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4’.第4話の図と解説:センエンムウトの彫像、シストルムとメニト*
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ちょっと図と説明文が多くなったので、第4話に付属する図と説明を別立てにしました。
図5:ネフェルウラーを抱えて座るセネンムウトの方形彫像(ÄM 2296、ベルリン・エジプト博物館)
© Staatliche Museen zu Berlin, Ägyptisches Museum und Papyrussammlung / Jürgen Liepe CC BY-SA 4.0
出典1:https://smb.museum-digital.de/object/566
出典2:https://recherche.smb.museum/detail/607065
図5、6の彫像のネフェルウラーは、大英博物館の彫像(前話の図4)と違って既に神妻と明記され、額にウラエウスを付けた姿で表されています。
図6:ネフェルウラーを抱くセンエンムウトの立像(173800, Field Museum of Natural History, Chicago)
Photographer: Diane Alexander White: Field Museum of Natural History
© Field Museum of Natural History - CC BY-NC 4.0
出典:https://collections-anthropology.fieldmuseum.org/catalogue/1076525
その他、カイロ・エジプト博物館所蔵のネフェルウラーを抱くセンエンムウトの方形彫像(CG42114)も写真付きでご覧になれます:
https://egyptianmuseumcairo.eg/artefacts/statue-of-senenmut-with-the-princess-nefrure/
https://digitalkarnak.ucsc.edu/block-statue-of-senenmut-with-neferure/
図7:ナオス形シストルムを持つセンエンムウト像(48.149.7、ニューヨーク・メトロポリタン美術館)、パブリックドメイン
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544469
センエンムウトは多くの彫像を作らせましたが、その中には次に紹介する楽器シストルムの一種ナオス形シストルム(図8左を参照)を持つ彫像もあります。センエンムウトは跪いて身体の前にデフォルメされた大きなナオス形シストルムを持っています。図7の彫像はメトロポリタン美術館所蔵のものですが、同じような彫像はミュンヘンのエジプト博物館にもあります(ÄS 6265):
https://www.bavarikon.de/object/bav:SMA-OBJ-00000BAV80011835?lang=en
図8:ファイアンス製セシェシェト型/ナオス形シストルム(左)、ファイアンス製セケム型/アーチ形シストルム(中)、ブロンズ製セケム型/アーチ形シストルム(右)
出典:
図8左: 17.190.1959、メトロポリタン美術館、第26王朝時代ウアフイブラー治世(紀元前589~570年)、パブリックドメイン; https://www.metmuseum.org/art/collection/search/549513
図8中: 17.190.1957、メトロポリタン美術館、プトレマイオス朝時代/紀元前300~100年)、パブリックドメイン; https://www.metmuseum.org/art/collection/search/550893
図8右:EA36310、大英博物館、末期王朝時代(紀元前664~332年)、CC BY-NC-SA 4.0; https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA36310
振って音を出すラットル(打楽器)の一種シストルムには、持ち手の上のU字枠の部分にハトホル女神の顔とそのまた上にナオス(聖堂)が付いている「セシェシェト型」(ナオス形シストルム)(図8左)と、簡素なアーチ形のU字枠を持つ「セケム型」(アーチ形シストルム)(図8中・右)の2種類があります。
アーチ形シストルムは、焼き物の一種ファイアンス(図8中)か、ブロンズ(図8右)でできています。図8右は末期王朝時代(紀元前664~332年)のものですが、それより後のギリシャ・ローマ時代(紀元前332年~紀元後395年)のものの方が多く今日まで残存しています。イシス女神信仰が地中海地方で広まったローマ時代には、エジプト国外でもブロンズ製アーチ形シストルムが用いられました。その一例がニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵のもの(19.5)です:
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/545681
図9:メニト(11.215.450、メトロポリタン美術館)、パブリックドメイン
年代:アメンヘテプ3世治世(紀元前1386年~1349年)
出土地:アメンヘテプ3世の王宮のあったルクソール西岸マルカタ。
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544509
メニトまたはメナトは、元々、ビーズネックレスの束を細長い金属板の重しでまとめた装身具ですが、その金属板を握って振り鳴らす楽器としても使われました。図9は、珍しく完全に残っているメニトです。我らがトトメス3世の曾孫のアメンヘテプ3世の時代(紀元前1386年~1349年)のものです。
シストルムもメニトも楽器としては宗教的なコンテキストでのみ使われ、主に女性が演奏しました。シストルムは、神々と繋がったり、喜ばせたり、鎮めたりするのに用いられました。メニトも神々を鎮めるのに使われましたが、復活再生と生殖にも関連付いています。
シストルムとメニトには、よく一緒に用いられました。例えば、トトメス3世の息子のアメンヘテプ2世治世下のテーベ市長など重要な職を歴任したセンネフェルは、ぶどうの天井画で有名なテーベ第96号墓を建造しましたが、その壁画にシストルムとメニトを左手で持つ妻(?)メリトを描写しています。以下のリンクのサイトの最初の写真がぶどうの天井画、右にスライドして3枚目がシストルムとメニトを持つメリトの写真です:
https://www.reddit.com/r/OutoftheTombs/comments/1944gpd/scoop_the_windows_in_the_tomb_of_sennefer_tt96_in/?rdt=57596
更にトトメス3世よりも150年ほど時代が下って、エジプト南部アビドス(第5話図12参照)にある第19王朝セティ1世の葬祭殿の例もあります。その壁面レリーフにイシス女神がシストルムとメニトを同時に手に持っているのが描写されています。
そのイシス女神のレリーフは、下記のサイトの記事の1枚目の写真で見られます:
https://historicaleve.com/temple-of-seti-i-abydos/
図5:ネフェルウラーを抱えて座るセネンムウトの方形彫像(ÄM 2296、ベルリン・エジプト博物館)
© Staatliche Museen zu Berlin, Ägyptisches Museum und Papyrussammlung / Jürgen Liepe CC BY-SA 4.0
出典1:https://smb.museum-digital.de/object/566
出典2:https://recherche.smb.museum/detail/607065
図5、6の彫像のネフェルウラーは、大英博物館の彫像(前話の図4)と違って既に神妻と明記され、額にウラエウスを付けた姿で表されています。
図6:ネフェルウラーを抱くセンエンムウトの立像(173800, Field Museum of Natural History, Chicago)
Photographer: Diane Alexander White: Field Museum of Natural History
© Field Museum of Natural History - CC BY-NC 4.0
出典:https://collections-anthropology.fieldmuseum.org/catalogue/1076525
その他、カイロ・エジプト博物館所蔵のネフェルウラーを抱くセンエンムウトの方形彫像(CG42114)も写真付きでご覧になれます:
https://egyptianmuseumcairo.eg/artefacts/statue-of-senenmut-with-the-princess-nefrure/
https://digitalkarnak.ucsc.edu/block-statue-of-senenmut-with-neferure/
図7:ナオス形シストルムを持つセンエンムウト像(48.149.7、ニューヨーク・メトロポリタン美術館)、パブリックドメイン
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544469
センエンムウトは多くの彫像を作らせましたが、その中には次に紹介する楽器シストルムの一種ナオス形シストルム(図8左を参照)を持つ彫像もあります。センエンムウトは跪いて身体の前にデフォルメされた大きなナオス形シストルムを持っています。図7の彫像はメトロポリタン美術館所蔵のものですが、同じような彫像はミュンヘンのエジプト博物館にもあります(ÄS 6265):
https://www.bavarikon.de/object/bav:SMA-OBJ-00000BAV80011835?lang=en
図8:ファイアンス製セシェシェト型/ナオス形シストルム(左)、ファイアンス製セケム型/アーチ形シストルム(中)、ブロンズ製セケム型/アーチ形シストルム(右)
出典:
図8左: 17.190.1959、メトロポリタン美術館、第26王朝時代ウアフイブラー治世(紀元前589~570年)、パブリックドメイン; https://www.metmuseum.org/art/collection/search/549513
図8中: 17.190.1957、メトロポリタン美術館、プトレマイオス朝時代/紀元前300~100年)、パブリックドメイン; https://www.metmuseum.org/art/collection/search/550893
図8右:EA36310、大英博物館、末期王朝時代(紀元前664~332年)、CC BY-NC-SA 4.0; https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA36310
振って音を出すラットル(打楽器)の一種シストルムには、持ち手の上のU字枠の部分にハトホル女神の顔とそのまた上にナオス(聖堂)が付いている「セシェシェト型」(ナオス形シストルム)(図8左)と、簡素なアーチ形のU字枠を持つ「セケム型」(アーチ形シストルム)(図8中・右)の2種類があります。
アーチ形シストルムは、焼き物の一種ファイアンス(図8中)か、ブロンズ(図8右)でできています。図8右は末期王朝時代(紀元前664~332年)のものですが、それより後のギリシャ・ローマ時代(紀元前332年~紀元後395年)のものの方が多く今日まで残存しています。イシス女神信仰が地中海地方で広まったローマ時代には、エジプト国外でもブロンズ製アーチ形シストルムが用いられました。その一例がニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵のもの(19.5)です:
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/545681
図9:メニト(11.215.450、メトロポリタン美術館)、パブリックドメイン
年代:アメンヘテプ3世治世(紀元前1386年~1349年)
出土地:アメンヘテプ3世の王宮のあったルクソール西岸マルカタ。
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544509
メニトまたはメナトは、元々、ビーズネックレスの束を細長い金属板の重しでまとめた装身具ですが、その金属板を握って振り鳴らす楽器としても使われました。図9は、珍しく完全に残っているメニトです。我らがトトメス3世の曾孫のアメンヘテプ3世の時代(紀元前1386年~1349年)のものです。
シストルムもメニトも楽器としては宗教的なコンテキストでのみ使われ、主に女性が演奏しました。シストルムは、神々と繋がったり、喜ばせたり、鎮めたりするのに用いられました。メニトも神々を鎮めるのに使われましたが、復活再生と生殖にも関連付いています。
シストルムとメニトには、よく一緒に用いられました。例えば、トトメス3世の息子のアメンヘテプ2世治世下のテーベ市長など重要な職を歴任したセンネフェルは、ぶどうの天井画で有名なテーベ第96号墓を建造しましたが、その壁画にシストルムとメニトを左手で持つ妻(?)メリトを描写しています。以下のリンクのサイトの最初の写真がぶどうの天井画、右にスライドして3枚目がシストルムとメニトを持つメリトの写真です:
https://www.reddit.com/r/OutoftheTombs/comments/1944gpd/scoop_the_windows_in_the_tomb_of_sennefer_tt96_in/?rdt=57596
更にトトメス3世よりも150年ほど時代が下って、エジプト南部アビドス(第5話図12参照)にある第19王朝セティ1世の葬祭殿の例もあります。その壁面レリーフにイシス女神がシストルムとメニトを同時に手に持っているのが描写されています。
そのイシス女神のレリーフは、下記のサイトの記事の1枚目の写真で見られます:
https://historicaleve.com/temple-of-seti-i-abydos/
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