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第3章 「暗い影」
「ネイの秘密」
しおりを挟む畏れ多いのはこっちだよ。そう突っ込みたくなる程の事態に陥っていた。
聖グリモワール大学付属第一高校の中枢。エリート集団の溜まり場。それがここ、生徒会室だ。ただ勘違いされては困る。「室」と言っているが、実際には「会館」とでも言うべきだ。なにせ、専用の校舎がひとつ建てられているのだから。
見上げると感嘆の息を吐いてしまう。白煉瓦造りのややアンティーク調な外観でありながら、どこを見てもピカピカに磨き込まれていて、一切綻びがない。全体的に三角錐のようになっている最上部には校章のフクロウの像があり、こちらを見下している。凄まじい威圧感を放つ建物だ。
「さぁ、シン君。こっちだよ」
「は……はい、失礼します」
当り前だが、俺にここへ立ち入る権利は無い。しかし生徒会役員の許しがあれば別。先輩に誘われて、先日の身の入っていない話のお詫びも兼ねて、こうしてお呼ばれされた次第だ。
中は煌びやかで絶句する。まるで大聖堂のような装飾品の数々は、あちこちに取り付けられた無数のロウソクに照らされて、全体的にオレンジ色に染まっている。ただし、ロウソクではあるものの市販されている物ではない。魔力供給がある限り延々と燃え続ける特注品のようだ。その証拠に、それぞれの根元には小さな魔法陣が展開されている。
更に、高校である事を忘れてしまいそうな異次元空間により思える人たちに出会う。当り前のようにメイドや執事、SPなんかが多数いて、揃って先輩に頭を下げている。
「……す、凄いですね、先輩」
「何が?」
「い、いえ、何でもありません」
これを何とも思っていないのか。先輩は住む世界が違うのだと再認識する。
ところで、一体どんな用事があって呼ばれたのだろう。そういえば首席懇親会でも話があるって言われたし、とても重要な事だろうか。
「さぁ、ここだよ。入って」
入口脇にいた執事たちが扉を開け放つと、中は凄まじくて言葉を失う。剣や盾、鎧があちこちに飾られている。それはいい。それだけなら、ここは武器庫かと納得する。問題はその中央に純白の椅子と机、それにベッドがある事。もしかして、と先輩の様子を伺うと、椅子を勧められた。余りにも手際が良い。
「さぁ、座って」
「えっと……お邪魔します」
「うん、私の部屋だからそう硬くならないでいいよ」
やっぱりそうか。失礼かもしれないけど、咄嗟にそう思ったからな。如何にも雑念の無い騎士らしい部屋だと。そして先輩くらいだろうな、ここに住むのは、と。
言葉には絶対にせず、勧められた椅子に恐る恐る腰かける。
「気にしないで。こんな椅子しか無いんだよね、ここ」
「そ、そうなんですか!?」
なぜ恐る恐るなのかといえば、椅子が美術品のように美しいからだ。ほら、この足。それぞれに12体の天使が生き生きと飛び交う様子が彫り込まれている。そしてこの肘かけには数え切れない天使の羽が、何より背もたれには両翼を広げた女神らしき女性が、天へ祈りを捧げるようにしている姿がある。
そんな、どこぞの名のある匠が天界の光景を表現したとしか思えない椅子に、あろう事か俺は座らされるのだ。これは新手の拷問かもしれない。
「あの、先日は本当に申し訳ありませんでした。パッシブ・スキルが嬉しくて、舞い上がってしまって」
「あぁ、それは気にしていないよ。むしろ喜ぶシン君の姿が見れて満足だった」
「そ……そうですか」
「それならどうして、こんな酷い仕打ちを?」とは聞けず、できるだけ傷付けないように気を遣って身を縮ませる。
「形ある物はやがて壊れるんだよ? 気にしなくていいからね?」
バレているらしい。だったらさ、もう座布団、いやいっそ直立不動でもいいからさ、この拷問椅子から解放して欲しい。このままじゃ別の意味で話に集中できないよ。
「要件は二つあるんだ。紅茶でも淹れて貰うね」
「い、いえ、お構いなく。えぇ、もう本当にお構いなく」
どうせ出て来るカップも美術品なんだろう。口を付けるのも、紅茶をそのままにしておくのも気が引ける程の名品なんだろう。そんな物を前に置かれた日には、会話すら困難になってしまう。
「え、でも喉が渇かない?」
「いえ、本当にお気遣いなく」
「そ……そっか、そこまで言うなら」
何だか申し訳ない気もするけど、どうかこれに懲りて、次からはマイ座布団とカップを持ち込ませて下さい。もしくは事前に必要物品として告知して下さい。
そんな念を本気で送りつつ、恐怖の椅子にも慣れてきたところで、話を聞けるようになってきた。
「それで、お話というのは?」
「そうだね、まずは良い方から。あのね、シン君。生徒会に興味はある?」
「……すみません、もう一度お願いできますか?」
「生徒会に興味はある?」
これはまさか、生徒会へのお誘いか。いやいや己惚れるな。俺は、その、ネイには本当に申し訳ないけど第3階層で躓いている。一方で、先輩は第13階層を突破している。まぁ、この人はちょっと異常だけど、それでも役員のほとんどが第10階層程度は単独で突破できるらしい。まさに雲の上のエリート組織だ。
「あの、仰る意味が分かりません」
「端的に言うと、生徒会に入らない?」
幻聴かな。それとも鼓膜の交換時期が来たのかな。ないよ、そんなもの。じゃあ、幻聴、もしくは夢か。
ベタだけど頬をつねってみる。痛くない。現実じゃないのか。いや、遅れて痛みがやって来る。ドキドキし過ぎて感覚が鈍っているらしい。
「あの、質問があります。生徒会というのは、ここで合っていますか?」
「え? えっと、他に生徒会は無いはずだよ」
「あと、入るという意味を辞典で引いても良いでしょうか?」
「し、調べなくても、たぶん分かっているよね?」
なるほど、思い違いでもなさそうだ。それじゃあ、つまり、本当に俺が誘われているのか。馬鹿な。どうして。俺は1人じゃ何もできない支援魔法士だ。単独で強い人たちとは無縁のはず。
困惑していると、先輩は呆れたように溜め息を吐いた。
「あのね、私は本気なんだよ? 動揺するのも分かるけど、もう少し真面目に考えて欲しいな」
「そ、そうですよね、すみません」
生徒会。他の人はどうか知らないけど、俺からすれば王侯貴族的な響きなんだよな。畏れ多くて加わるなんてとても無理。ここの執事になるのすら嫌だ。
ただ、断るとなると先輩の推薦を蹴った事になる訳で。
「……困ったなぁ」
特別選抜教導を受けられるようになるんだっけ、生徒会に入ると。少し違うか。生徒会に入れるのは一握りのエリートだから、自動的に対象者として選ばれるというだけだ。まぁ、理屈はどうでもいい。教導を受けられれば、パッシブ・スキルをどんどん身に付けられるかもしれない。これは大きい。
「考えてみて。色々とあるからね、生徒会は」
「は……はい、そうします」
先輩の言う通りだ。俺は、我が身の可愛さばかり考えているけど、生徒会は全校生徒の頂点。先頭に立つ存在。あらゆる分野で常に最高の結果を求められ、また、それに応じて仕事も割り振られるという。先輩が第13階層を突破したのだってその一環だ。
この件は保留にして貰えたのはいいとして、二つ目は何だろう。生徒会へのお誘いは、まぁ、身の程知らずにも何となく予想できたかもしれない。でも他には皆目見当も付かないんだよな。
「あの、もう一つの要件というのは?」
「少し言いにくいんだ。覚悟して聞いてくれる?」
「な、何ですか、恐いですよ」
先輩の顔付きが、いつにもまして無表情になる。俺には分かる。これは真剣なときのものだ。
自然と居住まいを正して、行儀よく座ってしまう。
「ネイの事なんだけど、何か心当たりはない?」
「いえ、特にありませんが?」
強いて言えばアヴェンジャーに転職した事くらいか。もしかして拳闘士の道を外れたから苦言を呈されるのだろうか。
ところがどっこい。先輩から飛び出した話は、耳を疑う程の内容だった。
「ネイのファミリーネームは知っている?」
聞いた事が無かったな。ネイ、ネイとばかり呼んでいて、気にした事も無かった。彼氏失格かもしれない。
「そういえば知りませんでした」
「あの子の名前はネイ=イブラヒム=ド=ハサン。聞いた事あるでしょ?」
「ハサン……って、まさか」
歴史上、最も凶悪とされた暗殺者。その血統を示す名前。それがハサン。
ハサンの名を聞いて戦慄しない者はいないだろう。狙いは確実。ただの一度も対象を生かして逃がした事はなく、とある国の王族や神託の御子、果ては神そのものまで殺したとされている。
「もう一度言うよ、彼女はハサンの血を引く者なんだ」
「そ……そんな……」
ショックだった。でも、ようやく理解した。ネイが、誰にでも誇れる強い人になりたいと言っていた理由が。暗殺者。そう罵られないように、自分が自分であるために拳闘士になろうとしていたのだろう。
「気を落とすのも無理はないよ」
「あの、先輩。申し訳ありませんが、勘違いしていませんか?」
「……勘違い?」
どうして黙っていたのだろう。それは、俺が頼りないと思われていたから。思い悩まないように、変な事に巻き込まれないように。どんな理由でも同じ。結局、俺は気遣われていたのだ。情けない。ショックだ。ただ、その事だけがショックなのだ。
「ネイはネイです。ハサンの血を引こうが何だろうが変わらない。例え過去にどんな過ちを犯していたとしても、今のネイが好きなんです。だからこそ、黙っていられたのが悲しいだけです」
「そっか……うん、そっか」
先輩はしきりに頷いた後、頭を下げてくる。
「ごめんね、誤解していたみたい。シン君の言う通り、ネイはネイだ。うん、その通り」
「あの、その口振りだと知っているんですか? ネイが犯した罪を?」
「調べは付いているよ。結果は白。ネイは誰も殺していない。ただ、これは表向きの情報。裏では何をしていたのか……私には分からない」
「でも、それなら裁判になっても?」
「うん、負けない、というより裁かれる事はないね」
「そうですか……良かった」
何だかドッと疲れてしまったけど、ひとまずネイがそういう意味でも大丈夫なら一安心か。良かった。本当に良かった。
ただ、それで大団円とはいかないらしい。先輩が首を横に振る。
「あのね、どうしてわざわざ生徒会室で話したと思う?」
「他の生徒に聞かれないように、ですよね?」
「それもあるけど、ここ以上に警備が万全な場所は無いからね。万が一、ハサン家の人間が聞いていたら、何を仕かけて来るか分からないから」
まさかと言いかけて、相手はハサンだと考え直す。奴らは情報の隠蔽を何よりも重視するらしい。自分たちに繋がりうる要素、今なら俺たちはさぞ目障りだろう。実力行使で排除される可能性は大いにある。
「待てよ……」
それだけじゃない。ネイの名前が公になれば、ハサン家の血を引く者として注目を浴びるだろう。興味本位であれこれ聞いて来る奴が出て来るに違いない。その危険性を見越して、ネイが殺されてしまう恐れもある。
「もしかして、俺を生徒会に誘ってくれたのは、そういう意味もあるんですか?」
ネイを守るためには厳重な警備があって欲しい。その点、生徒会室は常に使用人やSPたちで溢れているし、何より学校側も全力を挙げて守ってくれるだろう。ここ以上の砦はそう無い。
「うん、そうだよ」
やはりそうか。先輩には敵わないな。まさかそこまで考えてくれているとは。
「あと、これは付け足しておくね。予断は許さない状況なんだ」
「どうしてです?」
「ハサン家の真っ黒な人が、この学校周辺で目撃されたの。生徒会の1人が声をかけて、戦闘に発展して発覚したんだ」
「発覚って……?」
戦闘があって、ハサン家の者だと生徒会が把握している。つまり、生還して報告があったのではないのか。それを発覚と表現するのはおかしい。でも、おかしくないとすれば。
「帰らぬ人になっちゃったから」
殺されたのか。それも戦闘ではなく、殺害されたという事だ。非日常的な内容だけに、一瞬、何も考えられなくなってしまう。
落ち着け。それなら別の疑問が生じる。どうしてハサン家の人間だと分かったのだろう。
「その生徒はね、ダイイングメッセージを残したんだ。ハサンって」
「き……気になりますね、それ」
ハサン家の者は情報を隠匿するらしい。それなら、見ただけでハサンと分かるような物は身に付けないはず。まして自ら口を割る事もしないだろう。しかしダイイングメッセージなんてものが残っていた。不自然過ぎる。
「詳しい事は調査中だけど、危ない事に変わりはないから忠告したんだ」
「分かりました、気を付けます」
「うん、本当に注意してね」
暗殺者か。個人名や人相、男女、体格といった戦闘時に必要そうな情報は全くない状態だ。ハサン家の人間ではないと個人的には思うけど、用心しなくては。
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