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カランポーのはぐれ狼
50.ロボ、甦る狼王
しおりを挟む【“カランポーのはぐれ狼(8/11話)】
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ロイドが地面に穿ったのは、決して譲れぬはぐれ狼の一線だった。
あの子は、あの死んだ雌狼と群れの仲間達からの、大事な預かり物だ。約束はなくても頼まれていなくても。あの子を殺させはしない(今度も死なせはしない)。この身に変えても、命がここで尽きるとしても(喩えトラックが相手だろうと)。
兄貴、ブランカ。俺に力を貸してくれ。
ロイドは吼えた。
「ここからは一歩も通さない――……」
狼王の咆哮に森が震えた。夜の鳥も虫も、鳴りを潜めた。不意の静けさに、がちん、自ら立てた装填の音におののきつつ、カウボーイの一人がそろそろと慎重にロイドに銃口を向けた。と、その肩が後ろから掴まれた。
「……何だ?」
狙いをつけたまま振り返り、相手の顔を見た男はぎょっとした。肩に置かれた手の先にある顔は、掲げたランタンの赤っぽい灯りにも明らかに、真っ青だった。
「こんな、馬鹿なことが……」
目を裂けんばかりに見開いて、男は呻いた。
「ありゃあ、ロボだ」
仲間達は顔を見合わせ、ランタンの奥を覗き込んだ。
「ロボって、あの、カランポ―の魔獣か?」
「もう何年も前に、ブランカともども取っ捕まったと聞いたぞ」
口々にそう言うが、ランタンの男はロイドを凝視して身動きもしない。いや、見れば細かく震えている。男は首を振った。
「俺はなあ、昔この目でロボ親父を見たことがあんだよ」
「あの化け物みてえなデカさ、悪魔みてえな真っ黒の毛並みを見ろ。あんな狼、二匹といてたまるか。間違いねえ、あいつはロボだよ」
男は猟銃持ちの肩を掴んだまま、後退った。が、撃ち手はその手を振り払う。
「うるせえぞ、ロボ親父だか魔獣化した狼だか知らねえが」
狙いをつけ直し――……
「もっぺん撃ち殺しちまやあ、一緒だろうが!」
……――撃った。もう一人のマスケットも、それに続いた。
遠くアルタの耳にも、銃声は届いた。
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これまでにもロイドは、銃を撃たれたことはあったが、弾が当たるほど人間に近づいたことはなかった。至近距離から狙い撃ちにされたのは初めてだ。
もちろん、弾丸が命中したことも。
一発は右の肩に、もう一発は左の脇腹に。
小石のような物が刺さっただけなのに、革靴で蹴りつけられる衝撃があった。痛みはなかった。ただ焼けたシュラスコ串でも突っ込んだように熱かった。不快な匂いがした。自分の毛と肉の焦げる匂いだった。その匂いを嗅いだ時、ロイドははっきりと、自分が死ぬのだと悟った。
「……ふっ……」
息を吐こうとした口から、鮮血が散った。
だがロイドは立っていた。
大地を踏みしめ、胸を反らせて、人間達の前に立ちはだかっていた。
バゲーロ達は驚愕した。撃った弾は確かに黒い塊に吸い込まれた。にも関わらず、塊は倒れも逃げもせず、真っ赤な眼光を燃やしている。
「馬鹿な、何で死なねえ……?」
バケーロは硝煙のくゆる銃口と、立ち続ける狼を唖然として見比べた。
仲間の男が、ランタンを取り落とした。足元で、ぱっと灯油が燃え上がった。
「…………亡霊だ」
ぎくりとしたバケーロ達に、恐怖譚の語り部が喚いた。
「お前らも見たろ? 弾が当たってもびくともしねえ。ありゃあ亡霊だ、ロボ親父の亡霊だ。カランポーの魔獣が、地獄から舞い戻ってきやがったんだ」
その言葉が終わるか終わらない内に……
ロボの亡霊が再び吠えた。
それは力尽きつつある弱々しい咆哮だったが、伝染病のような恐怖に罹っていた人間達の尻を蹴っ飛ばすには十分だった。バゲーロ達は手負いのリュコスに屈し、尻尾を巻いて逃げ出した。
ロイドは狭まりゆく視界に、撤退していく人間達の背中を見た。ロイドは遠吠えを上げた。勝利にではなく、アルタにもう大丈夫だと伝える、そのために。
その時の遠吠えが、カランポ―に更なる亡霊を呼んだ。
自分で勝手に招いた亡霊に追い立てられ、男達はこけつまろびつ、這う這うの態でベッドの毛布まで逃げ帰った。
その後ほどなく、カランポ―のあちらこちらで、夜を彷徨う狼王の亡霊が目撃されるようになったが……それはまた別の物語。
人間達が去ったのを見届けると、ロイドはゆっくりと崩れ落ちた。戻って来たアルタが見つけたのは、自ら引いた線上に横たわるロイドだった。
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駆け寄って、ひと目で助からないと理解った。
「おじさん……おじさん!」
ロイドはアルタの方へ眼を動かしたが、焦点が合っていない。口からだらりと舌を垂れ、息も微かだ。浅く上下する脇腹から、真っ赤な血がどくどくと流れていた。
「おじさん、ごめんなさい……死なないで……」
自分のせいだった。ロイドの忠告を聞かなかった、自分が招いたことだった。アルタは泣いた。馬鹿で、弱くて、子どもだった。こんなことになるなんて、思いもしなかった。
自分のせいで大切な誰かが命を落とす。それは自分が死ぬより辛いことだった。間に合わない後悔を、背負い生きていくなら。こんなことなら――
いっそ、自分が死んでいた方が――……
……――アルタが泣いていた。
ロイドが目を凝らすと、アルタが泣きながら、焦げた傷を舐めていた。ロイドは知っていた。この傷の血は止まらない。だから、もうそんなことしなくてもいいんだ。もう痛くもないのだから。
(坊主……無事だったんだな、アルタ)
良かった。
ここからどこか、別の場所に行くような気がした。
ロイドは思った。
行ってしまう前に、もういいんだと、チッコに言ってやらなくちゃならない。
「……あ…………あ、る……」
「おじさん!」
アルタは弾かれたように顔を上げた。おじさんが自分を見ていた。ちゃんと、真っすぐにアルタを見て、ロイドは血に汚れた口を動かした。
「行け、アルタ。行って生き延びろ」
ロイドははっきりとそう言った。その言葉を最後に――……
ロイドは動けなくなった。
ロイドは理解した。これが、死ぬということだ。苦しくもなく、寒くもなく、ただ離れていく、それが死だ。
「おじさん!おじさんっ!」
アルタが泣いている。悲しまなくてもいいんだ、坊主。
俺達は生まれて、死んでいく。ロボは死んだ。ブランカも死んだ。お前の母親も死んで、俺も死んでいく。それは自然なことなんだ。
(だから、泣かなくてもいいんだ)
そう言ってやれないことだけが悔やまれた。
意識は薄れていく。だんだん暗くなっていく。はぐれ狼は考えた。
(俺は、何かになれただろうか?)
生まれた時から、ロイドの前には王がいた。王の前では、自分は道化か逆賊にしかなれないと思った。
あの崖で草原を見下ろし、幼い頃は何にでもなれると思った。
「おじさん、ねえ、死なないで」
群れをはぐれた。みんな死んだ。俺は。俺は何になれた?
「おじさんっ……お……」
「……――おとうさん……っ!」
おとうさん。ロイドは笑った。そうか、それも悪くない――……
はぐれ狼は、“おとうさん”になった。
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夜が明けた。
アルタはおとうさんに寄り添っていた。
ロイドの体温は、少しずつ、少しずつ失われていった。それでもアルタはロイドに寄り添っていた。いっそこのまま死んでしまおうか。アルタはぼんやりと、そうも考えていた、
そうしていると、やがて、アルタは空腹を覚えた。
アルタは立ち上がった。
そして、生き延びるために歩き出した。
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「……やあ、クストーデ」
「るああ。よう、犬。ロイドかな? それともペレかな?」
「うむ。どちらでもあるぞ。いや、クストーデ」
「吾輩はおとうさんになったのだぞ」
「そうかい。なりたいものになれたかい?」
「うむ。なれたぞ」
「うー、わんわんわん!」
「うー、わんわんわん!」
「るああ。良かったな。じゃあ、次は何処へ行く?」
「そうだなあ、次は――……」
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