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【シャルデル伯爵の手中】

8.シャルデル伯爵の嫉妬

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 帰宅したディアヴェルは、真っ直ぐにリシアの部屋へと向かう。
 リシアを気遣い、自分の居室から離れた客室を用意したわけだが、メイド頭の【隣室】提案に流されておけばよかった、とも思う。
 軽くノックを二度すれば、「はい?」と返事をする声が聞こえる。


「帰ったよ、リシア」
 扉を開けると、リシアはソファに座って刺繍をしているところだった。
「…お帰りなさいませ」
 ディアヴェルを見る翡翠の瞳は、「どうして貴方がここへ?」と不審がっているように見える。


 だが、とりあえずは「帰ったよ」に「…お帰りなさいませ」と返してもらえた幸せに浸らせてもらいたい。
 あの一瞬の間の間に、リシアが何を思ったかは考えないことにする。
「なんだかこうしていると夫婦のようですね」
 リシアに微笑みかけると、リシアはじっとディアヴェルの顔を見つめる。


「…わたしは夫にはハグとビズをしていますよ?」
 微笑みが凍り付いたかも知れない。
 …まさか、つらい現実で切り返されるとは思わなかった。


 彼女がシャルデル伯爵夫人になってくれたら、「お帰りなさいませ」にはハグとビズをつけてもらえるということだと、前向きに捉えよう。
 自分がポジディヴでよかった、と心から思う。


「何かご用ですか?」
 刺繍をする手を止めて、リシアは尚も不審げにディアヴェルを見ている。
 だから、ディアヴェルはリシアに近づいて、そっと手にしていた包みを差し出した。


「貴女に、お土産」
 そうすれば、リシアの翡翠の瞳に非難の色が浮かぶ。
「シャルデル伯爵、あれほど、わたしが」


「まずは、中身を見て」
 続く言葉が、予測できたディアヴェルは、やんわりとだがリシアを遮る。
 ぐ、と言葉を飲み込んだリシアは、丁寧に結ばれたリボンを解き、かぱりと箱を開ける。
 箱の中身を映したリシアの翡翠の瞳が、それこそ宝石のようにきらめくのをディアヴェルは見逃さなかった。


「…ショコラ」
 リシアはとても嬉しそうな様子だった。
 けれどもどうしてこれをディアヴェルが用意しているのか疑問な様子で、頬を染めたままで尋ねてくる。
「これ、有名なパティシエールの…どうして?」
「お好きなのでしょう? …サイが言っていました」
 手柄を譲るようで面白くはなかったが、情報元は明かしておかないとフェアではなかろう。


 クッキーなど、リシアが作る焼き菓子とは違い、なかなか手に入らないのがショコラ。
 これもまた、他の男の話で面白くないのだが、カイトが買ってきてくれた某パティシエールのショコラがとても美味しかったとの話だった。


「…ありがとう、ございます」
 初めて、自分に向けられた笑み。
 それは、リシアが作る菓子のように、優しく、甘く、ほろほろと解けていきそうなほどにやわらかい表情だった。
 それだけで、ディアヴェルは更にリシアが愛しくなり、満足する。


「お茶の用意をさせましょう」
 扉口に控えていたサイフォンがそのように言うから、ディアヴェルは頷く。
「ああ、頼んだよ」
「では、わたしも居間パーラーに参ります」
 リシアがほくほくとした表情で、大切そうにショコラの入った箱を持って立ちあがる。


 こんな些細なもので、喜んでくれるひとなのか、とディアヴェルは不思議な気分になった。
 大金を注ぎ込むことばかりが愛情の示し方ではないらしい。
 このひとは、ほかにどんなことで喜び、嬉しくなってくれるのだろう。
 そんなことを思いながら、幸せそうにショコラを頬張るリシアを見る。


「美味しい」
「よかった」
 リシアの口の中で溶かされるショコラを想像すると、自分もショコラになりたいとさえ思う。
 あの舌で転がされ、溶かされるなら、ショコラもショコラに生まれて本望だろう。
 こくり、と紅茶を飲んだリシアが、ちらとショコラの箱を見た。


「お邸の皆様にも、食べていただいていい?」
 思わず、笑みが零れた。
 自分も、まだ一粒しか口にしていないのに、そんなことを言うなんて。 このひとは、本当に優しい。
「今度、皆にも買ってきます。 これは、貴女だけのものにして」
 じ、とディアヴェルが、リシアが口にショコラを運ぶ様を見ていると、リシアが頬を染めて非難するようにディアヴェルを見た。
「そんなに見られると、食べにくいのですが」


「俺のことは気にせずどうぞ?」
 リシアは少しむっとしたようで、むきになったようにショコラを口に入れる。
 この、少し素直でないところも、可愛いと思えるくらいには、ディアヴェルはリシアに参っている。
「…俺はどうやら、自分で思っているよりもずっと、貴女のことが好きなようです」
 ディアヴェルが告げると、リシアはショコラを頬張ったままで固まった。
「貴女が、喜んでくれたことが、こんなにも嬉しい」


 もっと、このひとのことが知りたい。
 ずっと、こんなときが続けばいい。
 どうして、このひとが、他の男のものなのか。


 彼女がもし、自分のものであったなら。
 この時間が続くことは、保障されるのに。


 シャルデル伯爵家は、代々、恋愛結婚だ。
 祖父母もそうだったし、ディアヴェルは仲睦まじい両親を見て育った。
 取引をするときのように、直感で、このひとだと知れる、と祖父も父も言っていた。
 そんなこと、信じてはいなかったけれど、自分の身に起きた今ならわかる。


 聞いたのは、興味と。 試していたのかもしれない。
「…貴女は、カイト殿を愛していらっしゃる?」
 ティーカップを手に取り、こくこくと飲んで口の中の甘みを流したのだろう。
 リシアは、そっとティーカップを置くと、表情を引き締めて翡翠の瞳で真っ直ぐにディアヴェルを見つめた。


「…愚問です。 とても、とても、恩を感じているし、愛しています」
 ディアヴェルは、眉を寄せずにはおれなかった。
 哀しいことに、彼女のその言葉には、嘘偽りが見えなかったのだ。
 人の嘘を見抜くのが得意な、自分が、である。
 ということは、彼女の想いは、真実のもの。


「…それで、どうして愛する夫以外に抱かれようと思うのです? カイト殿がそれを望んでいるから?」
 カイトが子ども望む理由がわからない。
 正確には、妻に、自分以外の子を産ませようとする、理由が。
 カイトが子どもを作れない身体で、どうしても跡取りが必要というのなら、まだわかる。
 けれど、既にあそこには跡取りの息子がいる。


 そうすれば、ぽつりとリシアが零した。
「…ほしいの、あのひとに、似た、子どもが」


 水滴が落ちて、水面に波紋が広がるように。
 その言葉はディアヴェルの心に、波紋を描いた。


「…あのひとと、きちんと家族になりたいの。 そのためには、わたしには、あのひとに似た子どもが必要で、あのひともそれを、理解してくれた」
 一度言葉を切ったリシアだったが、はっきりと、告げた。


「望んでいるのは、わたし」


 わかっているつもりだった。
 リシアが、カイトと家族になるために、子どもを欲しているのだろうということは。
 けれど、本人の口から聞くと、やはり聞こえ方が違う。


 ちりり、と焼けつくような思いがする。
 ああ、これが、嫉妬か。
 俺も、この愛しいひとに、そう想ってもらえるような存在になりたい。

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