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第三部 鏡の表
50.原子力教団(7)神官
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――あなたが、父と母を手にかけたのですか? だとしたら理由を教えてください――。
さやかは、その瞳をトモーラからそらさず、彼からの答えを待った……。
「…………」
トモーラの無言は、一瞬で病室の空気を変えたようにアキトには感じられた。
トモーラはさやかの眼差しから目を背けず、ゆっくりと口を開く……。
「今、何を言おうと言い訳にしかならない。だが、きっかけを作ったのは私だ。私が殺したと言われても、言い逃れする気はない」
トモーラの言いようは、とても落ち着いた口調で「でも、なにか心にくるものがある……」と、さやかは心で感じていた。
とは言え、トモーラの言い分は、彼女が質問した答えにはなってはいない。それは十分に、彼を恨む理由にはなるだろう。
それにこの言い方では、事実関係がまるでわからない。さやかは冷静になって考えることが大切で、一時の感情に流されてはいけないと、彼女はお腹の底から深く息を吐き出した。
「べつの質問をします。あなたは父の書斎から奪った『天核珠』を使い、何をするつもりですか?」
さやかは先ほどと同じく、率直にトモーラに問いかけた。本当は、アキトが問いただしたかったことだろう。彼女は、それを代弁したことになる。
「それは……お前たちに話すつもりはない」
トモーラは付け離すように、すぐさま返答する。
「ならば、なぜここに来た!」
アキトはこらえきれずに叫び、トモーラに詰め寄ろうとする。
その瞬間さやかは、トモーラの左手の辺りとアキトの身体から、オーラの気配を感じた。
「アキトさんストップ!」「止まってトモーラ!」
女性二人が、男性二人の間に割って入る。
「アキトさんここは病院です!」「ここで騒ぎを起こしてどうするつもり!」
その行動と言葉で、男性二人は動きを止めた。
「「…………」」(男性二人)
ドカーン!!!
突然鳴った爆発音。病室の中に居た4人は、その音が鳴った方向へと顔を向ける。それは、テレビの中から聞こえていた。
4人の視線が、テレビ画面へ集中する。
起こった状況は、教団本部を中継している現場映像から見て取れた。
映像に映る体育館の上部、外壁部分に穴が空いており、そこから煙が噴き出している。
ドカーン!
しばらくしてから、さらに破裂するような音が小規模ながら聞こえてきた。映像では変化が見られないので、体育館の中からかもしれないと、さやかは推測する。
「順子」
『順子』とトモーラが言う。それが一緒にいた女の名前だった。呼ばれたほうは、トモーラに向かって「あんなこと……わたしは聞いてないわよ」と言い、大きく首をふる。
順子の表情には、さっきとは打って変わり、緊張感が漂っていた。その彼女の表情で起こった出来事が、普通ではないことをさやかとアキトは悟ることができた。
しばらくしてテレビの中から、またスピーカーによる音声のようなものが聞こえてきた。
その音声は女性の声で、懸命になにかを叫んでいるように聞こえたが、テレビ越しでは何を言っているのかよく聞き取れない。
さやかは音声を聞き取ろうと、テレビ画面に近寄る。
「動くな!」
そう叫んだのはトモーラだった。その声と同時に、突然病室の窓際付近がまばゆく光る。
「「「「!!!」」」」
「チッ!」
光とともに、トモーラが舌打ちをした。
その光は、強く光ったあとにすぐに消えたが、その場所にはひとりの白いローブを着た人間が立っていた。そのあまり高くない身長と体格から、さやかにはすぐに女性だとわかる。
ローブのフードで表情はわからなかったが、両手の手首に繊細な模様の入ったリングを付けている。また左の手にも、指輪をいくつかはめていた。
さやかは、ローブの女性が付けているリングを見て驚く。なぜなら、自分の左腕に付いているリングに似ていると感じたからだ。
「貴様ら……何をしたのかわかっているのか!」
トモーラはローブの女性を見て強く言い放つ。その口調には、怒りが感じられる。
彼の声を聞いて、白いローブの女性が少し顔を上げた。一瞬見えた顔つきは、西洋のギリシャ彫刻のような整った美しい顔立ちだった。
ローブの女性は、さらに顔を上げる。その表情は悲し気で、さやかはその顔を見て、以前映画で見た「殺し屋に守ってもらう小さな女の子」の姿をなぜか思いだした。
女性は、何かを押し殺しているかのように口を開く。
「あのお方が……意志に反した貴方の勝手な行動を……放置されるとでも?」
ローブの女性は、テレビのほうへ顔を向け、続けて話す。
「私でも、あれは止めようがありませんでした。あれに関しては、貴方に恨みを持つ『ヤハト』が動いたようですね」
その名を聞いて、トモーラの眉間にシワが寄る。
「ヤハトだと……」トモーラは一歩前に出てそう言うと、話を続ける。
「あのお方とは、どのお方のことを言っている。どの道、やってくれたことには変わりない。アイツには相応の報いをくれてやる」
「ヒカ……」
ローブの女性が、トモーラになにか言い返そうとしたが、そのとき別の声が割って入った。
「貴女は神官か!」
それはアキトの声だった。目の前で繰り広げられている自分には意味不明な会話に、我慢できなかったのだ。
白いローブの女性は、アキトの問いかけに対して、気にする素振りも見せない。その様子にアキトは、さらに何か言葉を吐こうとする。
「貴女はいったい……クゥッ!」
そこまで言った彼が、急に地面に向かってしゃがみ込んだ。
そのアキトの様子は、まるで彼の上空から重力が降ってきたようで、その圧力はだんだんと強くなり、アキトはそのまま病室の地面に頭部まで押しつけられる。さやかは彼に近寄ろうとしたが、アキトの目が「来るな!」と彼女に訴えた。
さやかはローブの女性をにらんだが、そのときに気づいた。女性が付けている左手の指輪がボンヤリと光っているのを。オーラの力で、アキトを押さえ込んだのだ。
その彼を見下ろしながら、ローブの女性は口を開く。
「控えなさい! あなたごときの『人』が妾に口を利くなど、無礼にもほどがあります」
「こ、この……クッ!」
またアキトへ圧力が加わったのか、苦しそうなわめき声が彼から発せられた。
「アキトさん!」
さやかがそう叫び、またアキトへ近寄ろうとする。
彼女の姿を見て、トモーラは一歩前に出ようと上半身を動かす。だがなぜか、その動きはすぐに停止した。さやかが見ている存在から、強いオーラを感じたからだ。
さやかはアキトだけを見ていた。……ゆっくりとだが、アキトの身体が起き上がってきている。
「ふっ……ざけるな……。神官だろう……が、なんだろうが……この世界にいる俺にとっては……知ったことじゃねぇ……」
アキトは、苦しそうな口調でローブの女性に反論する。
「えっ……」
その姿を見て女性は、驚いたような声をだした。
ダン!
アキトは右足をあげて、勢いよく地面を踏みつける。
ローブの女性の指輪はさらに強く光った。立ち上がろうとしていたアキトの動きが一瞬止まったので、上からの圧力がさらに加わっているのは見て取れたが、それでも彼は懸命にこらえて口を開く。
「あんたらが……あの原子炉で何かをしたんだな……。この世界の人間は……俺たちがいる世界の『人』じゃねぇだろうが!」
アキトの額からは、絶えず汗が滴り落ちている。
ドタ!
うしろでなにか、倒れるような音がした。
さやかは振り返る。トモーラの横にいた順子が、尻もちをついて座り込んでいた。目の前で繰り広げられているこの状況に、耐えきれなかったのだ。
それでもトモーラはアキトを見ていた。その彼の右手は、なぜか強く握られている。
ダン!
アキトはローブの女性が放つオーラにあがいつつ、掛け声をあげながら左足も地面に叩きつけた。
「ゴラァァ!!!」
その掛け声とともに、とうとう彼は両足を地面に突き立て、まっすぐに立ちあがった。
それを見て、ローブの女性の右手がさらにあがる。
「アキトさん!」
さやかはアキトに触れたが、その瞬間、彼女にも上からの圧力が加わった。
「あぅ……」
さやかの口からも苦しい声があがる。彼女は圧力に耐えるため、下腹部でオーラを作ろうとした。
……でも無理だった。アキトの世界で生成したように、上手くはいかない。その姿を見て、アキトが彼女をかばおうと手を伸ばす。
「無駄です。やめなさい」
白いローブの女性が口にしたその言葉。
――そのとおりだ。悔しい……。さやかがそう思った瞬間だった。
パツン!
彼女の頭の上で、何かが破裂するような気配がした。それと同時に、上からの圧力も消滅する。
白いローブの女性は、驚いたようにトモーラのほうを見る。
「この者たちは、貴方が助けるほどの人でしょうか?」
女性はさやかのうしろ。トモーラに向かって話していた。トモーラの左手が、アキトとさやかの頭上を向いている。トモーラのオーラが、ローブの女性が放つオーラを消滅させたのだ。
さやかは「彼がわたしたちを助けてくれたの……?」と、トモーラの顔を見るが、サングラス越しでその表情はわからない。
「メイダ……お前は知らないんだ」
トモーラがローブの女性に向かって、名前らしきものを口にしたあと、もう一度さやかに顔を向ける。ローブの女性はその様子を見て、なにかをさっし、急に驚いた表情をした。
そしてトモーラは右手を上げて、ローブの女性へ告げる。
「消えろメイダ」
パリン!
トモーラがそうつぶやくと、彼がかけているサングラスが突然弾けた。そしてその右手から大きな光の渦が飛ぶ。
「待って!」
メイダと呼ばれた女性が叫ぶ。光の渦はローブの女性に命中するのではなく、彼女の周りを大きく包んだ。
ひかりの渦に包み込まれる最後の瞬間、ローブからのぞいた彼女の表情は必死だった。そして、その眼からは涙が零れている。
「ヒカ……!」
彼女はトモーラに向かってそう叫んだが、その言葉が途切れた瞬間……光に包まれるように消えてしまった。
「「「…………」」」
ブーブー♪
一瞬の沈黙のあと、携帯着信の振動音がした。
その音に、座り込んでいた順子が気づいたように立ち上がり、懐から携帯を取り出した。
二つ折りの携帯を開き画面を見ると、そのままトモーラへ渡す。
トモーラが、携帯を耳に当てた。
「益富……」
トモーラが、仲間の名前を口にする。
さやかとアキトは、その光景を黙って見ている。ふたりはすでに立ち上がっていた。
しばらくして携帯が切られ、その携帯は順子へ戻る。
「いったい……」
順子が心配そうに、トモーラにたずねる。
トモーラが、テレビのほうを見て口を開く。
「今はあれを見るがいい」
さやかとアキトは、トモーラの言葉に合わせてテレビを見た。
テレビ画面の中では、相変わらず体育館の映像を映している。
欠けた外壁部分からは、物凄い量の水蒸気が噴き出していた。
いつのまにか、放水車だけでなく消防のポンプ車もあり、体育館の上空へ向かって放水を開始している。
映像を流しながら、テレビからはしきりに『ベント』とか『放射能が漏れる』などの言葉が聞こえてきた。中には『メルトダウン』と叫んでいるコメンテーターもいる。
そして、さやかはそれを目撃した。
体育館から、突然光がにじみ出てくる光景を……。
その光は、とても濃いオーラの光に似ていたが、一瞬で体育館を覆い隠して建物を見えなくする。そして光はさらに広がっていき、周辺一帯まで広がった。
上空にいるヘリからの映像に移り変わる。光の範囲は、ヘリからの映像範囲も超えて広がり、テレビ画面すらも光で何も見えなくなった。
「「「…………」」」
それは、今まで見たことのない不思議な光景だった。ただの光ではない。なにかを溶かすような、それでいて洗い流すような、オーロラのような波打つ光が波打っている。
さやかは感じていた「なぜだろう。こんな悲しい気持ちになるのは……」隣を見て彼女は驚いた。アキトの瞳からは涙が零れていたのだ。
彼は自分でも、涙を流していることに気づいていなかったのだろう。自分を見るさやかの表情に気づき、自分の顔に手を当てて「ハッ」となる。
そして、彼女自身の瞳からも涙は零れていた。
ふたりは、ヘリからの中継映像を見る。まだしばらく光に包まれていたが、突然の一瞬で光は消え去った。
中継映像は体育館をアップにする。先ほどまで、体育館から噴き出していた蒸気も消えていた。あまりの光景に、テレビ音声も静寂に包まれている。
「「「…………」」」
病室の中にも、一瞬の静寂があった。
「順子」
その静寂を壊すようにトモーラはそう言うと、懐から小さな箱を取りだす。
「これをマリーに渡してくれ」
トモーラが出した小箱を見て、順子は両手で拒もうとする。
「だめだよ! これはあなたが……」
順子は必死に首を振りながら拒絶するが、トモーラは微笑み返す。その彼の表情を見てさやかは、どこかで見たことのある子供のようだと思った。
順子の眼からは、涙があふれている。その顔を見ながらトモーラは告げる。
「順子。行くがいい。ここまで付いてきてくれたことに感謝している」
順子がまた大きく首をふる。
「それに、今回のことは失敗じゃない。俺には新たにやるべきことが見つかったからな」
順子は何も言わずに、一心にトモーラを見つめている。
「これは俺からの最後の願いだ」
トモーラは順子にお願いするように、優しく告げた。
しばらくして決心したのか、順子はうなづきながら小箱を受け取り、すぐに駆け足で病室を出ていった。
「いったい何がどうなったんだ……」
アキトが、そうトモーラに問いかけ、続けて叫ぶ。
「教団本部で何が起こった! あの光は普通じゃない。それに……」
「アキトさん……」
さやかは、激昂するアキトを落ち着かせるように腕をつかむ。それでも彼は叫び続ける。
「あれは……命が弾けたときのオーラの光じゃないのか! それも……通常では見られないほどの大きな光だ! 原子炉と……何か関係があるのか!」
アキトの問いかけに、トモーラは反応する。彼のサングラスは弾け飛んでいたので、素顔が見られた。その表情は、新興宗教の教祖とは思えない。本来あるはずの「威厳」のようなものが一切感じられなかった。
アキトを見るトモーラの表情は「なにか苦しいもの」を見ているようにさやかは感じる。
「原子炉そのものではなく、原子力エネルギー全てがあの光で消滅したのだ」
「「!!!」」
トモーラが放った言葉は、ふたりを驚愕させた。
「なんで! まさかあの光が? でも……アキトさんが言う弾けた命の光って!」
さやかも、トモーラに向かって叫んでいた。
トモーラの表情が悲しくゆがむ。その表情を見て彼女は、なぜか見たくないような不思議な感情にとらわれる。
「さらばだ……」
「おい、待て!」
アキトが、彼に向かってつかみかかろうとする。
バチン!
でもその瞬間、アキトはトモーラの放った光に吹き飛ばされた。
そしてトモーラの手からは、光が膨れ上がる。その光は、先ほどのローブの女性を包み込んだ光のように彼を包み込んだ。
彼は最後にさやかとアキト、ふたり交互に見ながら、先ほどと同じように一瞬で消えてしまった。まるで一つの戦いが終わり、新たな旅立ちに向かうように……。
トモーラが消えた後、ふたりは病室の中でただ呆然としていた。
テレビ画面の中では騒ぎが収まらず、特別番組として中継が続き、コメンテーターたちが混乱したようにわめいている。
夕方近くになり、やっと将人が戻ってきた。
その表情はいつもと違い、とても憔悴しきっている。
さやかは叔父に何かあったのかと不安に感じ、心配で問いただす。
将人は大きく首を振り、ただ……代田が殉職したことだけをさやかに告げた。
彼女は、代田の名前を聞いた瞬間に理解した。さやかとアキト、ふたりが流した涙の意味を……。どのような過程かはわからない。なぜ彼だったのかもわからない。でも原子炉の暴走を止めてくれたのは、間違いなく代田だったのだということを……。
アキトは憔悴していた。ローブの女性が放つオーラに対して、立ち向かったせいもあるだろう。彼は今にも倒れそうな状態だった。
さやかはそのアキトの姿を見て、心の中で声を押し出す。
――もう一度、あの世界に戻して欲しい……この人をこのままにしてはいけない……わたしには、まだあの世界でやれることがあるんだ……。
心の底から、ただそれだけを願った……。
さやかの世界では戦いが終わり、アキトの世界では最後の戦いがはじまる……。
さやかは、その瞳をトモーラからそらさず、彼からの答えを待った……。
「…………」
トモーラの無言は、一瞬で病室の空気を変えたようにアキトには感じられた。
トモーラはさやかの眼差しから目を背けず、ゆっくりと口を開く……。
「今、何を言おうと言い訳にしかならない。だが、きっかけを作ったのは私だ。私が殺したと言われても、言い逃れする気はない」
トモーラの言いようは、とても落ち着いた口調で「でも、なにか心にくるものがある……」と、さやかは心で感じていた。
とは言え、トモーラの言い分は、彼女が質問した答えにはなってはいない。それは十分に、彼を恨む理由にはなるだろう。
それにこの言い方では、事実関係がまるでわからない。さやかは冷静になって考えることが大切で、一時の感情に流されてはいけないと、彼女はお腹の底から深く息を吐き出した。
「べつの質問をします。あなたは父の書斎から奪った『天核珠』を使い、何をするつもりですか?」
さやかは先ほどと同じく、率直にトモーラに問いかけた。本当は、アキトが問いただしたかったことだろう。彼女は、それを代弁したことになる。
「それは……お前たちに話すつもりはない」
トモーラは付け離すように、すぐさま返答する。
「ならば、なぜここに来た!」
アキトはこらえきれずに叫び、トモーラに詰め寄ろうとする。
その瞬間さやかは、トモーラの左手の辺りとアキトの身体から、オーラの気配を感じた。
「アキトさんストップ!」「止まってトモーラ!」
女性二人が、男性二人の間に割って入る。
「アキトさんここは病院です!」「ここで騒ぎを起こしてどうするつもり!」
その行動と言葉で、男性二人は動きを止めた。
「「…………」」(男性二人)
ドカーン!!!
突然鳴った爆発音。病室の中に居た4人は、その音が鳴った方向へと顔を向ける。それは、テレビの中から聞こえていた。
4人の視線が、テレビ画面へ集中する。
起こった状況は、教団本部を中継している現場映像から見て取れた。
映像に映る体育館の上部、外壁部分に穴が空いており、そこから煙が噴き出している。
ドカーン!
しばらくしてから、さらに破裂するような音が小規模ながら聞こえてきた。映像では変化が見られないので、体育館の中からかもしれないと、さやかは推測する。
「順子」
『順子』とトモーラが言う。それが一緒にいた女の名前だった。呼ばれたほうは、トモーラに向かって「あんなこと……わたしは聞いてないわよ」と言い、大きく首をふる。
順子の表情には、さっきとは打って変わり、緊張感が漂っていた。その彼女の表情で起こった出来事が、普通ではないことをさやかとアキトは悟ることができた。
しばらくしてテレビの中から、またスピーカーによる音声のようなものが聞こえてきた。
その音声は女性の声で、懸命になにかを叫んでいるように聞こえたが、テレビ越しでは何を言っているのかよく聞き取れない。
さやかは音声を聞き取ろうと、テレビ画面に近寄る。
「動くな!」
そう叫んだのはトモーラだった。その声と同時に、突然病室の窓際付近がまばゆく光る。
「「「「!!!」」」」
「チッ!」
光とともに、トモーラが舌打ちをした。
その光は、強く光ったあとにすぐに消えたが、その場所にはひとりの白いローブを着た人間が立っていた。そのあまり高くない身長と体格から、さやかにはすぐに女性だとわかる。
ローブのフードで表情はわからなかったが、両手の手首に繊細な模様の入ったリングを付けている。また左の手にも、指輪をいくつかはめていた。
さやかは、ローブの女性が付けているリングを見て驚く。なぜなら、自分の左腕に付いているリングに似ていると感じたからだ。
「貴様ら……何をしたのかわかっているのか!」
トモーラはローブの女性を見て強く言い放つ。その口調には、怒りが感じられる。
彼の声を聞いて、白いローブの女性が少し顔を上げた。一瞬見えた顔つきは、西洋のギリシャ彫刻のような整った美しい顔立ちだった。
ローブの女性は、さらに顔を上げる。その表情は悲し気で、さやかはその顔を見て、以前映画で見た「殺し屋に守ってもらう小さな女の子」の姿をなぜか思いだした。
女性は、何かを押し殺しているかのように口を開く。
「あのお方が……意志に反した貴方の勝手な行動を……放置されるとでも?」
ローブの女性は、テレビのほうへ顔を向け、続けて話す。
「私でも、あれは止めようがありませんでした。あれに関しては、貴方に恨みを持つ『ヤハト』が動いたようですね」
その名を聞いて、トモーラの眉間にシワが寄る。
「ヤハトだと……」トモーラは一歩前に出てそう言うと、話を続ける。
「あのお方とは、どのお方のことを言っている。どの道、やってくれたことには変わりない。アイツには相応の報いをくれてやる」
「ヒカ……」
ローブの女性が、トモーラになにか言い返そうとしたが、そのとき別の声が割って入った。
「貴女は神官か!」
それはアキトの声だった。目の前で繰り広げられている自分には意味不明な会話に、我慢できなかったのだ。
白いローブの女性は、アキトの問いかけに対して、気にする素振りも見せない。その様子にアキトは、さらに何か言葉を吐こうとする。
「貴女はいったい……クゥッ!」
そこまで言った彼が、急に地面に向かってしゃがみ込んだ。
そのアキトの様子は、まるで彼の上空から重力が降ってきたようで、その圧力はだんだんと強くなり、アキトはそのまま病室の地面に頭部まで押しつけられる。さやかは彼に近寄ろうとしたが、アキトの目が「来るな!」と彼女に訴えた。
さやかはローブの女性をにらんだが、そのときに気づいた。女性が付けている左手の指輪がボンヤリと光っているのを。オーラの力で、アキトを押さえ込んだのだ。
その彼を見下ろしながら、ローブの女性は口を開く。
「控えなさい! あなたごときの『人』が妾に口を利くなど、無礼にもほどがあります」
「こ、この……クッ!」
またアキトへ圧力が加わったのか、苦しそうなわめき声が彼から発せられた。
「アキトさん!」
さやかがそう叫び、またアキトへ近寄ろうとする。
彼女の姿を見て、トモーラは一歩前に出ようと上半身を動かす。だがなぜか、その動きはすぐに停止した。さやかが見ている存在から、強いオーラを感じたからだ。
さやかはアキトだけを見ていた。……ゆっくりとだが、アキトの身体が起き上がってきている。
「ふっ……ざけるな……。神官だろう……が、なんだろうが……この世界にいる俺にとっては……知ったことじゃねぇ……」
アキトは、苦しそうな口調でローブの女性に反論する。
「えっ……」
その姿を見て女性は、驚いたような声をだした。
ダン!
アキトは右足をあげて、勢いよく地面を踏みつける。
ローブの女性の指輪はさらに強く光った。立ち上がろうとしていたアキトの動きが一瞬止まったので、上からの圧力がさらに加わっているのは見て取れたが、それでも彼は懸命にこらえて口を開く。
「あんたらが……あの原子炉で何かをしたんだな……。この世界の人間は……俺たちがいる世界の『人』じゃねぇだろうが!」
アキトの額からは、絶えず汗が滴り落ちている。
ドタ!
うしろでなにか、倒れるような音がした。
さやかは振り返る。トモーラの横にいた順子が、尻もちをついて座り込んでいた。目の前で繰り広げられているこの状況に、耐えきれなかったのだ。
それでもトモーラはアキトを見ていた。その彼の右手は、なぜか強く握られている。
ダン!
アキトはローブの女性が放つオーラにあがいつつ、掛け声をあげながら左足も地面に叩きつけた。
「ゴラァァ!!!」
その掛け声とともに、とうとう彼は両足を地面に突き立て、まっすぐに立ちあがった。
それを見て、ローブの女性の右手がさらにあがる。
「アキトさん!」
さやかはアキトに触れたが、その瞬間、彼女にも上からの圧力が加わった。
「あぅ……」
さやかの口からも苦しい声があがる。彼女は圧力に耐えるため、下腹部でオーラを作ろうとした。
……でも無理だった。アキトの世界で生成したように、上手くはいかない。その姿を見て、アキトが彼女をかばおうと手を伸ばす。
「無駄です。やめなさい」
白いローブの女性が口にしたその言葉。
――そのとおりだ。悔しい……。さやかがそう思った瞬間だった。
パツン!
彼女の頭の上で、何かが破裂するような気配がした。それと同時に、上からの圧力も消滅する。
白いローブの女性は、驚いたようにトモーラのほうを見る。
「この者たちは、貴方が助けるほどの人でしょうか?」
女性はさやかのうしろ。トモーラに向かって話していた。トモーラの左手が、アキトとさやかの頭上を向いている。トモーラのオーラが、ローブの女性が放つオーラを消滅させたのだ。
さやかは「彼がわたしたちを助けてくれたの……?」と、トモーラの顔を見るが、サングラス越しでその表情はわからない。
「メイダ……お前は知らないんだ」
トモーラがローブの女性に向かって、名前らしきものを口にしたあと、もう一度さやかに顔を向ける。ローブの女性はその様子を見て、なにかをさっし、急に驚いた表情をした。
そしてトモーラは右手を上げて、ローブの女性へ告げる。
「消えろメイダ」
パリン!
トモーラがそうつぶやくと、彼がかけているサングラスが突然弾けた。そしてその右手から大きな光の渦が飛ぶ。
「待って!」
メイダと呼ばれた女性が叫ぶ。光の渦はローブの女性に命中するのではなく、彼女の周りを大きく包んだ。
ひかりの渦に包み込まれる最後の瞬間、ローブからのぞいた彼女の表情は必死だった。そして、その眼からは涙が零れている。
「ヒカ……!」
彼女はトモーラに向かってそう叫んだが、その言葉が途切れた瞬間……光に包まれるように消えてしまった。
「「「…………」」」
ブーブー♪
一瞬の沈黙のあと、携帯着信の振動音がした。
その音に、座り込んでいた順子が気づいたように立ち上がり、懐から携帯を取り出した。
二つ折りの携帯を開き画面を見ると、そのままトモーラへ渡す。
トモーラが、携帯を耳に当てた。
「益富……」
トモーラが、仲間の名前を口にする。
さやかとアキトは、その光景を黙って見ている。ふたりはすでに立ち上がっていた。
しばらくして携帯が切られ、その携帯は順子へ戻る。
「いったい……」
順子が心配そうに、トモーラにたずねる。
トモーラが、テレビのほうを見て口を開く。
「今はあれを見るがいい」
さやかとアキトは、トモーラの言葉に合わせてテレビを見た。
テレビ画面の中では、相変わらず体育館の映像を映している。
欠けた外壁部分からは、物凄い量の水蒸気が噴き出していた。
いつのまにか、放水車だけでなく消防のポンプ車もあり、体育館の上空へ向かって放水を開始している。
映像を流しながら、テレビからはしきりに『ベント』とか『放射能が漏れる』などの言葉が聞こえてきた。中には『メルトダウン』と叫んでいるコメンテーターもいる。
そして、さやかはそれを目撃した。
体育館から、突然光がにじみ出てくる光景を……。
その光は、とても濃いオーラの光に似ていたが、一瞬で体育館を覆い隠して建物を見えなくする。そして光はさらに広がっていき、周辺一帯まで広がった。
上空にいるヘリからの映像に移り変わる。光の範囲は、ヘリからの映像範囲も超えて広がり、テレビ画面すらも光で何も見えなくなった。
「「「…………」」」
それは、今まで見たことのない不思議な光景だった。ただの光ではない。なにかを溶かすような、それでいて洗い流すような、オーロラのような波打つ光が波打っている。
さやかは感じていた「なぜだろう。こんな悲しい気持ちになるのは……」隣を見て彼女は驚いた。アキトの瞳からは涙が零れていたのだ。
彼は自分でも、涙を流していることに気づいていなかったのだろう。自分を見るさやかの表情に気づき、自分の顔に手を当てて「ハッ」となる。
そして、彼女自身の瞳からも涙は零れていた。
ふたりは、ヘリからの中継映像を見る。まだしばらく光に包まれていたが、突然の一瞬で光は消え去った。
中継映像は体育館をアップにする。先ほどまで、体育館から噴き出していた蒸気も消えていた。あまりの光景に、テレビ音声も静寂に包まれている。
「「「…………」」」
病室の中にも、一瞬の静寂があった。
「順子」
その静寂を壊すようにトモーラはそう言うと、懐から小さな箱を取りだす。
「これをマリーに渡してくれ」
トモーラが出した小箱を見て、順子は両手で拒もうとする。
「だめだよ! これはあなたが……」
順子は必死に首を振りながら拒絶するが、トモーラは微笑み返す。その彼の表情を見てさやかは、どこかで見たことのある子供のようだと思った。
順子の眼からは、涙があふれている。その顔を見ながらトモーラは告げる。
「順子。行くがいい。ここまで付いてきてくれたことに感謝している」
順子がまた大きく首をふる。
「それに、今回のことは失敗じゃない。俺には新たにやるべきことが見つかったからな」
順子は何も言わずに、一心にトモーラを見つめている。
「これは俺からの最後の願いだ」
トモーラは順子にお願いするように、優しく告げた。
しばらくして決心したのか、順子はうなづきながら小箱を受け取り、すぐに駆け足で病室を出ていった。
「いったい何がどうなったんだ……」
アキトが、そうトモーラに問いかけ、続けて叫ぶ。
「教団本部で何が起こった! あの光は普通じゃない。それに……」
「アキトさん……」
さやかは、激昂するアキトを落ち着かせるように腕をつかむ。それでも彼は叫び続ける。
「あれは……命が弾けたときのオーラの光じゃないのか! それも……通常では見られないほどの大きな光だ! 原子炉と……何か関係があるのか!」
アキトの問いかけに、トモーラは反応する。彼のサングラスは弾け飛んでいたので、素顔が見られた。その表情は、新興宗教の教祖とは思えない。本来あるはずの「威厳」のようなものが一切感じられなかった。
アキトを見るトモーラの表情は「なにか苦しいもの」を見ているようにさやかは感じる。
「原子炉そのものではなく、原子力エネルギー全てがあの光で消滅したのだ」
「「!!!」」
トモーラが放った言葉は、ふたりを驚愕させた。
「なんで! まさかあの光が? でも……アキトさんが言う弾けた命の光って!」
さやかも、トモーラに向かって叫んでいた。
トモーラの表情が悲しくゆがむ。その表情を見て彼女は、なぜか見たくないような不思議な感情にとらわれる。
「さらばだ……」
「おい、待て!」
アキトが、彼に向かってつかみかかろうとする。
バチン!
でもその瞬間、アキトはトモーラの放った光に吹き飛ばされた。
そしてトモーラの手からは、光が膨れ上がる。その光は、先ほどのローブの女性を包み込んだ光のように彼を包み込んだ。
彼は最後にさやかとアキト、ふたり交互に見ながら、先ほどと同じように一瞬で消えてしまった。まるで一つの戦いが終わり、新たな旅立ちに向かうように……。
トモーラが消えた後、ふたりは病室の中でただ呆然としていた。
テレビ画面の中では騒ぎが収まらず、特別番組として中継が続き、コメンテーターたちが混乱したようにわめいている。
夕方近くになり、やっと将人が戻ってきた。
その表情はいつもと違い、とても憔悴しきっている。
さやかは叔父に何かあったのかと不安に感じ、心配で問いただす。
将人は大きく首を振り、ただ……代田が殉職したことだけをさやかに告げた。
彼女は、代田の名前を聞いた瞬間に理解した。さやかとアキト、ふたりが流した涙の意味を……。どのような過程かはわからない。なぜ彼だったのかもわからない。でも原子炉の暴走を止めてくれたのは、間違いなく代田だったのだということを……。
アキトは憔悴していた。ローブの女性が放つオーラに対して、立ち向かったせいもあるだろう。彼は今にも倒れそうな状態だった。
さやかはそのアキトの姿を見て、心の中で声を押し出す。
――もう一度、あの世界に戻して欲しい……この人をこのままにしてはいけない……わたしには、まだあの世界でやれることがあるんだ……。
心の底から、ただそれだけを願った……。
さやかの世界では戦いが終わり、アキトの世界では最後の戦いがはじまる……。
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