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【シャルデル伯爵の手中】
3.レイナール夫人の諦観
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再びの再開は、嵐のようだった。
「リシア、お待たせしてしまったようで申し訳ありませんでした。 貴女の到着を、駄目執事が報告しなかったもので…退屈されていませんか?」
言いながら近づいてきたシャルデル伯爵は、そのままとても自然な流れでリシアの隣に腰を下ろす。
「………」
リシアは言葉を発さぬままに、ちらりと正面にあるソファを見た。
本来ホストはあちらに座るべきでは、というリシアの無言の訴えは、シャルデル伯爵には届かなかったらしい。
そのまま膝の上に置いた手に触れられそうになるから、リシアはさっと立ち上がって謝辞を述べた。
「この度は、夫の無理なお願いを聞き届けてくださいまして、ありがとうございます。 ………お世話になります」
かなり不本意だったために、なかなか最後の一言が出て来てくれなかったが、出て来てくれただけよしとしよう。
ここは宿屋で、その宿屋の主がシャルデル伯爵だと思えばいいだけだ。
「そんなに畏まらなくても…俺と貴女の仲では…」
微笑んだシャルデル伯爵の言葉が途中で途切れる。
何を見ているのだろう、と視線を辿れば、リシアが持ってきたトランクだった。
「どうして、荷物など持ってきたのです?」
リシアを見上げる菫青石の瞳が、不思議そうに尋ねてくる。
そこで、リシアは自分が立ったままだということに気づいた。
相手を見下ろし続けるのも良くないだろうと、シャルデル伯爵から一人分のスペースを空けて腰を落ち着ける。
「カイト殿には、身一つで来ていただければいいと伝えたのですが?」
少しだけ不機嫌そうに言ったシャルデル伯爵は、もしかするとカイトがリシアに伝えなかったと思っているのかもしれない。
だから、リシアはそれを否定した。
「そうは聞きましたが、服がないと困ります」
どんなに高級な宿屋でだって、そんなサービスはしていないだろう。 片田舎の宿屋であれば、もしかすると厚意で貸してもらえたりするかもしれないが。
けれど、どうやらシャルデル伯爵が宿屋の主を務めるシャルデル伯爵邸では、高級宿屋も驚きのサービスを提供しているらしい。
にっこりと、シャルデル伯爵が笑んだ。
「そんなものは俺が揃えましたから、ご心配なく」
そんなものは俺が揃えましたから、ご心配なく?
思わず脳内で、シャルデル伯爵の口にした言葉を反復してしまった。
どうしてそんなことをするのか、と取り乱して問い詰めたい気もするが、もう全て済んだ後ならば、受け容れるしかないのだろうか。
世の中には、どんなに足掻いてもどうにもならないことがあるのだと、リシアは知っている。
けれど、ひとつ言っておかねばなるまい、とリシアは口を開いた。
「ですが、サイズが」
窮屈な服を身につけるのは御免だ。 百歩譲ってぶかぶかな服はいいとしても、限度はあるとも思う。
シャルデル伯爵は、きょとんとした表情の後で、ふっと表情を和らげる。
優しくて柔らかな笑みのはずなのに、背筋がざわつくような色香が滲んでいる。
「貴女の身体のサイズを、俺がわからないとでも?」
シャルデル伯爵としては恐らく、リシアと過ごした夜のことを仄めかしたのだろう。
けれど、それに気づくより先に、女性の身体のサイズがわかるくらいにたくさんの女性と関係してきたのだな、と冷静になれる自分でよかった。
リシアがシャルデル伯爵に向けた、冷やかな視線に気づいたのか、シャルデル伯爵は取り繕うように笑んだ。
「冗談です。 ああ、いえ、おおよそはわかりますが、着心地の良くない服を貴女に着せるわけにはいきませんから、カイト殿に貴女の衣服をお借りしたり、御贔屓の店を教えていただいたりはしました」
リシアの脳は、またも冷静に動く。
…そんなに近くに、情報を流す人物がいたとは。
信じられないのだが、夫が、妻に恋慕している男に、妻の情報を渡したという。
ああ、でも、あのひとは、それを望んでもいるのか。
信じられないのではない。 信じたくないのは、リシア。
リシアはカイトと、家族でいたい。 ようやくできた、家族なのだ。
だから、リシアは、確たる繋がりが欲しいのだ。
誰から見ても、夫婦である、確たる証が。
ふぅ、とリシアが溜息をつけば、シャルデル伯爵は心配そうにリシアの顔を見る。
「お疲れですか? …お待たせしてしまいましたから…部屋へ案内させていただきますので、まずは休まれては?」
疲れていたわけではないが、一人でそっとしておいてもらえるのなら、それに越したことはない。 リシアはその申し出に、甘えさせてもらうことにする。
「ええ、では、お言葉に甘えて」
「では、ご案内させていただきます」
さっと立ち上がったシャルデル伯爵に続いて、リシアも腰を上げる。
「失礼」
シャルデル伯爵が当然のような動きで、リシアの持ってきたトランクを手にするものだから、リシアは目を瞬かせてしまった。
「え、っと…? フットマンは…?」
リシアがシャルデル伯爵邸に到着した折も、出迎えてくれたのは、執事。
荷物くらい自分で持てると言ったのだが、頑として彼は譲らなかった。
それ以前に、リシアはシャルデル伯爵邸はもっと豪邸なのだと思っていた。
意外なことに、シャルデル伯爵邸は、敷地面積だけ考えれば【上質な家】である。 リシアの暮らす、レイナール邸のほうがもしかしたら大きいかもしれない。
「ああ、こちらは俺の仕事場と言いますか、仮住まいですから。 使用人も必要最小限しかおりませんので」
リシアの荷物を持ったシャルデル伯爵が歩き出す。
流れでトランクを持たせてしまい、そのままになってしまったが、今さら何か言うのも変だろう。 部屋に着いたらお礼を言わねば、と思う。
「お仕事場、なのですか?」
「本邸は領地にありますよ。 若当主と言われていますが、俺は事業の方を任されているだけで、領地の実質管理は父がしていますし、伯爵位も父にあるままです」
リシアは意外な思いでそれを聞く。
目の前の青年が、【シャルデル伯爵】なのだと思っていたが、お父君はご存命らしい。
客間から出て廊下を進むシャルデル伯爵に従いながら、リシアは周囲を見回す。
ほとんど部屋から出ることもないかもしれないが、これならば迷子になる心配も必要なさそうだ。
「リシア、お待たせしてしまったようで申し訳ありませんでした。 貴女の到着を、駄目執事が報告しなかったもので…退屈されていませんか?」
言いながら近づいてきたシャルデル伯爵は、そのままとても自然な流れでリシアの隣に腰を下ろす。
「………」
リシアは言葉を発さぬままに、ちらりと正面にあるソファを見た。
本来ホストはあちらに座るべきでは、というリシアの無言の訴えは、シャルデル伯爵には届かなかったらしい。
そのまま膝の上に置いた手に触れられそうになるから、リシアはさっと立ち上がって謝辞を述べた。
「この度は、夫の無理なお願いを聞き届けてくださいまして、ありがとうございます。 ………お世話になります」
かなり不本意だったために、なかなか最後の一言が出て来てくれなかったが、出て来てくれただけよしとしよう。
ここは宿屋で、その宿屋の主がシャルデル伯爵だと思えばいいだけだ。
「そんなに畏まらなくても…俺と貴女の仲では…」
微笑んだシャルデル伯爵の言葉が途中で途切れる。
何を見ているのだろう、と視線を辿れば、リシアが持ってきたトランクだった。
「どうして、荷物など持ってきたのです?」
リシアを見上げる菫青石の瞳が、不思議そうに尋ねてくる。
そこで、リシアは自分が立ったままだということに気づいた。
相手を見下ろし続けるのも良くないだろうと、シャルデル伯爵から一人分のスペースを空けて腰を落ち着ける。
「カイト殿には、身一つで来ていただければいいと伝えたのですが?」
少しだけ不機嫌そうに言ったシャルデル伯爵は、もしかするとカイトがリシアに伝えなかったと思っているのかもしれない。
だから、リシアはそれを否定した。
「そうは聞きましたが、服がないと困ります」
どんなに高級な宿屋でだって、そんなサービスはしていないだろう。 片田舎の宿屋であれば、もしかすると厚意で貸してもらえたりするかもしれないが。
けれど、どうやらシャルデル伯爵が宿屋の主を務めるシャルデル伯爵邸では、高級宿屋も驚きのサービスを提供しているらしい。
にっこりと、シャルデル伯爵が笑んだ。
「そんなものは俺が揃えましたから、ご心配なく」
そんなものは俺が揃えましたから、ご心配なく?
思わず脳内で、シャルデル伯爵の口にした言葉を反復してしまった。
どうしてそんなことをするのか、と取り乱して問い詰めたい気もするが、もう全て済んだ後ならば、受け容れるしかないのだろうか。
世の中には、どんなに足掻いてもどうにもならないことがあるのだと、リシアは知っている。
けれど、ひとつ言っておかねばなるまい、とリシアは口を開いた。
「ですが、サイズが」
窮屈な服を身につけるのは御免だ。 百歩譲ってぶかぶかな服はいいとしても、限度はあるとも思う。
シャルデル伯爵は、きょとんとした表情の後で、ふっと表情を和らげる。
優しくて柔らかな笑みのはずなのに、背筋がざわつくような色香が滲んでいる。
「貴女の身体のサイズを、俺がわからないとでも?」
シャルデル伯爵としては恐らく、リシアと過ごした夜のことを仄めかしたのだろう。
けれど、それに気づくより先に、女性の身体のサイズがわかるくらいにたくさんの女性と関係してきたのだな、と冷静になれる自分でよかった。
リシアがシャルデル伯爵に向けた、冷やかな視線に気づいたのか、シャルデル伯爵は取り繕うように笑んだ。
「冗談です。 ああ、いえ、おおよそはわかりますが、着心地の良くない服を貴女に着せるわけにはいきませんから、カイト殿に貴女の衣服をお借りしたり、御贔屓の店を教えていただいたりはしました」
リシアの脳は、またも冷静に動く。
…そんなに近くに、情報を流す人物がいたとは。
信じられないのだが、夫が、妻に恋慕している男に、妻の情報を渡したという。
ああ、でも、あのひとは、それを望んでもいるのか。
信じられないのではない。 信じたくないのは、リシア。
リシアはカイトと、家族でいたい。 ようやくできた、家族なのだ。
だから、リシアは、確たる繋がりが欲しいのだ。
誰から見ても、夫婦である、確たる証が。
ふぅ、とリシアが溜息をつけば、シャルデル伯爵は心配そうにリシアの顔を見る。
「お疲れですか? …お待たせしてしまいましたから…部屋へ案内させていただきますので、まずは休まれては?」
疲れていたわけではないが、一人でそっとしておいてもらえるのなら、それに越したことはない。 リシアはその申し出に、甘えさせてもらうことにする。
「ええ、では、お言葉に甘えて」
「では、ご案内させていただきます」
さっと立ち上がったシャルデル伯爵に続いて、リシアも腰を上げる。
「失礼」
シャルデル伯爵が当然のような動きで、リシアの持ってきたトランクを手にするものだから、リシアは目を瞬かせてしまった。
「え、っと…? フットマンは…?」
リシアがシャルデル伯爵邸に到着した折も、出迎えてくれたのは、執事。
荷物くらい自分で持てると言ったのだが、頑として彼は譲らなかった。
それ以前に、リシアはシャルデル伯爵邸はもっと豪邸なのだと思っていた。
意外なことに、シャルデル伯爵邸は、敷地面積だけ考えれば【上質な家】である。 リシアの暮らす、レイナール邸のほうがもしかしたら大きいかもしれない。
「ああ、こちらは俺の仕事場と言いますか、仮住まいですから。 使用人も必要最小限しかおりませんので」
リシアの荷物を持ったシャルデル伯爵が歩き出す。
流れでトランクを持たせてしまい、そのままになってしまったが、今さら何か言うのも変だろう。 部屋に着いたらお礼を言わねば、と思う。
「お仕事場、なのですか?」
「本邸は領地にありますよ。 若当主と言われていますが、俺は事業の方を任されているだけで、領地の実質管理は父がしていますし、伯爵位も父にあるままです」
リシアは意外な思いでそれを聞く。
目の前の青年が、【シャルデル伯爵】なのだと思っていたが、お父君はご存命らしい。
客間から出て廊下を進むシャルデル伯爵に従いながら、リシアは周囲を見回す。
ほとんど部屋から出ることもないかもしれないが、これならば迷子になる心配も必要なさそうだ。
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