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治療院
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食事を終えた私と父は治療院へと向かった。
するとベッドには四人の村人が寝かされている。
父と同い年くらいの男女と、まだ幼い少年と、さらに年下であろう少女。
その四人は……ひどい状態だった。
体中鞭で打たれたような傷があり、また栄養状態が悪いとひと目でわかる有様だった。子どもたちの腕はもはや枯れ木のように細い。
父がベッドに横たわる男性に話しかける。
「私はこの領地を預かるジレイド・ミドルダムだ」
「自分は……ハリス。一緒にいるのは、妻と、息子と、娘です」
「あなた方はロードリン公国の人間だと聞きましたが、なぜこの領地に?」
「自分たちは逃げてきたのです」
ハリスさんは、衰弱しきった声でゆっくりと説明を始めた。
「自分たちは……公国の端にある村で暮らしておりました。……しかし、最近新しい領主がやってきて……重税を、課せられました」
「重税、ですか」
「はい。……それまでの五倍ほどの額です。……払えないというと、鞭で打たれました。何度も、何度も。家財はすべて取り上げられ、食べるものもありません。村の人間は、ほとんどがそのような状態でした」
「……だからその領主のもとから逃げてきたと?」
「その、通りです。このままでは……自分たちは、冬を越せない。五歳になる娘は、あとひと月ももたないでしょう……」
ハリスさんの視線を追うと、そこにはガリガリにやせ細った少女がいた。
意識がもうろうとしているのか、目の焦点があっていない。
体には骨が浮いており、今にも死んでしまいそうだ。
「お願い、します。どうか慈悲を……せめて、子どもたちだけでも……どうか、どうか」
ハリスさんはそう言って涙を流した。
「……」
父が黙り込む。
ハリスさんはそれに気付いたのか不安そうな顔をしている。
父は表情を引き締めて言った。
「それは難しいのです、ハリスさん」
「……むずか、しい?」
「公国と私たちの暮らすサザーランド王国はかつて戦争状態にありました。現在は小康状態が続いていますが、公国の民をこちらが預かっている――言い換えれば、『誘拐している』と言いがかりをつけられる状況は非常にまずい。公国内にいるであろう開戦派に大義名分を与えかねません」
ハリスさんは困ったように絶句していた。
さすがに父の言っている言葉の意味はわかるらしい。
「それは……わかります。ですが、どうか助けてください」
「そうしたい気持ちはやまやまなのですが……」
難しい話だ。
父はこの国を預かる領主として、『かつて戦争状態にあった国』の民を抱え込むことはできない。少なくとも正式に公国に認めさせなくては絶対にまずい。
だが、ハリスさんたちの滞在を認めないのは良心が咎める。
彼らはこのまま公国に追い返した場合、おそらく長くはもたないのがわかる。
まさに板挟みだ。
と、治療院の扉が開いた。
いい匂いが漂ってくる。
「なんだか難しい話をしているようね。とりあえず腹ごしらえでもしたらどうかしら。この方たちはお腹が減っているんでしょう?」
現れたのは母と使用人だった。
使用人のほうは湯気を立てる鍋を手に抱えている。
おそらくさっき私たちが食べたシチューの残りだろう。
「……食べ物」
ハリスさん一家の目が鍋に釘付けとなる。
父が母に慌てたように言う。
「おい、今は話をしている最中だぞ。それにこの村人たちは」
「いいでしょう、食事くらい。他国の民だというなら、少しのもてなしもせずに追い返しては失礼ではなくて?」
「そ、そういう理屈なのか?」
母と使用人がシチューの入ったお椀を配ると、ハリスさんたちは信じられないような目でこちらを見てきた。
「これは……我々に恵んでくださるのですか」
「ええ、どうぞ。あったまりますよ」
「ああ、ありがとうございます!」
そのまま手づかみでシチューをほおばるハリスさん一家。
「……おいしい。おいしい、おいしいよぉ」
それまで一言も発さなかった子どもたちは、涙をぼろぼろと流しながらシチューを食べ進めていく。よほどお腹が空いていたのだろう。
その様子は私たちにもある光景を思い出させた。
「ありがとうございます……! なんとお礼を言っていいか。子どもたちにこんなに美味しいものを食べさせてあげられたのは初めてです」
ハリスさんが感激したように告げる。
私たちは毎日食べているようなものでも、この人たちにとっては天の恵みのようなものなのだ。
この人たちは自国に戻ればきっと死んでしまう。
これから冬が来るのに、たくわえがなければ絶対に生き残れない。
「お父様、私はこの人たちを助けたいです」
「……レイナ。それは私も同じだ。しかし現実的にどうするつもりだ?」
「とりあえず相談してみようと思います」
「誰にだ?」
「フィリエル殿下にです」
ことが自国だけの問題ではない以上、もっと立場の大きな人の意見を聞きたい。
もちろんすぐに結論は出せないし、本当にどうしようもなければ、最後にはハリスさんたちを見捨てることになるのかもしれない。
薄情だとしても、私たちは公国とことを構えるわけにはいかないからだ。
そうなってしまえばより多くの人が死ぬことになる。
けれど、できることはしておきたい。
私はフィリエル殿下に手紙を書くことにした。
するとベッドには四人の村人が寝かされている。
父と同い年くらいの男女と、まだ幼い少年と、さらに年下であろう少女。
その四人は……ひどい状態だった。
体中鞭で打たれたような傷があり、また栄養状態が悪いとひと目でわかる有様だった。子どもたちの腕はもはや枯れ木のように細い。
父がベッドに横たわる男性に話しかける。
「私はこの領地を預かるジレイド・ミドルダムだ」
「自分は……ハリス。一緒にいるのは、妻と、息子と、娘です」
「あなた方はロードリン公国の人間だと聞きましたが、なぜこの領地に?」
「自分たちは逃げてきたのです」
ハリスさんは、衰弱しきった声でゆっくりと説明を始めた。
「自分たちは……公国の端にある村で暮らしておりました。……しかし、最近新しい領主がやってきて……重税を、課せられました」
「重税、ですか」
「はい。……それまでの五倍ほどの額です。……払えないというと、鞭で打たれました。何度も、何度も。家財はすべて取り上げられ、食べるものもありません。村の人間は、ほとんどがそのような状態でした」
「……だからその領主のもとから逃げてきたと?」
「その、通りです。このままでは……自分たちは、冬を越せない。五歳になる娘は、あとひと月ももたないでしょう……」
ハリスさんの視線を追うと、そこにはガリガリにやせ細った少女がいた。
意識がもうろうとしているのか、目の焦点があっていない。
体には骨が浮いており、今にも死んでしまいそうだ。
「お願い、します。どうか慈悲を……せめて、子どもたちだけでも……どうか、どうか」
ハリスさんはそう言って涙を流した。
「……」
父が黙り込む。
ハリスさんはそれに気付いたのか不安そうな顔をしている。
父は表情を引き締めて言った。
「それは難しいのです、ハリスさん」
「……むずか、しい?」
「公国と私たちの暮らすサザーランド王国はかつて戦争状態にありました。現在は小康状態が続いていますが、公国の民をこちらが預かっている――言い換えれば、『誘拐している』と言いがかりをつけられる状況は非常にまずい。公国内にいるであろう開戦派に大義名分を与えかねません」
ハリスさんは困ったように絶句していた。
さすがに父の言っている言葉の意味はわかるらしい。
「それは……わかります。ですが、どうか助けてください」
「そうしたい気持ちはやまやまなのですが……」
難しい話だ。
父はこの国を預かる領主として、『かつて戦争状態にあった国』の民を抱え込むことはできない。少なくとも正式に公国に認めさせなくては絶対にまずい。
だが、ハリスさんたちの滞在を認めないのは良心が咎める。
彼らはこのまま公国に追い返した場合、おそらく長くはもたないのがわかる。
まさに板挟みだ。
と、治療院の扉が開いた。
いい匂いが漂ってくる。
「なんだか難しい話をしているようね。とりあえず腹ごしらえでもしたらどうかしら。この方たちはお腹が減っているんでしょう?」
現れたのは母と使用人だった。
使用人のほうは湯気を立てる鍋を手に抱えている。
おそらくさっき私たちが食べたシチューの残りだろう。
「……食べ物」
ハリスさん一家の目が鍋に釘付けとなる。
父が母に慌てたように言う。
「おい、今は話をしている最中だぞ。それにこの村人たちは」
「いいでしょう、食事くらい。他国の民だというなら、少しのもてなしもせずに追い返しては失礼ではなくて?」
「そ、そういう理屈なのか?」
母と使用人がシチューの入ったお椀を配ると、ハリスさんたちは信じられないような目でこちらを見てきた。
「これは……我々に恵んでくださるのですか」
「ええ、どうぞ。あったまりますよ」
「ああ、ありがとうございます!」
そのまま手づかみでシチューをほおばるハリスさん一家。
「……おいしい。おいしい、おいしいよぉ」
それまで一言も発さなかった子どもたちは、涙をぼろぼろと流しながらシチューを食べ進めていく。よほどお腹が空いていたのだろう。
その様子は私たちにもある光景を思い出させた。
「ありがとうございます……! なんとお礼を言っていいか。子どもたちにこんなに美味しいものを食べさせてあげられたのは初めてです」
ハリスさんが感激したように告げる。
私たちは毎日食べているようなものでも、この人たちにとっては天の恵みのようなものなのだ。
この人たちは自国に戻ればきっと死んでしまう。
これから冬が来るのに、たくわえがなければ絶対に生き残れない。
「お父様、私はこの人たちを助けたいです」
「……レイナ。それは私も同じだ。しかし現実的にどうするつもりだ?」
「とりあえず相談してみようと思います」
「誰にだ?」
「フィリエル殿下にです」
ことが自国だけの問題ではない以上、もっと立場の大きな人の意見を聞きたい。
もちろんすぐに結論は出せないし、本当にどうしようもなければ、最後にはハリスさんたちを見捨てることになるのかもしれない。
薄情だとしても、私たちは公国とことを構えるわけにはいかないからだ。
そうなってしまえばより多くの人が死ぬことになる。
けれど、できることはしておきたい。
私はフィリエル殿下に手紙を書くことにした。
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