ファラオの寵妃

田鶴

文字の大きさ
上 下
5 / 13

1.実権を掌握する女王

しおりを挟む
 トトメス2世の正妃ハトシェプストは、夫が亡くなった時、悲しむよりはイライラと焦りのほうが強かった。

(あの役立たず男、とうとうわらわに息子を授けずにくたばった! おかげでトトメスをファラオにしなくてはいけないではないか!)

 ハトシェプストは子供の頃から利発で健康にすくすくと育ち、授かった息子全員が病弱だった父王トトメス1世は『そなたが息子だったら』とよく嘆いた。ハトシェプストの同腹の兄2人は父親よりも早く夭逝してしまった。後を継いでファラオになったトトメス2世は妾腹の子でハトシェプストの異母兄にあたる。その兄と結婚しなければならなかったことは業腹だったが、正当なファラオの血統を残すためには仕方なかった。

 なのにハトシェプストは流産を繰り返し、やっと生まれた子は女だった。王女だったら、トトメス2世は既に愛妾に3人も産ませているからハトシェプストにとって意味がない。次の子をと思っても、トトメス2世はお前と1人作ればもう役目は果たしただろうと出産後も共寝したがらなかった。ハトシェプストだって好きでもない夫との閨が楽しいはずはなかった。夫が側室イセトに息子トトメス3世を産ませていたから、必死だっただけである。だが非情なことにハトシェプストの出産後1年も経たないうちに病弱だったトトメス2世は亡くなってしまい、まだ7歳のトトメス3世が即位することになった。

 しかしこれで終わるハトシェプストではなかった。

 ハトシェプストは、夫トトメス2世が亡くなる前からアメン神の最高位の女性司祭『神妻ヘメト・ネチェル』𓊹𓈟𓏏であり、その地位を通じてカルナックのアメン神官団に宗教的・経済的影響を持つ。

 アメン神官団の支持を得て、ハトシェプストは少しずつ実権を握っていき、トトメス3世治世3年にとうとう即位名マアトカーラー𓍹𓇳𓁦𓂓𓍺(ラー神のマアト正義カー精神)を名乗ってファラオとして即位した。これが22年にわたるトトメス3世との共同統治の始まりだった。もっともハトシェプストはトトメス3世治世1年に遡って共同統治を始めたことにしたから、実際の即位からは20年である。即位以降、ハトシェプストはトトメス3世派――トトメス3世がある程度成長してからは彼自身とも――と次第に対立を激しくしていった。

 ハトシェプストは、実態が『女王』であっても男性のファラオとして振舞わなくてはならなかった。重臣達がファラオは男性であるべきと最後まで譲らなかったので、ハトシェプストは公式の場では顎髭を着けて男装し、彫像や壁画、レリーフには男性として描かれることになった。

 子供を授けてくれる夫がいなくなり、ハトシェプストは今度は娘ネフェルウラーに望みをかけた。トトメス3世の即位後すぐにまだ赤ん坊のネフェルウラーを義息子のヘメト・ネスウ・ウェレト𓇓𓈞𓏏𓅨𓏏にさせた。トトメス3世とネフェルウラーは異母兄妹にあたるが、ハトシェプストと夫トトメス2世も異母兄妹で、異母きょうだいやおじ姪の結婚はタブーではない。だからこそ、どこぞの重臣が自らの娘や妾腹の異母姉妹の後ろ盾になってトトメス3世に娶らせる前に先制攻撃をかけたわけである。

 王家は一夫一妻制ではないので、トトメス3世が精通を迎えれば重臣達がすぐに妊娠可能な女性を側室か妾として送り込んでくる可能性は十分ある。ハトシェプストは、トトメス3世の精通がなるべく遅く来るようにし、ネフェルウラーが初潮を迎えたらすぐに彼の閨に送り込んで妊娠させようと画策している。ネフェルウラーが病弱で初潮が遅くなりそうだからだ。

 ネフェルウラーが息子を産んだら、トトメス3世を退位させて孫をファラオにするのがハトシェプストの悲願である。そのためにはトトメス3世が十分に成熟して治世を確立する前、しかも他の女と息子を作る前にネフェルウラーに王子を産んでもらわないとならない。ハトシェプストは、幼い娘が若過ぎる年齢で妊娠して起こるであろう健康上の弊害など露ほども心配していなかった。

 だがそうはうまくいかないのが世の中である。ネフェルウラーは近親結婚の悪影響で病弱であった。ハトシェプストは一縷の望みをかけてネフェルウラーを何かにつけてトトメス3世と交流させて仲良くさせて早く男女の仲になるようにさせようとした。だが、それも表面上だけでよい。要はトトメス3世は単に種馬であるから、子種だけもらえばよくて正当なファラオの姫ネフェルウラーは種馬に気を許すのではない。それがハトシェプストの考えだった。

------

 今話は、ちょっと説明回でした。ハトシェプストが鬼母&意地悪継母になってしまってますが、史実でもそうだったのかはもちろんわかりません。
 ネフェルウラーがトトメス3世の妃であったとする説もありますが、明確な証拠はありません。
 ハトシェプストの実際の即位の時期にはトトメス3世治世2年から7年まで諸説あります。この物語ではハトシェプストの即位の時期を話の都合上、早くしています。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

後宮にて、あなたを想う

じじ
キャラ文芸
真国の皇后として後宮に迎え入れられた蔡怜。美しく優しげな容姿と穏やかな物言いで、一見人当たりよく見える彼女だが、実は後宮なんて面倒なところに来たくなかった、という邪魔くさがり屋。 家柄のせいでら渋々嫁がざるを得なかった蔡怜が少しでも、自分の生活を穏やかに暮らすため、嫌々ながらも後宮のトラブルを解決します!

処理中です...