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第三章 わたしと弟子と魔導書盗難事件

第49話 二度目の喪失

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   ◇◇◇

「おらぁああああっ!!」

 振りぬかれた炎をまとった拳が鼻先を通過する。ニーナはよろけながらもバックステップを踏んで何とか回避し、目の前の男から距離を取る。

「くははっ! おいおいどうしたニーナちゃんよぉ! 反撃の一つでもしてみたらどうだ、あぁ!?」

「…………」

 したければとっくの昔にしています!! とニーナは心の中だけで叫ぶ。戦いが始まってからというものの、ニーナは防戦一方。避けることに精いっぱいで攻撃に移れていなかった。というよりも……。

 闇系統の攻撃魔法、教えてもらってません!!

 攻撃がしたくても、どう攻撃をしたらいいのかがわからない。それが今、ニーナが陥っている状況だった。

 王立魔法学園のカリキュラムではまだ基礎の魔法学を学ぶ段階で、各系統の魔法は基本的な五大系統魔法の触り部分に入ったばかり。闇魔法はもうしばらく授業には出てこない。そのために現状、ニーナが使える闇魔法は限られている。

 幾つか自分で編み出した魔法もあるにはあるが、どれも攻撃に使えるような魔法ではなかった。何日か前にミナリーにも相談したのだが、闇系統の攻撃魔法は教えて貰えなかった。

『闇系統は攻撃に向かない魔法系統です。火の系統魔法なら魔力を熱に変換して相手にぶつけます。土の系統魔法なら魔力で土を固めその質量や硬さで相手にダメージを与えます。では、闇系統の魔法は魔力をどう使って相手にダメージを与えるんですか?』

『えっ? えーっとぉ……』

 その質問にニーナは答えることができなかった。

 五大系統魔法とその他の光と闇の系統魔法の大きな違いはそこにある。攻撃に向いているか否か。光の系統魔法は対アンデッド特攻の魔法も存在するが、生身の人間相手に有効な攻撃魔法はほとんどない。闇魔法もまたしかり。

『それなら、ニーナは初めから魔法による攻撃を捨てた方がいいです。入学試験の時と同じですよ。相手を撹乱して隙を作り、後は体術で片を付ける。ニーナにはこの戦い方が一番合っていると思います』

『な、なんかそれって魔法使いっぽくないのでは……。わたしとしてはもっとこぅ、ドバーン、ズバーン、ズドーンって魔法が撃ってみたいですよぅ』

『闇系統以外の魔法が使えるようになってから言ってください』

 おっしゃる通り過ぎてぐぅの音もでなかった。

 とにかく、ニーナが取れる手段は相手を撹乱し隙を作る搦め手しかない。

 だが、それがガストンに思うように通用していなかった。

「〈影落とし〉!!」

 ドルディの攻撃を避けながら校舎の影になる位置まで誘導していたニーナは、相手を影の中に沈め身動きをとれなくする闇魔法を放つ。

 だが、

「効かねぇんだよぉっ!!」

 ガストンの手足で燃える炎がより一層強くなり、炎の明るさが彼の周囲の影を吹き飛ばす。

 相性が悪すぎます……!!

 入学試験の時は図らずも不意打ちという形で勝利できた。けれど今は、こちらの手はガストンに把握されている。

 そもそも魔法使いと魔法拳闘士の相性があまりよくない上に、相手は火系統の魔法拳闘士。闇魔法しか使えないニーナにとって最悪の相性に近かった。

「小賢しい真似ばっかりしやがって!! 俺の炎にちんけな闇魔法なんて効きやしねぇんだよぉっ!!」

「〈帳〉……!」

 足止めは不可能。なら、まずは視界を奪う。

 ニーナが魔法を発動させたと同時、ガストンの顔を影が覆う。

 その隙に……、

「だから、効かねぇっつってんだろうがぁあああああああっ!!」

「――ッ!?」

 ガストンの顔を覆った影が、内部から溢れだした炎に消し飛ばされた。手足だけでなく顔すらも燃え上がらせるガストンは、一気にニーナへと突っ込んできた。

「速い!?」

 爆発的な加速……いいや、実際にガストンは足にまとう炎を爆発させて地面を蹴っていた。その衝撃を一歩目の加速に変え、一気にニーナへの距離を詰めたのだ。

「鬼ごっこは終わりだぜぇ、ニーナちゃんよぉ!!」

「がはっ!?」

 反応しきれず壁際に抑え込まれる。ガストンの顔と手足の炎はいつの間にか消えており、代わりに彼が持つ〈吸魔の書〉が赤黒い光を放っていた。

「この本はただ魔力を吸うだけじゃねぇ。面白い使い方を教えてやるぜぇ」

 〈吸魔の書〉から溢れだした蔓がニーナの手足に絡みつく。両手はまとめて縛られ、足は一本ずつ自由を奪われて固定される。ふわりと浮いた体は、蔓によって完全に自由を失っていた。

「何をするつもりですか……?」

「くははっ、言ったじゃねぇか。そこ可愛い顔をぐちゃぐちゃに歪ませてやるってなぁ!!」

 ガストンの握りしめた拳がニーナの頬を打つ。何度も何度も何度も。ガストンは軽薄な笑みを浮かべながら情け容赦なくニーナの顔を殴り続けた。

「ひゃはははっ! おら泣け! 泣き喚きやがれっ!! 痛ぇだろ? 我慢しなくていいんだぜぇ? 許してくださいガストン様ぁ、何でもしますぅって泣き叫んでみやがれ!」

「……誰が、あなたなんかに」

「あぁ!?」

「神様だって祈っても何もしてくれないんです。あなたに許しを願ったって解放してくれないでしょう? そんなことするくらいなら、犬の糞を食べるほうがよっぽどマシですよ」

「テメェ、そこまで死にてぇなら殺してやるよ!!」

「殺せるものならどうぞご自由に」

「くそアマがぁあああああああああああああっ!!」

 ひときわ大きく振りかぶったガストンの拳が、ニーナの顔にめり込む。そしてそのままニーナの顔を歪めて、貫通した。

「あ……?」

 ニーナの顔を穿った自分の拳を見て、ガストンは困惑する。

「うふふっ、あはははははははははっっっ!!」

 直後、顔を腕に貫かれながら堰を切ったようにニーナが笑い出した。

 ――そしてドロリ……と、ニーナの体が溶け出し始める。

「なぁ……!? なんじゃこりゃあ!!??」

 溶けたニーナの体は黒く変色し、べっとりとガストンに抱き着くようにまとわりついていく。原型を失った真っ黒な顔はわずかに残った口と判別できる部分でケタケタと笑い続けていた。

「ひ、ひぃいいいっ!?」

 ガストンはとっさに逃れようともがいたが、纏わりつくニーナだったものが体の動きを妨害する。何より、足がまるでその場に縫い付けられたかのように動かない。

 恐怖に支配されたガストンは気づけなかった。背後から忍び寄る、少女の気配に。

「せーのっ!」

 精いっぱい後ろへやった足を、ニーナは勢いよく前へと振り上げる。

 そしてつま先は入学試験の時と同様、ガストン股間へ突き刺さった。

「おっ……ほぉ」

 ガストンは情けない声をあげながら、白目をむいてその場に崩れ落ちる。

「女の子の顔は殴っちゃダメって、お母さんに教わらなかったんですか? ……まあ、わたしも教わってないと思いますけど」

 気絶してしまったようでガストンからの返事はない。

 ニーナは小さく一度息を吐いて、ガストンの手から零れ落ちた〈吸魔の書〉を拾い上げた。何やらやばそうな雰囲気がプンプンしているので、とりあえず物体を出し入れ可能な影の中へ落としておくことにした。

「闇魔法〈影法師〉……意外と気づかれないものですね」

 ニーナが新たに編み出した自分と同じ姿かたちの実体を持つ影を作り出す闇魔法。ガストンから〈帳〉で視界を奪った一瞬の隙に魔法を発動して入れ替わったのだが、いつばれてしまうかと冷や冷やだった。

 特に〈吸魔の書〉の蔓で縛り上げられた時は「あっ……」と終わりを悟ったほどだ。幸いにもガストンはニーナのことで頭がいっぱいだったのか、魔力を奪おうとしなかった。もしもあの時点で魔力を奪われていたら、影のニーナは消滅してしまっていただろう。

 薄氷の勝利だった。ガストンの詰めの甘さに救われたようなものだ。

「ロザリィ様たちは大丈夫でしょうか……」

 ニーナは気絶したガストンを縛り上げてからロベルトたちへ預け、ロザリィたちが戦っているだろう校門のほうへと歩き出した。
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