上 下
198 / 396
第三章 暴風のコロッセオ

第198話 万能軟膏

しおりを挟む
 どうにか食堂の最終注文には間に合い、空腹を満たした後は、大浴場の開放日ということなのでみんなで連れ立って向かうことにした。

 このところ、僕もかなり根を詰めていたし、皆とは別行動ばかりだったせいか、なんとなく久し振りだという感覚がある。

「ふふっ、広いお風呂って気持ち良いねぇ」

 身体を洗い終えたアルフェが、嬉しそうに湯船のお湯で遊んでいる。無詠唱でクリエイト・ウォーターを発動させ、お風呂にたくさんの水の花を浮かべていることから、アルフェの修行がかなり順調であることが窺えた。

「こういうの、雰囲気良くて素敵だねぇ~」
「薬湯だったら疲労も取れるんだけどなぁ」

 アルフェがクリエイト・ウォーターで作った花を喜ぶヌメリンの隣で、ヴァナベルが身体を伸ばしながら眠そうに目許を擦っている。

「にゃはっ。それは武侠宴舞ゼルステラが終わってからのお楽しみだろ?」
「そうだよ~。ご褒美があるかもって、マチルダ先生も言ってたし~」

 武侠宴舞ゼルステラ・カナルフォード杯というだけあって、先生たちも審判や観客で集まるらしい。おそらくマチルダ先生は、クラス対抗模擬戦と同じく救護班を受け持つことになるのだろうな。エキシビションマッチでのエステアの戦い振りを見るに、今回もかなりの負傷者が出そうだ。

「ご褒美もいいけど、欲しいのは今なんだよな~。なんつーか、筋肉痛っていうかさぁ」
「あっ、そうだ。疲れてるんなら亜人族伝統の万能軟膏『アルナ』があるけど、使う?」

 ぼやくヴァナベルに、ファラが思い出したように問いかける。『アルナ』という万能軟膏の名は初めて聞いたので、僕も興味が湧いた。

「あー、あれなぁ……。確かに効くけど、まあ、オレはヌメのやつでまだ足りるな」

 やんわりと断るヴァナベルの声を聞きながら、ホムがそわそわと落ち着かなさそうにしている。

 疲労や怪我の回復速度は、通常の人間よりは遙かに早いけれど、このところホムもかなり無理をしているようだし、『アルナ』を使いたいのかもしれない。

「もし良ければ、ホムに使わせてもらえるかな、ファラ?」
「もちろん。誰か使うかなって思って持ってきてるから、風呂上がりに分けるよ」

 横から切り出した僕に、ファラは快く『アルナ』を譲ってくれた。

   * * *

 部屋に戻った後、ファラから譲ってもらった万能軟膏『アルナ』の包みを解くと、思いがけない一言が添えられていた。

「……ああ、そういうことか……」

 軟膏の効能を知っているらしきヴァナベルが、はっきりしない返事でやんわりと断った理由が、それを見てなんとなくわかった。

 どうやらこの軟膏は、猫人族や獣牙族が傷を舌で舐めるという習性を活かしたものらしく、塗布する際は舌にのせ、唾液と絡めるようにして舐めて塗る必要があるのだ。

「どうかしたのですか、マスター?」
「いや、亜人族伝統というだけあって、塗布方法が独特だなと思っただけだよ」

 ヴァナベルが渋った理由が少し分かった気もする。まあ、僕はホムのマスターで家族なので問題ないけれど、ホムはもしかしたら気にするだろうか。

「この軟膏、舌で舐めるようにして塗ることで、効果を発揮するものらしいんだ」
「……舌で……?」

 ホムが軟膏の使い方を不思議そうに繰り返す。反応を見るに、嫌がっている感じはしなかったが、なにか気懸かりなようだ。

「なにか気になるかい?」
「はい。マスターは女神のエーテルの影響で回復するのに、これを使って大丈夫なのでしょうか?」

 ああ、僕のことを心配してくれていたのか。舌は粘膜に近いし、薬の吸収速度も速そうではある。だが、面積がそれほど広いわけではないので、吸収される量自体もそれほど多くはないのだろう。そうでなければ、この塗り方が普及するとは思えない。

「まあ、薬草を調合したものだし、気分が楽になるとかその程度の効果だろうね。良い効果がどれくらい元に戻されるかはわからないけれど」

 いずれにしても僕にとっては、ほんの味見程度の効果しかないだろう。少なくとも悪い効果でないことは確かなので、ホムが眠くならないうちにアルナを試してみることにした。

「ホム、服を捲って背中を出せるかい?」
「はい、マスター」

 頷いたホムが服を捲り、ベッドにうつ伏せに寝転ぶ。アルナの入った瓶の蓋を開けると、乳白色のクリーム状の軟膏から甘く不思議な香りがした。

「それじゃあ、背中に塗っていこうか」
「はい……。よろしくお願いいたします」

 アルナを指ですくって舌にのせ、ホムの白く滑らかな背に舌を這わせていく。緊張か、それともくすぐったかったのか、ホムの身体がびくりと跳ねた。

 伸びの良い軟膏は、僕の唾液と混じり、とろけるように肌の上に馴染んでいく。軟膏を足しながら念入りにホムの背――とりわけ張りが強い肩甲骨の部分に舌を添わせると、ホムがもどかしそうに身を捩った。

「……んっ……、あぁ……」
「大丈夫かい、ホム?」

 切なげな、それでいて少し苦しげな声が微かに漏れるのを、動きを止めて問いかける。ホムは頷きながら赤く染まった頬と潤んだ瞳で僕を振り返った。

「き、気持ち良い……です……」
「そうか、それは良かった」

 ホムがもじもじと身を捩っているが、どうやら効果はてきめんに現れているようだ。

「あっ、あぁ……ん……く、ぅん……」

 だんだんとホムの身体から力が抜けるのを実感するにつれ、ホムが漏らす声も甘さを増していく。甘えるようなねだるような可愛らしい声に、もっとホムを癒やしてあげたくなった。

「肩と首の方もやろうか。頭の中がすっきりしそうだよ」
「はい……」

 受け答えするホムの目はとろんと潤んで、夢心地といった様子だ。塗布してもらう相手を選ぶだろうけれど、かなり良い軟膏を分けてもらえたなと考えながら、ホムの首筋に軟膏を塗布しようとしたその時。

「リーフ……? ホムちゃん……?」

 部屋の入り口から、愕然としたアルフェの声がした。

「アルフェ?」
「アルフェ様!」

 僕の声とホムの声がほとんど同時に重なる。アルフェは僕たちを見て、首を横に振り、おずおずと後退を始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

知らない異世界を生き抜く方法

明日葉
ファンタジー
異世界転生、とか、異世界召喚、とか。そんなジャンルの小説や漫画は好きで読んでいたけれど。よく元ネタになるようなゲームはやったことがない。 なんの情報もない異世界で、当然自分の立ち位置もわからなければ立ち回りもわからない。 そんな状況で生き抜く方法は?

乙女ゲームの世界に転生したと思ったらモブですらないちみっこですが、何故か攻略対象や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛されています

真理亜
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生したと思ったら...モブですらないちみっこでした。 なのに何故か攻略対象者達や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛されています。 更に更に変態銀髪美女メイドや変態数学女教師まで現れてもう大変!  変態が大変だ! いや大変な変態だ! お前ら全員ロ○か!? ロ○なんか!? ロ○やろぉ~! しかも精霊の愛し子なんて言われちゃって精霊が沢山飛んでる~! 身長130cmにも満たないちみっこヒロイン? が巻き込まれる騒動をお楽しみ下さい。 操作ミスで間違って消してしまった為、再掲しております。ブックマークをして下さっていた方々、大変申し訳ございません。

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

殿下!死にたくないので婚約破棄してください!

As-me.com
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生した私。 このままでは冤罪で断罪されて死刑にされちゃう運命が待っている?! 死にたくないので、早く婚約破棄してください!

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

処理中です...