29 / 30
激しい雨②
しおりを挟む
「――そうですか。それでセンパイのほうから、別れを切り出したんですね」
のらに隠しごとができないのは分かっているので、俺はあっさりと彼女に昨日のいきさつを話した。追いつかれたときにこうなるだろうと諦めていたから、躊躇うことはなかった。だけどのらに甘えたくないという俺の決意は揺るいではいない。俺は彼女に抱きしめられることなく、彼女と背中を合わせて立って話をしている。面と向き合っていないのは、のらの下着が透けているため、目のやり場に困るからだ。彼女は「センパイだったら、いくらでも見ていいっすよ」とは言っていたものの、とても恥ずかしそうだったというのもある。
「状況は理解しましたけど、なんか不思議ですね」
「不思議? なにが?」
俺と栞梨の別れ話に、そんな謎めいたものはないはずだ。疑問に感じたが、のらがそう感じたのは別のことだった。
「センパイが思ったよりも落ち込んでないことが」
のらに言われて、はっと息を飲んだ。たしかに彼女が言うように、栞梨と別れたのに俺はそれほど落ち込んでいなかった。栞梨のことを信じられなくなっていたことに気づいて罪悪感を覚えたり、最後に傷つけてしまったことを後悔したりはしている。もちろんまったく落ち込んでいないわけではない。ただ、栞梨と別れることで、これからは自分の本心に逆らってまで信じようとしなくてもよくなり、どこか安心している自分はいる。
「なあ、のら。俺は苦しみから逃れるために、栞梨と別れたのかな?」
「もうこれ以上は耐えられないと思って、最後に栞梨さんの誘いを拒否したんですよね?」
「……ああ」
そのときの栞梨の顔を思いだしてしまい、胸が痛んた。
「だったら、そうなんじゃないですか」
「……そうか。なんか俺って自分勝手な人間なんだな」
のらに栞梨と別れたのは、苦しみから逃げるためだと肯定されて、自己嫌悪に陥った。そんな俺の言葉を受けて、のらは優しく語りかけてきた。
「そうですか? センパイは栞梨さんのことを信じようと努力して、あの夜のことを忘れようと努めて、罪悪感に押し潰されそうになるまで耐えて。でも限界まで耐えようとしたけど耐えきれなかった。そこまで苦しんで逃げたからといって、わたしはセンパイの行動を自分勝手だとは思いません」
「……ありがとう。ありがとう、のら」
また俺はのらの言葉に救われた。抱きしめられていないとはいえ、また彼女に甘えてしまった。のらはそうじゃないと言うだろうけど、また迷惑をかけてしまった。そんな自分自身を本当に情けなく思った。そしてこのままではいけないと思った。
俺は拳をぎゅっと握りしめる。これから先どうすればいいか、俺なりに考えていた。答えはもう出ている。そのことをのらに伝えるために、俺は深呼吸をして口を開いた。
「俺、もっともっと好きになろうと思う」
「……センパイ? それって」
「難しいとは思うけど、もっともっと好きになりたいんだ」
「……」
のらは黙って、俺の話に耳を傾けていてくれるようだった。俺は続ける。
「前にのらが言ってくれたように、今度は俺が、自分の嫌いな俺を好きになってやるんだ!」
俺がのらにそう宣言すると、背中越しに感じていたのらの重みが突然消えた。心配になり振り返ると、のらは地面にへたり込んでいた。
「おい! のらどうした!」
動こうとしないのらの肩に手を置いてゆさゆさと揺さぶる。のらは「そうっすよね。センパイっすもんね。すぐに別の女子にいくわけないっすもんね」とブツブツと呟いていた。
そんな後輩の言葉を聞いて俺は、「すぐにはな」と心の中で答えた。あの麻酔のようなキスや抱きしめられて胸の内側から温かくなる感覚やのらに「好き」と言われたときの胸の高鳴りは、俺にとってどれも生まれて初めて経験するものばかりだったから。
「おい、のら。立ち上がれよ」
彼女の腕を肩にまわして、無理やり起き上がらせる。
「……ねえ、センパイ。さっき言ったことは本気ですか?」
のらは俺の顔を心配そうに覗きこんでくる。
「ああ」
俺は力強く頷いた。
「あの……分かってるとは思いますけど。嫌いな自分を好きになるって、その……相当難しいと思いますよ。とくにセンパイの性格だと……」
言いづらそうにのらは口にした。のらが言ったことは、自分でもすでに理解している。だけど、たとえ自分の嫌いな俺を全部は好きになれなくても、これからはしっかりと向き合っていきたい。難しくても向き合うことで、いつかは嫌いな自分を受け入れていきたい。あのもう一人の俺である化け物を含めて。そうすることで名前の分からない感情の正体が分かるような気もするから。
「それでも、やってみる」
俺はのらの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼女は慈しむような眼差しを向けてくる。
「わかりました。でももう無理はしないでくださいね。だけどどうしても苦しくなったときは、またわたしの下半身でスッキリさせてあげますからね」
「それ膝枕な!」
こうしてのらが側にいてくれるのが、心強かった。もしも一人だったらと思うとぞっとした。きっとあの夜の出来事のあと、すぐにでも心が壊れていただろう。だから、こうして隣にいてくれるのらを、これからも大切にしていきたい。そしていつの日か、俺のことを救ってくれたみたいに、のらのためになにか役に立つことをしたい。俺はそう固く心に誓った。
「雨やんだみたいだし、帰ろうぜ」
「……はーい」
俺はのらの身体を支えながら高架下を出た。夏を感じさせるような日差しの下を、俺とのらはゆっくりと足を進めた。
のらに隠しごとができないのは分かっているので、俺はあっさりと彼女に昨日のいきさつを話した。追いつかれたときにこうなるだろうと諦めていたから、躊躇うことはなかった。だけどのらに甘えたくないという俺の決意は揺るいではいない。俺は彼女に抱きしめられることなく、彼女と背中を合わせて立って話をしている。面と向き合っていないのは、のらの下着が透けているため、目のやり場に困るからだ。彼女は「センパイだったら、いくらでも見ていいっすよ」とは言っていたものの、とても恥ずかしそうだったというのもある。
「状況は理解しましたけど、なんか不思議ですね」
「不思議? なにが?」
俺と栞梨の別れ話に、そんな謎めいたものはないはずだ。疑問に感じたが、のらがそう感じたのは別のことだった。
「センパイが思ったよりも落ち込んでないことが」
のらに言われて、はっと息を飲んだ。たしかに彼女が言うように、栞梨と別れたのに俺はそれほど落ち込んでいなかった。栞梨のことを信じられなくなっていたことに気づいて罪悪感を覚えたり、最後に傷つけてしまったことを後悔したりはしている。もちろんまったく落ち込んでいないわけではない。ただ、栞梨と別れることで、これからは自分の本心に逆らってまで信じようとしなくてもよくなり、どこか安心している自分はいる。
「なあ、のら。俺は苦しみから逃れるために、栞梨と別れたのかな?」
「もうこれ以上は耐えられないと思って、最後に栞梨さんの誘いを拒否したんですよね?」
「……ああ」
そのときの栞梨の顔を思いだしてしまい、胸が痛んた。
「だったら、そうなんじゃないですか」
「……そうか。なんか俺って自分勝手な人間なんだな」
のらに栞梨と別れたのは、苦しみから逃げるためだと肯定されて、自己嫌悪に陥った。そんな俺の言葉を受けて、のらは優しく語りかけてきた。
「そうですか? センパイは栞梨さんのことを信じようと努力して、あの夜のことを忘れようと努めて、罪悪感に押し潰されそうになるまで耐えて。でも限界まで耐えようとしたけど耐えきれなかった。そこまで苦しんで逃げたからといって、わたしはセンパイの行動を自分勝手だとは思いません」
「……ありがとう。ありがとう、のら」
また俺はのらの言葉に救われた。抱きしめられていないとはいえ、また彼女に甘えてしまった。のらはそうじゃないと言うだろうけど、また迷惑をかけてしまった。そんな自分自身を本当に情けなく思った。そしてこのままではいけないと思った。
俺は拳をぎゅっと握りしめる。これから先どうすればいいか、俺なりに考えていた。答えはもう出ている。そのことをのらに伝えるために、俺は深呼吸をして口を開いた。
「俺、もっともっと好きになろうと思う」
「……センパイ? それって」
「難しいとは思うけど、もっともっと好きになりたいんだ」
「……」
のらは黙って、俺の話に耳を傾けていてくれるようだった。俺は続ける。
「前にのらが言ってくれたように、今度は俺が、自分の嫌いな俺を好きになってやるんだ!」
俺がのらにそう宣言すると、背中越しに感じていたのらの重みが突然消えた。心配になり振り返ると、のらは地面にへたり込んでいた。
「おい! のらどうした!」
動こうとしないのらの肩に手を置いてゆさゆさと揺さぶる。のらは「そうっすよね。センパイっすもんね。すぐに別の女子にいくわけないっすもんね」とブツブツと呟いていた。
そんな後輩の言葉を聞いて俺は、「すぐにはな」と心の中で答えた。あの麻酔のようなキスや抱きしめられて胸の内側から温かくなる感覚やのらに「好き」と言われたときの胸の高鳴りは、俺にとってどれも生まれて初めて経験するものばかりだったから。
「おい、のら。立ち上がれよ」
彼女の腕を肩にまわして、無理やり起き上がらせる。
「……ねえ、センパイ。さっき言ったことは本気ですか?」
のらは俺の顔を心配そうに覗きこんでくる。
「ああ」
俺は力強く頷いた。
「あの……分かってるとは思いますけど。嫌いな自分を好きになるって、その……相当難しいと思いますよ。とくにセンパイの性格だと……」
言いづらそうにのらは口にした。のらが言ったことは、自分でもすでに理解している。だけど、たとえ自分の嫌いな俺を全部は好きになれなくても、これからはしっかりと向き合っていきたい。難しくても向き合うことで、いつかは嫌いな自分を受け入れていきたい。あのもう一人の俺である化け物を含めて。そうすることで名前の分からない感情の正体が分かるような気もするから。
「それでも、やってみる」
俺はのらの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼女は慈しむような眼差しを向けてくる。
「わかりました。でももう無理はしないでくださいね。だけどどうしても苦しくなったときは、またわたしの下半身でスッキリさせてあげますからね」
「それ膝枕な!」
こうしてのらが側にいてくれるのが、心強かった。もしも一人だったらと思うとぞっとした。きっとあの夜の出来事のあと、すぐにでも心が壊れていただろう。だから、こうして隣にいてくれるのらを、これからも大切にしていきたい。そしていつの日か、俺のことを救ってくれたみたいに、のらのためになにか役に立つことをしたい。俺はそう固く心に誓った。
「雨やんだみたいだし、帰ろうぜ」
「……はーい」
俺はのらの身体を支えながら高架下を出た。夏を感じさせるような日差しの下を、俺とのらはゆっくりと足を進めた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

俺と代われ!!Re青春
相間 暖人
青春
2025年、日本では国家主導で秘密裏に実験が行われる事になった。
昨今の少子化は国として存亡の危機にあると判断した政府は特別なバディ制度を実施する事により高校生の恋愛を活発にしようと計ったのだ。
今回はその一組の話をしよう。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~
蒼田
青春
人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。
目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。
しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。
事故から助けることで始まる活発少女との関係。
愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。
愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。
故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。
*本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ!
コバひろ
大衆娯楽
格闘技を通して、男と女がリングで戦うことの意味、ジェンダー論を描きたく思います。また、それによる両者の苦悩、家族愛、宿命。
性差とは何か?

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』
コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ”
(全20話)の続編。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211
男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は?
そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。
格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる