上 下
2 / 17

第2話 ネビリムの使徒

しおりを挟む
 まばらな照明に照らされる薄暗い廊下に、足音が響く。
 硬いヒールが石造りの床面へと憎悪すら感じる勢いで打ちつけられる。

 足音の主は、艶やかな金髪を帯びたボンデージ姿の女性――ネビリムの使徒の上位使徒であるネビュラであった。

 今日もまたセイントリリィに敗北を喫した彼女は、大人げもなくその苛立ちを吐き出し続ける。

「あぁっ! もうっ! あのクソガキどもっ! 何度も何度も何度も何度も、あたしの邪魔ばっかりしてっ!」

 自らの言葉で屈辱の記憶が蘇り、真珠のように白い歯が、ギリリと軋みを上げる。その表情からは、屈辱と憎悪の感情がありありと感じられた。

「このあたしが……ッ! 小娘なんかに手玉に取られるなんて……!」

 ネビュラがセイントリリィに敗北を喫したのはこれで二度や三度ではない。

「次こそは絶対にあの小娘たちを快楽の虜にしてやるんだから……!」
「無理だな」

 闇の奥底から聞こえた声に、ネビュラはビクリと身体を震わせた。

「ネッ、ネビリム様っ! 申し訳ありませんっ!」

 咄嗟にネビュラは、額を床に擦りつけんばかりの勢いでその場に平伏した。

 声の主はネビュラたちネビリムの使徒が信奉する存在――淫堕神ネビリム。
 かつては複数の世界を支配した偉大なる淫堕神はしかし、魔法界の賢者たちの手によって封印され、今となっては思念体として、自身を崇拝する使徒たちにその意思と、わずかばかりの力を授けることしかできない。そんな状態のネビリムだが、それでも圧倒的な力を有していることは事実だ。

 現に、こうして思念体を飛ばして直接会話ができるだけでも、他の淫堕神の追随を許さないほどの影響力を持っているのだ。

「あの小娘たちに負けるのはこれで何度目だ?」
「ッ……も、申し訳っ……」

 ネビリムの言葉に、ネビュラの顔色は蒼白になり、身体を小さく縮こませる。女豹のような肉体美も、まるで仔猫になってしまったかのように小さく、震えていた。

 ネビュラが恐れているのはネビリムの怒りではない。ネビュラは使徒の中でもひときわネビリムへの忠誠心が厚い。ネビリムのためであれば己の命を捨てることも躊躇いはしない。たとえネビリムに殺されることがあろうとも、それを受け入れる覚悟はある。

 本当にネビュラが恐れているのは失望されること。敬愛するネビリムから、期待してもらえなくなることだった。

「お前が誰よりも我に忠実なしもべであることはよくわかっている」
「ネビリム様……」

 主人の寛大な言葉に、ネビュラは瞳を潤ませ顔を上げた。

「次こそは必ずやあの小娘どもを犯し尽くし、快楽漬けにしてみせます!」
「無理だと言っているだろう。お前ではどれだけ繰り返そうと奴らには勝てぬ」
「で、では一体どうすれば……」
「簡単な話であろう? 奴らに勝てぬというのならば――」

 ネビリムの言葉を最後まで聞いて、ネビュラはつい先ほどまで青ざめさせていた唇を笑みの形へと歪めた。



 朝。
 ホームルームのはじまる数分前の教室は喧騒に包まれていた。

 特別何かがあったわけではない。既に時間は遅刻も間近、大部分の生徒は教室に着いている。放課後に何をして遊ぼうか、何時間目の授業が億劫だ、昨晩見たバラエティが面白かった――そんな何気なく、とりとめもない言葉が無秩序に交わされ、学校の教室という場を形作っていた。

 ガラガラッ、と。教室前側の扉が勢いよくスライドレールを滑り、ツインテールの少女が駆け込んでくる。

「セーーッフ!」

 駆け込んできたのはほむらだ。音がした一瞬こそ思わず視線を向けていたクラスメイトたちも「なんだ神崎か」と毎日恒例の行事を確認だけして各々の会話に戻っていく。

 いつでも元気いっぱいのほむらにも弱点はある。そのひとつが朝なのだった。

 クラスのほとんどがほむらから興味を失う中でただ一人――雨宮まりなだけは、ほむらのことを見つめていた。ほむらもまた、それに気付くと、にこりと明るい笑みを返す。

「まりなっ!」

 ほむらは足早にまりなの隣の自分の座席に着席すると、すぐさままりなに正対する。

「なにか……あったんですか?」
「お願い。まりなの力が必要なの」

 その真剣な眼差しを見て、まりなは胸の奥がきゅん、と熱を帯びたのを感じた。
 その瞳にもっと見つめられたい。その視線を独り占めにしたい。
 そんな内なる欲求を、しかしまりなは首を振って振り払う。

「……ネビリムの使徒ですか?」

 周囲の様子を窺って、まわりに聞こえないような小声でまりなは問いかけた。幸いなことにこの時間、ざわついた教室内ではよほど大声で喋らなければ会話が聞かれる心配もない。

 二人が魔法少女であることは、当然のように学校の皆にも秘密。もしその秘密が漏れてしまえば、二人だけでなく、周囲の人々にも危害が及ぶ可能性があるのだから。それゆえに声を潜めたまりなだったが、ほむらの反応はまりなの予想とは真逆のものだった。

「えっ? 全然違うけど」
「えっと、それじゃあ一体何が……」

 まりなの頭の中を駆け巡るのは、様々な予測だった。

 怪我。病気。事故。それもほむら本人とは限らない。兄弟姉妹はいないはずだが、両親や祖父母、近所の人や、学校の友達という可能性もある。

 あるいは――告白だろうか。告白されて、どのように返事をすれば良いのかわからないのかもしれない。

(ありえそうですよね……ほむらちゃん、可愛いですから……だけど――)

 ほんの一瞬、胸を締めつけるような軋みが生まれたことを無視して、まりなはほむらの手を握る。

「わたしにできることであれば協力します。なんでも言ってください……友達、ですから」

 口にするには照れくさい言葉。しかしそれを口にしたことに、まりなは後悔しなかった。じんわりと、胸の中に温かい気持ちが広がってゆく。

「ありがと。私、まりなが友達で良かったぁ」
「それで、お願いとはなんですか?」
「しゅ……」
「しゅ?」
「宿題、見せてください……」
「え……?」

 ほむらの口にした言葉の意味が、一瞬まりなにはわからなかった。
 あまりに深刻なほむらの表情と、言葉とが結びつかなかったのだ。

「一時間目の英語の宿題あったの、今さっき思い出しまして……」

 説明をしながら青ざめてゆくほむらの顔を見ながら、まりなはようやく自体を呑み込むことができた。百面相のようにころころと変わるほむらの表情に、まりなの頬も緩む。

「えっと……見せるのはいいですけど、宿題は英作文ですよ? それなりに長いですし、さすがに写したらすぐにわかっちゃうと思いますけど……」
「えっ……うそぉっ……いやっ、それでも忘れましたって言うよりいいはずっ!」
「いえ……多分、正直に忘れたって言った方がいいと思いますよ?」

 二人が話しているうちに、朝のホームルームのはじまりを告げる鐘が鳴る。
 魔法少女たちにも日常はある。

 遅刻ギリギリで家から走ってこなければならないこともあれば、宿題を忘れて怒られることもある。決して良いことばかりの日常ではないかもしれない。

 それでも、掛け替えのない日常であり、二人にとって、魔法少女という危険な役目を負ってでも、守りたいものなのだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

さくらと遥香

youmery
恋愛
国民的な人気を誇る女性アイドルグループの4期生として活動する、さくらと遥香(=かっきー)。 さくら視点で描かれる、かっきーとの百合恋愛ストーリーです。 ◆あらすじ さくらと遥香は、同じアイドルグループで活動する同期の2人。 さくらは"さくちゃん"、 遥香は名字にちなんで"かっきー"の愛称でメンバーやファンから愛されている。 同期の中で、加入当時から選抜メンバーに選ばれ続けているのはさくらと遥香だけ。 ときに"4期生のダブルエース"とも呼ばれる2人は、お互いに支え合いながら数々の試練を乗り越えてきた。 同期、仲間、戦友、コンビ。 2人の関係を表すにはどんな言葉がふさわしいか。それは2人にしか分からない。 そんな2人の関係に大きな変化が訪れたのは2022年2月、46時間の生配信番組の最中。 イラストを描くのが得意な遥香は、生配信中にメンバー全員の似顔絵を描き上げる企画に挑戦していた。 配信スタジオの一角を使って、休む間も惜しんで似顔絵を描き続ける遥香。 さくらは、眠そうな顔で頑張る遥香の姿を心配そうに見つめていた。 2日目の配信が終わった夜、さくらが遥香の様子を見に行くと誰もいないスタジオで2人きりに。 遥香の力になりたいさくらは、 「私に出来ることがあればなんでも言ってほしい」 と申し出る。 そこで、遥香から目をつむるように言われて待っていると、さくらは唇に柔らかい感触を感じて… ◆章構成と主な展開 ・46時間TV編[完結] (初キス、告白、両想い) ・付き合い始めた2人編[完結] (交際スタート、グループ内での距離感の変化) ・かっきー1st写真集編[完結] (少し大人なキス、肌と肌の触れ合い) ・お泊まり温泉旅行編[完結] (お風呂、もう少し大人な関係へ) ・かっきー2回目のセンター編[完結] (かっきーの誕生日お祝い) ・飛鳥さん卒コン編[完結] (大好きな先輩に2人の関係を伝える) ・さくら1st写真集編[完結] (お風呂で♡♡) ・Wセンター編[不定期更新中] ※女の子同士のキスやハグといった百合要素があります。抵抗のない方だけお楽しみください。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

ほのぼの学園百合小説 キタコミ!

水原渉
青春
ごくごく普通の女子高生の帰り道。帰宅部の仲良し3人+1人が織り成す、青春学園物語。 ほんのりと百合の香るお話です。 ごく稀に男子が出てくることもありますが、男女の恋愛に発展することは一切ありませんのでご安心ください。 イラストはtojo様。「リアルなDカップ」を始め、たくさんの要望にパーフェクトにお応えいただきました。 ★Kindle情報★ 1巻:第1話~第12話、番外編『帰宅部活動』、書き下ろしを収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B098XLYJG4 2巻:第13話~第19話に、書き下ろしを2本、4コマを1本収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B09L6RM9SP 3巻:第20話~第28話、番外編『チェアリング』、書き下ろしを4本収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B09VTHS1W3 4巻:第29話~第40話、番外編『芝居』、書き下ろし2本、挿絵と1P漫画を収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B0BNQRN12P 5巻:第41話~第49話、番外編2本、書き下ろし2本、イラスト2枚収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHFX4THL 6巻:第50話~第55話、番外編2本、書き下ろし1本、イラスト1枚収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B0D9KFRSLZ Chit-Chat!1:1話25本のネタを30話750本と、4コマを1本収録。 https://www.amazon.co.jp/dp/B0CTHQX88H ★第1話『アイス』朗読★ https://www.youtube.com/watch?v=8hEfRp8JWwE ★番外編『帰宅部活動 1.ホームドア』朗読★ https://www.youtube.com/watch?v=98vgjHO25XI ★Chit-Chat!1★ https://www.youtube.com/watch?v=cKZypuc0R34

処理中です...