ROCK STUDY!!

羽黒川流

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第一部

第十七話「Dream On」

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                 ◇

 最悪のゴールデンウィークだった。あれから俺は毎日あいつらに呼び出されて、飲み食いの金を支払わらされた。金を奪られるだけならまだしも、時間までも奪われたのが笑えない。響や五十嵐と最後に音合わせをしたのが随分昔に思える。

『お前飽きたしもういいわ。あのバンドやめて、バイトで稼いだ金全部持ってきたら許してやるよ』

 昨日はそんなことを言われて、ようやく深夜に家に帰れた。ふざけきった話だけど、こんな条件すら今は一筋の光明に見える。全てを差し出して白紙に戻せばこれ以上もう何も失う事はない。あいつらに被害が及ぶことはない。どうすればいいのか、答えはもう決まっている。

 バンドをやめる。――他に一体、今の俺に何ができる?

 警察に駆けこむ事も一度は考えた。だけど写真が撮られている。俺とあいつらが酒を片手に仲良く肩を組んでいる写真。だからいざとなればあいつらは口裏を合わせて、俺も仲間だったと言って巻き添えにする気のはずだ。そうなった時、俺一人の証言が通用するのか分からない。――それに。そもそもの話、これは元々俺一人が仕掛けた喧嘩で、自業自得の結果に過ぎない。だから誰かの力に頼るのは違う。中学の時みたいに親や周りに、余計な迷惑をかけたくない。
 クソをクソで煮詰めたような状況だった。あんなに練習した歌もギターも、暴力の前じゃ何の役に立たない。今までの俺の考えや行動なんて全部、ここまで深刻な事態を想定しなかったから出来た事なんだと思い知る。

(こんな、ことなら)

 諦めていればよかったのか。五年前、最後の試合で負けたあの時に。三年前、初ライブで失敗したあの時に。一年前、喧嘩を売って孤立したあの時に。
 最初から立ち上がろうとしなければ。地面に這いつくばったままだったなら。きっとこんな風に傷つくことはなかった。誰を巻き込むこともなかった。
 
 なら、人間は。
 一度間違えたらそれで終わりなのか。
 
 失敗した奴が、やり直すことは許されないのか。
 負け犬として生まれた男は、一生負け犬のままなのか。

「――先輩?」
「――え?」

 気づけば響が俺の机の前に立っていた。
 ゴールデンウィーク明け、火曜日の朝。俺は机に突っ伏していたところだった。

「部室を使える日って、結局今日になったんですよね」
「あ、ああ。練習できなかった分は今日に繰り越しにしておいた、けど――」
「良かった。高宮先輩、ずっとバイト忙しかったんですよね。なら久しぶりに音出せるの楽しみじゃないですか? オレも今日はちょっと楽しみにして……先輩?」

 一体その時、俺はどんな顔をしていたのか。
 心配そうに響が顔を覗き込んでくる。

「響、実は――」

 大事な話がある。実はバンドをやめようと思って。急に悪いな。本当にごめん。許してくれ。そう、言わなければならないのに――言葉が、出ない。

「……俺も超楽しみにしてたんだよ! いやー久々だし、テンション上がるわ!」
「ですよね。五十嵐先輩も気合い入ってるみたいでしたよ。それじゃ、放課後」
「おう!」

 へらへらと笑いながら、俺は去って行く響を見送る。
 ああ。最低だ。本当にクソ最低だ。響の言葉を聞いた一瞬、みんなで音合わせした時のあの楽しさが蘇って。俺は、つい、思ってしまったのだ。
 これが最後だから、――せめてあと一回くらい、なんて。
 終わった後には、言わなくちゃいけないのに。
 バンドをやめるって、言わなきゃいけないのに。

               ◇

 the pillows「ONE LIFE」。
 ずっと雨が続いていたからか、何故かこの曲を歌いたかった。
 雨の滴る窓の向こうはもうすっかり暗い。そろそろ、片づけを始めなければならない時間。今日は三人で今まで一緒に合わせてきた曲を全部やった。そのどれもが楽しすぎて、歌ってる時何度も泣きそうになった。サングラスがなければきっとバレていたに違いない。でも流石に、この曲の最後のサビだけは耐えられなかった。終わってほしくないと、思ってしまった。
 なんで、こんなに楽しいのに。これをやめなきゃいけないんだろう。
 よりにもよって、自分の手で。幕を引かなければならないんだろう。
 鼻をすする音がマイクに響く。サングラスの隙間から、じわりと涙が溢れだしてくる。涙声になりながら、俺は最後のフレーズを歌い切った。

「……先輩? どうしたんですか?」
「高宮、お前、さっきからなんか、変だぞ」

 不審そうに二人が眉を顰める。ヘラヘラと笑いながら俺は涙をぬぐった。

「い、いやあ……やっぱこれ、めっちゃいい曲だなって……」

 感傷的になりすぎだとは思う。
 だけど、こいつらと過ごすこの時間は――本当に。俺の光そのものだったから。

「……もう六時だな。そろそろ片付けねえと」
「あ、ちょ、待って。あと一曲だけ最後に頼む」
「……? 別にいいけど、何やるんだ」
「ぐ、グリーンデイのバスケットケースとか? いやー、ほら。外雨降ってるし! 締めはパーッと明るい曲やりてえなって。響、コード進行わかる?」
「あ、はい。確か、……こんなでしたよね」
「おお流石。五十嵐も頼んだ。いくぜ!」

 ギターを鳴らして歌い始める。最後くらい、笑って歌って終わりたかっ
た。なのに。サビに入ろうとした直前にポケットに入れた携帯が震えだす。

 うるさい。知るか。
 ――携帯の震えは止まらない。
 黙ってろ。すっこんでろ。
 ――携帯の音は鳴りやまない。
 邪魔だ。邪魔を、するな。

「――ッあああ!!」

 噴き出す感情に抗えず、携帯を壁に叩きつける。
 液晶が割れて、ぴくりとも動かなくなった。
 演奏は途絶え、冷や水をかけたような静寂と自己嫌悪が襲ってくる。

「高、宮……?」

 ああ。何をやってるんだろう俺は。本当に、何を。

「悪い、二人とも」

 吐き気を抑えながら、言うべき言葉を絞り出す。

「……ちょっと、用事思い出した」
「……え?」

 ギターをケースにしまって、壊れたスマホを拾い上げる。
 部室を出ようとしたところで、五十嵐に胸倉を掴まれた。

「テメェ、一体どこに行く気だ?」
「……バイトだよ。今日入ってたの忘れて――」
「嘘つけよ。お前、ホントはバイトなんか行ってねえだろ? 店の人から聞いたぞ、ここずっとシフトなんか入ってねえって」
「……そことは別のバイトだよ」
「……っ、お前、なんか隠してんだろ? 最近おかしいぞ、ずっと」
 
 おかしい? ……そんなのわかってる。俺が一番、よくわかってるのに。

「……離せよ! お前に関係ねえだろ!」
「か、……」

 五十嵐が目を見開く。しまった、と口を抑える。
 次の瞬間、思い切り平手が飛んできた。その衝撃で、サングラスが床に落ちる。
 泣き腫らした眼を二人に見られた。逃げるように俺は廊下を走り去った。

                ◇

 また、昔の事を思い出していた。
 あれは中二の冬、二学期の終わりごろ。同級生達の弄りが最もエスカレートしてた時期。智也達と揉み合って、エレキギターを壊された事件の後の事だった。しかし周囲では俺の方が原因を作ったからだと風当たりは強く、俺は学校中で蔑まれる存在になっていた。

「……退部届ね。どうして辞めたいんだ? 太志」

 職員室の中にある面談スペース。バスケ部顧問の千葉先生は足を組みながら面倒くさそうにそう言った。生え際が大分後退してる、細身で中年の教師。見た目通りに愛想がなくて、厳しくて、バイクが趣味という事くらいしか知らない。

「……どうせ俺、ずっと補欠ですし。居るだけで雰囲気悪くなるから。他の部員だって、居てほしくないんじゃないかと」
「本当に、それを理由にやめていいのか?」
「……どういう意味すか?」

 俺が問い返すと、千葉先生は机に片肘をつき、俺の目をじっと見ながら話す。

「親御さんから聞いた。お前、小学校の頃、野球の試合で負けてから上手くいってないんだってな。またそうやって、ちょっと失敗したくらいで逃げるのか?」
「……なんすか、それ。熱血気取って、知った風な口利かないでくださいよ」
「知った風な口、ねぇ。……あのなぁ、太志」

 耳を塞ぎたい気分だった。あの時はさんざん親父から同じ事を言われたし、どうせ聞き飽きた文言が続くに決まっている。

 だけど、違った。

「お前、ロック好きなんだろ?」
「……え?」 

 唐突に、脈略もなく。そんな事を言われて口を開ける。

「お前こないだ文化祭で、何か知らんけどへったくそな曲やってただろ。あれ、好きだからあの曲やろうと思ったんじゃねえのか」

 しぶしぶ、俺は頷く。

「んで、それを馬鹿にされたからキレて喧嘩したんだろ?」

 もう一度俺が頷くと、千葉先生は足を組み直し、にやついた顔で言った。

「いいじゃねえか。そういうの。そういうのをロックンロールっつうんだ」
「……いや全然、意味わかんないんスけど」

 急にどうしたんだよこのおっさん。何言ってんだ。

「……本当にロックな奴だったら、退部届とかこんなもん出しにこないでしょ。もっと不良っぽい何かしてるっつうか、そういう――」
「は。まぁ確かにロックって言や不良のイメージあるしな。でもな、違ぇ。そこんとこ、世の中の連中は勘違いしてる。不良なのがロックなんじゃねえ、ロックの結果が不良なんだよ。わかるか?」
「は、はぁ?」
「もし、ここによ。何となくカッコつけたいからって理由で髪染めてバイク乗り回して暴れてる不良のバカと、ひたすら家に引きこもってシコシコ一人で楽器の練習してる奴いたとする。お前はどっちがロックな奴だと思う?」
「それは、……後者」
「ブー。かかったなアホが。答えはどっちもロックで正解」
「あぁ!?」
「見え見えの罠に引っかかりやがって。浅ぇんだよお前。中学生か」
「中学生ですけど!?」
「まあ要するに、だ。やることが勉強でもヒップホップでもお笑いでも関係ねえ。自分が。それがロックなんだよ、太志」

 ヒップホップやお笑いでも、ロックって。もはや意味が分からない。
 だけど、何故だか――言いたい事は分かる気がした。

「ま、全部。何かの雑誌で見たどっかのアーティストの受け売りなんだけどな」
「おい、ふざけんな」
「……なあ太志。お前、ほんとは後悔してんじゃねえのか? 小学校の時、野球やめたこと」
「……それは」
 
 思わず、息をのんだ。

「逃げるってのは悪い事じゃねえよ。むしろ理不尽な事からなんざ、とっとと逃げちまった方がいい。だけどな、それが本当に理不尽で、耐えられない事なのかはちゃんと見極める必要がある。それが自分自身の問題なら、特にな」

 ちくりと、小学生の頃の光景が蘇る。
 大きな恥をかいて、居た堪れなくて。感情的に投げだしてしまったあの時の記憶。あれは、俺にとって――本当に耐え切れないような、理不尽な事だったのか。

「負い目のある記憶ってのは、中々なくならねえもんだ。逃げるって選択肢にしても、それを安易に積み重ねれば、いつの間にか癖になって、どんどん立ち向かうのが辛くなる。俺の言ってる意味、お前なら分かんだろ?」

 分かりたくない。だけれど、痛いほどに分かっていた。
 だってあの時、逃げた瞬間から今の情けない俺が生まれたから。
 
「……それでもどうしても逃げてえってんなら仕方ねえけどな。ただな太志。お前にもし逃げたいって気持ち以外の何かがあるんなら――」
「……嫌だ」

 無意識に。俺の喉の奥から、泣きそうな声が零れだしていた。

「もう、嫌なんです」

 静まりきった体育館。アップされた自分の動画。罵詈雑言、低評価の数。机の落書き、隠された上履き、女子の笑い声、男子のにやつく顔。上の姉貴の嫌味、下の姉貴の優しさ。父親の説教、母親の泣き顔。全部、頭の中に刻まれて離れない。眼を逸らしても、忘れようとしても、どこに居ても、ずっと俺を苦しめる。
 どれだけ情けなくても、たった一つでも、重荷を降ろせるなら、降ろしたい。
 その時の俺には、それ以外の感情はなかった。

「……そうか」

 千葉先生は静かにそう呟くと、また話そうと言って、俺を家に帰した。
 自分の部屋に戻るなり、俺は壊れたエレキギターに手を伸ばした。
 土埃に汚れたギターケースに、ピックも弦もチューナーも液晶の潰れた音楽プレイヤーも全部詰め込んで、外へと駆けだした。
 
 ――もうこんなものは、いらない。

 何がロックだ? 何が音楽だ。知るか。こんなもの聞き始めたのは、たかがここ一年のことだろうが。それもただ、かっこいいなんて浅ましい考えのもとに。
 後悔? んなもん別にいくらしたっていいだろ。痛いんだよ。今痛いんだよ俺は。このゴミみたいな苦痛から逃れられるんなら、後でいくら後悔したっていいだろ。別にそれで死ぬわけじゃない。楽しいことなんて、他にいくらでもある。
 そして辿り着いたのは、廃墟。なんかの工場の跡地。立ち入り禁止のフェンスも破れてて、いつからこうなのかも分からない。小学生の頃、幽霊が出るとかで皆で探検した場所だった。建物の外にはガラクタの山。電子機器や家具、果てはピアノまで不法投棄されていて、山のように積み重なっている。

 そこに、背負ってきたギターケースを俺は投げ込んだ。
 ふっと、体が軽くなって。憑き物が落ちたような気がした。

 ――これでいい。
 
 どうせ、中古で買った安物のエレキギター。  
 これでようやく、楽になれる。野球のグローブを捨てた、あの時みたいに。
 また全部、まっさらに。

(……高校で、やり直そう)

 どこか遠い、俺のことを知ってる奴が誰に居ない所に入って。野球も、バスケも、ギターも、音楽も。嫌な思い出を全部捨てて。また一からやり直そう。

 廃墟を出て帰路につく。
 雪が、降り始めていた。

「……」
 
 歩けば歩くほどに、骨が軋む。
 身体が嘘みたいに軽くて、吐き気がした。

「……っ」

 急に涙が止まらなくて、歯を食い縛る。
 呼吸ができなくなって、足を止める。

「っ、く、……」

 無音の世界で、


 耳の奥で、


 何度も繰り返した曲が流れていた。





 大好きな歌が、聞こえていた。





「……っ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 道を全速力で走って引き返す。日はもう完全に沈んで真っ暗闇。クズ山に突っ込んでいって、泣きながらガラクタをひっくり返す。やがて耳を澄ますと、シャカシャカと小さな音が聞こえた。何の音かすぐに分かった。イヤホンの外れた携帯音楽プレーヤーが、僅かに鳴らす生音。それが聞こえた時、嬉しくてまた涙が零れた。見つけたギターケースを、思いっきり抱きしめた。

「ほんとに、……馬鹿だよな。俺、本当に」

 一時の感情に惑わされて、いつだって失敗してから気づく。

 
 
 
 そういうものに、俺は憧れていたはずだったのに。
 そういうものに、俺はなるべきだったのに。
 また、いつかのように繰り返そうとしていた。

(……二度と、捨ててたまるか)

 ぶっ壊れちまった安物のギター。そのみすぼらしい姿に、今の自分を重ねた。
 これが俺だ。これが俺なんだ。誰に何を言われたってもう知らない。痛みも、苦しみも、悲しみも、孤独も、今日の、この馬鹿みたいな行動も全部。全部全部全部。俺だけのもんだ。

 どんな奴にも明日はある。俺みたいなやつだって、明日を持ってる。
 だから捨てない。どんなガラクタでも、直して使えばいい。

 俺は、負け犬として生まれたのかもしれない。
 だけど俺は。――

(……まずは)

 学校に行く。何食わぬ顔であいつらと顔を合わせてやる。平然と部活に出て、ベンチから馬鹿でかい声を出してやる。歌の練習を死ぬほどする。ギターの練習も欠かさずやる。音楽なんて二十四時間聞きっぱなしだ。書いたことないけど、曲や詩の一つや二つくらい中学生の間に書いてやる。

 そして高校に行く。

 いいものも悪いものも全部持ったまま、真正面から仕切りなおす。
 あの日逃げてしまった俺と――自分自身との戦いをやり直す。

 そして今度こそ勝つ。

 それが俺の、やりたいことロックンロールだから。

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