【R18】石に花咲く

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石に花咲く

6.

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「貴女には、この謎が解ける?」


 今度は、シィーファが目を丸くする番だった。
 彼は、極東の国の、何々と掛けて何々と解く、みたいなものを言っているのだろうか。

 ジッと、上目遣いに凝視して来る、紫紺の瞳。 笑みの形に細められたその瞳や、唇のせいだろうか。
 なぜか、シィーファは、試されているような気分になった。


 誰かには意味があっても、ラディスには意味のないもの。
 シィーファは、【意味】を【価値】と置き換えて考えた。


 例えば、シィーファにとっては価値があっても、ラディスには価値がなく、ないがしろにされるのであれば、シィーファはどう思うだろう。
 真っすぐに、夜明けを待つ色の瞳を見つめ、その中に答えを見つけた。


「…宝の持ち腐れ、ですか?」


 豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏…、言いようはいくらでもあったはずなのに、直感的に閃いたのはそれで、閃くと同時に自分の耳に届く。

 目の前では、ラディスが数度、瞬きをした。
 ラディスは、睫毛まで金と銀のあわいのような色で、ばさばさと量が多く、長い。
 人間の瞬きを、鳥の羽ばたきのようだと思いながら見る日が来ようなどとは、シィーファは想像もしなかった。


 シィーファの謎解きを、どのように捉えたのだろう。
 ラディスは、声を上げて笑った。


「…はは、すごい」


 シィーファの謎解きが、正解だったのか、不正解だったのかも、わからない。
 けれど、笑うラディスが楽しそうなので、正解でも不正解でも構わないか、という気分になった。
 少なくとも、悪い意味で捉えられてはいなさそうだ、と思ったから。

 ラディスの態度があまりにも友好的なので、シィーファは、不思議で不思議でならなかったことを問う気にもなったのと思う。
 ラディスの笑いが治まったタイミングで、尋ねた。


「あの…、どうしてわたしだったのですか?」


 瞬間、ラディスが目を見張る。
 何気なく口にした問いだったが、シィーファは虎の尾を踏んだような心地になった。

 先程までの和やかな空気が一変、空気が冷たく、凍り付いたように錯覚する。
 沈黙が、心臓に痛い。
 無意識のうちに、顔を強張らせ、浅く呼吸を繰り返していると、ラディスがふっと微笑んだ。


「気に入ったから、だね」


 その微笑みひとつで、空気があたたかくなり、和らぐ。
 呼吸がしやすくなったような気がして、シィーファはほっと安堵の息を吐いた。


「その、翡翠のような色の髪も美しいし、瞳だって蜂蜜みたいできれいだよ」
 すらすらとシィーファの外見を褒めるラディスに、照れるよりも先に感心した。
 恐らく、このひとは他者を褒め慣れているのだろう。


 にしても、満月には蛇に変わるという迷信で語られる髪を美しいと言い、見つめ続けた者を石に変えるという瞳をきれいだと言えるなんて、よほどの大物か変わり者だ。
 だから、彼の言葉を深く受け止めずに、挨拶のようなものだと受け流すことができたのだと思う。
 そして、最も訊きたかったことを、ぶつけた。


「でも、わたし、髪を切っています」


 この世界では、国の別を問わず、成人した女性は髪を伸ばすことになっている。具体的に言うのなら、髪は肩よりも長いのが、成人女性の証なのである。
 だが、シィーファの髪は、顎と肩の中間くらいの長さしかない。
 成人女性が、肩よりも短く髪を切ることは、恋愛や結婚をするつもりがないという意思表示になる。
 それは、【石女うずまめの一族】にあっても、娼婦であっても同じこと。
 髪を切った女に、客を取る意思はないものと見なされるのに、その中でどうして彼は、シィーファを選んだのか。


 憶測でしかないが、彼がお貴族様かもしれない、ということが、シィーファの中ではひっかかっている。
 シィーファが覚えていないだけで、以前に何か関わりがあったのではないか。
 あるいは、あの方に関わりのある、誰かなのではないか。


 シィーファとしては、その辺のことを追究したくて投げた問いだったのだが、ラディスにあっさりと躱されることになった。
「でも、髪は伸びるものだしね。 さほど意味はないと思うよ。 短い髪も似合うけど、長い髪もきっと素敵だ」
 微笑んで、そんな風に完結するのだ。
 シィーファは言葉もなかった。


 だって、世の中の女が、どんな気持ちで髪を切ると思っているのだろう。
 未知の生物を見るような目で、ラディスを見ていた自覚はあるが、見られているラディスは全くそのようには思っていないようだ。
 何を考えているのか、にこにこと微笑み、上機嫌で身体を揺らし、まるで鼻歌でも歌い出しそうな様子である。
「楽しみだな。 私は、貴女としたいことがたくさんあるんだ」


「…え…?」
 ほとんど反射で、シィーファはラディスから距離を取ろうとしたが、それは叶わなかった。
 狭い馬車の中なのだ。逃げ場がない。

 今度は、別の意味で、シィーファの心臓が痛くなり、呼吸がしづらくなる。
 ラディスが、「楽しみ」だと言う、シィーファと「したい」「たくさん」の「こと」とは一体何なのか。


 女たちが花を売る【石女の一族】に身を置いていたのだ。
 なまじ、そんじょそこらの女たちよりも、そういった知識量は豊富だ。


 この男は、一体、シィーファを相手に何をしようというのか…。


 痛くなければいいし、苦しくなければいい。
 ああ、でも、シィーファは身請けされてしまったのだから、この後、虫けらのように扱われ、潰され、解体ばらされ、捨てられても、文句は言えないのだ。
 最悪死ぬまでを想定に入れて、ずうううん…と暗く落ち込んだシィーファに気づいたのだろうか。
 ラディスが、シィーファの顔を覗き込んできた。


「何か、嫌なこと考えている?」
「い、いえっ…!」
 図星を指されはしたのだが、シィーファは慌てて首と手を横に振って否定する。


 シィーファの言を完全に信用したとも思えないのだが、ラディスはそれ以上深く訊いては来なかった。
 代わりに、指を折りながら、ラディスの「したいこと」を数えていく。
「まずは、こうして一緒に馬車に乗って、ゆっくり話をしてみたいと思ったし、そうだね。 乗馬も得意なんだよ。 一緒に馬に乗るのもいい。 ボードゲームもしてみたいな。 それから…」
 ぽんぽんとラディスが上げていく「したいこと」に、シィーファは多少面食らう。


 てっきり、自分は、性教育係か、夜の相手として身請けされたと思っていたのだが、もしかすると、違うのだろうか。
 まるで、遊び相手に語り掛けるようだ、とシィーファは思った。
 子どものように瞳を輝かせるラディスを見つめながらも、何か裏はないのだろうか、と勘繰ってしまう。

 それに気づいたわけでもないだろうに、ラディスは一度、彼の「したいこと」を羅列するのを止めて、シィーファに微笑みかけた。
「それにね、貴女にとっても、あそこにいるよりも、私と一緒にいたほうが楽しいことが多いと思うよ」


 その言葉に、微笑みに、心が動かないわけがない。
 どうしてだろう。
 根拠も、証拠も、何もないのに。

 確かに、「そうかもしれない」とシィーファに思わせるような何かが、彼の言葉と微笑みにはあったのだ。
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