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カノジョと後輩
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「……右京くん、その人は誰?」
眉をひそめて栞梨はそう訊ねてくる。声は小さかったが、重苦しい図書室の空気を切り裂くように鋭かった。
「こいつは、その、俺の中学のときの後輩で野田っていうんだ」
「ふーん。で、その野田さんと、どうして抱き合ってるの?」
「え? うわっ!」
栞梨の質問で、まだのらに抱きつかれている現状に気づいた。慌ててのらの身体を両手で押しのけて遠ざける。
「ち、違う! 栞梨、誤解だって! こいつが勝手に抱きついてきたんだって! ほら、のらからも栞梨に言ってやってくれ!」
カノジョにいらぬ誤解を受けたくない俺は、慌てて後輩に助けを求める。しかしのらは俺と栞梨のやり取りを不思議そうな顔で眺めているだけだった。
「おい、のら。このままじゃ、栞梨に変な誤解されんだろ。頼むからさ」
するとのらは、なにかに思い至ったかのように、突然俺に詰め寄ってきた。
「えっ! もしかしてセンパイは、あの人とお付き合いされてるんすか?」
後ろに立つ栞梨を指でさすのら。もの凄い剣幕で訊ねられたから、俺は少し怯みながらも「そうだ」と首を縦に振った。するとのらは俺の答えを聞くと、へなへなと腰を抜かしたかのように、その場に座り込んだ。
「……センパイにカノジョが……うそ……モテないくせに……女友達すらいなかったくせに……なんで……なんで……なんで……」
ところどころディスられている気がしたが、聞かなかったことにした。のらの目から涙がぽろぽろと零れ落ちていることに気づいたからだ。栞梨も気まずそうにその場に立ちすくんでいた。
のらになにか声をかけたかった。だけど、ついさっき自分に告白をしてくれた少女が、俺にカノジョがいたことを知って、落ち込んでいるのだ。当事者である俺がなんて声をかければいいのか、まったくわからない。
栞梨にアイコンタクトで「どうしたらいい?」と問いかけてみたが、カノジョも困った顔で首を横に振る。栞梨がいつ図書室に入ってきたのかはわからないが、おそらくカノジョはこの状況を理解しているのだろう。そして栞梨もまた当事者であるため、なにも言えないのだと思った。
のらの告白は本当に思いがけないことだった。後輩が自分に好意を抱いていたとは、まったく気がつかなかったのだ。
そして俺はのらに対して恋愛感情を持ったことは一度もなかった。中学生の俺にとって、金髪美少女ののらのことは、学校の中でも飛びぬけて可愛い女子だとは思っていた。だけどその容姿だけで惚れるようなことはなかった。のらは唯一俺を慕ってくれる後輩で、なんでも話ができる気の置けない友人のように思っていた。だから恋愛感情はなかったにせよ、特別な存在であったことは確かだ。自分を犠牲にしてでも守ってやりたいほど大切な存在であったことは間違いない。
だから目の前で、俺のことで悲しんでいるのらを見ると胸が痛んだ。
しばらくの間、泣いているのらを俺と栞は黙って見守っていた。やがてのらは泣き止むと、目を擦りながらスクッと立ち上がった。そして俺と栞梨に向き合って、こんな質問をしてきた。
「センパイ、それと、えーと栞梨さんでしたっけ?」
カノジョがコクンと頷くと、のらは質問を続ける。
「お二人は恋愛って早いもの勝ちだと思いますか?」
一瞬、なぜそんなことを訊ねてくるのだろうと思ったが、すぐに後輩の意図が分かった。だから自分の答えを口にするのは辛かった。だが、のらが答えを求めているのなら伝えるしかないと覚悟を決めて、俺は口を開く。
「俺は早いもの勝ちだと思っている」
のらの目をしっかりと見つめて、俺は自分の考えを示す。のらは一切俺から視線を逸らすことはなかった。
「私も右京くんと同じで、そう思ってる」
俺に続けて栞梨も俺と同じ考えを示した。きっとのらは、俺たちの答えを聞いて、自分の気持ちに踏ん切りをつけたいのだろう。だからわざと、こんな分かりきった答えの質問をしてきたのだ。答えを言う側も、答えを聞く側も、両方とも痛みを伴うような残酷な質問を。
のらにまた辛い思いをさせてしまったかもしれないが、俺の栞梨への想いが変わることがないかぎり、結果は揺るぐことはない。こればかりは仕方がない、と俺は自分に言い聞かせた。
「そうですか。お二人の答えはわかりました」
のらは静かに俺と栞梨にそう告げた。胸が苦しくなった。しかし、のらの次の言葉を聞いて、自分の考えが間違っていたことに気づいた。後輩の質問の意図は俺の想像と違っていたのだ。
「わたしは、恋愛は早いもの勝ちだとは思いません」
のらはにやりと口元に不敵な笑みを浮かべた。そしてすぐに唇を引き結ぶと、俺と栞梨をきっと睨みつけた。いや、のらの瞳には俺ではなく栞梨だけが映っているようだった。のらは挑戦的な強い口調で続ける。
「誰かよりも先に付き合ったから勝ちだなんて、おかしくないっすか! いま付き合っている恋人よりも、強く想っている人がいたとき、その人が負けるなんておかしくないっすか!」
むちゃくちゃな理屈だと思った。おそらくのらは、栞梨よりも自分のほうが想いが強いと言いたいのだろう。そう解釈すると、栞梨の俺に対する想いが弱いと言われている気がして、少し腹がたった。
「その想いの強さって目に見えないのに、どうやって判断するの?」
栞梨も俺と同じような気持ちになったのだろう。その口調に苛立ちが含まれているように感じる。
「そんなの本人しか分からないっすよ」
なんでもないことのように、のらはさらりと答える。
「そう。なら私のほうが右京くんへの想いが強いかもしれないね」
栞梨はのらの態度に苛立っているようで、吐き捨てるように言った。一方でのらは、この栞梨の言葉が気に入らなかったのだろう。急に目つきが鋭くなった。
「いいえ、そんなことないです! ぜったいにわたしのほうがセンパイのこと好きな気持ちが強いですから! ぜったいにあなたなんかには負けてないから!」
「おい、落ち着けよ」
声を荒げるのらをなだめようとしたが、もはや俺の言葉は耳に入っていないようで、後輩はさらに勢いを増していった。
「この一年間、わたしは毎日毎日、ずっーとセンパイのことだけを考えてきたんだ! センパイと一緒の高校に入って、センパイと一緒に通学して、センパイと一緒に勉強して、センパイと一緒に遊びに行って、センパイと一緒に図書委員して、そのことだけを楽しみにして受験勉強してきたんだ! 大好きなセンパイとまた楽しく過ごしたいって、そのことだけを願って、この一年間過ごしてきたんだ! それなのに……それなのに……」
声を詰まらせるのら。目には涙が溜まっていた。のらは袖で涙を乱暴に拭い、再び栞梨を睨みつける。
「この一年の間に、わたしよりも先に付き合ったっていうだけで、なんでわたしがあなたに負けなきゃいけないんだよ!」
栞梨はのらの勢いに気圧されているようだった。
「わたしのこの想いは誰にも負けない! ぜったいにあなたよりもわたしのほうがセンパイのこと好きだから!」
目から溢れる涙を飛び散らせて、のらは栞梨に向けて叫んだ。俺もカノジョものらの勢いに飲まれて、身動きが取れなかった。口を開くことすらできなかった。
やがてのらはハンカチで目の周りを丁寧に拭った。どうやら落ち着きを取り戻したようだった。のらは自分の荷物を手にすると、俺と栞梨の間をすり抜けて図書室の扉へと向かう。重苦しい空気はまだ図書室を支配していた。のらの足音だけが静かな空間に響いていた。図書室から立ち去る間際、のらはくるりと振り返る。そして栞梨を見つめると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「いつか必ず、恋愛は早いもの勝ちじゃないって、わたしが証明してあげますよ。だから楽しみに待っていてくださいね、栞梨せーんぱい♪」
挑発的な言葉を残して、のらは去って行った。残されたカノジョを見やると、こめかみに青筋が浮かび上がり、ピクピクと動いていた。いつもおとなしい子犬のような栞梨が、これほどまで怒りに震えている姿を見るのは初めてだった。
だから帰りにケーキバイキングに連れて行って、満足するまで食べてもらった。俺が悪いわけではないけれど、栞梨になんだか申し訳ない気持になり、俺はカノジョの分も支払った。
眉をひそめて栞梨はそう訊ねてくる。声は小さかったが、重苦しい図書室の空気を切り裂くように鋭かった。
「こいつは、その、俺の中学のときの後輩で野田っていうんだ」
「ふーん。で、その野田さんと、どうして抱き合ってるの?」
「え? うわっ!」
栞梨の質問で、まだのらに抱きつかれている現状に気づいた。慌ててのらの身体を両手で押しのけて遠ざける。
「ち、違う! 栞梨、誤解だって! こいつが勝手に抱きついてきたんだって! ほら、のらからも栞梨に言ってやってくれ!」
カノジョにいらぬ誤解を受けたくない俺は、慌てて後輩に助けを求める。しかしのらは俺と栞梨のやり取りを不思議そうな顔で眺めているだけだった。
「おい、のら。このままじゃ、栞梨に変な誤解されんだろ。頼むからさ」
するとのらは、なにかに思い至ったかのように、突然俺に詰め寄ってきた。
「えっ! もしかしてセンパイは、あの人とお付き合いされてるんすか?」
後ろに立つ栞梨を指でさすのら。もの凄い剣幕で訊ねられたから、俺は少し怯みながらも「そうだ」と首を縦に振った。するとのらは俺の答えを聞くと、へなへなと腰を抜かしたかのように、その場に座り込んだ。
「……センパイにカノジョが……うそ……モテないくせに……女友達すらいなかったくせに……なんで……なんで……なんで……」
ところどころディスられている気がしたが、聞かなかったことにした。のらの目から涙がぽろぽろと零れ落ちていることに気づいたからだ。栞梨も気まずそうにその場に立ちすくんでいた。
のらになにか声をかけたかった。だけど、ついさっき自分に告白をしてくれた少女が、俺にカノジョがいたことを知って、落ち込んでいるのだ。当事者である俺がなんて声をかければいいのか、まったくわからない。
栞梨にアイコンタクトで「どうしたらいい?」と問いかけてみたが、カノジョも困った顔で首を横に振る。栞梨がいつ図書室に入ってきたのかはわからないが、おそらくカノジョはこの状況を理解しているのだろう。そして栞梨もまた当事者であるため、なにも言えないのだと思った。
のらの告白は本当に思いがけないことだった。後輩が自分に好意を抱いていたとは、まったく気がつかなかったのだ。
そして俺はのらに対して恋愛感情を持ったことは一度もなかった。中学生の俺にとって、金髪美少女ののらのことは、学校の中でも飛びぬけて可愛い女子だとは思っていた。だけどその容姿だけで惚れるようなことはなかった。のらは唯一俺を慕ってくれる後輩で、なんでも話ができる気の置けない友人のように思っていた。だから恋愛感情はなかったにせよ、特別な存在であったことは確かだ。自分を犠牲にしてでも守ってやりたいほど大切な存在であったことは間違いない。
だから目の前で、俺のことで悲しんでいるのらを見ると胸が痛んだ。
しばらくの間、泣いているのらを俺と栞は黙って見守っていた。やがてのらは泣き止むと、目を擦りながらスクッと立ち上がった。そして俺と栞梨に向き合って、こんな質問をしてきた。
「センパイ、それと、えーと栞梨さんでしたっけ?」
カノジョがコクンと頷くと、のらは質問を続ける。
「お二人は恋愛って早いもの勝ちだと思いますか?」
一瞬、なぜそんなことを訊ねてくるのだろうと思ったが、すぐに後輩の意図が分かった。だから自分の答えを口にするのは辛かった。だが、のらが答えを求めているのなら伝えるしかないと覚悟を決めて、俺は口を開く。
「俺は早いもの勝ちだと思っている」
のらの目をしっかりと見つめて、俺は自分の考えを示す。のらは一切俺から視線を逸らすことはなかった。
「私も右京くんと同じで、そう思ってる」
俺に続けて栞梨も俺と同じ考えを示した。きっとのらは、俺たちの答えを聞いて、自分の気持ちに踏ん切りをつけたいのだろう。だからわざと、こんな分かりきった答えの質問をしてきたのだ。答えを言う側も、答えを聞く側も、両方とも痛みを伴うような残酷な質問を。
のらにまた辛い思いをさせてしまったかもしれないが、俺の栞梨への想いが変わることがないかぎり、結果は揺るぐことはない。こればかりは仕方がない、と俺は自分に言い聞かせた。
「そうですか。お二人の答えはわかりました」
のらは静かに俺と栞梨にそう告げた。胸が苦しくなった。しかし、のらの次の言葉を聞いて、自分の考えが間違っていたことに気づいた。後輩の質問の意図は俺の想像と違っていたのだ。
「わたしは、恋愛は早いもの勝ちだとは思いません」
のらはにやりと口元に不敵な笑みを浮かべた。そしてすぐに唇を引き結ぶと、俺と栞梨をきっと睨みつけた。いや、のらの瞳には俺ではなく栞梨だけが映っているようだった。のらは挑戦的な強い口調で続ける。
「誰かよりも先に付き合ったから勝ちだなんて、おかしくないっすか! いま付き合っている恋人よりも、強く想っている人がいたとき、その人が負けるなんておかしくないっすか!」
むちゃくちゃな理屈だと思った。おそらくのらは、栞梨よりも自分のほうが想いが強いと言いたいのだろう。そう解釈すると、栞梨の俺に対する想いが弱いと言われている気がして、少し腹がたった。
「その想いの強さって目に見えないのに、どうやって判断するの?」
栞梨も俺と同じような気持ちになったのだろう。その口調に苛立ちが含まれているように感じる。
「そんなの本人しか分からないっすよ」
なんでもないことのように、のらはさらりと答える。
「そう。なら私のほうが右京くんへの想いが強いかもしれないね」
栞梨はのらの態度に苛立っているようで、吐き捨てるように言った。一方でのらは、この栞梨の言葉が気に入らなかったのだろう。急に目つきが鋭くなった。
「いいえ、そんなことないです! ぜったいにわたしのほうがセンパイのこと好きな気持ちが強いですから! ぜったいにあなたなんかには負けてないから!」
「おい、落ち着けよ」
声を荒げるのらをなだめようとしたが、もはや俺の言葉は耳に入っていないようで、後輩はさらに勢いを増していった。
「この一年間、わたしは毎日毎日、ずっーとセンパイのことだけを考えてきたんだ! センパイと一緒の高校に入って、センパイと一緒に通学して、センパイと一緒に勉強して、センパイと一緒に遊びに行って、センパイと一緒に図書委員して、そのことだけを楽しみにして受験勉強してきたんだ! 大好きなセンパイとまた楽しく過ごしたいって、そのことだけを願って、この一年間過ごしてきたんだ! それなのに……それなのに……」
声を詰まらせるのら。目には涙が溜まっていた。のらは袖で涙を乱暴に拭い、再び栞梨を睨みつける。
「この一年の間に、わたしよりも先に付き合ったっていうだけで、なんでわたしがあなたに負けなきゃいけないんだよ!」
栞梨はのらの勢いに気圧されているようだった。
「わたしのこの想いは誰にも負けない! ぜったいにあなたよりもわたしのほうがセンパイのこと好きだから!」
目から溢れる涙を飛び散らせて、のらは栞梨に向けて叫んだ。俺もカノジョものらの勢いに飲まれて、身動きが取れなかった。口を開くことすらできなかった。
やがてのらはハンカチで目の周りを丁寧に拭った。どうやら落ち着きを取り戻したようだった。のらは自分の荷物を手にすると、俺と栞梨の間をすり抜けて図書室の扉へと向かう。重苦しい空気はまだ図書室を支配していた。のらの足音だけが静かな空間に響いていた。図書室から立ち去る間際、のらはくるりと振り返る。そして栞梨を見つめると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「いつか必ず、恋愛は早いもの勝ちじゃないって、わたしが証明してあげますよ。だから楽しみに待っていてくださいね、栞梨せーんぱい♪」
挑発的な言葉を残して、のらは去って行った。残されたカノジョを見やると、こめかみに青筋が浮かび上がり、ピクピクと動いていた。いつもおとなしい子犬のような栞梨が、これほどまで怒りに震えている姿を見るのは初めてだった。
だから帰りにケーキバイキングに連れて行って、満足するまで食べてもらった。俺が悪いわけではないけれど、栞梨になんだか申し訳ない気持になり、俺はカノジョの分も支払った。
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