28 / 55
【シャルデル伯爵の術中】
5.シャルデル伯爵の真実
しおりを挟む
「俺から離れないでくださいね」
夜会に向かう馬車の中で、シャルデル伯爵が自ら語った言葉はそれだけだった。
脚を組んで、頬杖をついたシャルデル伯爵が、じっと真っ直ぐに対面に座るリシアを見つめるのが、夜の暗闇の中でもわかる。
居たたまれなくなったリシアが何かを口にし、シャルデル伯爵が応答する。
密室の中は非常に息が詰まって、リシアは馬車から下りるなり深く呼吸を繰り返した。
そうすれば、シャルデル伯爵が心配そうにリシアの顔を覗き込む。
「酔われましたか?」
リシアはその問いに目を見張った。
確かに、馬車は苦手だった。
けれど、これは馬車で酔ったわけではない。
酔う暇もないくらいに、緊張していたことに気づいて、恥ずかしくなる。
「いいえ、大丈夫です」
恥ずかしいのを隠したくて、返答は素っ気なくなったけれど、シャルデル伯爵は気にしなかったらしい。
「それならばよかった」
そう、上品な笑みを見せて、白い手袋に包まれた手を差し出してきた。
「どうぞ」
リシアは、その手に視線を落とし、シャルデル伯爵を見る。
「…誤解を招くと思います」
「堂々と、疾しいことなどないという顔をしていれば、いいのです」
微笑んだ顔の穏やかさに、リシアは考える。
「疾しいことがない人間の場合にはそれでいいかもしれませんが、疾しいことがある人間の場合どうすればいいのです?」
「簡単ですよ、欺き、偽るのです。 自分を」
さらり、とシャルデル伯爵が言った言葉は、衝撃だった。
欺き、偽る。
他者をではなく、自分を。
そうすれば、それは、自分にとっての、【真実】となる。
「…貴方は、そうやって生きて来たの?」
リシアは自分の声を耳で聞き、ハッとした。
問いは意図せず音を伴って、リシアの唇から零れていた。
シャルデル伯爵は、穏やかに笑んだまま、シャルデル伯爵の手を取る気配のない、リシアの手を取った。
手を取らないリシアに焦れたわけではないことは、その穏やかな動作から窺える。
「…【豪商貴族】シャルデル伯爵家の家訓とでも思っていただければ。 だから、ひとつだけは絶対に、自分を欺き偽るなと言われています」
シャルデル伯爵の手に重ねられた自分の手が、持ち上げられるのを、リシアは見ていた。
シャルデル伯爵と同じく、手袋をはめた手の甲――指の付け根に、シャルデル伯爵の唇が落ちる。
「恋に落ちたときだけは」
上目遣いに見上げてくる菫青石の瞳に、リシアの心臓が大きく跳ねたことを、シャルデル伯爵は知っているのだろうか。
シャルデル伯爵が自分に向ける好意は、真っ直ぐだ。
シャルデル伯爵邸のひとたちも、シャルデル伯爵の言を全面的に信じているようで、リシアをシャルデル伯爵の想い人扱いをする。
その好意に、慣らされていく自分が怖い。
自分はシャルデル伯爵に相応しくないのに、彼の隣で幸せな家庭を築く夢を見そうになる、自分が怖い。
夜会に向かう馬車の中で、シャルデル伯爵が自ら語った言葉はそれだけだった。
脚を組んで、頬杖をついたシャルデル伯爵が、じっと真っ直ぐに対面に座るリシアを見つめるのが、夜の暗闇の中でもわかる。
居たたまれなくなったリシアが何かを口にし、シャルデル伯爵が応答する。
密室の中は非常に息が詰まって、リシアは馬車から下りるなり深く呼吸を繰り返した。
そうすれば、シャルデル伯爵が心配そうにリシアの顔を覗き込む。
「酔われましたか?」
リシアはその問いに目を見張った。
確かに、馬車は苦手だった。
けれど、これは馬車で酔ったわけではない。
酔う暇もないくらいに、緊張していたことに気づいて、恥ずかしくなる。
「いいえ、大丈夫です」
恥ずかしいのを隠したくて、返答は素っ気なくなったけれど、シャルデル伯爵は気にしなかったらしい。
「それならばよかった」
そう、上品な笑みを見せて、白い手袋に包まれた手を差し出してきた。
「どうぞ」
リシアは、その手に視線を落とし、シャルデル伯爵を見る。
「…誤解を招くと思います」
「堂々と、疾しいことなどないという顔をしていれば、いいのです」
微笑んだ顔の穏やかさに、リシアは考える。
「疾しいことがない人間の場合にはそれでいいかもしれませんが、疾しいことがある人間の場合どうすればいいのです?」
「簡単ですよ、欺き、偽るのです。 自分を」
さらり、とシャルデル伯爵が言った言葉は、衝撃だった。
欺き、偽る。
他者をではなく、自分を。
そうすれば、それは、自分にとっての、【真実】となる。
「…貴方は、そうやって生きて来たの?」
リシアは自分の声を耳で聞き、ハッとした。
問いは意図せず音を伴って、リシアの唇から零れていた。
シャルデル伯爵は、穏やかに笑んだまま、シャルデル伯爵の手を取る気配のない、リシアの手を取った。
手を取らないリシアに焦れたわけではないことは、その穏やかな動作から窺える。
「…【豪商貴族】シャルデル伯爵家の家訓とでも思っていただければ。 だから、ひとつだけは絶対に、自分を欺き偽るなと言われています」
シャルデル伯爵の手に重ねられた自分の手が、持ち上げられるのを、リシアは見ていた。
シャルデル伯爵と同じく、手袋をはめた手の甲――指の付け根に、シャルデル伯爵の唇が落ちる。
「恋に落ちたときだけは」
上目遣いに見上げてくる菫青石の瞳に、リシアの心臓が大きく跳ねたことを、シャルデル伯爵は知っているのだろうか。
シャルデル伯爵が自分に向ける好意は、真っ直ぐだ。
シャルデル伯爵邸のひとたちも、シャルデル伯爵の言を全面的に信じているようで、リシアをシャルデル伯爵の想い人扱いをする。
その好意に、慣らされていく自分が怖い。
自分はシャルデル伯爵に相応しくないのに、彼の隣で幸せな家庭を築く夢を見そうになる、自分が怖い。
1
お気に入りに追加
389
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる