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第一部
第八話「Left Behind」
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◇
――あんたは、いっつもそう。自分のことしか考えないで。
――少しはあたしらに合わせようとか、そういう気持ち、あんたにはないのかよ!
「……さん。音無さん?」
昼休み。自分の席でぼーっと窓の外を眺めていると声を掛けられた。
横を向くと、小学生みたいにちっちゃい女子が佇んでいる。
確か、私の列の一番前の席の子だ。
「……何?」
「あ、ごめんね突然。私、一ノ瀬っていうんだけど、その……よかったらお昼ご飯。一緒に食べない?」
見れば、その子の手には弁当の包みが握られていた。
「……なんで?」
「なんで、って。ええと。その、私も一人で、だから、その……」
そこで、ようやく合点がいった。久しぶりの学校ですっかり忘れていたけど、ふつう昼食は誰かと一緒に取るもので一人で食べるのはおかしいんだった。
「……別にいいけど」
「ほ、本当? じゃあちょっとここの席を、お借りして……」
私の横の席に座ると、一ノ瀬は黙々と弁当を食べ始める。子供っぽい見た目のわりに所作の一つ一つが上品で大人びて見える、なんだか妙な奴だった。
「……あ」
こちらの視線に気づいた一ノ瀬と目が合う。
「ご。ごめんね。話したこともないのに無理言って。やっぱり気まずい、よね」
「いや、別に」
「そ、そう? ……。ところで、音無さん」
「?」
「……もしかしてお昼ご飯、それだけ……?」
棒付きのキャンディーを咥えたまま、私は頷く。
「え、えええ。もしかしてダイエット中とか? だ、だめだよ音無さん、もう十分細いよ。ちゃんと食べないと死んじゃうよ……?」
あたふたした様子で一ノ瀬は眉を困らせる。……私はそんな死にかけている女に見えるんだろうか。妙に怖がられてる気がするのはそういう事なのか。髪は一応黒に染め直したから、多少見た目はマシになっているはずなんだけど。
「もともとそんなに食べないし、今日は朝、時間なかったから」
「そうなんだ。……じゃあ、あの、良かったらこれ、少し食べる?」
すすす、と。一ノ瀬が自分の弁当をこちらの机へと寄せてくる。
そんな光景が、いつかの記憶を呼び起こさせた。
『楓、あんたまた昼飯それだけ? ちゃんと食えっての、ほらこれ。あげるから』
『あ、せんぱいせんぱい! 私のタコさんウインナーもあげますよ!』
『先輩、私のも』
一年。いや、あれはもう、二年も前なのか。
あいつらは、もうこの学校には居ない。なのに私はまだ、ここにいる。
――悪い夢でも見てる気分だ。
「……? 音無さん?」
一ノ瀬の声で我に返る。
「……いい。気持ちだけ、受け取っとく」
「そ、そう。あ、そういえば音無さん。もしかして、お姉さんとか居たりする?」
「……え?」
不意に、妙な質問が飛んできた。
「居ないけど。弟なら、一人いる」
四つ下の弟は、何の嫌がらせか今年この高校に入学してきた。劣等生の私と違ってあいつは昔から絵に描いたような優等生だから、あまり一緒に居たくない存在。
「弟。……そっか。なら私の勘違いだったみたい」
「何が?」
「えっとほら。音無さんって名字珍しいじゃない。それで私、一年生の時に同じ名字で呼ばれてる先輩を見たことがあって。その人が音無さんに似てたから、もしかしてって思って」
……ああ、そうか。
今年の三年生はぎりぎり、この学校で私を見たことがある世代なのか。
「似てるっていうか、本人だけど」
「え」
特に隠す理由もなし、さっさと事実だけを述べた。
「つまり、それって。えっと、……二年くらい、留年してるってこと?」
「まあな」
戸惑った様子で一ノ瀬は言葉を失う。当たり前だ。いきなりこんな事を言われて、引かない方がどうかしている。だけどこれでいい。私はそういう奴だから。陰気で、無口で。しかも留年している。関わらないほうがいい奴だと、そういう境界線を張ったつもり。――けれど。
「実は、私もなの!」
今度は私が言葉を失うことになった。
……いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「あ、でも私は一年の時に休学してただけで、音無さんとは一つ違いなんだけどね」
それを聞いてうっすらと、事情が見えてきた。一ノ瀬がやけにおどおどしている理由も、わざわざ私なんかに話しかけてきた理由も。一年目に留年。どんな事情があったにせよ、きっと周囲には腫れ物に触れるような扱いを受けているんだろう。
「……大変だっただろうな」
「……ううん。別に。何も大変じゃなかったよ。同級生だった子たちは気を遣ってくれたし、今同学年の子達も敬語とか使ってくれるから。でもそれが逆に私はちょっと、やりづらくて」
力なく一ノ瀬は笑う。私はそれ以上、何も言う事はできなかった。
「あ。何かごめんね。ご飯食べようって言ったのにこんな話。暗いよね。っていうか、聞いてくれてありがとう。音無さん大人っぽいから、なんだか話しやすいな」
大人っぽい、か。それも昔からよく言われる。
私ほどガキっぽい奴もないのに、皮肉な話だ。
「……私は一ノ瀬の方が大人っぽいと思うけどな」
「え。私? 全然そんな事ないよ。しょっちゅう小学生と間違われるし」
「見た目じゃなくて、話し方とか雰囲気とか。落ち着いてるなって話」
「あ、……えへへ。まあ私も留年してるしね。でもそんな事言われたの初めて。ありがとね。音無さんに言われると、なんか嬉しいな」
それからは、取り留めのない会話が続いた。よく知らない他人と話すなんて、普通ならひどい苦痛でしかないのに、一ノ瀬とのやり取りはなぜか不思議と苦しくなかった。合わせているつもりでもないのに、自然と息が合う。そんな感覚がした。
「お、居た居た。音無さん」
不意に廊下の方から声を掛けられる。振り向くと、入口の扉から丸々と太った男性教師が姿を現した。
「あ、松本先生」
「お。一ノ瀬さんか。二人でお食事中だったかな。こりゃどうもお邪魔したみたいで。大丈夫。すぐ済むから。なんせ今カップラーメン三個にお湯を入れてきたところだからね」
松本……確か国語を教えてる先生だ。私に何の用だろう。
「えーとそれでね、音無さん。僕今年から軽音楽部の顧問になったんだけど、知ってる? まあ知らないよね。実は軽音部、今年から色々ルールが変わることになってね。所属し続けるにはちゃんとバンドを組んで貰うことになったんだ。それでちょっと今、名簿見てたんだけど。音無さんの名前まだ残ってたんだよね。だから一応、それを確認しにきたわけだ」
軽音楽部。――そういえばあったなそんなのも。
「確認って、何の確認ですか」
「うん。まあ要は部活のやる気はあるかってことだね」
……そんなことか。なら答えなら決まってる。やる気なんて微塵も、
「え。音無さん軽音楽部だったんだ。すごい。楽器弾けるの?」
すっぱり断ろうと口を開いた瞬間、一ノ瀬がそんな事を言う。
「ああ。確か音無さんはギターだよね。噂ではもの凄い腕前だとか聞いてるよ」
松本も便乗してそんな事を言う。一体、何のつもりだ。
「――私は、」
「失礼しまァす! 三宅先輩は居ますでしょうかァー!」
言いかけたその時、急にバカでかい声が教室に響いて、私の声がかき消される。直後、黒板側の入り口から、茶髪と金髪のチンピラみたいな二人組がずけずけと教室に踏み入って来た。
「あ、私。三宅だけど」
教室の真ん中で昼食を食べていたグループの一人、気弱そうな女子が手を挙げる。
「あ。どうも。実は先輩ベース弾けるって聞いたんですけど。もしまだバンド入ってないなら俺のバンドに入ってくれませんか! よろしくお願いします! ありがとうございました!」
「落ち着け馬鹿。先輩まだ何も言ってねえぞ」
「あ、あー。確か高宮くんだよね。ごめん。まだバンドは組んでないけど、三好くん達と対決するのはちょっと、自信がないっていうか。色々アレっていうか。……無理です! 本当、ごめんなさい!」
「ああー。やっぱり色々アレっすかアレっすもんねアレは……ありやとっしたァ!」
「はっはっは。見事にフられたねえ高宮くん」
「あれ。松本先生じゃないスか。何でこんなとこに」
騒がしい奴らがこっちに来る。目を合わせないように私は窓の方を向いた。
「どうだい? メンバー集めは順調?」
「いやー今のところメンバーは俺とこの五十嵐大先生だけっすね。あとベースとギターを見つけなきゃならないです」
「そうかそうか。はっはっは。いやしかし五十嵐さんも軽音だったんだねえ。そんなイメージなかったからちょっとびっくりしたよ」
「はあ。そうですか?」
「うんうん。人は見かけによらないもんだ。ここに居る音無さんもね。実はすっごくギターが上手なんだよ。高宮くん、ついでだし誘ってみたらどう?」
「……は?」
思わず、声が出た。いったい何をほざくんだ、このデブ教師。
「ああいや大丈夫っす! 今はギターよりベース探してるんで、ハイ! むしろギターは俺一人で十分っていうか! 誰か居たらむしろやりにくい(相手が)みたいなッ! ハハッ!」
こいつもこいつで妙にむかつく物言いだ。
こういう、声がでかい奴に限ってろくでもない、
「……」
睨みつけてやろうと茶髪に眼を向けたところで私は固まった。
こいつ、この声。どこかで覚えがある。
――思い出した。こいつはあの時の、クソハーモニカの革ジャン野郎じゃないか。
「ん?」
茶髪と目が合う。サングラス越しにもまじまじと私の顔を見ているのが分かった。
「……。んじゃ、俺ら次D組行かなきゃなんで、この辺で。失礼しましたッ!」
最後まで騒々しいまま、茶髪と金髪が教室を去って行く。――私に気づかなかった? 髪の色を黒にしたからか。いやそもそも私の自意識過剰か。
「いやあ元気がいいねえ二年生は。あ、僕もそろそろ戻らないとだな。ラーメンが伸びちゃう。じゃあ音無さん。とりあえず保留にしとくから考えといてね。それじゃ」
引き止める暇もなく、松本も教室を去っていく。
「……なんか、急に騒がしかったね」
一ノ瀬は苦笑すると、目を輝かせながら私を見る。
「それにしてもギターか。えー。かっこいいな。音無さんバンドとかやってるの?」
「……やってない。興味ないし」
別にギター弾けるからってバンドやらなきゃいけない決まりはない。そもそも協調性のない私には向いていないのだ。他人にイライラして、自分にイライラして。バンドなんかに、興味を持たなければ。――あんな思いをすることもなかった。
「そうなんだ。でも私、音無さんがギター弾いてるところ見てみたいな。多分、ううん。絶対かっこいいよ。一度聞かせてみてほし……あ。ごめん、もちろん。嫌じゃなければ、だけど」
「……まあ、機会があったら」
「ほんと? じゃあ私、楽しみにしてるね」
そう言って、朗らかに一ノ瀬は笑う。
私はただ適当に答えを返しただけで。ギターを弾くつもりなんて本当は一ミリもなかったのに、一ノ瀬は、本当に楽しみにしてるみたいに笑う。
吐き気がした。
こんな些細なことに罪悪感を覚えている、自分に対して。
どうも今日は調子がおかしい。顔でも洗いたい気分だ。
「……ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
「そっか。じゃあ私もそろそろ自分の席に戻るね。……あ、待って。音無さん」
教室を出ようとしたところで、一ノ瀬に呼び止められる。
「今日、ありがとね。話せて嬉しかった。……もし良かったら、明日も一緒に、お昼食べてくれる?」
理性が、断るための言葉を探す。けれどなぜか、声が出ない。
「……ああ。まあ、いいけど」
そして、沈黙に耐え切れず。また私はそんな言葉を吐いてしまう。
◇
洗面台で顔を洗う。目の前の鏡に、濡れた髪が頬にへばりついた自分の顔が映る。
空っぽの胃袋が、ねじ切れそうな不快感をもよおした。
「……本当に、気持ち悪いよな。おまえ」
なんでこいつは、まだ制服なんて着てる。死のうとした人間が、何を。まともな人間みたいに振舞う。そんな資格、おまえにはないだろうに。あの廃墟で、独りで。とっくに腐って、醜くなっているべきなのに。なんでおまえは、まだここにいる。
「ほんとうるさいよね、あの二年の奴さー……」
「あー、あれね……」
外から話し声が響く。出しっぱなしの蛇口を閉め、二人組と入れ違いでトイレを出る。教室に戻る途中、またさっきの茶髪と金髪が三年生に絡みついているのが目に入った。――あいつだ。あの朝、あいつさえ居なければ。
(……いや)
きっと。変わらなかった。あの時、私は死ねなかった。あいつが来ようと来なかろうと、それを実行に移すだけの、後押しが。根本的な苦痛が欠けていたのだから。
正気のままじゃ人は死ねない。だから狂う必要がある。酒で酔っぱらう、睡眠を絶つ、そんなものだけでは弱い。そうだ。足りないのは、苦痛だ。二年前の私はそれを持っていた。息をするだけで軋むような、拠り所のない、逃げ場のない、――あの苦痛を。私はもう一度取り戻す必要がある。
(……一ノ瀬)
あいつは、使えるかもしれない。
舞子たちとの事があった時のように、一度得た繋がりが、心地良かった関係が、ぐちゃぐちゃに壊れてしまった時の、あの苦痛があれば、
私は、もう一度。
――あんたは、いっつもそう。自分のことしか考えないで。
――少しはあたしらに合わせようとか、そういう気持ち、あんたにはないのかよ!
「……さん。音無さん?」
昼休み。自分の席でぼーっと窓の外を眺めていると声を掛けられた。
横を向くと、小学生みたいにちっちゃい女子が佇んでいる。
確か、私の列の一番前の席の子だ。
「……何?」
「あ、ごめんね突然。私、一ノ瀬っていうんだけど、その……よかったらお昼ご飯。一緒に食べない?」
見れば、その子の手には弁当の包みが握られていた。
「……なんで?」
「なんで、って。ええと。その、私も一人で、だから、その……」
そこで、ようやく合点がいった。久しぶりの学校ですっかり忘れていたけど、ふつう昼食は誰かと一緒に取るもので一人で食べるのはおかしいんだった。
「……別にいいけど」
「ほ、本当? じゃあちょっとここの席を、お借りして……」
私の横の席に座ると、一ノ瀬は黙々と弁当を食べ始める。子供っぽい見た目のわりに所作の一つ一つが上品で大人びて見える、なんだか妙な奴だった。
「……あ」
こちらの視線に気づいた一ノ瀬と目が合う。
「ご。ごめんね。話したこともないのに無理言って。やっぱり気まずい、よね」
「いや、別に」
「そ、そう? ……。ところで、音無さん」
「?」
「……もしかしてお昼ご飯、それだけ……?」
棒付きのキャンディーを咥えたまま、私は頷く。
「え、えええ。もしかしてダイエット中とか? だ、だめだよ音無さん、もう十分細いよ。ちゃんと食べないと死んじゃうよ……?」
あたふたした様子で一ノ瀬は眉を困らせる。……私はそんな死にかけている女に見えるんだろうか。妙に怖がられてる気がするのはそういう事なのか。髪は一応黒に染め直したから、多少見た目はマシになっているはずなんだけど。
「もともとそんなに食べないし、今日は朝、時間なかったから」
「そうなんだ。……じゃあ、あの、良かったらこれ、少し食べる?」
すすす、と。一ノ瀬が自分の弁当をこちらの机へと寄せてくる。
そんな光景が、いつかの記憶を呼び起こさせた。
『楓、あんたまた昼飯それだけ? ちゃんと食えっての、ほらこれ。あげるから』
『あ、せんぱいせんぱい! 私のタコさんウインナーもあげますよ!』
『先輩、私のも』
一年。いや、あれはもう、二年も前なのか。
あいつらは、もうこの学校には居ない。なのに私はまだ、ここにいる。
――悪い夢でも見てる気分だ。
「……? 音無さん?」
一ノ瀬の声で我に返る。
「……いい。気持ちだけ、受け取っとく」
「そ、そう。あ、そういえば音無さん。もしかして、お姉さんとか居たりする?」
「……え?」
不意に、妙な質問が飛んできた。
「居ないけど。弟なら、一人いる」
四つ下の弟は、何の嫌がらせか今年この高校に入学してきた。劣等生の私と違ってあいつは昔から絵に描いたような優等生だから、あまり一緒に居たくない存在。
「弟。……そっか。なら私の勘違いだったみたい」
「何が?」
「えっとほら。音無さんって名字珍しいじゃない。それで私、一年生の時に同じ名字で呼ばれてる先輩を見たことがあって。その人が音無さんに似てたから、もしかしてって思って」
……ああ、そうか。
今年の三年生はぎりぎり、この学校で私を見たことがある世代なのか。
「似てるっていうか、本人だけど」
「え」
特に隠す理由もなし、さっさと事実だけを述べた。
「つまり、それって。えっと、……二年くらい、留年してるってこと?」
「まあな」
戸惑った様子で一ノ瀬は言葉を失う。当たり前だ。いきなりこんな事を言われて、引かない方がどうかしている。だけどこれでいい。私はそういう奴だから。陰気で、無口で。しかも留年している。関わらないほうがいい奴だと、そういう境界線を張ったつもり。――けれど。
「実は、私もなの!」
今度は私が言葉を失うことになった。
……いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「あ、でも私は一年の時に休学してただけで、音無さんとは一つ違いなんだけどね」
それを聞いてうっすらと、事情が見えてきた。一ノ瀬がやけにおどおどしている理由も、わざわざ私なんかに話しかけてきた理由も。一年目に留年。どんな事情があったにせよ、きっと周囲には腫れ物に触れるような扱いを受けているんだろう。
「……大変だっただろうな」
「……ううん。別に。何も大変じゃなかったよ。同級生だった子たちは気を遣ってくれたし、今同学年の子達も敬語とか使ってくれるから。でもそれが逆に私はちょっと、やりづらくて」
力なく一ノ瀬は笑う。私はそれ以上、何も言う事はできなかった。
「あ。何かごめんね。ご飯食べようって言ったのにこんな話。暗いよね。っていうか、聞いてくれてありがとう。音無さん大人っぽいから、なんだか話しやすいな」
大人っぽい、か。それも昔からよく言われる。
私ほどガキっぽい奴もないのに、皮肉な話だ。
「……私は一ノ瀬の方が大人っぽいと思うけどな」
「え。私? 全然そんな事ないよ。しょっちゅう小学生と間違われるし」
「見た目じゃなくて、話し方とか雰囲気とか。落ち着いてるなって話」
「あ、……えへへ。まあ私も留年してるしね。でもそんな事言われたの初めて。ありがとね。音無さんに言われると、なんか嬉しいな」
それからは、取り留めのない会話が続いた。よく知らない他人と話すなんて、普通ならひどい苦痛でしかないのに、一ノ瀬とのやり取りはなぜか不思議と苦しくなかった。合わせているつもりでもないのに、自然と息が合う。そんな感覚がした。
「お、居た居た。音無さん」
不意に廊下の方から声を掛けられる。振り向くと、入口の扉から丸々と太った男性教師が姿を現した。
「あ、松本先生」
「お。一ノ瀬さんか。二人でお食事中だったかな。こりゃどうもお邪魔したみたいで。大丈夫。すぐ済むから。なんせ今カップラーメン三個にお湯を入れてきたところだからね」
松本……確か国語を教えてる先生だ。私に何の用だろう。
「えーとそれでね、音無さん。僕今年から軽音楽部の顧問になったんだけど、知ってる? まあ知らないよね。実は軽音部、今年から色々ルールが変わることになってね。所属し続けるにはちゃんとバンドを組んで貰うことになったんだ。それでちょっと今、名簿見てたんだけど。音無さんの名前まだ残ってたんだよね。だから一応、それを確認しにきたわけだ」
軽音楽部。――そういえばあったなそんなのも。
「確認って、何の確認ですか」
「うん。まあ要は部活のやる気はあるかってことだね」
……そんなことか。なら答えなら決まってる。やる気なんて微塵も、
「え。音無さん軽音楽部だったんだ。すごい。楽器弾けるの?」
すっぱり断ろうと口を開いた瞬間、一ノ瀬がそんな事を言う。
「ああ。確か音無さんはギターだよね。噂ではもの凄い腕前だとか聞いてるよ」
松本も便乗してそんな事を言う。一体、何のつもりだ。
「――私は、」
「失礼しまァす! 三宅先輩は居ますでしょうかァー!」
言いかけたその時、急にバカでかい声が教室に響いて、私の声がかき消される。直後、黒板側の入り口から、茶髪と金髪のチンピラみたいな二人組がずけずけと教室に踏み入って来た。
「あ、私。三宅だけど」
教室の真ん中で昼食を食べていたグループの一人、気弱そうな女子が手を挙げる。
「あ。どうも。実は先輩ベース弾けるって聞いたんですけど。もしまだバンド入ってないなら俺のバンドに入ってくれませんか! よろしくお願いします! ありがとうございました!」
「落ち着け馬鹿。先輩まだ何も言ってねえぞ」
「あ、あー。確か高宮くんだよね。ごめん。まだバンドは組んでないけど、三好くん達と対決するのはちょっと、自信がないっていうか。色々アレっていうか。……無理です! 本当、ごめんなさい!」
「ああー。やっぱり色々アレっすかアレっすもんねアレは……ありやとっしたァ!」
「はっはっは。見事にフられたねえ高宮くん」
「あれ。松本先生じゃないスか。何でこんなとこに」
騒がしい奴らがこっちに来る。目を合わせないように私は窓の方を向いた。
「どうだい? メンバー集めは順調?」
「いやー今のところメンバーは俺とこの五十嵐大先生だけっすね。あとベースとギターを見つけなきゃならないです」
「そうかそうか。はっはっは。いやしかし五十嵐さんも軽音だったんだねえ。そんなイメージなかったからちょっとびっくりしたよ」
「はあ。そうですか?」
「うんうん。人は見かけによらないもんだ。ここに居る音無さんもね。実はすっごくギターが上手なんだよ。高宮くん、ついでだし誘ってみたらどう?」
「……は?」
思わず、声が出た。いったい何をほざくんだ、このデブ教師。
「ああいや大丈夫っす! 今はギターよりベース探してるんで、ハイ! むしろギターは俺一人で十分っていうか! 誰か居たらむしろやりにくい(相手が)みたいなッ! ハハッ!」
こいつもこいつで妙にむかつく物言いだ。
こういう、声がでかい奴に限ってろくでもない、
「……」
睨みつけてやろうと茶髪に眼を向けたところで私は固まった。
こいつ、この声。どこかで覚えがある。
――思い出した。こいつはあの時の、クソハーモニカの革ジャン野郎じゃないか。
「ん?」
茶髪と目が合う。サングラス越しにもまじまじと私の顔を見ているのが分かった。
「……。んじゃ、俺ら次D組行かなきゃなんで、この辺で。失礼しましたッ!」
最後まで騒々しいまま、茶髪と金髪が教室を去って行く。――私に気づかなかった? 髪の色を黒にしたからか。いやそもそも私の自意識過剰か。
「いやあ元気がいいねえ二年生は。あ、僕もそろそろ戻らないとだな。ラーメンが伸びちゃう。じゃあ音無さん。とりあえず保留にしとくから考えといてね。それじゃ」
引き止める暇もなく、松本も教室を去っていく。
「……なんか、急に騒がしかったね」
一ノ瀬は苦笑すると、目を輝かせながら私を見る。
「それにしてもギターか。えー。かっこいいな。音無さんバンドとかやってるの?」
「……やってない。興味ないし」
別にギター弾けるからってバンドやらなきゃいけない決まりはない。そもそも協調性のない私には向いていないのだ。他人にイライラして、自分にイライラして。バンドなんかに、興味を持たなければ。――あんな思いをすることもなかった。
「そうなんだ。でも私、音無さんがギター弾いてるところ見てみたいな。多分、ううん。絶対かっこいいよ。一度聞かせてみてほし……あ。ごめん、もちろん。嫌じゃなければ、だけど」
「……まあ、機会があったら」
「ほんと? じゃあ私、楽しみにしてるね」
そう言って、朗らかに一ノ瀬は笑う。
私はただ適当に答えを返しただけで。ギターを弾くつもりなんて本当は一ミリもなかったのに、一ノ瀬は、本当に楽しみにしてるみたいに笑う。
吐き気がした。
こんな些細なことに罪悪感を覚えている、自分に対して。
どうも今日は調子がおかしい。顔でも洗いたい気分だ。
「……ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
「そっか。じゃあ私もそろそろ自分の席に戻るね。……あ、待って。音無さん」
教室を出ようとしたところで、一ノ瀬に呼び止められる。
「今日、ありがとね。話せて嬉しかった。……もし良かったら、明日も一緒に、お昼食べてくれる?」
理性が、断るための言葉を探す。けれどなぜか、声が出ない。
「……ああ。まあ、いいけど」
そして、沈黙に耐え切れず。また私はそんな言葉を吐いてしまう。
◇
洗面台で顔を洗う。目の前の鏡に、濡れた髪が頬にへばりついた自分の顔が映る。
空っぽの胃袋が、ねじ切れそうな不快感をもよおした。
「……本当に、気持ち悪いよな。おまえ」
なんでこいつは、まだ制服なんて着てる。死のうとした人間が、何を。まともな人間みたいに振舞う。そんな資格、おまえにはないだろうに。あの廃墟で、独りで。とっくに腐って、醜くなっているべきなのに。なんでおまえは、まだここにいる。
「ほんとうるさいよね、あの二年の奴さー……」
「あー、あれね……」
外から話し声が響く。出しっぱなしの蛇口を閉め、二人組と入れ違いでトイレを出る。教室に戻る途中、またさっきの茶髪と金髪が三年生に絡みついているのが目に入った。――あいつだ。あの朝、あいつさえ居なければ。
(……いや)
きっと。変わらなかった。あの時、私は死ねなかった。あいつが来ようと来なかろうと、それを実行に移すだけの、後押しが。根本的な苦痛が欠けていたのだから。
正気のままじゃ人は死ねない。だから狂う必要がある。酒で酔っぱらう、睡眠を絶つ、そんなものだけでは弱い。そうだ。足りないのは、苦痛だ。二年前の私はそれを持っていた。息をするだけで軋むような、拠り所のない、逃げ場のない、――あの苦痛を。私はもう一度取り戻す必要がある。
(……一ノ瀬)
あいつは、使えるかもしれない。
舞子たちとの事があった時のように、一度得た繋がりが、心地良かった関係が、ぐちゃぐちゃに壊れてしまった時の、あの苦痛があれば、
私は、もう一度。
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