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18.観劇

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観劇当日――レオポルティーナは早朝からあのドレスがいいか、このドレスがいいかととっかえひっかえして迷っていた。流石に時間が押してきてまずいとベッティーナがレオポルティーナを急かすまで2人だけの着替えショーは続いた。

レオポルティーナは結局、フェルディナントの瞳と同じ深い海の色のドレスと揃いの生地で仕立てられたボンネットにした。白いレースが縦襟と袖口に付いており、まるで海の白い波間のように見える。ボンネットにも生地と同色のリボンが付いていて鍔の先端にはドレスと同じ白いレースがあしらわれている。

レオポルティーナは鏡で全身をチェックして鏡の中の自分に満足そうに微笑んだ。そして玄関ホールへ向かってフェルディナントを待つ。

待ちに待ったフェルディナントの姿が見えると、レオポルティーナは太陽のように顔を輝かせた。

「フェル兄様!」
「ティーナ、じゃあ行こうか」
「ねぇ、兄様、女性がおめかししてデートに現れたら何か言うことありませんの?」
「ああ、綺麗だよ」
「お兄様、棒読みみたいな台詞だわ。酷い!」

レオポルティーナは小さな女の子のように頬を膨らませて抗議した。ヨハンはそんな彼女を見て苦々しく感じる。

「お嬢様、そんな言葉は催促してもらうものではありませんよ」
「わかってるわよ、ヨハン。でも言いたくなる乙女心もわかってほしいわ」
「ヨハン、無礼な上に無粋ですよ」

ベッティーナはヨハンをぎろりと睨んだ。男性衆2人は触らぬ神に祟りなしとばかりに無言になる。微妙な雰囲気のまま、フェルディナントとレオポルティーナ、付き人として同行するヨハンとベッティーナも馬車に乗車した。

劇場前は大勢の観客でごった返していたが、ボックス席の観客専用の入口から4人はすんなり劇場に入れた。ボックス席には2人掛けの椅子が2脚あり、その間にはティーカップを置けるように小さなテーブルが置かれている。

レオポルティーナはフェルディナントと同じ椅子に隣同士で座りたかったが、ヨハンが睨むので仕方なくテーブルの反対側の椅子に座った。従者はボックス席の扉のすぐ横のスツールに座って待機することになっている。ヨハンとベッティーナも扉の左右にあるスツールにそれぞれ座った。

ボックス席の舞台を見下ろす側には厚手のカーテンが備えられていてされている。使用されていないボックス席のカーテンは閉じられているのだが、使用中でもカーテンを閉めて演劇そっちのけに情事に耽る不埒な『観客』もいることは有名だ。もちろんまだ結婚していないレオポルティーナとフェルディナントがそのカーテンを閉めることは、いくら付き人がボックス席に控えていても、社会通念上許されていない。

レオポルティーナの涙腺は幕間前に既に崩壊寸前になった。ヒロインとヒーローはお互いに想い合っているのに表立って愛し合えない。事情は違っても、その切ない気持ちを自分に重ねてしまう。でも計画を実行する幕間が近づくにつれてレオポルティーナはそれどころでなくなり、手が汗だくになった。

とうとう幕間の休憩が始まった。

「ヨハン、お茶を注文してきてくれる?ベッティーナはちょっと足をくじいているから貴方がやってくれるとうれしいわ」

レオポルティーナは何度も練習した台詞をヨハンに投げかけた。声が震えていなかったかレオポルティーナは自信がなかったが、ヨハンは何も気付かなかったようで素直に注文を出しにボックス席を出て行った。

すぐにレオポルティーナは大きく息を吐いてベッティーナに目線で合図した。

「お嬢様、フェルディナント様、大変申し訳ないのですが…お花摘みに行かせていただきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
「え?」

フェルディナントはボックス席にレオポルティーナと2人きりになってしまうことに焦って思わず声を出してしまった。

「兄様、繊細な場面で女性に恥をかかせるのですか?ベッティーナがいくら使用人と言っても女性に対する礼儀がなってませんわよ」
「あ、ああ……すまない…」

レオポルティーナはその後の言葉を続けられなかった。フェルディナントにベッティーナのトイレの件はビシッと言えたのに、2人きりになったら何を言ったらいいのかわからなくなってしまった。ベッティーナには休憩時間終了間際に戻ってくるように言い含めてあるが、もう少ししたらヨハンが帰ってきてしまう。

レオポルティーナは意を決してフェルディナントの隣に座り直したが、フェルディナントはびくっとした。レオポルティーナの頭はこれから告白することばかりでいっぱいでそれには気付かなかった。

「あの…兄様…わ、私…に、兄様のこと…」

レオポルティーナは意を決してフェルディナントに話しかけたが、どもってしまって何度も言い直してしまった。そんな彼女の頬は赤らんでいて瞳はうるんでいる。男女関係の経験があの忌々しい閨の実習以外にないフェルディナントでも彼女が何を言いたいのか察した。

「フェ、フェル兄様…あ、愛…してます…私、もっと兄様と…ち、近づきたい…」

レオポルティーナは、隣に座っているフェルディナントのほうに更ににじり寄って彼の胸に寄りかかろうとしたが、フェルディナントは近づけられたのと同じだけ椅子の反対側に逃げて距離を取った。レオポルティーナは流石にそれには気付いて泣きそうになった。正にその時、ノックの音がしてすぐにボックスの扉が開き、茶器がガチャガチャと音を立てた。

「フェルディナント様、お嬢様!」

レオポルティーナはびくっとして慌てて元の椅子に戻った。それを見て動揺したヨハンは茶器を思わず落としそうになり、すんでのところでとどまったものの、お茶をお盆や絨毯の上にこぼしてしまった。

「申し訳ありません。すぐに新しいお茶を取りに参ります」
「休憩時間は後少しで終わりだからもういいよ」
「そうですか。申し訳ありません。でも…お二人ともご結婚前は節度ある交際をお願いします」
「いや…や、やましいことはしていないよ」
「ならいいですが、ベッティーナさんはどうされたのですか?」
「お花摘みよ」
「そうですか、でも私が戻って来るまで待っていてくれればいいものを…」

レオポルティーナは、使用人として無礼なヨハンの態度に普段は文句を言わないが、今回ばかりはむっとした。

「ねぇ、ヨハン。女性にそういう繊細な場面で文句を言うのは紳士的でないわ。そんなようでは女性にもてないわよ」
「私はただの従者で紳士ではないですから、女性にもてなくて結構です」
「そういうことじゃないのに…もういいわよ!」

その後の観劇とディナーはなんとなく気まずいままで終わった。レオポルティーナはヒロインとヒーローの最期に号泣していたが、彼女にハンカチを渡したのはベッティーナだった。
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