張りぼての白馬の王子様

田鶴

文字の大きさ
24 / 32

24.去る部下達の結婚

しおりを挟む
 アントンの部下の影ペトラは吐き気が何日も続き、町医者にかかって妊娠が判明した。クーデター後、調査対象者と関係を持つ必要もなくなったので、心当たりがあるのはアントンだけだった。

 ペトラは、クーデター前は必ず避妊薬を飲んでいたのだが、クーデター後は政情不安で入手しづらくなり、事後に飲まなかった事もあった。でも10年以上飲んでいた避妊薬は副作用として大抵不妊になるので、この妊娠はペトラにとっても予想外だった。

 諜報活動は、子育てに協力してくれる家族がいない独身の女が続けられる仕事ではないので、ペトラは影をきっぱり辞め、今住んでいるマンダーシャイド伯爵家の影専用住宅を出て行くのを決意してアントンに伝えたが、妊娠の事実は言わなかった。

「ペトラ、本当に辞めるのか? 私はこれから平民になるから君達をもう雇い続けられないが、王家の影に移動できるぞ」
「いいんです。私はもう人を騙す諜報活動はもう沢山なんです」
「そうか? それなら近衛騎士団はどうだ? 君の実力は折り紙付きだし、これからは積極的に女性を登用していく方針だよ」
「私の能力を買っていただいてありがとうございます。でも私はひっそりと生きていく事にしたんです」
「そうか。残念だな。執事から後で退職金を受け取ってくれ。君のこれからの健勝を願ってるよ」
「ありがとうございます」

 ペトラが執務室から出て行く時、アントンはもうその背中を見ておらず、机の上の書類の処理に再び没頭していた。

  その日の夜が更けてほとんどの人が眠った頃、ペトラは最低限の荷物をまとめて影専用の住宅を出た。すると突然背後から肩を掴まれてペトラは驚いた。何の気配も感じさせずに近づけるのは影しかいない。振り返ったらヨルクだったので、ペトラはほっとしたが、彼が厳しい表情をしているのには訝しんだ。

「なんだ、義兄さんか。驚かせないでよ」
「こんな夜更けに荷物を持ってどこにいくつもりだ?」
「アントン様に辞めるって話したの」
「だからって夜に出て行く必要はないだろう?」
「いつだっていいじゃない」
「駄目だ!」

 ヨルクはペトラをいきなり抱き締めた。ペトラは急に体を締め付けられて少し収まっていた悪阻がまたぶり返した。

「うっ! 義兄さん、は、離して! 吐いちゃう!」
「どうしたんだ?!」

 ペトラが吐いている間、ヨルクは彼女の背中をひたすら擦った。吐き気がやっと収まってペトラが立ち上がると、ヨルクはおずおずと口を開いた。

「なぁ、ペトラ。お前……違ってたら悪いんだけど……妊娠しているんじゃないか?」
「だったらどうだって言うの? 私は産むわよ。10年以上も避妊薬飲んでいたのに私の所に来てくれたのよ。これを逃したらもう子供を持つ事なんてできないかもしれない。やっと家族を持てるのよ」
「その家族の中に俺は入ってないんだね……」
「あ……ごめん……私が言ったのは血の繋がったって意味で……義兄さんは血の繋がりはないけど、もちろん家族だよ。貧民街で義兄さんがいなかったら、私は今、生きていなかったと思う」
「これからも家族として一緒に……子供も一緒に3人で暮らさないか」
「それってプロポーズ?」
「あ、いや、その……そうだよ。ロマンチックじゃなくてごめん」
「義兄さんともヤっちゃったけど、義兄さんは兄として好きだよ。だから結婚は考えられない」
「今はそれでもいい。一緒に暮らさないか? 今すぐじゃなくていいから、一緒に住む中で俺の事もゆっくり考えてくれればいいよ」
「でも……この子は義兄さんの子供じゃないよ」
「分かってる。アントン様の子だろう? アントン様には言ったのか?」
「言わないよ。奥様に申し訳ないし、アントン様を愛している訳でもないから」
「そうか。でもお前は殿下――いや、陛下の事が好きだっただろう? それはもういいのか?」
「うん。初恋だったとは思うけど、もうそんな気持ちはないよ。それに陛下の目にはパトリツィア様しか映ってないし、私みたいな身分の低い穢れた女に好かれても迷惑でしょ」
「お前は穢れてないよ」

  ヨルクはペトラをそっと抱き寄せ、額にキスをした。

「俺と一緒にここを出よう。この子はお前と俺の子だ」
「でも……」
「じゃなきゃ、身重でここを辞めてどうやって生きていくんだ? それにお前が1人で子供を産むなんて心配で俺はどうにかなりそうなんだ。頼む、俺を助けてくれると思って一緒に行こう」

 ヨルクはペトラの両腕を掴み、頭を下げた。

「……結婚してもすぐには義兄さんを男として見れないよ」
「それでもいい! 頼む!」
「私、ずっと避妊薬を飲んでいたから、義兄さんの子供を産んであげられないかもしれないよ」
「それでもいい。今のお腹の子が俺達の子だ。頼む!」

 ペトラはヨルクの申し出を受け入れ、翌日のヨルクとアントンの面談の後に一緒にマンダーシャイド伯爵家の影の家を出て行く事にした。

 辞意を既に伝えたペトラ以外の部下の行き先について、アントンは全員と個人面談をしていた。アントンが平民になれば、彼らを雇い続けられないし、クーデターが成功した以上、王家の影と別に内密で諜報活動をする必要がなくなったからだ。もちろん諜報活動は、引き続き王家の影が行うから、部下達が希望するなら王家の影に移動してもらう事になった。

「ヨルク、本当に王家の影に行かないのか?」
「アントン様、人を騙すのは、もう沢山なんです。私は前王弟殿下の事、嫌いではありませんでした。あの方はちょっと浮世離れしていましたが、善人でした。その方を騙して……結局死なせてしまって……」

 ヨルクは嗚咽してしまって最後まで口にできなかった。

「何も殺さなくたって……よかったのに」
「何か誤解があるようだが、彼は盗賊に殺されたと報告されている」
「白々しい! 彼はもう何も持っていなかったでしょう?」
「彼は、極悪人の元宰相に協力して王位を簒奪しようとしていたんだ。その罪は重い」
「でもそれも踏まえて正式に去勢の上で生涯幽閉に決まったんじゃないですか!」
「彼は脱獄して他の囚人2人を拉致した」
「だからってこんな殺し方はないでしょう?! これでは陛下の禁止している私刑ですよ!」

 ヨルクはもう辞めると決意した以上、アントンの前で歯に衣着せぬ言葉を口に出すのを躊躇せず、アントンに食って掛かった。それにペトラの事でついとげとげしい態度が出てしまったのもあった。

「止めたまえ。とにかく君の希望は分かった。でも君程の実力者がもったいないな。騎士団への転職はどうだ?」
「それも結構です。それとペトラは私と結婚して一緒に行きます。子供もできました」
「そ、そうか。おめでとう」

 ヨルクは返事もせずに面談の場から去り、その日のうちにペトラと共にマンダーシャイド伯爵家を出て行った。

 7ヶ月後、クレーベ王国の王都から離れた小さな町で女の子が産声を上げた。夫婦はその子以外に子供を授からなかったが、末永く家族3人仲良く幸せに暮らした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

婚約破棄を申し込むも、殿下の説得がガチすぎて詰む?

ちゅんりー
恋愛
公爵令嬢リペは、厳しい王妃教育と窮屈な未来から逃れるため、ある画期的な計画を思いつく。それは、世にも恐ろしい「悪役令嬢」になりきって、完璧な第一王子カイルに婚約破棄を叩きつけること! さっそくリペは、高笑いと共に「不敬な態度」「無駄遣い」「嫌がらせ」といった悪行の数々を繰り出すが……。

いい加減こっち見ろよ!〜見た目だけだとフラれ続ける私は、どうやら幼馴染の執着愛に気づいていなかったようです。〜

こころ ゆい
恋愛
保育士の八重と外科医の一生は、小学生の頃からの幼馴染。 傍から見れば、儚く清楚に見えるらしい八重は、実は外見にそぐわぬ性格をしていた。 そのせいで、見た目につられて告白してくる男性たちは、ことごとく彼女の中身を知って離れていく。 フラれる度に、やけ食いややけ酒に付き合ってもらっている一生は優しいが、懲りずに同じような恋愛を繰り返す八重に呆れている....と思っていたら? 「....八重の可愛さは、そんなもんじゃないんです。....誰も気付かなくていい。俺だけが知ってればいい」 ーーどうやら、かなり愛されていたようです? ※じれじれ・執着・溺愛 ラブストーリー。🌱 ※この物語は、全て作者の想像で描かれたフィクションです。実際の場所・建物・人物とは関係ありません。🌱

あなたがそのつもりなら

素亭子
恋愛
リリアーナはランス侯爵からの求婚をうけて結婚したが、わずか一年で夫は愛人を持った。リリアーナの仕返しの話です

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

処理中です...