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第一部
第二十三話「ハイブリッド レインボウ」
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◇
俺には隠れた特技が三つある。
一つは声が誰よりもでかい事。二つ目は左利きだけど右利き用のギターを弾ける事。三つ目は左利きだけど右手でもそれなりのボールを投げられること。
使い込まれた竜也さんの右利き用ファーストミットは、もう俺の手には小さかった。あの人も小学校で野球をやめたから当然だろう。もうすっかり俺も高校生だ。
「…………、」
「…………。」
家の前でカズキと無言でボールを投げつけあう。言葉のキャッチボール的な事をするのかなと思ったら本当にただキャッチボールをしているこの状況。
流石に、そろそろ口を開くべきか。
「……黙ってねぇで、何かしゃべれ!」
「……何かって、なんだ、よ!」
「俺に言いたい事とかねえのか、よ!」
「んなこと……山ほどある、っつうの!」
「じゃあ、言えよこの、あまのじゃく!」
「んだと、この、ナルシスト野郎!」
ボールと一緒に言葉を投げつけあう。次第に互いの球威が増していく。
「じゃあこっちから聞くけどなァ! 何でお前急に金髪になってんだよ!」
「あぁ!? んなもん別に、……カッコイイと思ったからだ、っつの!」
「ええ!? かっこいいと思ってやってたの、それ!?」
「お、お前だって急に茶髪になってるじゃねーか、バーカ!」
「あぁん!? バカっていうほうがバカなんですよ、バーカ!」
「っ小学生かこの、アホゴミクソ野郎!」
本当に小学生みたいなやり取りだ。
だけど少しずつ離れていた距離が縮まっていく気がする。
「……しかし何も、泣くこたねえだ、ろ!」
「……は、はあ!? な、なんのこと、だ!」
「いや、こないだ泣いてただろうが! 俺が、アホすぎるせいでよ!」
「あぁ!? ……誰がお前の事なんかで泣くかよ、ボケ!」
「えぇえ!? じゃあなんで泣いてたん、だよ!」
「い、いやあれは、ただ……むかつきすぎて泣いてたん、だ!」
「はぁ!? それって一体どういう、心境!?」
「だって、むかつくだろうが! 何も知らねえ奴らに、あんな、言われて!」
ボールを返す。
「知ってる奴、馬鹿にされて!」
ボールを返す。
「お前は平気で、……居られるってのかよ!」
ボールを、落とした。
「……カズキ?」
「……中学ん時から、そうだった」
長い前髪と、帽子のせいで表情が見えない。
だけどカズキはまた、泣きそうな声になっていた。
「……アタシは、何でお前がそんな叩かれんのかわかんなかった。お前のライブは確かにひどかったけど、別にあんな、人格否定されるほどのことじゃねえだろ。……死ねとかクズとか大袈裟なんだよ。あいつらも、お前も。たかだか、あんなことで大騒ぎしやがって」
拳を握りしめながら、カズキは言う。
「なんで皆そんな簡単に他人《ひと》の事を笑えるんだ。なんでよく知りもしねえ奴をそんなに叩けるんだ。わけわかんねえ。わけわかんねえんだよ、クソ」
鼻をすすり、袖で顔を拭いながらカズキは言う。
「それに、軽音やめようって言ったのはお前の為なんかじゃない。……アタシ自身の為なんだ」
「……? どういうことだ?」
「……アタシは。お前が誰かに何か言われる度、それが自分のことみたいにムカついてた。お前に何言われても気にすんなとか言ってときながら、アタシ自身があいつらの言葉に傷ついてたんだ。――だから、耐えられなかったんだよ、もう。ヘラヘラ笑うお前の顔見るのも、この、わけわかんねえ気持ちに向き合うのも」
胸を抑えて、カズキはうずくまる。
俺は落ちたボールを拾い上げながら歩み寄った。
「……わけわかんなくなんか、ねえよ」
「……え?」
「俺だって、お前が誰かになんか言われたらむかつくし、傷つく。……知ってる奴馬鹿にされるって、つれえよな。俺も好きなバンドが地上波とかに出る時、誰? 何? とかネットで言われる度ふざけんじゃねえよお前らが誰だよって言いたくなるし、そういうことだよな」
「いやその例えはちょっとよくわかんねえけど……」
何でちょっとよくわかんねえんだよそこはわかれよ!
「……ありがとな、カズキ。お前の思ってた事、ちゃんと俺に教えてくれて。言われて見りゃ納得するんだけど、言われなきゃ全然気づけねえ事もあるからさ。……もっと俺ら、話し合うべきだったよな」
鼻をすすりながら、五十嵐は俺が放ったボールを受け取る。
「……あの、な。高宮」
「ん?」
「アタシ、お前のこと、よく、アホとか死ねとか言ったりするけど……別に全然本気では思ってねえからな」
「……はい?」
「いや、だから。つい、口に出ちまうだけで……その」
唐突に、なんだかすごい今更な事を言いだしてきて思わず笑ってしまう。
「……わかってるよんなこと。親父さんの事ハゲとか言ったり、一成の事ウゼェとか言ったりもそうだろ。要はあれだ、ちょっと歪んだ親愛表現的な――ッいやごめん違うよな!? 違いますよね!! とりあえずそれ降ろそう!?」
歯を噛み締めてぷるぷる震えながら、カズキくんはグローブを振りかぶる。俺が必死で捲し立てると、はっと気づいた様子で腕を下ろし、またぼそりと呟いた。
「……さっき。ボールぶつけてごめんな。その前も、叩いたり」
「いや、全然いいって。俺もそれ相応にアホな事してるしな、はは」
俺が苦笑いを零すと、カズキは気まずそうに視線を逸らす。
「……カズキ。さっき響と話したんだ。お前抜きで勝負をするのか、勝負を降りてお前とバンドとやるのか、どっちがいいかって。俺達はどっちもすぐお前を選んだ。お前が嫌ならもう軽音楽部なんて俺もどうだっていい。……だからもっかい、俺らとバンド組んでくれるか」
グローブを外して、俺は手を差し伸べる。
「……うん」
涙を拭いながら、カズキは俺と握手をしてくれた。
「……でも、勝負は、やめなくていい」
「……え?」
俯いていた顔をあげながらカズキは言う。
「あれから、アタシもいろいろ考えたんだよ。お前が、学校の連中とか軽音部にこだわる理由は――リベンジなんだろ? 小学校の頃から今までの、お前の人生、全部に対しての」
「……ああ。そうだ。その通りだ。そこにこだわる理由は、俺の個人的な問題でしかない。だからもう、勝負は降りて――」
「それは、お前のするべきコトだろ。……やりたいコトじゃない。勉強するとか宿題するとか、そういうのと一緒だ。アタシはそんなもん手伝う気はない。アタシが付き合うのは、お前のやりたいことに対してだけだ」
「……カズキ?」
泣き腫らした眼と眼が合う。今日初めて、俺ははっきりとカズキの顔を見た。
「……小学校の頃、お前らがしつこく野球に誘ってきたおかげで、アタシは色んな景色を見る事ができた。雨ん中泥だらけで練習したり、クソ暑い日に汗だくで試合したり。覚えてるか? 休みの日、お前が急に自転車でどこまで行けんのかとか皆を誘ってさ。隣の県まで行っちまって、皆で怒られた事。口には出さなかったけど、あれ、すげえ楽しかったんだよ。――今だってそうだ。お前に付き合わされなきゃ、アタシは多分一生、響とも、音無先輩とも、会う事なんてなかった」
白球を追いかけていたころの思い出がフラッシュバックする。
野球帽を被った小学生のカズキの姿が、今眼の前に居るカズキと重なる。
「だから、フトシ。……オレを、また連れてってくれ。見たこと無い景色をオレにも、見せてくれ。お前となら、これが傷になってもいい。一緒にいくらでも、傷ついてやる」
「……カズキ、」
「だってそれが、……っ友達ってもんだろ」
涙を拭いながら、カズキはそう言った。
ぐっと、拳を握りしめて。俺も生の台詞を返す。
「え? 急にどうしたお前そんな恥ずかしい台詞を……頭とか打った?」
「……ッああ!? わ、わざわざお前のくっせえノリに合わせてやったんだろが! いいいきなり下の名前とか呼んできやがって!」
「ん? ああ。それは無意識だったわー。完全に無意識だったわー」
「嘘つけこのクソ野郎!」
「うおお! あっぶね!」
至近距離で飛んできたボールを辛うじて受け止める。
「まあとりあえずこれで仲直り。一件落着って事でオッケー? 五十嵐先生?」
「……オーケー。クソリーダー」
でかい溜息をつきながら、五十嵐はいつもの仏頂面で俺と拳を合わせてくれた。
「しっかし、俺とバンドやるつもりだったんならマジで一言でも言ってくれりゃ良かったのに。せっかく同じ高校だったのに、一年間無駄にしちまったよ」
「いや、そりゃお前の方が悪いだろ。あんな露骨に話しかけんなってオーラ出してたくせに、何言ってんだ」
「ぐぬッ……いやまあ実際、避けてたのは俺の方なんだけどさ。一成にしてもそうだけど、高校でまでお前らの力頼りたくなかったつうか……声かけるにしても、友達だからバンド組んでってんじゃ、何かダサいし不誠実だろ。だからちゃんと実力つけてから話しかけたかったっていうか……まあ全部言い訳なんですけど」
「ふーん。……ま、どうせそんなことだろうとは思ったけどな」
「ははは。やっぱ五十嵐先生にはお見通しか」
「……。つ、つーか。お前さっきから何か勘違いしてるみてーだけど。別にアタシ、お前とバンド組む為にこの高校入ったわけじゃねえからな」
「あれ? そうなの? じゃあなんで?」
「え? いや、そ、それは……」
五十嵐は何かもじもじと、視線を右往左往させる。
やがて、ぼそりと呟いた。
「ギャ……ったから」
「え?」
「……ギャルになりたかったから」
……………。
………………………。え?
「ギャルに、なりたかった……? ギャルになりたかったから、かぁ……うーん。いや、ちょっと何言ってるかわからない」
「何でわかんねぇんだよ! この金髪とピアス見りゃわかんだろうが!」
「えぇ!? どういうこと!?」
「い、いやだから。青葉東って校則緩いし。髪とか着崩しとか、自由にできるし」
「あ、あー。なるほど。確かに……っていや真面目かッ! 校則気にするギャルってもうそれギャルじゃねえだろ!」
「あ“ぁ!? お前ギャルの事なめてんだろボケ! はらわた引きずり回すぞ!」
ひぃ怖い! やっぱこの人ギャルってよりヤンキーな気がするんですけど!
……まぁでも確かに、智也んとこの高校って、校則はかなり厳しかったはずだしな。推薦で入学する以上、ギャルと陸上の両立は流石に無理か。それに五十嵐って、ずっと短い髪で真面目に部活やってた奴だし、一生に一度の高校生活でぐらい、普通の女子みたいにおしゃれしたり、羽目を外してみたかったんだろう。
なるほどね。一成はああ言ってたけど、実際はそういうことか。
それなら、なんか。かなり気が楽になった気がする。
「タカミーーーー! 香月ちゃーーーん!!」
「ん? 一成?」
道路の方から自転車を漕ぐ響と、その後ろに乗る一成の姿が近づいて来る。
「いやっほう! ふたりとも、ちゃんと仲直りできた!?」
「おう。まあなんとかな」
「良かった。うまくいったんですね」
「でもその割には香月ちゃんめっちゃ人殺しそうな顔してるけど大丈夫?」
「え? うわあ。本当だ。めっちゃ人殺しそうな顔してる……」
「どうしたんですか五十嵐先輩、そんな怖い顔して」
「…………別に。なんでもねえよ、ばーか」
五十嵐が笑って、俺達も笑う。
ふと見上げると夕立の後の茜空に、一筋の虹が浮かび上がっていた。
あまり綺麗とはいえない、歪な虹。
だけどその時、ようやく本当に。長い雨が上がった気がした。
俺には隠れた特技が三つある。
一つは声が誰よりもでかい事。二つ目は左利きだけど右利き用のギターを弾ける事。三つ目は左利きだけど右手でもそれなりのボールを投げられること。
使い込まれた竜也さんの右利き用ファーストミットは、もう俺の手には小さかった。あの人も小学校で野球をやめたから当然だろう。もうすっかり俺も高校生だ。
「…………、」
「…………。」
家の前でカズキと無言でボールを投げつけあう。言葉のキャッチボール的な事をするのかなと思ったら本当にただキャッチボールをしているこの状況。
流石に、そろそろ口を開くべきか。
「……黙ってねぇで、何かしゃべれ!」
「……何かって、なんだ、よ!」
「俺に言いたい事とかねえのか、よ!」
「んなこと……山ほどある、っつうの!」
「じゃあ、言えよこの、あまのじゃく!」
「んだと、この、ナルシスト野郎!」
ボールと一緒に言葉を投げつけあう。次第に互いの球威が増していく。
「じゃあこっちから聞くけどなァ! 何でお前急に金髪になってんだよ!」
「あぁ!? んなもん別に、……カッコイイと思ったからだ、っつの!」
「ええ!? かっこいいと思ってやってたの、それ!?」
「お、お前だって急に茶髪になってるじゃねーか、バーカ!」
「あぁん!? バカっていうほうがバカなんですよ、バーカ!」
「っ小学生かこの、アホゴミクソ野郎!」
本当に小学生みたいなやり取りだ。
だけど少しずつ離れていた距離が縮まっていく気がする。
「……しかし何も、泣くこたねえだ、ろ!」
「……は、はあ!? な、なんのこと、だ!」
「いや、こないだ泣いてただろうが! 俺が、アホすぎるせいでよ!」
「あぁ!? ……誰がお前の事なんかで泣くかよ、ボケ!」
「えぇえ!? じゃあなんで泣いてたん、だよ!」
「い、いやあれは、ただ……むかつきすぎて泣いてたん、だ!」
「はぁ!? それって一体どういう、心境!?」
「だって、むかつくだろうが! 何も知らねえ奴らに、あんな、言われて!」
ボールを返す。
「知ってる奴、馬鹿にされて!」
ボールを返す。
「お前は平気で、……居られるってのかよ!」
ボールを、落とした。
「……カズキ?」
「……中学ん時から、そうだった」
長い前髪と、帽子のせいで表情が見えない。
だけどカズキはまた、泣きそうな声になっていた。
「……アタシは、何でお前がそんな叩かれんのかわかんなかった。お前のライブは確かにひどかったけど、別にあんな、人格否定されるほどのことじゃねえだろ。……死ねとかクズとか大袈裟なんだよ。あいつらも、お前も。たかだか、あんなことで大騒ぎしやがって」
拳を握りしめながら、カズキは言う。
「なんで皆そんな簡単に他人《ひと》の事を笑えるんだ。なんでよく知りもしねえ奴をそんなに叩けるんだ。わけわかんねえ。わけわかんねえんだよ、クソ」
鼻をすすり、袖で顔を拭いながらカズキは言う。
「それに、軽音やめようって言ったのはお前の為なんかじゃない。……アタシ自身の為なんだ」
「……? どういうことだ?」
「……アタシは。お前が誰かに何か言われる度、それが自分のことみたいにムカついてた。お前に何言われても気にすんなとか言ってときながら、アタシ自身があいつらの言葉に傷ついてたんだ。――だから、耐えられなかったんだよ、もう。ヘラヘラ笑うお前の顔見るのも、この、わけわかんねえ気持ちに向き合うのも」
胸を抑えて、カズキはうずくまる。
俺は落ちたボールを拾い上げながら歩み寄った。
「……わけわかんなくなんか、ねえよ」
「……え?」
「俺だって、お前が誰かになんか言われたらむかつくし、傷つく。……知ってる奴馬鹿にされるって、つれえよな。俺も好きなバンドが地上波とかに出る時、誰? 何? とかネットで言われる度ふざけんじゃねえよお前らが誰だよって言いたくなるし、そういうことだよな」
「いやその例えはちょっとよくわかんねえけど……」
何でちょっとよくわかんねえんだよそこはわかれよ!
「……ありがとな、カズキ。お前の思ってた事、ちゃんと俺に教えてくれて。言われて見りゃ納得するんだけど、言われなきゃ全然気づけねえ事もあるからさ。……もっと俺ら、話し合うべきだったよな」
鼻をすすりながら、五十嵐は俺が放ったボールを受け取る。
「……あの、な。高宮」
「ん?」
「アタシ、お前のこと、よく、アホとか死ねとか言ったりするけど……別に全然本気では思ってねえからな」
「……はい?」
「いや、だから。つい、口に出ちまうだけで……その」
唐突に、なんだかすごい今更な事を言いだしてきて思わず笑ってしまう。
「……わかってるよんなこと。親父さんの事ハゲとか言ったり、一成の事ウゼェとか言ったりもそうだろ。要はあれだ、ちょっと歪んだ親愛表現的な――ッいやごめん違うよな!? 違いますよね!! とりあえずそれ降ろそう!?」
歯を噛み締めてぷるぷる震えながら、カズキくんはグローブを振りかぶる。俺が必死で捲し立てると、はっと気づいた様子で腕を下ろし、またぼそりと呟いた。
「……さっき。ボールぶつけてごめんな。その前も、叩いたり」
「いや、全然いいって。俺もそれ相応にアホな事してるしな、はは」
俺が苦笑いを零すと、カズキは気まずそうに視線を逸らす。
「……カズキ。さっき響と話したんだ。お前抜きで勝負をするのか、勝負を降りてお前とバンドとやるのか、どっちがいいかって。俺達はどっちもすぐお前を選んだ。お前が嫌ならもう軽音楽部なんて俺もどうだっていい。……だからもっかい、俺らとバンド組んでくれるか」
グローブを外して、俺は手を差し伸べる。
「……うん」
涙を拭いながら、カズキは俺と握手をしてくれた。
「……でも、勝負は、やめなくていい」
「……え?」
俯いていた顔をあげながらカズキは言う。
「あれから、アタシもいろいろ考えたんだよ。お前が、学校の連中とか軽音部にこだわる理由は――リベンジなんだろ? 小学校の頃から今までの、お前の人生、全部に対しての」
「……ああ。そうだ。その通りだ。そこにこだわる理由は、俺の個人的な問題でしかない。だからもう、勝負は降りて――」
「それは、お前のするべきコトだろ。……やりたいコトじゃない。勉強するとか宿題するとか、そういうのと一緒だ。アタシはそんなもん手伝う気はない。アタシが付き合うのは、お前のやりたいことに対してだけだ」
「……カズキ?」
泣き腫らした眼と眼が合う。今日初めて、俺ははっきりとカズキの顔を見た。
「……小学校の頃、お前らがしつこく野球に誘ってきたおかげで、アタシは色んな景色を見る事ができた。雨ん中泥だらけで練習したり、クソ暑い日に汗だくで試合したり。覚えてるか? 休みの日、お前が急に自転車でどこまで行けんのかとか皆を誘ってさ。隣の県まで行っちまって、皆で怒られた事。口には出さなかったけど、あれ、すげえ楽しかったんだよ。――今だってそうだ。お前に付き合わされなきゃ、アタシは多分一生、響とも、音無先輩とも、会う事なんてなかった」
白球を追いかけていたころの思い出がフラッシュバックする。
野球帽を被った小学生のカズキの姿が、今眼の前に居るカズキと重なる。
「だから、フトシ。……オレを、また連れてってくれ。見たこと無い景色をオレにも、見せてくれ。お前となら、これが傷になってもいい。一緒にいくらでも、傷ついてやる」
「……カズキ、」
「だってそれが、……っ友達ってもんだろ」
涙を拭いながら、カズキはそう言った。
ぐっと、拳を握りしめて。俺も生の台詞を返す。
「え? 急にどうしたお前そんな恥ずかしい台詞を……頭とか打った?」
「……ッああ!? わ、わざわざお前のくっせえノリに合わせてやったんだろが! いいいきなり下の名前とか呼んできやがって!」
「ん? ああ。それは無意識だったわー。完全に無意識だったわー」
「嘘つけこのクソ野郎!」
「うおお! あっぶね!」
至近距離で飛んできたボールを辛うじて受け止める。
「まあとりあえずこれで仲直り。一件落着って事でオッケー? 五十嵐先生?」
「……オーケー。クソリーダー」
でかい溜息をつきながら、五十嵐はいつもの仏頂面で俺と拳を合わせてくれた。
「しっかし、俺とバンドやるつもりだったんならマジで一言でも言ってくれりゃ良かったのに。せっかく同じ高校だったのに、一年間無駄にしちまったよ」
「いや、そりゃお前の方が悪いだろ。あんな露骨に話しかけんなってオーラ出してたくせに、何言ってんだ」
「ぐぬッ……いやまあ実際、避けてたのは俺の方なんだけどさ。一成にしてもそうだけど、高校でまでお前らの力頼りたくなかったつうか……声かけるにしても、友達だからバンド組んでってんじゃ、何かダサいし不誠実だろ。だからちゃんと実力つけてから話しかけたかったっていうか……まあ全部言い訳なんですけど」
「ふーん。……ま、どうせそんなことだろうとは思ったけどな」
「ははは。やっぱ五十嵐先生にはお見通しか」
「……。つ、つーか。お前さっきから何か勘違いしてるみてーだけど。別にアタシ、お前とバンド組む為にこの高校入ったわけじゃねえからな」
「あれ? そうなの? じゃあなんで?」
「え? いや、そ、それは……」
五十嵐は何かもじもじと、視線を右往左往させる。
やがて、ぼそりと呟いた。
「ギャ……ったから」
「え?」
「……ギャルになりたかったから」
……………。
………………………。え?
「ギャルに、なりたかった……? ギャルになりたかったから、かぁ……うーん。いや、ちょっと何言ってるかわからない」
「何でわかんねぇんだよ! この金髪とピアス見りゃわかんだろうが!」
「えぇ!? どういうこと!?」
「い、いやだから。青葉東って校則緩いし。髪とか着崩しとか、自由にできるし」
「あ、あー。なるほど。確かに……っていや真面目かッ! 校則気にするギャルってもうそれギャルじゃねえだろ!」
「あ“ぁ!? お前ギャルの事なめてんだろボケ! はらわた引きずり回すぞ!」
ひぃ怖い! やっぱこの人ギャルってよりヤンキーな気がするんですけど!
……まぁでも確かに、智也んとこの高校って、校則はかなり厳しかったはずだしな。推薦で入学する以上、ギャルと陸上の両立は流石に無理か。それに五十嵐って、ずっと短い髪で真面目に部活やってた奴だし、一生に一度の高校生活でぐらい、普通の女子みたいにおしゃれしたり、羽目を外してみたかったんだろう。
なるほどね。一成はああ言ってたけど、実際はそういうことか。
それなら、なんか。かなり気が楽になった気がする。
「タカミーーーー! 香月ちゃーーーん!!」
「ん? 一成?」
道路の方から自転車を漕ぐ響と、その後ろに乗る一成の姿が近づいて来る。
「いやっほう! ふたりとも、ちゃんと仲直りできた!?」
「おう。まあなんとかな」
「良かった。うまくいったんですね」
「でもその割には香月ちゃんめっちゃ人殺しそうな顔してるけど大丈夫?」
「え? うわあ。本当だ。めっちゃ人殺しそうな顔してる……」
「どうしたんですか五十嵐先輩、そんな怖い顔して」
「…………別に。なんでもねえよ、ばーか」
五十嵐が笑って、俺達も笑う。
ふと見上げると夕立の後の茜空に、一筋の虹が浮かび上がっていた。
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