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第2章 魔女の遺物

2-1 裏・五大元素

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鉤爪の男との壮絶な戦いから2週間後、10月の半ば。
残暑は完全に過去のものとなり、空気の匂いが変わりつつある。
涼しくて過ごしやすい秋の季節が到来した。

先の戦いで負ったエリカの体の傷――鉤爪で切り裂かれ、貫かれた跡――は、とうに完治している。
一方で精神的には、依頼人から露骨に距離を置かれたことで、しばらく落ち込んでいた彼女。
そんな心の傷も、時が経つにつれて少しずつ癒えていった。

この2週間、ウィッチハンターからの接触はない。
一抹の不安は残るものの、ひとまずいつも通りの日常が戻ってきた。



今日のエリカは工房の中を掃除中。
キッチン、床、窓、テーブルの上と、一通りの場所を念入りに拭き掃除している。
綺麗好きなエリカにとって、掃除は苦痛どころか、どちらかと言えば好きな作業。
黙々と手を動かしながら、エリカはふと思う。

(そろそろ、この間の出来事にちゃんと向き合わないとね……)

記憶を失い、我を忘れて暴走し、危うく殺人鬼に成り下がりかけた、あの夜。
もう二度とあんなことを起こしてはならない。

掃除が一段落したところでエリカは手を止め、アレイスターに向かって呼びかけた。

「アレイスター、ちょっといいかしら。」
「ん、どーした?」

こちらもすっかり傷の癒えたアレイスターが、翡翠色の羽をはばたかせて飛んでくる。
その勢いのままテーブルの上、エリカの目の前に降り立つ。

「この間の話なんだけど、続きを聞かせてほしいの。鉤爪の男と戦った時のこと。」
「あー、そのことか。オレはどこまで話してたっけ?忘れちまったよ。」
「ほら、私が暴走して使った魔法は『腐蝕』の魔法って言ってたでしょ?」
「そーだそーだ、思い出したぜ。」

エリカは掃除用の布巾を片付けてイスに座ると、顔を前に突き出してアレイスターを見つめる。

「腐蝕の魔法なんて聞いたことないけど、アレイスターには心当たりがあるのよね?」
「まーそうだな。つってもあくまで言い伝えだから、信憑性は保障しねーぞ?」
「それで構わないわ。早く早く。」

エリカははやる気持ちを抑えつつ、アレイスターに先を促す。

「んじゃ始めっか。まず、五大元素のことはもちろん知ってるよな?」
「ええ。地・水・火・風・空の5つで、魔女が使う魔法は基本的にこのどれかに属するのよね。」
「そうだ。魔女は皆、生まれながらにして五大元素のうちどれか一つを自分の属性として持っている。そして、その元素の魔法に特化しているってモンだ。自分の属性の元素だけは強力な魔法が使えるが、それ以外の元素はからっきし使えねーのが普通だな。」

真面目な話題を饒舌に語るアレイスター。
その正面で、真剣な面持ちで聞き入るエリカ。

「けどよエリカ、オマエの場合はなぜか何の元素にも特化してなかった。5つの元素それぞれ、広~く浅く、弱~い魔法しか使えねーんだよな。」

アレイスターの棘のある言葉に、エリカの目つきが険しくなる。

「ちょっと、何よ。私を馬鹿にしてるの?」
「わりぃわりぃ、そーいう意味じゃない、最後まで話を聞けって。あ痛っ!」

むっとしたエリカがアレイスターの頭の触角を指で弾いた。

「ったく、人使い――じゃなくて虫使いが荒いぜ。とにかく、ヘナチョコな魔女だと思ってたオマエにも、ちゃーんと『蝕』っていう自分の元素があったってことだだだだ痛い痛い!!」

今度はエリカがアレイスターの触角をつまんで引っ張った。
触角がピンと伸び、痛みで顔をしかめるアレイスター。

「一体誰がヘナチョコな魔女なのかしら?」
「わかったわかったもう言わないゴメンナサイ。」

エリカは触角から指を離すと、コホンと一つ咳払いをして話を続ける。

「でも、五大元素の中に『蝕』なんて存在しないでしょう?」
「確かに普通の五大元素ならそうだな。だがこの世には、『裏・五大元素』なんてモンが存在する、って言い伝えがあるのさ。」
「裏・五大元素!?」

聞き慣れない単語にエリカは眉をひそめる。
魔女や魔法に関して一通りの知識を学んでいるはずの彼女でも、裏・五大元素などというものは初耳であった。

「そうだ。蝕、毒、傀、血、あと1つは忘れちまったが――これら5つををまとめて裏・五大元素と呼ぶらしいぜ。この裏・五大元素のうち1つを自分の属性として持っている魔女が、ごくごく少数存在しているんだとさ。」
「どれも不吉なイメージの元素ばかりね……」
「そりゃあ『裏』って名付けられるくらいだからな。まあいずれにせよ、裏・五大元素の1つ、『蝕』に特化した希少な魔女がオマエだったってワケだ。」

アレイスターは得意げに、どこか誇らしそうに、解説を続けている。
しかし、正面のエリカはどことなく浮かない表情。

「自分の才能が見つかったのは嬉しいけど、素直に喜んでいいのかどうか、複雑な気持ちになるわね。」
「だが実際、暴走状態だったとはいえ、オマエの腐蝕魔法は圧倒的だったぜ。氷の棘とか風の刃とかなんて、全っ然比べ物にならねぇくらいにな。当たれば即、体が腐っちまう火球をバンバン撃つって相当スゲーぞ?」
「そうだったのね……知らなかったわ。」

当時の記憶がないエリカには、正直全く実感が湧かない。
とはいえ、暴走前にはあれだけ苦戦した鉤爪の男が、気付いた時には完膚なきまでに打ちのめされていたのである。

(アレイスターが嘘をつくはずないし、言っていることはきっと本当なのね。)

静かに得心したエリカの耳に、アレイスターの威勢のいい声が響く。

「でな、オレは思うんだよ。この腐蝕魔法を自分の意志で使いこなせるようになるべきだって。」
「うーん……。でもこんな醜くて忌まわしい力、積極的に使うのは気が引けるわ。」
「なーに言ってんだよ、またいつウィッチハンターの奴らが襲ってくるか分かんねーんだぞ?その時、今まで通りの弱っちい魔法だけで勝てると思ってんのか?腐蝕魔法はオマエの切り札になる可能性があるんだぜ。今のうちから鍛えておかなきゃ勿体ねぇ!」
「まあ確かにそうかもしれないけど……」

次々と痛いところを突かれても、なおも提案を渋り続けるエリカ。
と、アレイスターが突然飛び上がり、

「つーワケだから、ほらほらエリカ、立った立った!善は急げって言うだろ?」

エリカの服の袖をつかんで強く引っ張った。

「ちょ、ちょっと何よ!」

驚きに目を見張るエリカにアレイスターは告げる。

「早速地下室で特訓するぞ。腐蝕魔法をコントロールする術を身に着けるんだよ。」
「えっ、今から!?」

予想外に強い力で引っ張られ、イスから転げ落ちそうになるエリカ。

(もう、やると決めたら頑固なんだから……)

先導するアレイスターに引かれるまま、エリカはしぶしぶ地下室に向かった。



リビングの端、床に取り付けられた扉を開け、二人は地下へと続く薄暗い階段を降りてゆく。
木造の地上部とは打って変わって、工房の地下室は一面コンクリート造り。
壁、床、天井、どこを見回しても灰色一色で、殺風景なことこの上ない。
普段あまり使われることはなく、魔法の練習専用の部屋となっている。

地下室に足を踏み入れたエリカは、前を飛ぶアレイスターにやや不満そうに問いかける。

「特訓といっても、具体的には何をすればいいの?暴走した時の記憶がない以上、今の私にはどうすれば腐蝕魔法を使えるのかも分からないのよ。」
「なら、暴走する直前のことは覚えてるか?」

エリカは地下室の中を歩き回りながら、戦闘時の状況を思い返す。

「母さまのことを物凄く侮辱されて、頭に血が上って、怒りを抑えられなくなって――」
「てことは、怒りの感情がトリガーになってるんだろーな。怒りが頂点に達してスイッチが入ると、オマエの体内にある魔力の流れが切り替わって、腐蝕魔法が使えるようになるんだと思うぜ。集中して、もう一度その時の気持ちを思い出してみれば、イケるんじゃねーか?」
「あの時の事を思い出すなんて、あんまり気は進まないけど……とりあえず、やってみるわね。」

地下室の中央にエリカは進むと、一つ大きな深呼吸。
右手を前方に差し出し、現れた杖を握りしめる。
そして目を閉じ、鉤爪の男に言われた言葉を記憶の中から取り出してゆく。

【さ~あ、テメェは天国の母親のところに送ってやるぜェ~。イヤイヤ、よく考えりゃァ、魔女なんかが天国に行かせてもらえるワケねェか!】

怒りが、悲しみが、悔しさが、エリカの心の中にふつふつと湧き上がってくる。

【むしろ母親がいるのは地獄だろ~なァ。ププッ!テメェの母親もォ、きっとこんな風に無様に死んだんだろ~なァ~?ギャハハハハッ!】

言葉を思い出すほどに、感情の昂ぶりを実感する。
しかし、まだ体を巡る魔力の流れに変化は見られない。
と、耳に入るアレイスターの指示。

「言葉だけじゃねぇ、情景を具体的に思い浮かべろ!」

言われるまま、エリカは鉤爪の男の外見をイメージする。

――金髪の男が――
――両腕にタトゥーの入った男が――
――ひざまずく私の喉元に、鉤爪を突き立てる――

集中を続けるエリカに、アレイスターがなおも発破をかける。

「リアルに、とことんリアルに思い出せ!」

――男の下劣な歪んだ笑み――
――見下し軽蔑するような視線――
――甲高く響く不快な笑い声――

「うっ、く……」

エリカの心臓の鼓動が早くなる。
胸の中に何か黒いモノがこみ上げ、体内の魔力と混濁してゆく。
エリカが閉じていた目を見開くと、

「!!」

そこにあったのは、自分の周囲をうっすらと舞う、紫色の火の粉。

「いいぜ、その調子だ!」

アレイスターはさらにまくし立てる。

――母さまを侮辱するな――
――許さない、許さない、許さない――

「はあっ、ううっ……」

そしてエリカを中心にして、床から円周状に紫炎がチラチラと燃え出す。
杖先には火の粉が渦を描いて収束し、小さな火球が形成される。

一方で心臓は早鐘を打ち、意識が薄れ朦朧としてゆく。
体内を暴れ回る魔力の制御が効かない。

「あ、あ、ああああああっ――!!」

体をガタガタと震わせ、エリカが叫び声を上げた。

(マズい!ここまでだ!)

異変を察知したアレイスターはエリカを目がけ、黄色い鱗粉を振りかける。

「しっかりしろ、エリカ!」

地下室に炸裂する閃光。
エリカの意識は急激に引き戻され、紫色の炎も消失した。

「はあ、はあ、はあっ……」

体の力が一気に抜け、へなへなと床にへたり込むエリカ。
アレイスターは心配そうにその顔を覗き込む。

「大丈夫か?つい気合いが入っちまった。無茶させてスマンな。」
「うん、何とか……大丈夫よ。それより、さっきの紫色の炎、もしかしてこれが――」
「――そう、今オマエが使った炎が、まさに腐蝕魔法だ。」

床に座ったまま、エリカは先程までの感覚を思い返す。
先日の戦いの時とは違い、今回は記憶がほとんど残っている。
自分の周囲を舞う火の粉、床上で燃える紫の炎、杖先に現れた禍々しい火球。

(これが、私の内に眠っていた、ずっと気付くことのなかった、本当の力――)

自分の力に驚きと感動を覚えるエリカ。
そこに、アレイスターが鋭く釘を刺す。

「自分の意志で腐蝕魔法を使えたのは収穫だけどよ、まだまだ使いこなせたとは到底言えねーぜ。今回も暴走しそうになって、オレがいなかったらヤバかったしな。」
「そうね、悔しいけどアレイスターの言う通りだわ。今日の感じだと、まだ戦闘で使うのは難しそう。」
「ま、焦ることはねぇさ。おいおい練習を重ねてモノにしていこーぜ。」

特訓を終えた二人は階段を上り、地下室を後にした。



リビングに戻ったエリカは、コーヒーを飲みながら乱れた息を整え、今日の成果を思い返す。

(私の体の中から、とてつもなく強い魔力を感じた。)

普段自分が使う魔法など比にならないほど、腐蝕魔法のエネルギーは強大だった。

(怒りの感情を原動力にしているから、使うのはちょっと気が引けるけど……、使いこなせれば絶対に役に立つ。)

ウィッチハンターへの強力な対抗策になる、そんな可能性を秘めている力。
だからこそ、その力をまともに制御できなかった自分がもどかしい。

(悔しい……、また近いうちに特訓しないとね。)

エリカが反省と思索を続けていると、ふいに玄関の呼び鈴が鳴った。

「ん、誰かしら?」

と言うも束の間、チリンチリンという呼び鈴の音が、何度も激しく繰り返される。

「ねえ、この荒っぽい呼び鈴の鳴らし方は……」
「ああ、間違いなくアイツだろーな。」

お互い同じ人物を思い浮かべ、エリカとアレイスターは困った表情で顔を見合わせた。
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