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32.初ステージ
しおりを挟む両親は一人娘の私をとても可愛がってくれた。習い事は母が好きな事もあってやりたいものには通わせてくれた。
習字、そろばん、英語、ピアノ、ボイトレ、合気道。習字とピアノは母が、合気道は父が進めてくれて始めた。その中で長く通ったのはボイトレとピアノ。合気道も結構続いた。母が亡くなってからもしばらくは行ったが、結局全ての両立は出来なくなって辞めてしまった。
中でもボイトレには思い入れがある。先生は近くに住んでいた綺麗なお姉さんで、私が初めての生徒だった。歌が好きで、テレビに出ている普通の歌手に憧れていた。それが一変したのは先生の歌を聴いてからだった。ある日、先生が知り合いのお店に頼まれてそのバーで歌う事になった。母に頼んで一緒に行ってもらい、生徒だから、という事で特別に聞かせてもらった。
その時の感激は今も覚えている。いつもは幼い感じの先生が、バーのステージに立つとまるで別人だった。その声は同じ人のはずなのに、どんな雰囲気の曲にも馴染んで聴いている人を魅了した。それから私はすっかり先生のファンになった。
私の好きなアーティスト、というのは先生の事だ。
◇
昨夜、というかもう今朝だけど、あれからさらに話し合って早速今夜歌う事になった。本当はもう少し練習してからにしたかったのだが、1曲だけでもいいから!と何故かルイさんとコンゴさんに熱心に頼まれて決まった。
その為私の今日の仕事は歌い手だ。ホールには出ず、準備して待機する事になった。なんだかんだで朝までかかった為、皆すっかり寝不足だ。
支度する前に熱いシャワーですっきりする。
シャワーを終え、ベッドルームで着替えているとレドが入ってきた。ちょっと不機嫌そうな顔。その理由はドレスだ。
今夜歌う事が決まった時、レドが新しいドレスを用意すると言い出した。でもそれには時間が無さ過ぎるし、まだ袖を通していないドレスだって何着もある。だから今回はあるので良い、と言ったらすっかり拗ねてしまった。次回は新調してもらうと約束しても、この状態なのだ。
それでも傍に来て後ろのファスナーを上げてくれた。
「ありがとう。ね、どう?」
レドの方を向いて見せる。
今日はビスチェタイプのマーメイドドレス。色は綺麗なアクアブルーで、腿から下はシースルーになって広がっている。同色のロンググローブもシースルー。髪は結い上げて、ネックからバストのラインをより美しく見せている。
「綺麗だ…ソニア」
ため息と共にそう呟いてやっと笑顔を見せる。そっと抱きしめて額にキスを落とした。
「レドを想いながら歌うから…ちゃんと聴いててね」
腕の中から見上げて告げる。
「ああ…もちろんだ」
私達は口紅が付かないよう、そっと口づけを交わした。
◇
そろそろステージが始まる時間。いつもなら歌い手や演奏家の名を街中や酒場の掲示板、それに街で売られている情報誌などに掲載する。だが、今回は急だった事を逆にサプライズ演出として利用した。だからお客さんはステージがある事以外何も知らない。まあ、スタッフでさえ今日知らされたのだから当たり前だが。初ステージなのにハードルは上がりまくりである。
フロア中央の階段下、そこに扉があって控室の近くに繋がっている。私はその扉の前にいた。緊張で震える手を握りしめ、深呼吸を繰り返す。傍にいたレドが私の手を包み込んでくれる。
「大丈夫だ、ソニアなら出来る。ちゃんと見ててやるから、思いっきり歌って来い」
「ん…ね、おでこでもいいからキスして」
周りに誰もいないのをイイ事に頼む。してもらったらもう少し落ち着ける気がするから。
「フフッ、やはりお前は可愛い」
彼は微笑みながらそう言ってキスしてくれた。
「…落ち着いたか?」
「うん、大丈夫」
「よし、行ってこい」
「はい、行ってきます!」
私は笑顔で答えて扉を開けた。
ホールへ足を踏み入れると全員の視線がこちらに集まった。
一瞬立ち竦んでしまう。・・・ええい!女は度胸!!自分に喝を入れてステージへ向かう。背筋を伸ばし、堂々として見えるように。ボスの妻に相応しく見えるように。
ドレスに身を包んだ歌い手が、いつもはホールに居る私だと分かると静かだったフロアが喧騒に包まれる。ステージに立って全体を見渡すと、波が引くように静けさが戻る。2階のいつもの席にレドが座ったのを目の端に捉えて内心ホッとした。
私は大きく息を吸って歌い始めた。
想い人を天そらの星に見立てた歌詞が印象的な歌。優しさの中に凛とした強さを感じさせ、自分の全てを捧げたいと願う情欲までを秘めている。
一番好きな歌。歌詞が自分の気持ちと重なり、想いが膨らむ。
精一杯の心を込めて・・・彼へと贈った。
歌い終えた時、束の間の静寂が訪れた。
そして
ホールが割れんばかりの歓声が沸き起こる。
昂った感情を抑え、優美に見えるよう心掛けて一礼する。
顔を上げた時、柔らかな笑みを浮かべながら拍手するマスターと眼が合う。その顔を見て、マスターにも喜んでもらえたように感じて嬉しかった。
◇
階段下から裏へ入り、廊下を進んでいると向かいからレドが来て私を抱き上げた。
「きゃっ、レド!ここ廊…んッ」
自分がキスをねだった事を棚に上げて抗議するが、彼は私の言葉など聞かずにキスする。そして抱き上げたまま部屋へと歩き出す。
「ねぇ!私これからホールに…」
「それはダメだ」
ステージを終えたらホールの仕事に戻るつもりだったのに止められる。
「だってまだ勤務時…」
「だがダメだ」
「ちょ…」
「レドの言う通りですよ。今日ホールに出るのは危険です」
今度はいつの間にか来ていたマスターに止められた。
・・・全然最後まで言えない。何なの。
「ホールの仕事するだけだよ?」
やっと言えた。が・・・レドは勿論、マスターまで珍しく渋い顔をする。
「あの盛り上がりを見ただろう?今ホールに出てみろ、あっという間に男が群がるぞ」
「それは大袈裟…」
「…じゃありません。あなたの歌はそれだけ魅力的だったんです。自覚しておかないと大変な事になりますよ」
「え~…」
思わず子供みたいな返事をしてしまった。そんな私を見て2人が笑う。
「フフッ、駄々を捏ねるな。これからもステージがある日はホールはなしだ」
「ふふふ、ホールだけの日もちゃんとありますから。安心してください」
2人に優しい目で見つめられてくすぐったい気持ちになる。
「はい…」
何となく恥ずかしくて、赤くなりながら答えた。
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