【R18】石に花咲く

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石に花咲く

2.

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 時は、少し前にさかのぼる。

 回廊を歩いていると、背後から若い娘たちの声が聞こえることに気づいて、シィーファはぎくりとした。
 周囲を見回すが、ここは長い一本の回廊で、隠れられる扉はない。
 だとすれば、一刻も早く奥の間に辿り着くのが先決では…。
 そう、足を速めようとしたときだった。


「え、シィーファ姉さん?」
「どうしてシィーファ姉さんがいるの?」

 娘たちの声に、シィーファは諦めにも似た思いで足を止めた。
 このように言われるから、来たくなかったのに、と思う。

 回廊の右の壁側に背をくっつけるようにして道を譲りながら、シィーファは努力して笑顔を作る。
「お久しぶり」

 娘たちの表情は、凍り付いた…とまではいかないが、それぞれに、焦燥感、敵対心、敵愾心…そんなものが認められた。
「シィーファ姉様、そのご衣裳…。 ご隠退されたんじゃないの?」
「もう、お客様は取らないと伺ったわ。 髪だって切っていらっしゃるし」
 言葉も、声も、どこかとげとげしい。
 当然か、とシィーファは目を伏せて、小さく肩を竦めた。


 さて、何と答えたものか、とシィーファが頭をフル回転させていると、奥の間の扉が開く重い音が耳に届く。
 シィーファは反射的に、奥の間に顔を向けたのだが、そこから覗いた姿と、続いて聞こえた声にほっと安堵した。
「ほらほら、お前たち、あまりシィーファに絡むんじゃない」
おさ様」

 族長の登場に、娘たちは姿勢を正して発声を変えた。
 きちんと、教育されているんだな、と感心すると共に、自分もまた姿勢を正していることに気づいて、シィーファは苦笑する。

 隠退、したはずなのに、身体は教え込まれた作法を覚えているらしい。

 ゆったりとした長衣に身を包んだ族長は、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
 肩よりも長い濃灰色の髪を、ゆるく一つに結んでいる彼を言い表すには、【美丈夫】という言葉が最も適しているだろう。
 黒とも見紛うような濃紺の衣装は、よくよく見れば若干濃淡を変えただけの幾何学模様が描かれている。
 腕を組んだ族長は、ついとわずか顎を反らして、娘たちを見下ろすようにしながらぐるりと見回した。
「シィーファがここにいるのは、三十路未満の一族の娘全てを集めてほしい、という先方のご希望だ。 失礼のないように、急ぎなさい」

 族長の言葉に、娘たちは一礼をして、族長の横を通り過ぎていく。
 娘たちが、重い扉の向こうに吸い込まれたのを見て、シィーファは族長に頭を下げた。
「ありがとうございます、…お兄様」


 久々に会う、族長であり、年の離れた兄であるユエンを、少しの逡巡ののちに【お兄様】と呼んだ。
 そうすれば、ユエンは嬉しそうにしながらも、表情に苦笑を滲ませる。
「済まないな。 若い娘たちの間では、お前は伝説のような存在だから…。 お前が同じ土俵に戻ってくると早合点して、気が気ではないのだろう」


 伝説のような存在、というのは、シィーファにとっては誇張表現でしかないし、ましてや嬉しい話でもない。
 思い出したくもない過去、と分類してもいい。

 だから、そっと目を伏せて、控えめに口を開いた。
「…お兄様、そのお話は」
「ああ、済まない。 無神経だった」
 ユエンはすぐに、ハッとしたような表情になった。
 だから、シィーファは、「そんなことはない」という意味を込めて、首を緩く横に振る。
 その反応を見れば、本当にただ、口が滑っただけなのだろうというのがわかる。

 シィーファが全て言わずとも、察する力はあるユエンだ。
 彼が、年の離れた、母親の違う妹のシィーファを大切に想い、可愛がってくれたのも知っている。
 シィーファを、特別扱いしてくれていることも。

 その兄が、隠退したシィーファを、一時的にとはいえ、呼び戻すなんて、普通ではありえない。
 一体どんな力が働いたのか、というのは、シィーファにとっても疑問だったので、いい機会だと訊いてみる。
「…どんなお客様なのですか? 若い娘をご所望の方は多いですが、わざわざ【三十路未満の一族の娘全て】とおっしゃる方は、なかなかいません。 …特殊な性癖をお持ちの方ですか?」


 シィーファの問いに、ユエンは苦笑した。
「興味を持つのは良いことだが、それを決して口には出さないでくれ。 大丈夫、恐らくは先方もただ、興味があるだけなのだろう。 特に、お前は髪を切っているし、指名されることはないよ、大丈夫だ」
 そう、安心させるかのように、もしくは促すように、ユエンに背をぽんぽんと叩かれて、シィーファは見世みせの間へと足を進める。


 見世の間へ続く回廊を歩くのは、実は二度目だ。
 恐らく、シィーファは恵まれていたのだろう。


 シィーファは、特別な一族の出だった。


 癒しの力が使えるとか、予知の力があるとか、そういうことではない。
 シィーファの一族は、【石女うずまめの一族】と呼ばれている。

 一昔前は、一族の女たちは【魔性】だと言われていた。

 【石女】というのが、どこか遠い国の神話に出てくる魔性を連想させるというのだ。
 宝石のように輝く目を持ち、見た者を石に変える。
 もちろん、シィーファたち一族の女に、そんな能力はない。
 あればいいと、思ったことがないとは言わないが。


 シィーファたち一族の女は、得てして見目がい。
 一族の女を目にした男の中には、ありきたりな表現ではあるが、「雷に撃たれたような衝撃」「身動きが取れなくなった」と言うものも多い。
 その辺の事情が、シィーファたち一族を、【魔性】と呼ばせたのだと、シィーファは理解している。


 では、【石女の一族】とは、何なのか?
 読んで字の通り、シィーファの一族には、女が生まれはするが、女が子を産むことはない。


 それ故、女たちは、貴族や富裕層を対象に、花を売る。
 一族が経営し、斡旋する、高級娼館のようなものだ。

 その辺の娼館と違うのは、出自が明確であること。 万が一にも、子を孕む危険性がないこと。
 検査もきちんと受けているため、おかしな病気を持った者もいないから、安心安全。
 また、それが一族のウリでもあるのだ。


 一族に産まれた女は、子を成せない。
 どうやらこれは、病気とかそういうたぐいのものではなく、そういった遺伝的要素によるものらしい。
 ざっくり言えば、そういう家系だということだ。


 一族の医師の話によると、その遺伝的要素は、一族の男によって保持され、脈々と受け継がれているらしい。
 何に原因があるのかはわからないが、男にはなくて、女にある器官によるものだろう、という話だった。
 簡単に言えば、子宮や卵巣は男にはないから、男がそれに関する遺伝的異常を持っていたとしても、男には全く関係がない。
 女が生まれたときだけ、それが異常として発現する、という話だったと記憶している。


 だから、シィーファも、子を成せない。
 五年ほど前までは、シィーファも【石女の一族】として、花を売っていた。


 先を行く、ユエンの手が、重い扉を開けてくれた。
 見世の間、の中が、シィーファにも見える。
 そこには、既に娘たちが揃っていて、等間隔に並べられた椅子に座っていた。 その、後ろ姿が見える。


 今、ユエンが開けてくれている扉側――、お客様の入口である正面から見れば、一番奥に一つ残っているのが、シィーファの席なのだろう。 最も目立たない席であることに、シィーファは安堵する。


 ユエンに頭を下げて、扉をくぐり、音を立てないように意識して、椅子に腰かける。
 さっと視線を走らせれば、花を売れる十八になった娘から、三十路間近の女たちが揃っているようだった。
 シィーファは縁があって、幸運にも二年ほどで隠退することができたが、そうでない女たちも多い。
 薹が立つ、なんてことはない…とは言わないが、五十路でまだ現役という女もいる。


 そんなことをぼんやりと考えていると、いつも不思議に思うのだ。
 自分たちの一族は、何のために存在しているのだろう、と。


 【神様の気まぐれ】、【神様の悪戯】、そんな風に、以前シィーファを買った男は言った。
 本当にこれが、神様の気まぐれや悪戯なのだとしたら、それはどんなに傍若無人で残酷な神様だというのだろう。

 一族の女を買う男たちは、恐らく、悪い意味で【神様の気まぐれ】や【神様の悪戯】という言葉を使ってはいない。
 シィーファたち【石女の一族】は、彼らにとってはとても都合のいい存在だから。
 彼らは恐らく、神様を天真爛漫で無邪気な存在だと捉えているのだ。


 見世の間に、一堂に並べられた女たち。
 そう、ここで行われるのは、所謂、見世だ。
 ここで、女たちは、お客様に指名をされ、花の棟――一夜を提供する場――に移されるか、連れ帰られるかする。
 まるで、人間ではなくて、ものみたいだ、とシィーファは考える。
 考える余裕が、今はある、ということだ。


 初めてこの空間に入ったときは、最前列にいたし、緊張で何かを考えるどころではなかった。
 自分も含め、女たちは皆、同じ、白い衣装を身に着けている。
 これは、衣装によって、優劣を決めさせないため。
 衣装ではなく、女という素材を見て、お客様に選ばせるためだ。

 この衣装に袖を通すのも、シィーファは二度目になる。
 あのときは、婚礼衣装のようだとどきどきしたものだ。
 そんな自分を思い出して、シィーファは小さく失笑した。

 嘲笑った。
 あのときの、自分を。


 どうして、こんなものを、婚礼衣装だなんて思ったのだろう。


 そもそも、どうして婚礼衣装は白なのだろう。
 装束しょうぞくだって白なのに。

 そんなことを考えるのは、恐らく今の自分は、この場を死に直面する場のようにとらえているからなのだろう。
 この先にあるのが、夢や、希望ではなく、絶望と、嘆きだと知っているから。


 そして、唐突にシィーファは気づいた。
 ああ、自分はまだ、一族の定めを、自分の定めを、受け容れられていないのだろう。

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