ROCK STUDY!!

羽黒川流

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第一部

第七話「Rock Steady」

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                  ◇

 畑。電柱。田んぼ。その上に高速道路。俺の眼の前には見飽きた田舎の風景が広がっていた。都心部を少し離れてしまえばこの通り、所詮は東北の田舎なんだなと実感する。俺の住んでるところは住宅地だからもうちょっと建物があるけど、五十嵐の家はこんなところにある。

「クッソ、こんな、遠かったっけかなぁ!」
 
 重いペダルを踏みながら、つい叫んでしまう。もうこのへんは高校からだいぶ離れた場所にある。途中自宅という休憩ポイントを挟んだのに、俺は既にヘトヘトだった。よくこんな所から毎日で通えるなあの人。普通にバス使えや。そんなことを思いながら自転車を走らせていると、ようやく目的の場所が見えてきた。
 畑に囲まれてぽつんと立つ二つの建物。お世辞にも立派とは言い難い、錆びたトタン屋根の一軒家の傍らに、家の二回り程も大きい納屋が屹立している。
 そこに近づくにつれ、ドカドカとドラムを叩く音が聞こえてきた。相変わらず防音もへったくれもなくて笑ってしまう。こんな孤立した場所にある以上、それを迷惑がる人もいないんだろうけど。

「やっと来やがったか。遅えぞ」
「いやー申し訳ない。だってあなたの家、遠いんだもの……つーわけで来といて早々アレなんですが、ちょっと休ませてください」
「ち。それでも元運動部かよ」
 
 舌を打つと、五十嵐は演奏を最初からやり直す。ジューダス・プリーストの『ペイン・キラー』。ゴリゴリのメタルナンバーだ。怖い。

「さて、と」
 
 とりあえず近くにあるボロボロのソファーに腰かけて、ぐるりと辺りを見回した。相変わらず、なんというか、素晴らしい。一言で言うならここは男のロマンが詰まった場所だった。
 鉄工所のような天井の高い広々とした空間。ドラムセットの他に大型のアンプ複数を置いても飛んだり跳ねたりできるほど余裕のあるスペース。ミキサーとマイクスタンドまでが揃うその環境はもうちょっとしたライブスタジオだ。全国のバンド野郎が欲してやまない最高の自宅練習場といっていい。
 楽器類の他にも、ガレージの中には五十嵐の親父さんの趣味である大型バイクの改造車やスクーターが計3台収まっていて、壁際の棚にはそれに使う工具類や何やらがいっぱい。その他にも銃のレプリカだとかダーツだとか壁掛けされたギターだとか古い映画のポスターだとかアメリカンなガラクタが混沌としていて、おまけに酒とツマミだけが入った冷蔵庫にソファーとテーブル、おっさん達が飲んだくれるためのスペースまでもある始末。五十嵐の親父さんとその仲間たちが膨大な時間と金を使って築き上げた、まさに男達の夢の城だ。
 いいなあ。いつか俺もこんなガレージを持ちたい。ここに来るたびにそう思う。

「お、ニャン太郎じゃねえか。ひさしぶり」

 ギターのチューニングを済ませていると、何だかふてぶてしい顔の虎猫が姿を現し、ソファーの上に乗ってきた。飼い主に似て眼つきの悪いオス猫だ。

「勝手に変な名前つけてんじゃねえよ。ハメットな」

 演奏を終えた五十嵐がやってくる。あれだけドカドカ叩いてた割に汗の一つもかいてない。ってかその名前もどうかと思うけどな。どんだけメタリカ好きなんだよお前の親父さん。

「そういや竜也さんって元気してる? 久々に来たんだし会っときたいんだけど」
「兄貴ならもう居ねえよ。今年から上京したからな」
「え、マジ? もしかして音楽で食ってく感じ?」
「らしいけど。どうなるのかは知らね」

 竜也さんは俺の二個上で、リトルリーグ時代からの知り合いだ。見た目はやんちゃだけどいい人だった。ちなみに五十嵐家は全員楽器ができるバンド一家で父がギタボ、母がベース、兄貴がギター(以外も全部できる)、妹がドラム。さらに婆ちゃんも昔ドラムを叩いていたとか何とか。ほんとかよ。

「ちなみにお袋さんと親父さんは? 最近どう?」
「別に相変わらず。母さんはテレビ見てた。ハゲはまあそのうち帰ってくんだろ」
「いやハゲ呼びはやめてやれよ……俺はともかくあの人はちょっとキてんだぞ!」
「どうせハゲんならさっさとハゲろってんだよ。育毛剤なんざ使って往生際の悪い」

 吐き捨てるように五十嵐は言う。思えば五十嵐父娘は昔からしょっちゅう口喧嘩ばかりしていた。険悪ってよりは仲のいい喧嘩って感じ。まあその辺も変わってないんだろう。

「よし、チューニング終わった。えーと、アンプは――」
「さっき出しといた。それ使え」
「ん? うおおお! 親父さんのメサブギーじゃん! いいの!?」
「いいんじゃね。最近あのハゲ飲んでばっかで使ってねぇから埃被ってたし」

 メサブギー・レクチファイア。そのメタリックな外観の通り、ヘヴィメタルでは定番の、かなりお高いギターアンプだ。メタラーじゃない俺にとっては過ぎた代物だが、意外と幅広いジャンルで使えると評判なので前々から使ってみたかった逸品。
 ――しかし最近使ってなかったってことは。五十嵐のやつ、こんな重そうなモノを一人で家からここまで運んできたのか。あのドラムセットにしても、湿気対策的にこのガレージに置きっぱになんかできないから、普段は分解して家に保管してあって、使う時に一個ずつ運んでここで組み立てるわけだし……。

「……? どうした?」
「ん、いやなんでもない。ありがたく使わせていただきます!」  

 パワースイッチを入れ、真空管が温まるのを待つ間、ボーカル用マイクと足元に置いたエフェクターの調整をする。その後、スタンバイスイッチを入れて準備完了。

「うおっしゃあああ! そんじゃやりますかああああ!」
「うっせーぞバカ! お前の声でけーんだよもっとマイクの音量下げろ!」
「あっ、はい! すみませんでした!」

 はしゃぎすぎてうっかり五十嵐に怒られる。確かにちょっとハウっちゃってたな。調整調整。

「んで、実力見せろって話だけど。俺は何弾けばいいの」
「別に、なんでも?お前が弾きたいのを弾けよ」  
「えー? あー。じゃあ……」

 なんとなくレッド・ツェッペリンの天国の階段の長いイントロを弾き始める。
 しかし4小節ほど弾き始めたところで五十嵐からストップの声がかかった。

「何スか」
「それ長ぇからやめろ。ドラム叩くからソロから弾け」
「ハイ」

 五十嵐のカウントに合わせて俺はソロを弾き始める。難易度としては初心者卒業クラスって程度のもの。もっぱら弾き語りの練習ばっかでタッピングだの速弾きだのテクニカルな事は全然できない俺だが、流石に四年もやってると最低限これくらいは――あ、やべえ。今ちょっとミスった。え、これ普通にこれ難しくない? あっ、ちょっ、待っ。

「……」

 グダグダなギターソロを弾く俺を見つめる五十嵐の眼はとても乾いていた。明後日の方向を見て俺は黙り込む。遠くに聞こえるカラスの鳴き声が、カーカーと物寂しくガレージ内に響いていた。

「……ふざけてんのか?」
「ふざけてはないですねハイ……」

 悲しいかな、これが今の俺のギターの限界だった。まともにできるのはコードの弾き語りと簡単なソロを弾くことくらい。初心者以上、中級者以下といったところか。

「……。お前まさかそれが限界ってことはねえよな」
「ははは。俺を見くびって貰っちゃ困る。まあこれくらいが限界ですけど」
「よし、解散」
「ちょっと待てェ! いやそそその、あああれだから。おお俺はギターボーカル志望だから、まままこれくらい多少はね? うんうんうn」
「めっちゃ声震えてんだが?」
「いやでも聞いてくださいよ。去年俺ちょっと目標立てましてね。何とギターで百曲コピーしたんですよ」
「……百曲、ね。じゃあ何でもいいから適当に弾きながら歌ってみろよ」
「よーし。じゃあ……」

 思いつく限り、去年練習した曲を、俺は次々に弾いて歌って見せる。五十嵐は当然のようにそれに合わせ、ドラムを叩いてみせる。おそらく知らないであろう曲まで、まるで知ってるかのように自然に合わせる。力強く響くスネアの音は俺の記憶にある五十嵐のドラムより遥かに迫力があり、思わず身震いするほどだ。何より俺の不安定な演奏に合わせリズムをキープをするその手腕は、俺と同じ高校生とは思えない程に洗練されている。

(――すげえ。五十嵐って、)

 こんなに上手かったのか。数年前、完全に初心者だった頃は全然気づけなかったけど、今ならはっきりわかる。そこに至れるまで、どれほどの努力が必要だったのか。五十嵐と今の俺とで、――どのくらい技量に差があるのか。

 だけど、そんな不安すら今はどうでもよかった。

 音を鳴らせば身体が震える。弾けば弾くほど熱が高まる。
 限界なんて知らないで、どこまでも走っていけるような全能感。
 これが、合奏《セッション》。目に見えない音の上、自分以外の誰かと重なる感覚。

(――やべえ、これ)

 楽しい。楽しすぎる。本当に無限にやれそうな気さえする。
 しかしそんな事を思った時、五十嵐が手を上げ俺にストップをかけた。

「……っ、いつまでやってんだアホ。殺す気か」
「あ、ああ。すんません、つい」

 気が付けばお互い汗だくだった。ハイになっていた頭が冷えて、どっと疲れが押し寄せてくる。いったんエレキギターをスタンドに置いて、俺は額の汗を袖で拭った。

「で、どうでした今の俺の演奏。五十嵐大先生から見て」
「は? ああ。まあ……リズムギターコード弾きはギリギリ及第点」
「お。まぁそこは基礎中の基礎だしな。流石に?」
「んでリードギターに関しては、はっきり言ってゴミ」
「そっかぁ。ゴミかぁ。はっはっは」

 ん?

「……ゴミ!? え? 今ゴミって言った!?」
「ゴミは言いすぎか……。じゃあ、カスで」
「違いがわかりませんけど!?」
「あー……なんつーかお前。カッティングとかは割と上手いんだけど。ギターソロとかちょっと複雑なことしようとすると、リズムもトーンも急にガタガタになってんだよ。正直、聞いててかなりイライラした。あれなら弾かねえほうがマシ」
「ひ、弾かねえほうがマシ……」
「ってかお前百曲コピーしたとか言ってたけど――結局それ、数こなすことが目的になってて、質がおろそかになってんだよ。どうせ半分くらい、似たような難易度の曲ばっかコピーしてたんだろ」
「ぎ、ぎクゥッ……」

 正直図星だった。

「要するに、アレだ。楽に跳べる高さにある高跳び棒を延々と跳び続けてたんだよ、お前は。毎日毎日、それを続けて努力した気になってたってわけだ。……は。ずっと基礎練でもしてた方がマシだったな」
「う、うわあやめろ! それ以上聞きたくない! んぬぐあああああ!」

 マジできついんだよなぁ! 努力の方向が間違ってたとかさあ! マジで死ぬほど笑えねえんだよ! 俺が頭を抱えてしゃがみこんでいると、流石に見かねたのか五十嵐が歩き寄ってくる。

「……いやごめん言い過ぎた。そんなしょぼくれんなよ。今のはアタシが悪かった」
「……いやぁ、別に。むしろ感動したぜ。やっぱちゃんとダメな所とかはっきり分かんだな、五十嵐は。流石だよ」
「はあ?」
「いやほら、耳が肥えてるっつうのかなんつうの? 俺、実際のところ今の自分がどの程度のもんか分からなかったんだよな。だからちゃんと判断できる人が身近に居てありがてえなぁって話」

 へらへら俺がそう笑うと、五十嵐は複雑そうな顔をして溜息を吐く。

「……あのな、高宮。なんつうか……お前なりに努力したってのは分かったよ。別に全くの無駄ってわけじゃねえし。基礎錬も大事だけど、コピーも大事だからな」

 ぼりぼりと後ろ首を掻きながら、五十嵐はそんな事を言う。

「サンキュ。でもごめんな。わざわざ時間とってもらったのに。なんか、こんなで」
「はぁ? 何で謝んだよ。……っそもそも、これくらい予想の範囲内だ。こっちだって別に、はなっからお前にそこまで期待してねえよ」
「あ、そっか。ですよねー。うぇへへ……」
「それに、ギターは下手クソだけど。……歌は、まあ、悪くねえっつうか」
「……え?」

 ぼそぼそと小声で、どこか明後日の方を向きながら。
 しかし五十嵐は確かに、――悪くないと。そんなことを言った。


「ま、マジ? じゃあ俺のボーカル……五十嵐先生的に、あり?」 
「……。や、でも、まあ強いて言うなら、英語の発音がネイティブ気取りでウザい」
「オォイ! そこあえて強いて言う必要ある!?」
「う、うるせえな! つーか大体、さっきから何なんだよお前は。ビートルズだのツェッペリンだのオヤジくせえ洋楽ばっか弾きやがって、なに気取ってやがる! お前が好きなの大体90年代とかロキノン系ばっかだろうが!」
「ゲッホォ! ……い、いやでも、俺普通にその辺も大好きだし。そういう昔の有名な曲の方が今の俺の実力わかりやすいかな、とか思ったりですね……!?」
「……っ確かにアタシも実力見せろとか言っちまったけどな。お前も人の言うこと大人しく聞いてんじゃねえよ。さっき自分で言ってたじゃねえか。好きな事を好きにやんのがロックなんだろ。お前は、そういうもんと戦おうとしてたんじゃねえのかよ」
「……!」

 今度は心臓の辺りにナイフが深々と突き刺さった気がした。
 そういうもの。俺を抑えつけるもの。したくないことを、させるもの。

「……なあ、高宮。お前のやりたい事ってそんな事なのか?」
 
 違う。今朝、部室で坂上たち相手に大立ち回りを演じた時。
 あの時の気持ちが俺のすべてだったはずだ。
 そうだ。俺が望むのは、もっと単純な事。
 。――ただ、それだけ。

「……ほんと、五十嵐さんには敵わねえな」

 言ったとたん、不意に首筋を冷たい風が吹き抜けてくる。
 振り向くと、空はもうすっかり深い藍色に染まっていた。
 いつの間に、こんなに時間が経っていたんだろう。
 五十嵐と音を合わせるのが楽しくて、全然気づかなかった。

「……そろそろハゲが帰ってくる。その前にここ片付けなきゃだし、次ラストな」
「ああ。悪いなほんと、遅くまで付き合わせちまって」
「……別に。それより、気合入れろよ。次やった感触でバンドやんのか決めっから」
「分かった。でもその前に少し時間くれ。ちょっと色々集中したい」
「ああ? ……ったく。早くしろよ」

 ガレージの外に出て、伸びをしながら空気を吸い込む。……今日は、なんだか本当に色々あった日だった。ずっと溜まっていたエネルギーが景気よく爆発して、何だかとても清々しいような。こんな気持ちは、久しぶりだった。

「……。んん!?」
 
 ぼーっと夕暮れの空を見上げていると、不意に肩の上に猫のハメットくんが乗って来た。正確にはガレージから出てきた五十嵐が無理やり乗せてきたのだった。ハメットくんは迷惑そうに地面に降りると、俺の横でしゃがみ込む五十嵐の手の中でごろごろと喉を鳴らす。

「……ハメット。今いくつになったんだっけ」
「ん? お前らがウチに連れてきたのが確か小三の時だから、八歳くらいか」
「八歳か。はー。もうそんなに経つんだな。俺らその当時九歳くらいだもんな」

 そう。この虎猫は俺たちが小学生の頃、通学路に捨てられていた子猫だった。一緒に居た何匹かは貰い手がすぐに見つかったのだがこいつは顔が怖いせいでなかなか行く当てが見つからなかった。見つけた当人である俺は一成や当時の友達と一緒に引き取り先を探して町内中を駆け回り、やがてこの家まで辿り着いた。
 もう、その頃の友達とは全く顔を合わせていない。中学までは一緒だったけど、……色々あって。結局みんなバラバラになってしまった。みんなで野球やってたあの頃は、漫画みたいにずっと友情が続くもんだと思ってたけど。現実は呆気ないものだ。……そう考えると家が近い一成はともかく、当時は特別そんなに仲良くもなかった五十嵐と今もこうして居るのは不思議な気分だった。

「五十嵐」
「ん」
「……今日ほんと、ありがとな。いきなり会いに来てこんな事頼んじまって」
「はあ? なんだよ急に。気持ち悪ぃ」
「ええ……」
「くせえ台詞吐きすぎなんだよお前は。ちった自覚しろ」

 はは。だよな。俺が苦笑いを零すと、五十嵐はまた大きく溜息を吐く。

「……高宮」
「ん?」
「……帰り、気ぃつけろよ。この辺暗いし。その調子だと事故って死ぬぞお前」
「え、ああ。うん。気ぃつけます」

 急にぼそりと五十嵐がそんなことを言うから、思わずちょっと笑ってしまう。
 なんか、ほんと一成の言う通りだな。金髪になってもやっぱ五十嵐は五十嵐だ。口の悪さは加速してるけど根本的な所は全然変わってない。何だかんだ言いつつも、気を遣ってくれる優しい奴だ。

「五十嵐。何がしたいのかって、さっき俺に聞いたよな」
「? ああ」
「俺さ、多分。小学生の頃の自分に戻りたいんだと思う」
「……はあ?」

 何言ってんだこいつ、って感じで五十嵐は首を傾げる。

「ああ、いや別にほんとに小学生ん時に戻りてぇわけじゃねぇよ? ただ俺は、小学生の頃の自分を取り戻してぇっつうか」
「違いがよくわからん」
「んーと、ほら。さっきも学校でも言ったような気ぃすっけど……ほんとにガキん時って、なんつーか割とみんな怖いモノなしっつうか。もう色んなメーターがマックスで振り切れてたじゃん? 意味もなく走り回ったり、でかい声出したりさ。五十嵐もなんかあん時一人称オレとかだったし、結構はっちゃけてただろ?」
「ッ……うるせえアホ。思い出させんなッ……!」
 
 あ、怯んだ。意外と黒歴史だったのかあれ。

「……まぁとにかく。俺単純に今、ロックも音楽も大好きだし。だからバンドやってみたいってのはあるんだけど……それと同じくらいあの頃の感覚を取り戻したいんだよな。走って、走って、動けなるまで全力で走って、自分の全部を燃しつくすみたいなあの感覚を――、音楽がもっかい、取り戻してくれるような気がして」

 俺がそんな事を呟くと、五十嵐がまた呆れた様子で溜息をつく。

「……そういうとこだよな、ほんと」
「ん?」
「お前が、学校で嫌われてる理由。早口で喋ったり、急にクソ真面目な台詞吐いたり。端から見てて痛々しいんだよお前は。……あれだよ。中二病ってやつ。いい年こいてまだ、自分が特別だと思い込んでる夢見がちな馬鹿」
「あー。中二病ねえ。まあ確かにそれはそうかもしれんけど」

 ロックミュージシャンなんて、大概中二病みたいなところから始まってんじゃねえかんと思う。

「……別にいいじゃねえかよ夢見たって。どうせ、アホみたいにぼーっとしてても時間は過ぎてくわけだし? だったらあれだよ、踊る阿呆に見る阿呆ってやつ。冷めた面して何もしない連中よりは俺は踊るアホになりたい――なんつって、まあ、こういうのを中二病っていうんだろうけどな…………」

 言ってる途中で五十嵐が睨んできたので我に返る。いやほんとに素でこういうこと言っちゃうから困る。本当に厄介な精神疾患だぜ中二病ってやつは……。
 だけど人間生きてりゃいつしか、自分がそう特別な存在じゃないということに気づく。家族にとっては特別だとか生きてるだけで特別だとかそういう話ではなく。子供はいつかみんな自分は漫画やアニメの主人公みたいにはなれないと気づくのだ。
 正義のヒーローはみんな架空の人物で、倒すべき悪の組織なんてない。超能力や魔法なんてのもこの世にはない。必死に頑張ったスポーツや勉強も、ふと周りを見渡せば自分より得意な奴が山ほどもいて、自分が居なくなったところで世界は滞りなく回るもんなのだと気づく。
 そうして子供はみんな夢から醒める。冷めた目をした大人になっていく。実際の所、社会の中ではナンバーワンはおろかオンリーワンになることすら難しく、才能の無い奴はいくらでも替えの利く歯車のような存在になるしかないのだと絶望する。
 だから多分、俺みたいな人間は、そんな現実を受け入れたくなくて中二病を患ってしまうのだろう。
 
 俺はまだ、特別だと。
 何者かに、なれるのだと。

「……まぁ、お前が中二病なら、アタシは高二病ってやつかもな。お前の言う所の、見る阿呆ってやつ。やりたいことも特にねえから、お前みたいなのをせせら笑って、毎日適当に過ごしてるよ」
「お。いやー、お楽しみいただけてるなら幸いです」
「は。なんも楽しくねぇよ、バーカ」
 
 つっけんどんに五十嵐は言う。だけどなにげに今日、初めて笑った顔を見た。

「……でも、まぁ」

 しばらく沈黙が続いた後。
 遠くに光る星を眺めながら、不意に五十嵐は呟く。
 
「中二病とか、高二病とか。そういうのも、なんかくだらねぇよな」
「……ん?」
「だってそうだろ。別に、誰だって悩みの一つくらいある。一人の人間が、当たり前に悩んで、当たり前に生きてる。結局ただ、そんだけの話だろ。そんなのをいちいちカテゴライズして一緒くたにすんのが、馬鹿らしいっつうか、なんつうか」
 
 言葉に詰まりながら、五十嵐は言葉を続ける。

「……たとえば。中二病っつっても、なんか、しょうもねえ現実逃避してんならともかく。本気で思ってる事を実行に移すのは全然、別の事だろ。……お前は、本気でやってんじゃねえのかよ。中学ん時も、今も」
「……俺は」

 答えには詰まらない。腹の底から、言葉を吐き出せる。

「本気だ。昔も、今も、……ずっと、失敗ばっかしてっけど」
 
 俺がそう呟くと、五十嵐は何故か嬉しそうに笑い、立ち上がって伸びをする。 

「……じゃあ、話は終わりだ。さっさとやろうぜ。曲はもう、決まったんだろ」
「ああ。もちろん。全然決まってないんだなァこれが!」
「ッおい……言っとくけど、もう待たねえからな! さっさと来いよ中二野郎!」

 ぷんすか怒りながら、五十嵐はガレージの中に戻っていく。
 しかし本当のところを言うと、やる曲はとっくに決まっていた。
 
 薄昏の空に輝く、あの一番星を見た時から。
 
 それは決して難しい曲じゃないし、五十嵐の求めてるようなものじゃないかもしれない。だけど俺はその歌を歌いたいと思っていた。
 それが今、一番俺がやりたいことだから。
 
「――、よし」

 ガレージに戻り、ギターのチューニングを変える。マイクの位置を調整した後、深呼吸をする。これが本番。一回限りの、ライブのつもりでやる。

「じゃあラスト。気合い入れてやりますか!」

 イントロは俺のギターのコードストロークから始まる。リフも何もない、シンプルな弾き語り。日本語の歌詞は歌いやすくて、喉の通りがずっといい。清々しい気持ちもあいまってか、自分でもびっくりするくらい綺麗な入りにすることができた。
 ストレイテナーの『ROCKSTEADY』。ロック少年の初期衝動をそのまま形作ったかのような、バンドの名前の通り真っ直ぐで疾走感のあるナンバー。テナーがギターボーカルとドラムの二人編成だった初期の頃に作られた名曲だ。
 二人の少年が、がむしゃらに夜を駆け抜けていくような歌詞の情景に、俺は今この瞬間を重ねていた。五十嵐にはまたクサいとか思われるかもしれないけど。俺は五十嵐と一緒に走りたい。せめて、今日。この三分間だけでも。
 最初のサビに入る直前に、オーバードライブのエフェクターを踏んで音量を上げる。このタイミングでドラムも入ってくるはずだ。俺はあえて、五十嵐になんの目配せもしなかった。中学時代、しつこいくらい俺が大好きだと言っていたこの曲を、あいつもきっと覚えてくれていると信じていた。だから、目を瞑って歌い続ける。 

「言っ、――」

 エフェクターを踏み込んだその瞬間。確かにスネアドラムを叩く音が聞こえた。
 だから俺はもう、何も迷うことはなかった。

「ったあああああああああああああああああああああああああ!」

 力の限り叫んで、力のギターを掻き鳴らす。
 五十嵐も負けじとデカい音でドラムを叩く。
 身体中に電流が走って、俺自身がオーバードライブする。
 何を言ってるかよく分からないと思う。俺もよくわからない。ただ音と音が、がっちりと噛み合った時のこの快感は――きっとこの世のどんな言葉でも言い表せない。
 前のめりのテンポで曲が進む。やっぱりロックは、走ってなんぼだ。不安定な俺のストロークは時々道を見失い、うっかり転げそうになるけれど、五十嵐が支えて行き先を導いてくれる。だからこのまま、どこまでも突っ走って行ける。
 
 ロックステディ。ロックスタディ。
 
 最後のサビを全力で歌う。爪の先から喉元へ、自分の魂を吐き散らす。
 ああ、これだ。これが俺のずっとやりたいことだった。感情のままに掻き鳴らし、叫んで歌うギター・ロック。いつか見た誰かのそんな姿に憧れた。これを、俺も誰かとやってみたかった。空想でしかなかった時間が――今ここに確かに存在してる。

「――、――」

 そして、あっという間に。俺と五十嵐は二分半の時を駆け抜けた。名残惜しむようにギターを掻き鳴らすと、五十嵐もそれに合わせてドンシャカやってくれる。最後にはもちろん、キメと同時にジャンプした。

「フォオオオオウッ!!」

 俺が裏声で叫びながらギターを高々と掲げると、五十嵐も苦笑いを零しながら、途中折れ飛んだドラムスティックを拾いあげる。

「ど、どうだよ五十嵐、今の! 俺かなり、いや滅茶苦茶手応えあったんだけど!」
「ん、……ま、まあ悪くはなかった、かもな」

 くるくると指先で髪の毛を弄りながら五十嵐はまんざらでもない顔をする。

「…………じゃ、じゃあ俺とバンド組んでくれるかって話なんですけ、ど」
「…………おう。まあ組んでやっても、いい」
「よ、……っしゃああああああああああああああああ! って、ん?」

 瞬間。猛獣のようなバイクの駆動音が鳴り響き、激しいライトの光がガレージの中を照り付けてきた。

「俺のアンプを使ってるのは――どこのどいつだゴルァアアアアアアアアア!!!」
 
 すると何やら見覚えのある黒ずくめの厳ついサングラスのおじさんがこちらに向かってくるではないか。え? 何? 俺は知らない間にヤクザ映画の世界か何かに

「ドルァアアアアアアアアアアアアアアアアッシャアアアアアアアアア!!」
「ぎゃああああああああああああああああッあああああああああああああ!?」

 勢いそのままにサングラスをかけたおじさんは俺の胸倉を掴んで恫喝してくる。

「ラッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」

 勢いそのままにサングラスをかけたおじさんは俺にアームロックを仕掛けてくる。

「ソイヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ぬわあああああああああああああああああああああああああ!!」

 勢いそのままにサングラスをかけたおじさんは、何だコレ。え、いやちょ、待って。ナニコレ?ほんと何で? あっやべえ骨がイキそうイキますよこれ。まずい。変なおじさんに殺される。突如として変なおじさんに17年の人生の幕を下ろされてしまう。やだよこんな人生。

「ちょ、おい何やってんだハゲ! 馬鹿じゃねえのかさっさと離せ!」

 五十嵐の声が聞こえる。どうやら止めに入ってくれてるようだ。でもね。ちょっと遅い。あと数秒で俺お亡くなりになりそう。

「あァ!? 香月ィ! 何だこのクソ野郎は! お前の彼氏か!?」
「ちッッげぇわボケ! このクソ野郎はあれだよ! 高宮だよ!」 

 何かだいぶひどい言われようをしている気がするけどきっと幻聴だよねうん多分きっとそうだそういう事にしておこう。

「ああん!? 高宮ァ!?」

 そこでようやく俺はおじさんの腕から解放される。
 何とか、俺の事を思い出してくれたたしい。

「誰だっけ……」

 いや覚えとらんのかい。

「あーほら、リトルリーグで一緒だった奴。中学ん時も兄貴が、ちょくちょくうちに連れて来てただろ」
「んん!? ああ! お前あれか! 太志か! てっきり今流行りのギャル男かと思ったわ!」

 いやギャル男って。今流行りでもねえよ。

「お、お久しぶりです……いやー、なんか相変わらずっすね……」
「はっは。久しぶりだなぁおい。いや悪い悪い。ついに香月のバカがうちに彼氏連れ込んだのかと思ってな。危うくどっちも血祭りにあげるところだったわ」

 五十嵐の親父さんは悪びれもせずにそう笑う。いやそれにしてもマジで死ぬかと思った。タッパあるからこの人マジで怖い。年末の特番でビンタするあの人そっくりだし。メタルより「とんぼ」とか歌いだしそう。

「で。お前らあれか。付き合ってんのか」
「ちげぇっつってんだろボケ。耳ついてんのか」
「おォ!? なんだお前親に向かってなんだその口の利き方は!」
「あァ!? ろくでもねえテメー見て育ったからだよくぬ野郎!」
「ま、まあまあお二人ともそのへんにしときましょうって。俺もう帰りますし」
「チッ。全く誰に似たんだか……」

 いやそれは親父さん。間違いなくあなたです。
 八時には五十嵐の親父さんの仲間が集まって飲み会があるそうなので、俺は速やかに後片づけを始めた。その間も五十嵐親娘は何やらギャーギャー言い争っていた。まったくほんと仲のよろしいことで。……飛び火する前にさっさと退散しよう。

「そんじゃ、お疲れ様でしたー」
「おう、お疲れ!」

 ガレージの前で頭を下げると五十嵐の親父さんが手を挙げて返事を返してくれた。
 自転車にエフェクターケースを括り付けていると、五十嵐が俺の元へ歩いてくる。

「……お疲れ」
「ああ、うん。お疲れ」
「……さっきバンド組むっつったけど。いくつか条件がある」
「条件? まあ何でも言ってくださいよ」
「まず一つ。バンドのリーダーとボーカルはお前がやること」
「ん? ああ。それは元からそのつもりだったけど」
「二つ目。ベースは上手い奴を見つけてこい。吉井は却下」
「ははは。まぁそもそもアイツうちの学校じゃねえからどっちみちアレだけどな。あとの条件は?」
「あとは……その。無駄なハイテンションっつうか、ふざけたノリやめろ。寒いから。今みたいにもうちょっと落ち着いて普通に話せ」
「はっはっは。いやちょっと何言ってるかわからない」
「何で何言ってるかわかんねえんだよ。だからそういうのをやめろっつってんだ!」
「んー、いやでも普通って言われてもなあ。これが今の俺の普通なんで」
「……まあいいや。お前のメルアドよこせ」
「あ、うん」

 五十嵐と携帯で連絡先を交換する。

「……そういや五十嵐って結局、今他にバンドやってねぇの? 去年はなんか軽音ですげー掛け持ちしてたみたいだけど」
「あ? ……ああ。今はやってねぇよ。部室にも、しばらく行ってねえし」
「そうなのか。まぁ、文化祭終わったら大体みんな飽きて幽霊部員になるしな。それで全部自然消滅しちゃった感じ?」
「ああ。まぁ、……そんな感じ」

 携帯の画面を見ながら五十嵐は呟く。どことなく、冷たい言い方だった。

「……よし。じゃあ明日からはベーシスト探しだな」
「ま、せいぜい頑張れよ」
「いや何を他人事みたいに。五十嵐先生も手伝って下さいよ」
「あぁ? ……ちっ。わかったよ」
「うん。よろしく頼むわ。んじゃ、また明日!」
「……ん」

 五十嵐に見送られながら、俺は夜道に自転車を走らせる。確かにこの辺は街灯が少ないから危なそうだった。油断するとうっかり横の田んぼに突っ込みそうになる。

 でも、今日に限っては心配はいらなそうだ。
 見上げればやけに明るい、星と月が瞬いている。

 自転車を漕ぎながら、俺はまたあの歌を口ずさんで帰った。
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