰かと食べたいと思ったし、珍しいものを見つければ、誰かに見せたいと思った。
その【誰か】は【誰か】ではなかったのだ。
誰でもよかったわけではない。
ラディスラウスはいつも、彼女のことを喜ばせたいと思っていた。
いつか、彼女に食べてもらいたいと、王都で彼女の好きな無花果や葡萄も育て始めた。
会って、何が変わるのかはわからなかったが、ラディスラウスはいずれ、彼女に会いたいという希望を持つようになったのだ。
彼女に言ったことは嘘ではない。
彼女としたいと思っていたことを、するために。
過去を清算するために、ラディスラウスは彼女を買ったのだ。
当初は、屋敷で働いてもらえれば、と思っていた。
身を売らずしても、生きていく術はあるのだと、伝えたかったのかもしれない。
いや、それは綺麗事だ。
ラディスラウスは、もう二度と、彼女を男たちの欲望のはけ口にしたくなかったのだ。
毎日、会っていたというのに、彼女が叔父に何をされているか、気づけなかった。
今度こそ、彼女を守りたかった。
彼女を守るために、彼女を買いに行ったのだ。
ラディスラウスにとって、彼女は、塔の中のお姫様に等しかった。
彼女は、叔父が将来を誓った相手なのだろうと思っていたから。
彼女を幸せにするのが、叔父以外にいなくとも、せめて彼女を笑顔にできる存在でいたかったのだ。
でも、叔父は、彼女の王子様ではなかった。
だから、ラディスラウスは、悪い魔法使いに騙されたお姫様を救う、王子様になろうと思ったのだ。
「どうした、ラウ。 二年ぶりか?」
執務室の執務机で仕事をしていた祖父は、ラディスラウスの来訪に仕事の手を止めてくれる。
だが、ラディスラウスがこれから祖父にぶつけようとしている問いについては、さしもの祖父も思い至らないだろう。
「お祖父様、ジェイドのこと、教えていただけますね?」
椅子に座ったままの祖父の目の前に、デスクを挟んで立って、真っ直ぐに祖父を見つめて問う。
だが、祖父は訝し気に眉根を寄せるのみ。
「ジェイド?」
問われて、そういえば、とラディスラウスは気づいた。
ラディスラウスが彼女を呼ぶ、【ジェイド】というのは、ラディスラウスとジェイドの間の約束事であって、彼女の本名ではないのだ。
だから、ラディスラウスは、静かに告げた。
「以前、離れに暮らしていた、翡翠の髪に蜂蜜色の瞳の、美しいひとのことです」
すぐに、祖父はラディスラウスの言う【ジェイド】が誰か、理解したらしい。
祖父の、自分と同じ色の瞳が見張られる。
だが、すぐに伏せられて、視線は机の書類に落とされた。
祖父の目は、書類の文字を追うわけでもなく、無意味に注がれているだけだ。
「…ああ、彼女か…」
一度、言葉を切った後で、祖父はため息とともに零した。
「…お前は彼女に懐いていたからな…」
「…せめて、慕っていたと言ってはいただけませんか」
言葉としては間違いではないのだが、懐いていた、というのは一方的に纏わりつくような、ラディスラウスの中では飼い主と愛玩動物のような関係に分類される。
ラディスラウスとしては、数年前の自身は、彼女を慕っていたのだと思っているから、そのように言った。
すると、なぜかそこで、祖父は細く長く息をついた。
やはり、母と父娘なのだな、と実感した瞬間だった。
「思い出は、美化されるものだ。 彼女が何者かを知れば、お前の中の彼女は、【美しいひと】ではいられなくなるかもしれない。 …もう、彼女を、【慕っていた】などとは言えないかもしれないぞ」
祖父は、ラディスラウスの思い出の中の彼女を、美しい思い出のまま、美しくいさせたいと思っているのかもしれない。
もしかしたら、ラディスラウスの中の彼女は、思い出の中で美化されているのかもしれない。
その方がいいだろうと、祖父は言っているのだ。
だが、それでもラディスラウスは、もう一度彼女に会いたいと、思っている。
このまま、彼女を、思い出のまま終わらせたくない、と。
だから、告げる。
「そんなことは、聞いてみなければわかりません」
祖父は、デスクの書類に向けていた目を見張り、そっと目を閉じた。
そして、吐息と共に吐き出す。
「…そうか」
まるで、そうなることがわかっていたかのような、呟きだと思った。
彼女がどうやら生きているらしい、ということに、ラディスラウスは心の底から神に感謝した。
祖父は、彼女が何者なのかを、ラディスラウスに教えてくれた。
どうして、彼女が叔父の元へ来たのかも。
何となく、だけれど、そのことに関して祖父は、彼女に負い目を感じているのだろう、と思った。
だから、彼女を自由にする名目で、援助をしているのだろう、と。
ショックでなかったと言えば、嘘になる。
けれど、同時にラディスラウスは、安堵もしたのだ。
彼女が、もう二度と、彼女の意思に反して、誰かに踏みにじられることはないのだと。
彼女の安否を知っても、ラディスラウスの中から、彼女の存在は消えなかった。
今までも、美味しい果物があれば、誰かと食べたいと思ったし、珍しいものを見つければ、誰かに見せたいと思った。
その【誰か】は【誰か】ではなかったのだ。
誰でもよかったわけではない。
ラディスラウスはいつも、彼女のことを喜ばせたいと思っていた。
いつか、彼女に食べてもらいたいと、王都で彼女の好きな無花果や葡萄も育て始めた。
会って、何が変わるのかはわからなかったが、ラディスラウスはいずれ、彼女に会いたいという希望を持つようになったのだ。
彼女に言ったことは嘘ではない。
彼女としたいと思っていたことを、するために。
過去を清算するために、ラディスラウスは彼女を買ったのだ。
当初は、屋敷で働いてもらえれば、と思っていた。
身を売らずしても、生きていく術はあるのだと、伝えたかったのかもしれない。
いや、それは綺麗事だ。
ラディスラウスは、もう二度と、彼女を男たちの欲望のはけ口にしたくなかったのだ。
毎日、会っていたというのに、彼女が叔父に何をされているか、気づけなかった。
今度こそ、彼女を守りたかった。
彼女を守るために、彼女を買いに行ったのだ。
ラディスラウスにとって、彼女は、塔の中のお姫様に等しかった。
彼女は、叔父が将来を誓った相手なのだろうと思っていたから。
彼女を幸せにするのが、叔父以外にいなくとも、せめて彼女を笑顔にできる存在でいたかったのだ。
でも、叔父は、彼女の王子様ではなかった。
だから、ラディスラウスは、悪い魔法使いに騙されたお姫様を救う、王子様になろうと思ったのだ。
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