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【シャルデル伯爵の術中】
9.シャルデル伯爵の変化
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ちら、と視線を上げてリシアは正面に座るシャルデル伯爵を見た。
帰りの馬車の中にいるのだが、やはり、どことなくシャルデル伯爵の纏う空気が重い。
行きの馬車の中では、ずっとリシアを見つめていて居心地が悪かったのだが、今のシャルデル伯爵の視線は窓の外の暗闇に向けられている。
家々の明かりの他は、ほとんど何も見えないというのに。
そう思って、リシアは気づく。
シャルデル伯爵の表情はどこかぼんやりとしていて、心ここにあらず。 外の景色を眺めているのではなく、別のものを見ているようだ、と。
「…お仕事のお話は、上手くいかなかったのですか?」
思いついたことを問えば、ぴくりとシャルデル伯爵が反応し、その菫青石の瞳がようやくリシアに向く。
緩慢な動作ではあったが、リシアはほっと安堵した。
「いいえ、上々です。 どうして?」
「いえ、なんとなく」
リシアは慌てて、そう濁した。
なんとなく、元気がなく、暗いような、考えているような感じがするから…と言えるほど、図太くはできていない。
シャルデル伯爵の菫青石の瞳が、じっとリシアを見つめたかと思うと、ゆっくりとその唇が動いた。
「…リシア、貴女にはもう少し周りの目を気にしていただきたい。 あんなふうににこにこと微笑んでいては、悪い虫を誘うようなものです」
咎めるような口調と声音に、リシアはきょとんとする。
ああいった席で仏頂面をしているほうが、不躾ではないだろうか。
それに、悪い虫とは言うけれど、シャルデル伯爵はリシアのことを【レイナール夫人】と紹介していたはずではないか。
「わたしが既婚者なのは皆さまご存知でしょう?」
そうすれば、シャルデル伯爵ははぁ、と溜息をついた。
その溜息は呆れを多分に含んでいる。
「リシアは、本当に世馴れしていませんね。 相手がいようといまいと、あまり関係がないのですよ。 むしろ、相手がいたほうが、その場限りの相手としては楽、という人間も多いのですから」
溜息は呆れを含んでいると思ったが、声音から感じられるのは苛立ち、だろうか。
多少感情的である。
けれど、リシアはそれよりも、シャルデル伯爵の語った内容が胸にずきりと来て、シャルデル伯爵を見た。
今シャルデル伯爵が語ったことは、シャルデル伯爵の意見でもあるのだろうか。
その場限りの相手としては、楽だ、と?
リシアの視線から、リシアの思った事を、シャルデル伯爵はほぼ正確に感じ取ったらしい。
「今の俺は違いますよ。 貴女を、本気で欲して、夫人にしたいと思っています」
少し、むっとしたような口調だった。 けれど、先の発言と違って、苛立ちは感じられない。
そして、リシアは今の彼の言葉に、安堵し、嬉しいと思ってしまっている。
頬が少し赤いかもしれない。 この明るさでは顔色の判別はつかないだろうことが救いだ。
リシアは半眼を伏せながらも、もっと安心したくて、シャルデル伯爵を試すようなことを聞いてしまった。
「わたしと貴方の仲を誤解してしまったらどうされるの?」
「それは俺の望むところですが」
さらり、とシャルデル伯爵が紡いだ言葉は、リシアを満足させた。
だから、聞こうと思った。
「…さっき」
「さっき?」
不思議そうに揺れる声に、リシアは視線を上げて、じっとシャルデル伯爵の瞳を見つめた。
聞きたいと思った。
リシアではなく、ダニエレを見て、シャルデル伯爵が固まっていた理由を。
「何か、驚くようなことがあったのですか?」
リシアの問いに、シャルデル伯爵は軽く目を見張る。
それが、驚きからなのか、意外だ、という思いからなのかは判別がつかなかった。
「…さぁ、どうでしょう」
ただ、そう応じたシャルデル伯爵が、意図的に回答を回避したのだけは、わかった。
帰りの馬車の中にいるのだが、やはり、どことなくシャルデル伯爵の纏う空気が重い。
行きの馬車の中では、ずっとリシアを見つめていて居心地が悪かったのだが、今のシャルデル伯爵の視線は窓の外の暗闇に向けられている。
家々の明かりの他は、ほとんど何も見えないというのに。
そう思って、リシアは気づく。
シャルデル伯爵の表情はどこかぼんやりとしていて、心ここにあらず。 外の景色を眺めているのではなく、別のものを見ているようだ、と。
「…お仕事のお話は、上手くいかなかったのですか?」
思いついたことを問えば、ぴくりとシャルデル伯爵が反応し、その菫青石の瞳がようやくリシアに向く。
緩慢な動作ではあったが、リシアはほっと安堵した。
「いいえ、上々です。 どうして?」
「いえ、なんとなく」
リシアは慌てて、そう濁した。
なんとなく、元気がなく、暗いような、考えているような感じがするから…と言えるほど、図太くはできていない。
シャルデル伯爵の菫青石の瞳が、じっとリシアを見つめたかと思うと、ゆっくりとその唇が動いた。
「…リシア、貴女にはもう少し周りの目を気にしていただきたい。 あんなふうににこにこと微笑んでいては、悪い虫を誘うようなものです」
咎めるような口調と声音に、リシアはきょとんとする。
ああいった席で仏頂面をしているほうが、不躾ではないだろうか。
それに、悪い虫とは言うけれど、シャルデル伯爵はリシアのことを【レイナール夫人】と紹介していたはずではないか。
「わたしが既婚者なのは皆さまご存知でしょう?」
そうすれば、シャルデル伯爵ははぁ、と溜息をついた。
その溜息は呆れを多分に含んでいる。
「リシアは、本当に世馴れしていませんね。 相手がいようといまいと、あまり関係がないのですよ。 むしろ、相手がいたほうが、その場限りの相手としては楽、という人間も多いのですから」
溜息は呆れを含んでいると思ったが、声音から感じられるのは苛立ち、だろうか。
多少感情的である。
けれど、リシアはそれよりも、シャルデル伯爵の語った内容が胸にずきりと来て、シャルデル伯爵を見た。
今シャルデル伯爵が語ったことは、シャルデル伯爵の意見でもあるのだろうか。
その場限りの相手としては、楽だ、と?
リシアの視線から、リシアの思った事を、シャルデル伯爵はほぼ正確に感じ取ったらしい。
「今の俺は違いますよ。 貴女を、本気で欲して、夫人にしたいと思っています」
少し、むっとしたような口調だった。 けれど、先の発言と違って、苛立ちは感じられない。
そして、リシアは今の彼の言葉に、安堵し、嬉しいと思ってしまっている。
頬が少し赤いかもしれない。 この明るさでは顔色の判別はつかないだろうことが救いだ。
リシアは半眼を伏せながらも、もっと安心したくて、シャルデル伯爵を試すようなことを聞いてしまった。
「わたしと貴方の仲を誤解してしまったらどうされるの?」
「それは俺の望むところですが」
さらり、とシャルデル伯爵が紡いだ言葉は、リシアを満足させた。
だから、聞こうと思った。
「…さっき」
「さっき?」
不思議そうに揺れる声に、リシアは視線を上げて、じっとシャルデル伯爵の瞳を見つめた。
聞きたいと思った。
リシアではなく、ダニエレを見て、シャルデル伯爵が固まっていた理由を。
「何か、驚くようなことがあったのですか?」
リシアの問いに、シャルデル伯爵は軽く目を見張る。
それが、驚きからなのか、意外だ、という思いからなのかは判別がつかなかった。
「…さぁ、どうでしょう」
ただ、そう応じたシャルデル伯爵が、意図的に回答を回避したのだけは、わかった。
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