17 / 30
名前の分からない感情③
しおりを挟む
「センパイ。そんなに一人で苦しまないでください」
のらの声が頭の上から聞こえた。どうやら俺はのらに抱きしめられているようだった。のらは俺の耳元で囁く。その言葉が俺の心を優しく包み込んでいくように感じた。
「わたし、嘘だけじゃなくて、センパイがどんな感情なのかもわかるんですよ」
なぜかすぐに信じることができた。のらがそう言うのなら、本当なんだろうと素直に思えた。のらの胸に顔を埋められている俺は口を開くことができず、ただ黙って彼女の話に耳を傾ける。
「ホントは今日、センパイの初体験の話を聞いたら、ぱっと帰ろうと思っていたんです。でも、部屋に入ってセンパイを見たら考えが変わったんです。だってセンパイがすごく苦しそうで辛そうで不安そうだったから。なのに、わたしにはそのことを気づかせないように、我慢しているように見えたんです。それに気づいたら心配になって、わたし帰れなくなっちゃいました」
俺の苦しい胸の内だけでなく、不安を隠していたことまでも、のらにバレていたみたいだ。両親ですらおそらく気づかなかったはずなのに。本当にのらには隠しごとはできないみたいだ。嘘だけではなく、感情までも見透かされているというのに、俺は不快になるどころか嬉しい気分だった。それはのらが大切な存在である後輩だからだろう。
「センパイを苦しめているものは、嘘をついたことと関係しているのは間違いないと思います。だからホントは事実を教えてほしい。わたしが協力して解決できることなら、センパイのためだったらわたしはなんでもする。センパイが苦しみから解放されるのだったら、わたしはなんでも出来る」
のらがかけてくれる言葉の一つ一つが、俺の身体に取り込まれていくように感じられて、胸の内側からじんわりと熱くなってくる。だけど、これほどまで俺のことを気遣ってくれるのらに、あの原因の事実を教えてあげられなくて、俺ははがゆかった。
「でもセンパイ。もうあの原因の事実はわたしに教えてくれなくてもいいですからね。センパイがあんなに悩むほどのことだと分かりましたから。だからわたしなりに違う方法でセンパイの苦しさを和らげますね」
俺の心の中を見透かしたかのように、のらは俺が嘘をついたことを理解を示してくれた。そしてのらの苦しさを和らげる方法というのは、きっといま俺を抱きしめていることだろう。その効果は覿面だった。
「でも、もう一人で苦しまないでください。わたしは、どんなときでもセンパイの味方ですからね。大好きです、右京先輩」
一層強く俺の頭を抱きしめてくるのら。彼女の細い両腕にたっぷりと愛情が込められているのを感じた。そして俺はのらに頭を撫でられているうちに、いつしか彼女の胸の中で眠りについた。
目を開けると、俺を愛おしそうに見つめるのらの顔が間近にあった。
「センパイ、おはようございます」
寝ぼけ眼の俺にのらは微笑みかけた。俺が寝ているあいだに体勢を変えたみたいで、俺はのらに膝枕されていた。
「……俺、どれくらい寝てた?」
「んー、二時間くらいじゃないっすかね」
のらは優しい手つきで俺の髪を撫でた。
「……その、悪かったな」
「ん? なにがです?」
見慣れているはずののらの顔が、なぜか照れくさくて凝視することができなくなっていた。
「いや、その、膝枕してくれて。重くなかったか?」
のらから視線を逸らして訊ねた。
「ぜんぜん大丈夫ですよ。それより、少し気分が楽になったみたいですね」
せっかくのらを直視しないようにしたのに、彼女は俺の顔を覗きこんでくる。目が合うと、少しだけ胸の鼓動が早くなった。
「のら、ありがとな。あと、嘘ついてごめん」
「もうそのことはいいですよ。言いたくないことを無理に言わせようとして、こちらこそすみませんでした」
のらに素直に謝られると、調子が狂うなと思いつつも、心の中でもう一度、感謝と謝罪の言葉を呟いた。
「だけど、また不安なことや苦しいことがあったら、一人で抱え込まないでくださいね」
俺の手にそっとのらは自分の手を重ねた。温かくて柔らかい手だった。
「わかった。また迷惑かけるかもしれないけど、そのときは頼む」
大切な存在の後輩を俺の悩みに巻き込むのは躊躇われたが、相手がのらだと思うと、不思議と頼りにしたいと思えた。
「別に迷惑じゃないっすよ。そのときが来たら、わたしがまた下半身を使って、センパイをスッキリさせてあげますからね」
「言い方! 太ももに頭をのせて寝ただけだから!」
「それに、ぷぷぷー。センパイの寝顔、ちょー可愛かったっすよ」
スマホで寝ている俺の画像を見せてくるのら。
「おい! そんなもの早く消せ!」
「ダメですよ! 待ち受けにするんですから」
「恥ずかしいからやめてくれ!」
いつもの調子で軽口を叩きあうと、あの夜に起こった出来事がささいなことだったような気がしてきた。
「さ、センパイ。残念ですが、美少女後輩の膝枕タイムは終了させていただきます」
自分で美少女って言うなよとツッコミをいれる前に、のらは俺の頭をベッドに乗せて、スクっと立ち上がった。
「帰るのか?」
なぜだか、のらと離れたくなくて声をかけた。
「さすがに、コンビニに行くって言って何時間も帰らなかったら、親が心配するっすからね。お、なんですか、センパイ。もしかしてわたしの太ももの感触がお気に召したんですか」
のらはデニムのショートパンツからすらりと伸びた足を、手の平でぺちぺち叩いた。
「ちげーし。まあ、その、気をつけて帰れよ」
「ういっす!」
のらがおどけて敬礼したあと、俺に背をむけた。
「のら、ありがとな」
俺はその小さな背中に向けて、もう一度感謝の言葉を述べた。
のらの声が頭の上から聞こえた。どうやら俺はのらに抱きしめられているようだった。のらは俺の耳元で囁く。その言葉が俺の心を優しく包み込んでいくように感じた。
「わたし、嘘だけじゃなくて、センパイがどんな感情なのかもわかるんですよ」
なぜかすぐに信じることができた。のらがそう言うのなら、本当なんだろうと素直に思えた。のらの胸に顔を埋められている俺は口を開くことができず、ただ黙って彼女の話に耳を傾ける。
「ホントは今日、センパイの初体験の話を聞いたら、ぱっと帰ろうと思っていたんです。でも、部屋に入ってセンパイを見たら考えが変わったんです。だってセンパイがすごく苦しそうで辛そうで不安そうだったから。なのに、わたしにはそのことを気づかせないように、我慢しているように見えたんです。それに気づいたら心配になって、わたし帰れなくなっちゃいました」
俺の苦しい胸の内だけでなく、不安を隠していたことまでも、のらにバレていたみたいだ。両親ですらおそらく気づかなかったはずなのに。本当にのらには隠しごとはできないみたいだ。嘘だけではなく、感情までも見透かされているというのに、俺は不快になるどころか嬉しい気分だった。それはのらが大切な存在である後輩だからだろう。
「センパイを苦しめているものは、嘘をついたことと関係しているのは間違いないと思います。だからホントは事実を教えてほしい。わたしが協力して解決できることなら、センパイのためだったらわたしはなんでもする。センパイが苦しみから解放されるのだったら、わたしはなんでも出来る」
のらがかけてくれる言葉の一つ一つが、俺の身体に取り込まれていくように感じられて、胸の内側からじんわりと熱くなってくる。だけど、これほどまで俺のことを気遣ってくれるのらに、あの原因の事実を教えてあげられなくて、俺ははがゆかった。
「でもセンパイ。もうあの原因の事実はわたしに教えてくれなくてもいいですからね。センパイがあんなに悩むほどのことだと分かりましたから。だからわたしなりに違う方法でセンパイの苦しさを和らげますね」
俺の心の中を見透かしたかのように、のらは俺が嘘をついたことを理解を示してくれた。そしてのらの苦しさを和らげる方法というのは、きっといま俺を抱きしめていることだろう。その効果は覿面だった。
「でも、もう一人で苦しまないでください。わたしは、どんなときでもセンパイの味方ですからね。大好きです、右京先輩」
一層強く俺の頭を抱きしめてくるのら。彼女の細い両腕にたっぷりと愛情が込められているのを感じた。そして俺はのらに頭を撫でられているうちに、いつしか彼女の胸の中で眠りについた。
目を開けると、俺を愛おしそうに見つめるのらの顔が間近にあった。
「センパイ、おはようございます」
寝ぼけ眼の俺にのらは微笑みかけた。俺が寝ているあいだに体勢を変えたみたいで、俺はのらに膝枕されていた。
「……俺、どれくらい寝てた?」
「んー、二時間くらいじゃないっすかね」
のらは優しい手つきで俺の髪を撫でた。
「……その、悪かったな」
「ん? なにがです?」
見慣れているはずののらの顔が、なぜか照れくさくて凝視することができなくなっていた。
「いや、その、膝枕してくれて。重くなかったか?」
のらから視線を逸らして訊ねた。
「ぜんぜん大丈夫ですよ。それより、少し気分が楽になったみたいですね」
せっかくのらを直視しないようにしたのに、彼女は俺の顔を覗きこんでくる。目が合うと、少しだけ胸の鼓動が早くなった。
「のら、ありがとな。あと、嘘ついてごめん」
「もうそのことはいいですよ。言いたくないことを無理に言わせようとして、こちらこそすみませんでした」
のらに素直に謝られると、調子が狂うなと思いつつも、心の中でもう一度、感謝と謝罪の言葉を呟いた。
「だけど、また不安なことや苦しいことがあったら、一人で抱え込まないでくださいね」
俺の手にそっとのらは自分の手を重ねた。温かくて柔らかい手だった。
「わかった。また迷惑かけるかもしれないけど、そのときは頼む」
大切な存在の後輩を俺の悩みに巻き込むのは躊躇われたが、相手がのらだと思うと、不思議と頼りにしたいと思えた。
「別に迷惑じゃないっすよ。そのときが来たら、わたしがまた下半身を使って、センパイをスッキリさせてあげますからね」
「言い方! 太ももに頭をのせて寝ただけだから!」
「それに、ぷぷぷー。センパイの寝顔、ちょー可愛かったっすよ」
スマホで寝ている俺の画像を見せてくるのら。
「おい! そんなもの早く消せ!」
「ダメですよ! 待ち受けにするんですから」
「恥ずかしいからやめてくれ!」
いつもの調子で軽口を叩きあうと、あの夜に起こった出来事がささいなことだったような気がしてきた。
「さ、センパイ。残念ですが、美少女後輩の膝枕タイムは終了させていただきます」
自分で美少女って言うなよとツッコミをいれる前に、のらは俺の頭をベッドに乗せて、スクっと立ち上がった。
「帰るのか?」
なぜだか、のらと離れたくなくて声をかけた。
「さすがに、コンビニに行くって言って何時間も帰らなかったら、親が心配するっすからね。お、なんですか、センパイ。もしかしてわたしの太ももの感触がお気に召したんですか」
のらはデニムのショートパンツからすらりと伸びた足を、手の平でぺちぺち叩いた。
「ちげーし。まあ、その、気をつけて帰れよ」
「ういっす!」
のらがおどけて敬礼したあと、俺に背をむけた。
「のら、ありがとな」
俺はその小さな背中に向けて、もう一度感謝の言葉を述べた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~
蒼田
青春
人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。
目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。
しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。
事故から助けることで始まる活発少女との関係。
愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。
愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。
故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。
*本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ!
コバひろ
大衆娯楽
格闘技を通して、男と女がリングで戦うことの意味、ジェンダー論を描きたく思います。また、それによる両者の苦悩、家族愛、宿命。
性差とは何か?

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』
コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ”
(全20話)の続編。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211
男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は?
そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。
格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる