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【シャルデル伯爵の房中】

2.シャルデル伯爵の理解

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 ディアヴェルは荒んだ気持ちを止められずに、意地の悪いことを言った。
「…悪いと言ったら、何かしてくれますか?」


 目の前の、リシアが固まった。
 その顔に浮かんだ感情に、ディアヴェルは冷や水を頭からかけられた気分になった。


 一瞬にして、冷静になる。
 あれは、怯えだ。


 それを瞬時に見て、判断し、ディアヴェルは笑んだ。
「冗談ですよ」


 否、冗談に、してあげる。


 思いは、表情には出なかったと思うのだが、リシアは何か引っかかるものがあったらしい。
 おっとりとした印象の綺麗な顔立ちは、表情の乏しい人形のようにも見える。
 その彼女の目が、そっと伏せられて、憚るようにしながらも、尋ねた。


「…わたし、何か気に障ることしました?」


 ディアヴェルは、目を見張る。
 気づかれないようにと思いながらも、歯を食いしばる。
 そんなふうに聞かれては、勘違いしそうになるだろう。
 自分のことを、彼女が、気にかけてくれているのでは、と。
 彼女のことを、信じていない、わけではない、けれど。


 ああ、やはり。
 恋は、ひとを、愚かにする。


「ダニエレ」


 意識するよりも早く、その名が口をついて出ていた。
 自分の耳に届いた自分の声に、ディアヴェルは軽く驚く。
「? 彼が、どうしました?」
 リシアは、不思議そうな顔をしている。
 胃の辺りが、どすんと重くなるような気がした。


 自分が、リシアに気安く、【彼】などと呼ばれたことがあっただろうか。
 格好の悪い嫉妬が、口をついて溢れるのを、止められなかった。
「…名前を、呼ぶのですね?」
「…息子、ですから」
 リシアは、そのように答えた。
 何気ないふりを、装って。
 そう感じたのは、リシアの目が視線から逃れるように伏せられたから。
 それでも、ディアヴェルは、言葉を止められなかった。


「…同じ、色でした」


「同じ、色?」
 無垢な響きで問い返す声を、憎らしく思うことが来るなんて。
 わかっていてやっているのか、と問い詰めたい気持ちになりながらも、ディアヴェルも平静を装う。


 自分を、偽り、騙すのだ。
 そんなことも、忘れていた。
 彼女の前では、そんな簡単なことさえできなくなる自分を、滑稽に、そして情けなく思いながらも、言った。


「金髪に、この色の瞳」
 ディアヴェルを見つめる、リシアの翡翠の瞳が、大きく見開かれた。
 それは、何を意味するのだろう。
 まさか、もしや、という下らない妄想は、妄想ではなかったというのか。


「………貴女は、彼にも、俺にねだったのと同じことをねだった?」


 リシアの瞳が、もう一度見開かれる。
 サッと彼女の白い肌に朱が走り、噛んだ唇が震えた。


 彼女が、男が初めてだったのは、知っている。
 だが、それを他の男にも求めて、拒まれていたかどうかはわからない。
 瞬き、ひとつの間に。
 彼女がテーブルに左手をついて身を乗り出し、右手を振るのが見えた。


 ぱしんっ…!


 乾いた音、左の頬に走った衝撃に、ディアヴェルは目を見張る。
 左の頬がじんじんと熱を持つような気がした。
 今のは、頬を張られた、のだろうか。


「は、はしたないと…不躾と、思っていただいて構いません。 所詮下賤の身です」
 言う声からわずかな震えを感じ取って、ディアヴェルがリシアを見れば、リシアは右手を左手で庇うようにしていた。
 その身体が、小刻みに震えているように見える。
 怒っているのだろうか、と思った。
 けれど、彼女は、傷ついた表情をしていて、ディアヴェルの方が狼狽する。


「…出逢いが、出逢いだから、仕方ないかも、しれません。 けれど、貴方は、わたしを何だとっ…」
 じわっ…と翡翠の目に涙が膨れ上がるのが見えて、ますますディアヴェルは狼狽した。


「ご、ごめん、リシア。 ひどいことを言った。 俺、リシアのこととなると、余裕がなくてっ…」
 そんなことを口走るあたり本当に余裕がない。


「もう、いいです」
 そう、突き放すように言ったリシアは、横を向いてしまう。
 けれど、その声が鼻にかかっているのをディアヴェルは聞き逃さなかったし、涙の筋が頬を伝うのも見逃さなかった。
 席を立ち、顔を背けるリシアに近づく。


「…泣かないで。 …リシア」
 頬を擦るリシアの手を絡め取って、リシアが溢れさせる涙を、唇で受け止める。


 涙は、塩辛く、舌が痺れる。
 けれど、リシアのものだと思うとちっとも嫌ではない。 むしろ、愛しくて。
 これが、自分のために流した涙かと思うと、甘く、苦く感じる。


 そして、ふと思う。
 リシアが泣いたのは、自分に不貞を疑われたからと思って、間違いないだろうか。


 それは、どうして?
 リシアは今、自分にされることに、抗おうとしない。
 それは、どうして?


「……俺、だから?」
 気づけば、唇が動いて、意図するより早く尋ねていた。
 自意識、過剰でもいい。
 リシアの翡翠の瞳が、ディアヴェルを見上げる。
 問いの意味を理解していない風だったから、ディアヴェルは重ねた。


「…俺だから、声をかけたの?」


 途端、手の中のリシアの顔が、ぼんっと赤くなった。
 瞳が潤んだのは、羞恥のためだと受け取って、構わないだろうか。
 そんな反応をされると、少しでも、と期待したくなる。


 さっきまで、何をあんなに危惧し、苛立っていたのかもわからない。
 恋とは本当に、恐ろしいものだ。


「…ああ、やはり俺は、貴女が好きです。 リシア」
 そして、これ以上ないくらいの幸せを与えてくれるものだと、ディアヴェルは知る。

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