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石に花咲く
39.
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ちりりん。
ベルの音に、ウーアはふと顔を上げた。
見上げると、部屋にいくつもあるベルのうち、殿下とシィーファ嬢の寝室へと繋がるベルが揺れている。
殿下が鳴らしたのだとすれば、ベル一回はウーアを呼ぶ合図だ。
お屋敷から抜け出したシィーファ嬢を、運よく…、本当に運よく、街で見かけて連れ戻した殿下は、そのままシィーファ嬢をお連れになって寝室に直行された。
夕食の時間はとうに回っているので、恐らく今日は朝までコースだと思っていたのだが…。
何かあったのだろうか、とウーアは腰を上げた。
ランプを持って、かつ、かつ、と暗い廊下を進む。
ここは、殿下がお祖父様から譲り受けた別荘だ。
この別荘は、殿下のお祖父様が、ひとりになりたいときに、利用していたものだという話だった。
殿下のお祖父様の領地ではなく、お祖父様と懇意の貴族から土地を買ったようで、この場所を知る者はほとんどいない。
つまりは、完全に雲隠れ用ということだ。
今頃、殿下の行方を血眼になって探している者共は、殿下のお祖父様を問い詰め…ることはできないので、下手にお伺いを立てているのだろうが、あの方は知らぬ存ぜぬで通すだろう。
思い出したように利用される――つまりは、思い出されないことが多い――その別荘には、物も少なければ明かりも少ない。
人を頼んで、手入れはされていたようだが、先にセネウを行かせて、整える程度のことは必要だった。
そんなことを考えていると、殿下とシィーファ様の寝室の前へと辿り着くので、ウーアはノッカーを鳴らす。
ウーアが呼ばれたということは、最中ではないのだろうが、事後に立ち入るのも気まずいと言えば気まずい。
ウーアはそういった感情がほとんど顔に出ることはないのだが、付き合いの長い殿下には、恐らく読み取られるだろう。
そんなことを考えていると、扉がきぃ…と静かに開くので、ウーアは扉が開く間隔分、二歩ほど右手にずれた。
扉が当たらないように、また、室内が見えないように、だ。
現れた殿下は、寝間着の下を履き、寝間着の上は引っ掛けただけ、という格好だった。
普段、衣装に覆われている肉体は、適度に鍛えられており、筋肉による厚みがある。
その肌が、ランプの灯りを吸い込んで艶めかしく見えるのは、うっすらと汗ばんでいるためか。
瞳も若干熱ばんでおり、ほんのりと目の縁が紅い。
それらは全て、情事を予測させるもので、本当に目に毒な方だ、とウーアは内心で思う。
殿下は、後ろ手に、静かにドアを閉める。
その様子に、何となく、だが、シィーファ嬢は室内でお眠りなのだろう、と察した。
「悪いね、夜中に」
ウーアが観察していたことに、気づいていないのか、どうでもいいのか、殿下はそんな風に言った。
「…いいえ、どんな御用でしょうか」
尋ねながらも、根拠はないが、ウーアには予測がついていた。
わざわざ、夜中にウーアを呼び出すということは、殿下にとって重要な――シィーファ様に関わること。
「…セネウは、何をしていたのかな?」
常より低く、静かな声で、殿下は口にする。
やはり、と思いながら、ウーアは視線を落とした。
「…わかりかねます」
そのとき、ウーアは初めて、殿下に嘘をついた。
殿下の視線が、自分に向いているのがわかる。
殿下は、ウーアの嘘に気づいているのかもしれない。
けれど、その指摘はせずに、ドアに背を預けて腕を組んだ。
「…そう。 セネウが屋敷にいて、みすみすシィーファを出ていかせるとは思わなかったけれど…。 君の言葉を聞いていればよかったね」
それを聞いて、ウーアは自分が後悔したのか、安堵したのかわからなかった。
恐らく、殿下は気づかれたのだろう。
殿下が、この仮住まいに「セネウも連れて行く」と仰ったとき、ウーアが反対した理由に。
殿下の唇から、静かに、抑揚のない声が漏れる。
「結果的に、未遂で終わったからよかったけれど…。 女性がいた方がシィーファは心強いだろう、なんて理由で、連れてこなければよかったな。 シィーファのことは全部、私がすればいいんだし」
「殿下、そういう発言は、お心に留めていただければ、と…」
色々と学習されたのかと思ったら、最後に何か不穏な内容がついてきて、ウーアは思わず殿下の言を遮ってしまった。
思うだけなら自由だし、止めもしないけれど、言葉にしてウーアに聞かせないでほしい。
「そう?」
緩く首を揺らした殿下だったが、そのまますいと視線を流した。
「セネウのことは、どこかほかに勤め先を紹介しようかと思うんだけど、どう?」
…そうなるだろう、とは思っていたけれど…、やはり、自分の胸に湧いたのが、後悔なのか安堵なのかはわからなかった。
それでも、殿下が、「解雇だ」とどだけ冷たく仰らなかったことに、ウーアは感謝を述べる。
「ご配慮いただき、ありがとうございます」
殿下が紹介してくださる勤め先ならば、セネウも、この髪や瞳の色で嫌な思いをすることはないだろう。
「それから、ウーア。 【殿下】、という呼び名は、もう、私には適したものではないよ」
「…そうでしたね」
さらり、と何の未練もなく仰る殿下――いや、主に、ウーアは苦笑する。
この方は、有能で優秀だけれども、ご自分が必要とするもの以外、どうでもいいらしい。
じゃあ、と言って、踵を返しかけた主だったけれども、ふと、思い出したように立ち止まって、ウーアを見た。
「あ、ひとつ、訊いてもいい?」
「なんでしょう?」
「女性は、あんまり気持ちよくなると、お漏らしするの? 恐怖で失禁するというのは、聞いたことがあるけれど」
またもや、さらりと言われたことに、ウーアは固まった。
今、このタイミングで、それを訊く、というのは、先程までの行為で、そういったことがあったということなのか…。
いや、考えないようにしよう。
そう、即座に頭を切り替えて、ウーアは問われたことに答えることにした。
「…それは、その…似て非なるものかと思われます」
ベルの音に、ウーアはふと顔を上げた。
見上げると、部屋にいくつもあるベルのうち、殿下とシィーファ嬢の寝室へと繋がるベルが揺れている。
殿下が鳴らしたのだとすれば、ベル一回はウーアを呼ぶ合図だ。
お屋敷から抜け出したシィーファ嬢を、運よく…、本当に運よく、街で見かけて連れ戻した殿下は、そのままシィーファ嬢をお連れになって寝室に直行された。
夕食の時間はとうに回っているので、恐らく今日は朝までコースだと思っていたのだが…。
何かあったのだろうか、とウーアは腰を上げた。
ランプを持って、かつ、かつ、と暗い廊下を進む。
ここは、殿下がお祖父様から譲り受けた別荘だ。
この別荘は、殿下のお祖父様が、ひとりになりたいときに、利用していたものだという話だった。
殿下のお祖父様の領地ではなく、お祖父様と懇意の貴族から土地を買ったようで、この場所を知る者はほとんどいない。
つまりは、完全に雲隠れ用ということだ。
今頃、殿下の行方を血眼になって探している者共は、殿下のお祖父様を問い詰め…ることはできないので、下手にお伺いを立てているのだろうが、あの方は知らぬ存ぜぬで通すだろう。
思い出したように利用される――つまりは、思い出されないことが多い――その別荘には、物も少なければ明かりも少ない。
人を頼んで、手入れはされていたようだが、先にセネウを行かせて、整える程度のことは必要だった。
そんなことを考えていると、殿下とシィーファ様の寝室の前へと辿り着くので、ウーアはノッカーを鳴らす。
ウーアが呼ばれたということは、最中ではないのだろうが、事後に立ち入るのも気まずいと言えば気まずい。
ウーアはそういった感情がほとんど顔に出ることはないのだが、付き合いの長い殿下には、恐らく読み取られるだろう。
そんなことを考えていると、扉がきぃ…と静かに開くので、ウーアは扉が開く間隔分、二歩ほど右手にずれた。
扉が当たらないように、また、室内が見えないように、だ。
現れた殿下は、寝間着の下を履き、寝間着の上は引っ掛けただけ、という格好だった。
普段、衣装に覆われている肉体は、適度に鍛えられており、筋肉による厚みがある。
その肌が、ランプの灯りを吸い込んで艶めかしく見えるのは、うっすらと汗ばんでいるためか。
瞳も若干熱ばんでおり、ほんのりと目の縁が紅い。
それらは全て、情事を予測させるもので、本当に目に毒な方だ、とウーアは内心で思う。
殿下は、後ろ手に、静かにドアを閉める。
その様子に、何となく、だが、シィーファ嬢は室内でお眠りなのだろう、と察した。
「悪いね、夜中に」
ウーアが観察していたことに、気づいていないのか、どうでもいいのか、殿下はそんな風に言った。
「…いいえ、どんな御用でしょうか」
尋ねながらも、根拠はないが、ウーアには予測がついていた。
わざわざ、夜中にウーアを呼び出すということは、殿下にとって重要な――シィーファ様に関わること。
「…セネウは、何をしていたのかな?」
常より低く、静かな声で、殿下は口にする。
やはり、と思いながら、ウーアは視線を落とした。
「…わかりかねます」
そのとき、ウーアは初めて、殿下に嘘をついた。
殿下の視線が、自分に向いているのがわかる。
殿下は、ウーアの嘘に気づいているのかもしれない。
けれど、その指摘はせずに、ドアに背を預けて腕を組んだ。
「…そう。 セネウが屋敷にいて、みすみすシィーファを出ていかせるとは思わなかったけれど…。 君の言葉を聞いていればよかったね」
それを聞いて、ウーアは自分が後悔したのか、安堵したのかわからなかった。
恐らく、殿下は気づかれたのだろう。
殿下が、この仮住まいに「セネウも連れて行く」と仰ったとき、ウーアが反対した理由に。
殿下の唇から、静かに、抑揚のない声が漏れる。
「結果的に、未遂で終わったからよかったけれど…。 女性がいた方がシィーファは心強いだろう、なんて理由で、連れてこなければよかったな。 シィーファのことは全部、私がすればいいんだし」
「殿下、そういう発言は、お心に留めていただければ、と…」
色々と学習されたのかと思ったら、最後に何か不穏な内容がついてきて、ウーアは思わず殿下の言を遮ってしまった。
思うだけなら自由だし、止めもしないけれど、言葉にしてウーアに聞かせないでほしい。
「そう?」
緩く首を揺らした殿下だったが、そのまますいと視線を流した。
「セネウのことは、どこかほかに勤め先を紹介しようかと思うんだけど、どう?」
…そうなるだろう、とは思っていたけれど…、やはり、自分の胸に湧いたのが、後悔なのか安堵なのかはわからなかった。
それでも、殿下が、「解雇だ」とどだけ冷たく仰らなかったことに、ウーアは感謝を述べる。
「ご配慮いただき、ありがとうございます」
殿下が紹介してくださる勤め先ならば、セネウも、この髪や瞳の色で嫌な思いをすることはないだろう。
「それから、ウーア。 【殿下】、という呼び名は、もう、私には適したものではないよ」
「…そうでしたね」
さらり、と何の未練もなく仰る殿下――いや、主に、ウーアは苦笑する。
この方は、有能で優秀だけれども、ご自分が必要とするもの以外、どうでもいいらしい。
じゃあ、と言って、踵を返しかけた主だったけれども、ふと、思い出したように立ち止まって、ウーアを見た。
「あ、ひとつ、訊いてもいい?」
「なんでしょう?」
「女性は、あんまり気持ちよくなると、お漏らしするの? 恐怖で失禁するというのは、聞いたことがあるけれど」
またもや、さらりと言われたことに、ウーアは固まった。
今、このタイミングで、それを訊く、というのは、先程までの行為で、そういったことがあったということなのか…。
いや、考えないようにしよう。
そう、即座に頭を切り替えて、ウーアは問われたことに答えることにした。
「…それは、その…似て非なるものかと思われます」
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